12.メインクエスト:【唯一の拠り所】
「ど、どうしたのよ、いきなり大声なんて出して……?」
「き、綺羅星……お前……何なんだよ、この部屋は……?」
「何よ、何か変だった?」
その言葉にはいつもの蔑みもなければ、非難もない。
当たり前のように、日常会話でもするかのような気軽さで言葉を返し、綺羅星は首を捻っている。
あまりにも僕の心情とは噛み合わない綺羅星に、鳥肌が立つ。
「確かに最低限度の物しか置いてないけど、普通でしょ? これくらい」
「普通……だって……?」
そこでようやく気がついた──綺羅星は気付いていないんだ。
この異常さに気がつけていない――誰も彼女に指摘する人間がいなかったから。
この家には、いやこの世界には、どこにも綺羅星の個人の居場所なんて存在しないんだ。
綺羅星は未だに心の奥底から出られず、内面だけで完結してしまっている。
だから外にわざわざ居場所を作る必要がない。
つまり、生まれてから綺羅星の居場所は、固く閉ざされた精神の中にしか存在しないということになる。
そんなあまりにも恐ろしい事実を、綺羅星本人は全く自覚できていない……だってそれが彼女にとっての『普通』だったから……。
「うっ!?」
あまりの空虚な事実に、僕は思わず結香の料理を胃から逆流させた。
でも駄目だ……、僕がここで吐けば、結香は確実に何かを察する。この恐ろしい真実に行き着いてしまうかもしれない。
んぐっ!
ものすごい音を立てて、吐き出しそうになった物を胃の中に無理矢理押し戻す。
動悸が止まらず、変な息切れが先ほどから絶えない。
「あんた大丈夫……? すごい汗よ……?」
これほどまでに僕を心配してくる綺羅星も珍しい。そこまでに酷い顔をしているのだろう。
結香のことと言い、なんだかんだ面倒見のいいやつなんだな、綺羅星は。
だからこそ、結香にこの事を知られる訳にはいかない。
「あ、ああ……大丈夫だ……」
「体調悪いならそう言いなさいよ。空いた部屋があるからそこで横になる?」
「いや、本当に大丈夫なんだ……大丈夫だから……さ」
「どうしたの七芽くん? なんだか叫び声みたいな音が聞こえたんだけど?」
廊下の向こうから結香が姿を表す。
僕はすかさず綺羅星の部屋の扉を後ろの手で静かに閉めて、身体を起こし、震える口に力を入れて笑った。
上手くできたかは分からないけど、とにかく結香に僕の不調を悟られないように。
「いや、何でもないんだ……なんでもないさ……そうだ、また戻ってゲームしようぜ。後お腹空いたから、結香の料理も食べたい」
「本当!? 分かったよ! すぐに暖めるね♡」
嘘だ。今だ気持ち悪さが続いていて、正直何も食べたくなんかない。
だが、ここに結香を長居させてはいけない。こんな事実、結香には絶対に見せられない。
こんな物を見れば、二人の関係にどんな影響を及ぼすのか分かった物じゃない。
それはきっと結香と綺羅星にとって最悪の展開となる。
だから、一秒でも早くこの場を立ち去らなくてはならない。そして僕も、こんな場所に長居したくはなかった。
しかしだ。一つだけやるべき事があった──。
「結香、先に行っててくれ。少し綺羅星と話したいことがあるから」
「何よ、別にリビングで話せばいいじゃないの──」
「駄目だ。『貸し』の件についてだからだ」
「……分かったわよ。結香、ごめんだけど、先に行って」
「うん、わかったよ。それじゃあ待ってるから」
結香は僕らの言葉の意図をうまく読み取ったのか、優しく微笑んだ後、リビングに帰っていった。
そして、薄暗い廊下には僕と綺羅星だけが取り残された。
「それで? 貸しの話って、具体的に何を話すわけ」
「いやな……当初考えてた計画を少し早めることにしたんだよ。本当はもっと腹を割って話せるくらいになってから聞こうと思ったんだ。その方がいいと考えて」
だが彼女の最大のタブーを知って、そんな悠長な事を言ってられなくなった。
そんな余裕は初めから無かったんだ。
こんな状況が少しでも長く続けば、綺羅星は確実に世界との繋がりを失う。
それはとても危険だ。
綺羅星の居場所は心の中にしか存在しない。
だがその唯一の居場所が崩壊したらどうなる?
他に拠り所のない彼女の安息地が失われた場合、綺羅星は逃げる場所を無くしてしまう。
全てを失った人間がどうなるのか……想像するだけで恐ろしい。
こんな真実を知ってしまったら、もう形振り構ってなどいられない。
どんな手を使ってでも、いち早く綺羅星の心に近づかなくてはいけない。
だから、今すぐ、最も重要なあの話を聞かなくてはいけないのだ。
「だから話してくれ、綺羅星。お前の過去に何があったのか。そして、どうして今みたいな状況になったのかを、全部僕に話してくれ」
「……嫌よ」
「頼むよ綺羅星……! 嫌なのは分かる、だから僕もまだ聞かなかったんだ。もう少し互いのことを知ってからだって。でも、こんな状況が長引けば、本当にお前を助けられなくなるんだよ……! お願いだから……話してくれよ……」
綺羅星に掴みかかり必至に懇願する僕に、彼女は困惑の色を見せていたが、ただならぬ雰囲気を感じてか、顎に手を置いて何かを考えている様子を見せた。
「……少しだけ、考えさせて」
言ったことはそれのみであり、背を向けて歩き出し、僕の手が綺羅星から離れていった。
今度こそ綺羅星を見失わないように、彼女の後ろを着いていく。
道中は互いに無言で、重苦しい空気は僕らを支配して、気が重い。
僕はこれから、今までに経験したことの無いほどの虚無に立ち向かわなければならない。
少しでも間違えれば、綺羅星は崩壊する。
そんな綱渡りな状況を、僕一人だけで解決しなくてはいけないのだ。
果たして、今回こそ解決できるのか……?
不安は次から次に湧いていき、僕の心を侵食していく。
完全に飲み込まれかけたその時、綺羅星がリビングの扉を開けると同時に、その不安は消え去っていった。
「あ、七芽くん。おかえり」
だって、結香がはにかみながら、あっためた料理を用意して待っていてくれたから。
結香の優しい顔を見て、思わず安心してしまったのだ。
例え相談は出来なくても、結香が僕を支えてくれるという事実に。僕は心の底から安堵したのだ。
だから僕は、結香と同じく優しい口調でこう返した。
「ああ、ただいま」
依存先は多い方がいいて、本で読みました(こなみ)
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