9.サブイベント:【夏休みの幕間劇 灰被硝子編】
ライブで見事なまでの成功を収めたペルソナキュートは瞬く間にネット中で知れ渡り、若者を中心に人気となっていった。
その速度は驚異的であり、七月の半ばには早くもファーストライブが夏休み最後の八月三十一日に決定。
それに備えるように、一週間に一曲ずつ最新曲が配信され、そのこともまた話題となった。
ライブチケット販売ももうすぐ始まるということで、ネット上では、既に争奪戦になると予想されている。
そのニュースを、僕はいぶかしげに見て、隣のキモオタに聞いた。
「なあ、ライブってこんな直ぐにできるものなのか?」
「この日に休んで、何人かに協力してもらって画面を連打すればあるいは……なんか言った?」
チケットを買う算段を考えるのに夢中となっていたのか、綺羅星はその血走った目をようやく僕に向けた。
手に持っていたプラスチック製のフォークは宙に止まったままで、先ほどから全くと言っていいほど、彼女のコンビニサラダが減っていない。
綺羅星が空き教室で昼食を食べるようになってよかった。
とてもトップカリスマモデルがしそうもない、こんな怖い目をした姿を見られては周りを幻滅させかねないからな。痛っ。
「ちょっと、今失礼なこと考えてたでしょ」
「一々蹴るなよ」
といっても、蹴りの威力は弱く、全く痛くない。
「それで、なに言ったのよ?」
「だからライブってこんなに早く開催できる物なのかって聞いてるんだよ。普通だったら何日も前から準備する物とかじゃないのか?」
「ライブにもよるわよ。それこそただ会場を借りて歌うだけなら、音響機材さえ揃ってれば出来るし。でも確かにいくら9673プロダクションとはいえ、ちょっと早すぎるわね。まるで事前にこうなることを予想でもできてなければ準備のしようもないだろうし。どうやったのかしらね」
「事前にか」
だがそれはあり得ないだろう。
結香はスカウトされてペルソナキュートに入ったのだ。
それこそ結香が断れば、予想も何もあったものじゃないだろう。
そういえば以前、あの黒波墨汁さんと会った時、気になることを言っていたな。
結香は必ずスカウトの話に乗るって。
それまで見込んでの計画だったのだろうか。
だとしたら、恐ろしい話だ。
そんな当の本人である結香は、今日学校には来ていない。
急遽決まったライブの打ち合わせや段取りの説明、振り付けの練習や、新曲収録に追われてここ数週間は、数える程度くらいにしか学校へ来ていなかった。
前に登校日数は大丈夫なのかを聞いてみたら、そこら辺も事務所が上手く調節してくれるそうだ。
というわけで、最近ではこの空き教室で過ごすのも、この変態《綺羅星》との二人きりとなってしまったわけだ。
弁当も、結香が作ってくれた手作り弁当などではなく、互いに持ち寄った物を食べて、少し談笑して終わる。最近はその繰り返しだ。
「はぁ~、ライブ楽しみぃ~一杯グッズ買わなくちゃ~……」
もう既に行けることが確定したかのように、綺羅星はとろけきっただらしない笑みを浮かべて身体をくねくねさせる。正直かなりキモい。
「てか休みなんて取れるのかよ。トップカリスマモデルが」
「ふふふ……終わらせられる仕事はライブ前に全て終わらせるつもりよ。この私なら、それが出来る……っ!」
「なんという無駄なやる気か」
最近は忙しいということもあって、まともに結香とも会っていないが、僕としては静かでむしろ好都合だ。
と言ってもあの結香のことだ。
あれだけノリノリで夏休みの予定を決めてたんだ。
どうせ、夏休み中もなんだかんだで僕に会いに来るに決まっている。
その時まで精々、人生の時間を節約するとしよう。
◇◇◇
時は流れて、とうとう我が高校も夏休みに突入した。
この貴重な長い休みの中で、学生たちは各々の青春を謳歌することになるだろう。
それが人生にとって有意義な投資となるか。
将又、無駄な時間の浪費に終わるかは、その人間次第である。
などと偉そうなことを言った僕はといえば、
「ああ……涼しい……」
真夏の熱い中、クーラーのかかった電車の中で涼んでいた。
今日は月に二回の硝子さんのお世話の日だ。
だから僕は起きて早々に私服に着替えてから、電車を経由して、千葉から東京にある硝子さんのアパートまで向かっているというわけである。
最初、外の猛暑に耐えきれず、サボろうかとも考えたが、あの駄目人間なお姉さんをこの真夏の中で放っておいて大丈夫なのかという疑問がどうしても拭いきれなかったため、行くことにしたのだ。
電車内のクーラーが気持ちよすぎて、危うく、駅を降り損ねそうになった。
再び猛暑の中に身を投げ出し、一気に重くなったと感じた身体をどうにか動かして、やっとの思いで硝子さんのアパートまで辿り着くことができた。
チャイムを鳴らすと、扉がゆっくりと開いて、数十センチの隙間から硝子さんが顔を出し――とても香ばしい、獣臭溢れる匂いが外に流れ出してきた。
「いらっしゃい……ジョーカーくん……」
まさかとは思うが、
「……硝子さん、犬でも飼い始めました?」
もしそうなら厄介だ。
ペットなど飼われればこれまでただでさえ、苦労したお世話が、二倍大変になるのだ。
バイト代も二倍、いや三倍まで値上げしてもらわなくてはならないだろう。
「ち、違うよ!? まずここペット自体禁止だから! でも、どうしてそんなこと聞いたの……?」
「硝子さんの部屋が獣臭いからですよ。悪臭ではないですけど、とても香ばしい匂いがします?」
「そ、そう? わたしには分からないけど……?」
そりゃあ、部屋から殆ど出ていないんだから、分かるはずがないだろう。
だがペットを飼ってないとすると、この匂いは一体……?
そこで僕は、二週間前のある出来事を思い出した。
「硝子さん、一つ質問なんですけど……最後にお風呂に入ったのはいつですか?」
「………………えへっ?」
「笑って誤魔化すなやコラッ」
その後、硝子さんを問い詰めると、二週間前に僕が硝子さんを風呂に入れなかったため、そのままシャワーをろくに浴びず、計一ヶ月も風呂に入っていないという恐ろしい事実が判明したのだ。
よく見れば、彼女の美しかった黒髪は、全体がカピカピになっており、所々が青く変色しているのが見て取れて、僕は戦慄し、固まった。
まさか前回のあれが、次のイベントの伏線だなんて思いもしなかった。
そのままうやむやで流れてくれるだろうと思っていたのだが、現実にはイベントスキップ機能は付いていないらしい。
そんな不潔さマッドマックスな硝子さんに、僕が言えることは一つだけだった。
「汚物は消毒だ」
◇◇◇
「あはは……っ! ジョーカー、プール楽しいね……!」
「風呂場ですけどね」
そうだ。
まず外と人混みが駄目な硝子さんが、普通のプールに来れるわけがない。
ここは紛れもなく、硝子さんのアパートのお風呂場だ。
現在の硝子さんは、長い黒髪をツインテールに纏めて、持ち前の凶悪なまでの胸(Kカップ)をスクール水着を納めつつ、おまけに水鉄砲を持っていた。
スクール水着の前には、ちゃんと白い布に名前が書かれており、
「1-A組 はいかぶり しょうこ」
と書かれていた。1-Aてなんだよ。いつのクラスだよ。
そんなあまりにもマニアックな格好で、湯船に入り、はしゃいでいた。
僕は僕で、今日は普通の服を着たままではなく、男物の水着を履いた状態だ。
こんな変な状況になったのには、もちろん訳がある。
獣と化した硝子さんを洗おうとしようとした僕だったが、いつも通り問題が生じた。
『こんな熱い日に、お風呂なんてやだ』
と、またしても、この駄目お姉さんは駄々をこね始めたのだ。
そろそろマジで張っ倒そうかとも考えたが、硝子さんの部屋に転がっていたある物に目がいった。
それは、大型の水鉄砲。
そこで僕は咄嗟に、頭に浮かんだことを口にした。
『それじゃあ、お風呂じゃなくて、温水プールにしましょう』
温水プールと言っても、お湯ではなく、ただぬるま湯を入れただけのお風呂なのだが、硝子さんは目を輝かせて食いついた。
「温水プール! やるやる……!」
思考回路が子供でよかった。
硝子さんは珍しく乗り気になり、何のために買ったのか、押し入れの奥から例のスクール水着を取り出して着用し水鉄砲を持ち、温水プール(ただのぬるま湯)に入ったということだ。
僕の水着も彼女の部屋にあった物だ。
前々から思ってはいたが、硝子さんは本当に何でも持っているな。銃とは剣とかもあるんじゃないだろうか?
「あるよ?」
「あるの!?」
「一応絵描きだから、書く資料用には持ってるよ……? これらも今度の話で書くから、買ったの」
硝子さんはスクール水着の肩の布を引っ張った。
こんなに駄目駄目なお姉さんの硝子さんだが、本職は漫画家であり、現在はウェブ上で、『篭守さんは吐き出したい』という漫画を連載しているプロだ。
初めの頃に彼女のお世話をしていたときも、似たようなことを言っていたのを思いだした。
「でもジョーカーくん、温水プールなんてよく思いついたね。今度、漫画のネタに使わせてもらうね……!」
「まあ……たまたまですよ。たまたま」
何故プールなのかといえば、まあ、確かに水鉄砲から連想したり、今が夏なのもあるが、それ以上に、こないだ結香からあるメッセージが届いたからだ。
[七芽くん、ごめん! 仕事が忙しくて、水着買いに行ける余裕なさそうなの! だから海水浴やプールにも行けなさそう……。本当にごめんね! この埋め合わせは必ずするから!]
そもそも僕は結香と水着を買いに行くのも、海水浴やプールに行くのもそこまで乗り気ではなかったため、そこまで謝られなくてもいいのだが。何となく、そのことが引っかかっていたからだ。
また、頑張り過ぎて無理しなければいいがぶふっ!
いきなり顔面に勢いよく水がかかった。
「あはは! ジョーカーくんに命中……!」
その一撃は、硝子さんが持つ水鉄砲からだった。
「…………どうやら一回本気で泣きたいようですね……?」
この人は、人が考え事をしているというのに茶化しやがって……。
まったく何度も何度も人の手を煩わせては、あげくこの仕打ち。
一度キツいお灸を据える必要があるだろう……。
「じょ、ジョーカーくん!? だ、駄目だよ! そういうことはせめてベッドでやらないと風邪引くよ!? ちらっ、ちらっ」
「なに勘違いしてるんですか。遊びは終わりです。今からはお掃除の時間ですよ」
僕は両手に、ボディーソープと、シャンプーを持つ。
「ええっ!? いやらしいことじゃないの!?」
「言ったはずですよ。『汚物は消毒だ』って」
「い、いやだよ!? め・ん・ど・く・さ・いぃ~っ!!」
「問答無用ですよ……!」
「いやぁ~っ!!」
この後、無茶苦茶、硝子さんを洗った。
「ああぁ……ジョーカーくん、人にシャンプーするの上手なんだねぇ……」
「硝子さんを洗うので慣れましたよ」
身体は既に洗い終わったため、今は硝子さんご自慢の髪を、丁寧に洗う。
彼女の髪は太ももまで伸びる程長いため、洗うのも一苦労なのだ。
しかも、女性ということもあって、その扱いもまた難しい。
僕もそれなりに調べて、色々と学んだ。
手の平でシャンプーを泡立てたり、毛先に泡を馴染ませるようにマッサージしながら洗ったり、トリートメントやコンディショナーをなどの今まで名前でしか聞いたことのなかった物を使い髪をケアしたり、色々と。
泡まみれの硝子さんの髪を指で押しつつ、洗っていると、突然硝子さんがこんなことを言い出してきた。
「ジョーカーくん、最近何か嫌なことでもあった?」
「ええ、硝子さんのお世話で一気に気が滅入りました」
「そ、そういうことじゃなくて……っ!! 他のことでだよ……っ!」
「硝子さんのお世話を越える嫌なことなんてありませんよ」
「そ、それ以上言ったら泣くからねっ!?」
「冗談ですよ、冗談。本当に嫌だったら、来てませんから」
「も、もう……その冗談はちょっと洒落になってないからね……?」
先ほどのお返しとばかりに、言ってやった。
これで少しは憂さ晴らしも晴れたというものだ。
さてと、
「そんなに僕、冴えない顔してます?」
「う、うん……なんだかいつもよりも元気がないなぁ……て思って……ね……?」
硝子さんと僕は、これでも一応は相性はいい。
好んでいる物が似通っているのだ。
それこそ、好きな漫画から、好みのシチュエーションまで怖いくらい同じなほどに。
だからこそ、僕の微かな感情を読み取ったのだろう。
だが僕には、そのことに関して、全く心当たりがなかった。
いや、原因そのものは分かっている。
だがそのことに対してどういう意味合いで引っかかっているのか。
それが、僕には分からなかった。
「忘れないでね、ジョーカーくん。わたしは確かに駄目駄目だけど、それでもいざとなれば、あなたのためにどんなことでも頑張る……だから何かあったら頼って……ほしい……な?」
小さくなっていく硝子さん言葉は、風呂場に響きこだまする。
ガラスに映る硝子さんは、鏡越しに目を開けて、僕を見てきた。
知っている。確かに硝子さんは駄目駄目だが、僕はこれまでも何度かこの人に助けられてきた。
これは硝子さんの覚悟の言葉なのだろう。
だから僕も、ここは真面目に答えなくてはいけない。
「分かりました。硝子さん、もしもの時はあなたを――」
「ああ!! ジョーカーくん! 目にシャンプーが入った!? 痛い! 痛いよ……っ!!」
「…………はいはい、大人しくしててください。今洗い流しますから」
最後の最後で決まらない。
それもまた硝子さんなのだと思いだし、僕は彼女の頭にシャワーをかけてあげた。
文字通り、話は水に流れて終わったのだった。
お待たせしました!
その分、今回は約五千字という大ボリュームとなりました。
楽しんでいただければ幸いです。
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