10.メインクエスト:【レッスン3 『「いいえ」と言えるようになろう』】
あんな終わり方をしたから、みんなはてっきり僕が大人の階段を上ってしまったと勘違いしているかもしれないが、別にそんなことはなかった。
「じょ、ジョーカーくぶふっ!?」
「硝子さんっ!?」
僕が星5SSRを出すまでもなく、硝子さんは直後に鼻血を吹き出しそのまま気絶。難を逃れたのである。
人間、慣れないことはするものではない。
そんなこんながありつつ、とうとう打ち合わせの前日である、五月五日が訪れてしまった。
「それでは最後の訓練を始めたいと思います。一番の問題である、『いいえ』と言えるようになりましょう。です」
「よ、ようやくだね……」
「そうです。最難関にして、人との会話では最も大切なことです。それを硝子さんには身につけていただきます」
「うん……そのために頑張ってきたんだもんね……! それで、何をすればいいのかな?」
「最後に硝子さんにやってもらうこと、それは――しらふのまま外に出てもらいます」
「死んじゃうよっ!?」
ガバッと立ち上がり、涙目の硝子さんだが最早お約束だ。
だから僕は既に考えてあった言葉を頭から出す。
「どうせ明日にはしなくちゃいけないんですよ? ぶっつけ本番で挑むよりもマシでしょうが」
「うっ……うぅっ……で、でも……!」
「もちろん僕も一緒にいますから大丈夫ですよ。さあ、着替えてください」
「ううっ!!」
ベットにへばりつく硝子さんを無理矢理に立ち上がらせて、僕は台所に出て、奥の部屋の扉を閉めた。
五分後、扉が開く音が聞こえ、僕は振り返った。
「用意出来ましたか、硝子さ……っ!?」
『お、おまたせ、行こうか……』
奥の部屋から出来たのは、巨大な人の形をした何かだった。
その正体は――何重にも上着を重ね着した、完全防備状態の硝子さんだった。
顔にもしっかりとニット帽、グラサン、マフラーの三点セットが取り付けられていて、髪の毛一本見えやしない。
オフ会の頃を彷彿とさせるその格好に、僕は懐かしさを覚えつつ、手で×印を作った。
「今回、その格好は却下でーす」
『え!? な、なんで!? わたしこの服以外持ってないよ!?』
「持っている服の問題じゃないんですよ……。ほらこっちに来てください……!」
『あっ、やめてジョーカーくん! いやぁっ! そんな! 脱がさないでっ!!』
勘違いされるような声を上げないでいただきたい。ただ、重ね着した服を脱がしているだけである。お隣さんに変な印象を与えるだろうが。
僕は次々と硝子さんの服を脱がしては減らしていく。
「これでよし」
最終的に、黒色のコートにロングスカート、マフラーだけを残した状態まで削った。
これで完璧である。これならば、誰がどう見ても普通の美人なお姉さんだ。
コートで胸の大きさも抑えられているし、問題ない。
僕に服を剥かれた硝子さんは、顔をリンゴのように真っ赤にし、マフラーの中に埋めてしまっている。
「うううっ……! こ、こんな薄着、恥ずかしくて外に出られないよ……っ!」
「羞恥心の度合いが高すぎるでしょ……。第一、あんな雪男みたいな格好で打ち合わせに行くわけにいかないでしょうが」
「でもこれじゃ、恥ずかしくて沸騰して死んじゃいそうだよ……!」
「ヤカンかなんかですかあなたは……ほら、深呼吸をしてください。はい、吸ってー、吐いてー」
「すー、はぁー……」
「はい大丈夫――」
「無理だよっ!?」
そう言って今だにうろたえている硝子さんだったが、顔の赤さは先ほどよりも引いたように見えた。
ここは、後もう一押しが必要だな。
僕は心の中で頷くと、硝子さんの両手を握って、彼女の目を見た。
「硝子さん、僕の目を見てください」
「む……無理だよ……」
「見てください」
「っ……こ、こう……?」
硝子さんの目は揺れに揺れて、今にも泣き出しそうだった。
いや、既に泣いている。目の端から小さな涙の粒を零している。
怒られるのが怖いのか、これから無防備な格好で外に出かけることに恐怖しているのか――将又そのどちらもなのか。
それは分からない。そして知る必要も無い。
大事なのは、彼女がちゃんと前に進めるようにすることだけだ――。
「安心してください、硝子さん。僕も隣にいます。今回は近くで手も握っています。だから、大丈夫ですよ。ねっ?」
小さな子をあやすように、僕は硝子さんに優しく声をかけ続ける。
硝子さんは黙ってそんな僕の話を聞いてくれているようだった。
その成果もあってか、硝子さんはゆっくりとだが首を縦に振ってくれて、僕の手を握り返してきてくれた。
硝子さんの微かな手の熱が少しずつ広がってくるのを感じる。
「う……うん……分かったよ……ジョーカーくん……。わたし……やってみる……」
よかった。これでようやく足を踏み出せる。
そのまま硝子さんの手を引いて外に出ようとしたところで、僕の体が引っ張られた。
後ろを見ると、硝子さんが目元を抑えて、何かを訴えてきている。
「め……目にも装備品がないと、落ち着かない……」
「でもサングラスは却って目立ちますよ?」
「うっ……でも、目を守るものがほしい……」
「えぇ……?」
必死に目元を抑えて『あふあふ』言う硝子さんの代わりに、僕は部屋を見渡して、代わりの物を探す。
といっても、そんな都合のいい物などあるわけ……あった。
しかも、僕好みな物が。
「これなら大丈夫じゃないですかね」
「予備用のブルーライト眼鏡?」
僕が見つけたのは、パソコンの机に置かれた、大きなフレームの黒縁眼鏡。それを硝子さんの目にかけてあげた。
「うん、バッチリと似合ってますよ。これならそこまで注目されることもないでょう」
「う……うん……これなら大丈夫……かな……?」
硝子さんは眼鏡を指先で触り、確認をしている。
よかった。本人は納得してくれたようだ。
ただし――その眼鏡をかけたことによって、違う意味で目立つことになることを、彼女は気づいていない。
黒縁眼鏡をかけたことにより、硝子さんのイメージは『普通の美人お姉さん』から、僕好みな『読書が似合う、控えめ美人お姉さん』にパワーアップしてしまったのだ。
眼鏡効果恐るべし……! 魅力の倍々ゲームや~!
無茶苦茶美人で好みで辛抱堪らんが、ここは我慢だ。ステイ! ステイ!
相手はあの硝子さんだ。ゲロ吐きで残念な駄目駄目お姉さん。好きになってしまえば、一生彼女に全てを課金する未来が待っている――よし! メンタルリセット!
「じょ、ジョーカーくんは……わたしのこの格好をどう思う……? へ、変じゃない……?」
「今すぐにでも押し倒したいです」
「へっ!!?」
しまった。メンタルリセットした結果、心の声も平然と出してしまった。
その結果、硝子さんの顔は一気に赤く沸騰した。
先ほどまでのリンゴを思わせるほのかな赤さではなく、沸騰をしたヤカンを思わせるオーバーヒートな赤さだ。
これは今後、気をつけなくてはいけないな。
などと考えていると、硝子さんの鼻から赤い液体が流れ落ちていた。
「ああ! 硝子さん鼻血鼻血っ!?」
「じょ……ジョーカーふんは……わたしとそろ……そういふころらひはいほ……? えへへっ……」
「ちょっと!変な笑い方しないでくださいよ、口の中に血が入りますよ! ほら!」
硝子さんの鼻血を拭き取ってあげて、少し冷ましてから、僕らは改めて仕切り直すため、玄関前に立った。
「それじゃあ行きましょう、硝子さん」
「ふぅ……うん、ジョーカーくん……ぜ、絶対に、わたしを離さないでね……?」
「え、ええ……約束ですよ」
上目遣いでそう言ってきた硝子さんに思わずドキッとしてしまったが、問題無しだ。軽く逝きかけただけである。
僕と硝子さんはしっかりと手を握り合い、最後のレッスンに挑むため最初の一歩を踏み出した。
◇◇◇
「最後のレッスンの舞台、それは――ここです!」
「えっ、えええええええええええええええええっ!?」
そんなオーバーなリアクションを取らなくてもいいだろう。
ここは何処にでもある、ただのハンバーガーチェーン店のラクドナルドだ。略称は『ラック』。みんな、一度は利用したことがあるだろうあの店だ。
硝子さんのアパート周辺には見当たらず、少し足を伸ばして都心まで来てしまい、先ほどから硝子さんが終始怯え気味だ。
手を握るどころか、僕の腕にまで巻き付いてきて、俯いてしまっている。
この状態で今からあれを言うのは忍びないが、僕は獅子の子落としの気持ちで、硝子さんに告げた。
「では今から硝子さんには、受付で注文をしてもらいます」
それを聞いた瞬間、硝子さんは即座に顔を上げて、ものすごい勢いで首を横に振ってきた。
まるでゲームのコントローラーみたいだ。動画を撮ってSNSに上げれば、さぞバズることだろう。
「むっ……無理だよ……無理! 本当に無理だからっ……! というか、これが『いいえ』を言うのとなんの関係があるっていうの……っ!? ただ注文するだけじゃない……っ!!」
「大ありですよ。ファミレスとかと違って、ハンバーガーショップなら確実にあれがあるんですよ」
「あれ……? て、一体何のこと……?」
「それは――他の商品をオススメされることです!」
「!」
レストランなどは決まったメニューを注文するだけで済んでしまうことも多いが、こういうハンバーガーショップなら大体の場合、何らかのオススメを店員さんが進めてくることが多い。
これから硝子さんにやってもらうのは、それらオススメをしっかりと断れるか。
その訓練をするため、ここへ連れてきたのだ。
「これを乗り越えることが出来れば、確実に硝子さんは成長できます。僕も着いてますから、頑張ってみましょうよ」
「うっ……ううっ……ん、わっ、分かったよ……っ!」
ぎこちなく首を縦に振って、硝子さんの目に覚悟の炎が灯ったのを確認し、僕は硝子さんを引き連れて店内へと入った。
店の中に入ると、お昼時間近ということもあり、既にレジの前には三組ほどの人たちが並んでいる。
それを見た瞬間、硝子さんの体が跳ね上がった。
「大丈夫です。ゆっくりと深呼吸をしてください」
「すぅー、はぁー……っ!!」
よし。震えてはいるが、目の色は変わっていない。どうにか耐えてくれよ……硝子さん……!
何度か硝子さんを落ち着かせながら列は進んでいき、到頭僕らの番が回ってきた。
今回注文するものは事前に二人で決めてある。後はそれを、硝子さんが正確に注文するだけだ。
カウンターに立つと、開口一番に店員のお姉さんの元気な声が発せられた。
「ご注文をお伺いいたします!」
「へろ……はろ……」
早くも正気を飛ばす硝子さんの手を、僕は思いっきり握った。硝子さんの体は跳ね上がり、真横にいる僕の存在を確認するように首をこちらに向けてきた。
「っ! ジョーカーくん……」
「大丈夫ですから」
「う……うん、そうだね……頑張ってみるよ……!」
硝子さんは息を吹き返し、メニューを見て、たどたどしい口調で決めておいた品物を言っていく。
「か、カオスバーガーのセットを一つ……で、飲み物はコーラとポテトのLサイズを一つ……。後、スターバーガーのセットで……ポテトのMを一つと、チョコシェイクを一つで……お願いします……」
流石、漫画家をやっているだけあって、記憶力はいい。
だが問題はここからだ!
「今でしたら、ポテトのLをメガサイズに変更することもできますが、いかがですか? お得ですよ?」
来た! 店員のお姉さんのオススメ商品!
しかもこのお姉さん、『お得』という殺し文句使ってくるところからして、かなりのベテランだ!
僕なら確実に、流れで『あ、じぁあそれで』とか言ってしまいそうになる!
耐えるんだ、硝子さん! その言葉は罠だ!
「はい、そっ!」
硝子さんは言葉の途中で咄嗟に自らの口を手で塞いだ。
危なかった……ギリギリのところでどうにか持ちこたえたな……。
店員のお姉さんも首をかしげているし、まだセーフだ。
「もう一度伺ってもよろしいでしょうか?」
「い、いいえ……け、結構です……」
「畏まりました。ご注文を承りましたので、隣でお待ちください!」
よし! やったぞ! 成功だ!
僕が喜んだのもつかの間、隣に移動した瞬間、硝子さんの体はバランスを崩してひしゃげた。
「とっ! 大丈夫ですか、硝子さ……っ!」
「や……やった……やったよ……わたし……ジョーカーくん……っ!」
すがりつくように僕の服を掴んでくる硝子さん。
その顔は既に泣いていた。それも号泣レベルだ。
流石に人前なので大げさなことはできないので、僕は硝子さんをどうにか立たせてから、握った手に優しく力を込めて、独り言くらいの小さな声で褒めてあげた。
「ここまでよく頑張りましたね。硝子さん、合格ですよ」
「う、うん……うん……っ!!」
硝子さんは品物が来るまでの間泣きながら何度も頷き、僕はそれを唯々黙って聞いていたのだった。
皆様、いつも読んで、感想を書いてくださってありがとうございます。
本当に毎回助かっています。
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