13.緊急クエスト:【恋と修羅場と暴風雨】
前回までのあらすじ。
結香に、僕が硝子さんの頭をなでなでしてるところを写真に撮られました。お終い。
って、ちょっと待て!
「今日仕事だったはずだろ! どうしてここにいるんだよ!? あれも嘘だったのか!?」
「違うよぉ――? お昼休みでたまたま入ったハンバーガーショップで、たまたま七芽くんを見つけて、たまたま見てたら、たまたま偶然こんな写真が撮れただけだよ――?」
「後半はともかく、僕を見つけたのは偶然が過ぎるだろうが!?」
絶対におかしい。そんな偶然あり得るはずがない。この東京に一体いくつのラクドナルドがあると思っているんだ。
絶対に結香は何らかの方法を使って、僕を追跡してここに来たはずだ。
普通だったらこんな考え、自意識過剰と流されてしまうかもしれないが、結香の場合は、むしろ普通にあり得る。
もしかしていつの間にか発信器でも付けられたのか……?
体をまさぐる僕だったが、それを結香の声が止めさせた。
「そんなことはどうでもいいんだよ――今聞きたいのはこの写真のことだから」
結香は写真を突き出して、更に僕に迫ってくる。
そうだ。それよりも先に、どうにかして結香を落ち着かせないと……。
「あ、あのだな結香……これには深い訳があってだな……」
「へぇ――頭をなでなでするのに不快訳があるんだぁ? それなら是非とも教えてほしいかなぁ? 私だってまだされたことがないのに、どうしてその人にはするのかなぁ?」
まずい……完全に黒台風状態だ……。
『深い訳』を『不快訳』と誤変換してしまうほどに、正気を失っている……。
「七芽くん、ゴールデンウィークの予定は無いって言ってたよね? なのにこんな綺麗なお姉さんと一緒に何してたのかなぁ? あっ、そっかぁ、昨日急いで帰ったのもその人のためだったんだぁ――その顔はそうなんだね? へぇー、ふぅーん、私は七芽くんに会いたい気持ちを必死に、我慢して……我慢してっ……我慢して……っ! 頑張ってたのに、黙ってるなんてあんまりじゃないかなぁ――――これはもう、七芽くんの課金額を上げる必要があるねぇ」
「課金額を上げるだって……? ま、まさか……!?」
「いけないことをする」
「やめろ! どうして僕の周りにはこう痴女しかいないんだよ!? あっ……」
「――――したの? その人と?」
その瞬間、場の空気は凍った。
結香は衝撃のあまりか僕から体を離して、固まっている。
結香の顔はまるで世界の終わりと言わんばかりに蒼白となっており、次第にものすごい歯ぎしりの音が響いてきた。
気付けば結香の目には赤い光りが灯り、拳は硬く、強く、握りしめられている。
そして――僕は再び幻視する。
結香から発せられる黒い感情が風となって、渦を巻いて台風を形成していくその現場を。
それも、過去最大級の台風であり、そのまま黒台風は真っ直ぐ僕に向かって北上してきたのだ。
「――ナナメクン、アサマデイッショ、ニガサナイ」
「違う違う!? 本当に硝子さんとは何もしてないんだよ!! それに仕事はどうするんだよ!?」
「『体調が悪くなった』て言って、休む」
「また仕事に穴開けるぞ!? 駄目だろ!?」
「休む、そして七芽くんと一緒にえっちするの!」
「せめてオブラートに包めよ!?」
駄目だ、完全に感情に飲み込まれてしまっている……!
今回に関しては、作戦を考える時間も無いし、一度結香に掴まれたら絶対に力の差で押し切られる! 確実にそこら辺のホテルに引きずり込まれてしまうだろう。
いや、まだホテルなら止められる可能性もあるが、どこか他の場所に監禁でもされたら確実に逃げられない……っ!!
そうなったらお終いだ。今の暴走状態の結香ならば、この歳でパパにされてもおかしくない!
「は、話を聞いてくれよ! 結香!」
「うんいいよ、終わった後にゆっくりと話そうね……これからの将来の事とかさぁ……えへっ……えへへへへ……っ♡」
「それピロートークじゃねぇか!? おい! バカ! やめろッ!?」
「ま……まって……っ!!」
そんな僕と台風の前に立ちはだかった、もう一つの黒い大きな壁。いや、山。
両手を大きく横に広げて、結香の前に立ちはだかったのは――体を震わせた硝子さんだった。
「じょ、ジョーカーくんの言ってることは……ほ……本当だよ……。だ、だからジョーカーくんの話を聞いて――」
「私は七芽くんと話してるの――消えて」
「っ!!」
絶対零度の視線が硝子さんを襲う――硝子さんはそれに耐えきれるはずもなく、膝を着いて、恐怖に震える体を必死に両手で押さえた。
結香は硝子さんを、気にも止めず、再び僕に向かって歩みを進めてくる。
ゆっくりと、確実に――その姿はまさに台風そのもの。
「大丈夫だよぉ、七芽くん――私ならあなたの望むことなら何でもしてあげるよ? どんなことでも受け入れてあげる。そこの女がしてくれないようなことを、全部ねぇ――?」「だから違うっていってるだろうが! どうして信じてくれないんだよ!」
「七芽くんが私に嘘を付くからでしょ――っ!」
「うぐっ!?」
それを言われると、何も言えない……。
い、いや確かにそうだけど、それは結香に無駄な負担をかけさせたくないと思ってだな……?
「だから頂戴、七芽くんを信じられる確かな証拠を、この私に――っ!!」
駄目だ。
黒台風状態になってしまった結香に、まともな言葉なんて通じない。
ここは一か八か、全力疾走でも決め……駄目だ、結香の足の速さは十傑集レベル。到底叶うはずが無い。
そう僕が諦めかけた時、結香の後ろに一つの影が立ち上がったのだ。
「ま……って……!」
それは先ほど膝を崩したはずの硝子さんであり、結香の肩を掴んで、自分の方に向かせた。
「しつこいですねぇ、もうどこかに消えてください――そして二度と七芽くんに近づくな――っ!」
「っ!」
先ほどと同じく、結香の絶対零度の視線が、硝子さんを襲った。
――だが先ほどとは違い、硝子さんは倒れず、揺れる瞳で結香をにらみ返す。
「いっ……い、や……だよ……っ!」
そう強く言い放つ硝子さんだが、今だ体は震えていて、その姿はまるで生まれたての子鹿のようだ。
だが彼女が必死に、手で自分の服の裾を強く握っているのを見て、体にムチを打って立ち上がっていることが分かる。
あの頼み事を断れない硝子さんが、黒台風状態の結香に立ち向かっている。その事実を僕は到底信じられなかったが、それを現実だと言わんばかりに、硝子さんは力一杯声を出す。
「じょ……な、ななめくんは、わたしの……唯一の……唯一の……と、友達……な……の……だ、だからっ……絶対に、手放したりなんてしない……っ!」
「お前――ッ!!」
結香の感情は最高潮まで達し、顔に青筋を立てて、硝子さんに鋭いガンを飛ばし睨み付けた。
その視線で、硝子さんの目の端から大量の涙が濁流のように零れ始めたが、それでも彼女は結香から視線を外さない。
どうなっているんだ? あの駄目駄目だった硝子さんの、一体何がそうさせているというんだ?
「て、転校生ちゃんが、ななめくんのことを好きなのは、し、知ってるよ……? だ、だから、勘違いしてそれだけ怒る気持ちも分かる……で、でも、それなら尚更、ななめくんの話を、ちゃんと聞いてあげるべきなんじゃないの……っ!?」
「――っ!?」
急所を突かれたとばかりに、結香は怯み、はじめて体を後ろに退いた。
あの黒台風状態の結香相手に、わずかだが形勢を逆転させたのだ。
「あ、あなたに一体何が分かるって――っ!」
「わ、分かる……よ……わたしも……あなたと同じ……だから……」
「――――」
「でも大丈夫だから……転校生ちゃんとななめくんを見て……その……間には入れないて思ったから……だから……」
「……」
硝子さんの言葉を聞いて、結香からは気迫が抜けていき、身構えていた体の力も抜けていったように見えた。
「――本当に七芽くんとは、何もしてないんですか?」
「へ?」
「えっちなことですよ」
「へぇ!? し、してないよー? 全然! 全く! これっぽっちも! うん!」
嘘だぁ~、あれだけ僕に迫ってきてたのに、全くということはないだろう。
でもまあ、流石に先ほどの結香を見てそんなことが言えるほど、硝子さんもタフじゃない。僕も二回戦目突入は勘弁してほしいので、ここは黙っておくことにしよう。
「ならいいです。色々と酷いことを言ってすいませんでした」
「べ……別にいいよ、本当に……! 大丈夫だから……!」
結香は硝子さんに頭を下げ、硝子さんもそれに手を振って答えた。
というか、硝子さん、
「すごいじゃないですか」
「な、なにが……?」
「頼み事を断るどころか、自分の意見をちゃんと相手に伝えられたんですよ。しかもあの黒台風状態の結香から逃げることなく」
硝子さんは最初、僕の言っていることを理解出来ていなかったようだが、徐々に顔を驚かせていき、僕の両肩を手で掴んできた。
「! ほ、本当だ……! じょ、ジョーカーくんやったよ!? やっちゃったよ! わたし!」
「ええ~、ごれで明日の打ち合わせば大丈夫そうですれぇ~」
分かったから、両肩を掴んで僕の体をぶんぶんと上下に揺らさないでいただきたい。
「な・な・め・くんぅ~? そろそろ聞かせてもらえないかな? 本当にその人とはどういう関係なの?」
喜び合う僕らの間に、頬を膨らませた結香が割り込んできて、僕らを突き放した。
先ほどの殺伐とした空気はなく、いつもの可愛い理想の女の子をしている結香さんが立っていた。
これならもう、ちゃんと話を聞いてくれそうだ。
「結香、時間は大丈夫か?」
「まだ三十分くらいは余裕があるから大丈夫。むしろ、どんな手段を使ってでも作るから、聞かせてもらうよ?」
結香は両手を腰に手を当てて、ジトっとした目で僕の顔をのぞき込んできた。
これはちゃんと話すまで帰りそうになさそうだ。
道端で話すのも何なので、僕らは再び近くにあるラクドナルドに戻って、そこで事の経緯を説明することにしたのだった。
◇◇◇
「つまり、七芽くんは、硝子さんのその人生廃課金主義を直すために、色々と手助けをしてたってわけなんだね?」
「そういうことだ」
結香に今までの経緯を話し終えて、僕は先ほど注文したコーラのMサイズをストローで啜った。
もちろん硝子さんの家で泊まり込みというところは伏せてある。言わぬが花というやつだ。
「ふぅーん、そう……まあ七芽くんだし、大丈夫か。それに千葉から東京までは遠いもんね」
待て、なんでそこで距離の話が出る。
本当に発信器なんて付いてないよな? 直接聞きたいが、真実を聞かされるのが怖いので、後で体の隅々まで調べてみるとしよう。
「うん。分かったよ。それなら今回は、その話を信じてあげる」
「ああ、助かったよ。本当に」
「でも今度嘘ついたら――オイタしちゃうから」
結香の目は本気だった。
今度からは慎重に言葉選びをするとしよう。僕の人生のために。
「それじゃあ、もう時間だから行くね」
「ああ、気をつけてな」
そう言って結香を見送ろうとすると突然手を引かれて顔を寄せてきて、耳元で囁かれた。
「でも彼女の件が終わったら、次は私が七芽くんに構う番だから」
それだけを言い残し結香は僕の顔を見ると、満足そうに笑い去って行った。
どうやら意地でも僕の赤面が見たかったらしい。なんてタチの悪い美少女だ。
「とても可愛い子だったね、転校生ちゃん」
「色々と度が過ぎたところもありますけどね……悪いやつじゃないんですけど……」
「そうだね……うん……とてもお似合いだと思うよ……わたしは」
「やめてくださいよ、結香とは単なる友達ですから」
そう満足そうに笑って答える硝子さん、僕は苦笑いで反論を返した。
「そうだ、硝子さん」
「な、なにかな……?」
「さっきの結香に立ち向かってた硝子さんは、ちょっとだけ大人みたいでしたよ?」
「お、大人だよ……っ! わたしは……っ!」
「はいはい、えらいえらい」
「そうだよ……大人……なんだもん……」
その後、疲労した硝子さんの手を引いて、僕らもラクドナルドを後にして、硝子さんのアパートへ帰ることにしたのだった。
帰る途中、僕らの間に会話は無く、握っていた硝子さんの手の力も、なんだか弱かった。
◇◇◇
アパートに戻り、最後の宅配便受け取りテストをしたが、難なく成功。
もう宅配便のお兄さんの声で固まることなく、硝子さんは滑らかな手つきでサインを書けるようになっていた。
宅配便も受け取り、作り置きしておいたカレーを二人で食べて、適当に自由時間を過ごした後、いい加減な時間に寝ることにした。
明日の打ち合わせは昼の一時からだ。
せっかくここまでやって来たのに、遅刻で失敗なんてしたらシャレにならない。
「それじゃあ、硝子さんおやすみなさい。明日はちゃんと起きてくださいよ?」
朝の心配をする僕に、硝子さんはベッドから手を伸ばしてきた。
「じょ……ジョーカーくん……手、握っててくれないかな? 不安で……眠れないの……」
力ない硝子さんのその顔が気になったが、多分明日の打ち合わせが不安なのだろう。
僕は手を伸ばして、彼女の手の平を握ってあげた。
「いいですよ。今日で最後ですからね」「う、うん……そう……だね……」
明日の打ち合わせが終われば、そこで僕の役目は終わりだ。
そしてゴールデンウィークも終わり、また面倒な学校生活が待っている。それを考えただけでなんと憂鬱なことか。
……まあ、最近だと結香がちょっかいを掛けてくるから、少しばかりは楽しくもあるが。
でも思えばたった九日間だというのに、この部屋の時間は思ったよりも濃密で、長く感じられた。
それもこれも、硝子さんがあまりにも手が掛かりすぎた所為でもあるが。
思い返してみると、色々と大変でもあったが、笑えることも多い日々だった。
「いやー、紆余曲折はありましたけど、硝子さんがどうにか克服できたようでよかったですよ。これで僕もお役目ごめんですね」
「そ……そう……だね……」
「まあ、また何かあったら連絡してきてください。気が向いたら来ますんで」
冗談半分でそんなことを言うと、硝子さんは首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ……うん……もうジョーカーくんには……頼らないようにするから……」
「そうですか? それは助かります。それを聞けてぐっすりと眠れますよ」
「う、うん……ジョーカーくん……おやすみ……」
そんな会話をしつつ時間は流れ、僕はいつの間にか眠ってしまった。
眠っている間、時折何かの音が聞こえた気がするが、雑魚敵さんたちや結香のことがあって疲労が貯まっており、目を覚ますことができなかった。
◇◇◇
「んっ……? ああ……朝日か……」
カーテンの隙間から入ってきた光に照らされて、僕は目を覚ました。
何度も鳴り響くスマホの目覚まし時計のスヌーズを止めて時間を見ると、現在の時刻は朝の十一時半。
危ない危ない。もう少しで寝過ごすところだった。
ここから出版社までは、約三十分程度かかる。後もう少し寝過ごしていたら確実に遅刻だった。
人のこと言えないなぁ、などと思いつつ、急いで顔を洗おうとすると、ふと隣にあった硝子さんのベッドに目がいった。
既に彼女はおらず、くちゃくちゃに放置された布団だけが残されている。
彼女も今起きたところだろうか?
扉を開けて台所に出た瞬間、ぐしゃり、と、ある物を踏んだ感触に襲われた。
下を見ると、僕の足下にはバッカスチョコレートの空き箱があった。
だが一個や二個だけではない。
僕の足下には、大量のバッカスチョコレートの箱が散乱して溢れかえっていたのだ。
それも――全て空となった状態で。
その光景を目撃して、僕は無性に嫌な感覚に襲われた。
頭に浮かんだ――ある考え。
それを必死に頭の中で否定するが、その時ようやく、目の前から聞こえてくる啜り泣くような声に気がついた。
「……なさい……ごめん……なさい……っ」
僕は、唇を噛んで、息を呑み、ゆっくりと首を上げていく。
目に入ってきたのは、台所で蹲る黒い物体。
乱れた髪がまるで黒い水のよう周りへ流れ、その黒髪の川の中に沈むのは――大量の酒瓶。
いや、酒瓶以外にも缶、カップなど、数多の酒がそこら中に置かれて――そのどれもが空となっていた。
僕はそこでようやく、事の重大性に気がついたのだ。
どうしてバッカスチョコレートの空き箱が、あんなに散乱していたのか――。
どうして捨てたはずの酒がこんなにも、部屋を埋め尽くしているのか――。
そして、あの黒い物体の正体がなんなのか――。
僕は頭の中で必死に否定していたその物体の正体の名を口にした。
「しょうこ……さん……?」
「ごめんなさい……じょーかー……」
そう言って顔を上げたのは、酔いと涙で顔を真っ赤にしたシンデルヤの姿だった。
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