15.シークレットテキスト:『美女と野獣』 後編
私は泣きながらも七芽くんの言葉に頷いて、七芽くんに手を引かれて一緒に彼のお家までいくことにしました。
このとき彼の家の場所を覚えたのです。
こないだいきなり訪ねられたのも、このときの記憶を活かしたからです。
決して、七芽くんのことをストーキングして知ったわけではありません。
本当ですよ?
七芽くんは扉を開けて、今も変わらない気怠そうな声で帰りの挨拶を言いました。
「ただいまー」
「お帰りー七芽、早かったのね。あら、お友達? どうしたのその怪我……?」
中に入ると、七芽くんのお母さんである美春さんが出てきて、私の体に付く泥や、擦り傷を見ていました。
そして顔を顰めて、七芽くんを見ます。
「七芽、その子と喧嘩でもしたの?」
「違うよ、僕は喧嘩なんて面倒なことはしない」
「あっそ」
今思い出すと笑ってしまいます。七芽くんの面倒臭がりはこの頃からだったんですね。
私は美春さんに絆創膏などを貼ってもらい、一緒に七芽の部屋まで上がっていきました。
「……」
「何立ってるんだよ。座れよ、落ち着かないな」
「あ、うん……お母さんと、仲がいいんだね」
「そうか? 普通だと思うけど」
「俺……私の家はそうじゃないから……」
「ふーん、そうなのか」
「うん。だから七芽くんの家が羨ましい」
「ならまたくればいいんじゃねえの?」
「え……いいの?」
「うん、くればいいと思う。てか来い。友達になろう。今から僕らは親友だ」
「親……友……? ほ、本当に……いいの……? 私なんかと……その、友達なんて……」
「ああもちろん! ゲームとかもあるし、一緒にやろうぜ!」
「う、うん……うん!」
今まで敵しかいなかった私に、七芽くんのその言葉が、どれだけ救いとなったことか。どれだけ嬉しかったことか。
どんな甘いキスよりも、私にはこれが効きました。
そう、多分このときです。
彼の事を気になりだしたのは。
彼に一目惚れしたのは――。
「それじゃあ試しに何かしようぜ! えーと……何がいいかなと……」
七芽くんが選んだゲームを二人でプレイし、美春さんが持ってきたお菓子を食べて、楽しくゲームの話で盛り上がる。
それが私の心をどれだけ癒やしてくれたのか、計り知れません。
私の周りを覆っていた黒台風という風は瞬く間に消え去って、七芽くんの家を出る頃にはすっかりと普通の女の子にへと戻っていました。
外に出ると、今まで世界が変わっていました。
夕方に染まる空を見て、色を認識できました。綺麗だと思いました。風の匂いを感じて、心地よいと思えるようになりました。
たったそれだけなのに、私は泣いてしまいそうなりました。
今まで黒く塗りつぶされていた世界が、今ではこんなにも美しく、目の前にあることを感じられる。
私はこの日ようやく、生き返ることが出来たのです。
七芽くんのくれた、優しい言葉で。
「それじゃあ……もう帰るよ……」
「おう、また来いよ、黒台風」
「私は……」
本名を名乗ろうかと思いましたが、それは止めました。
名前を教えるのは、怪物の姿ではなく、本当の私で名乗りたい。そうしたいと強く思ったからです。
だから絶対にまた来よう。七芽くんのお家に。
そう強く強く決意して、私は彼に言いました。
「それじゃあまたね、七芽くん! 絶対に、また来るから!」
「ああ、待ってるぞー」
「絶対、絶対だから! その時は本当の私を見せてあげるから!」
「ん? ああ!」
笑顔で七芽くんに手を振って別れた後、私は思いっきり足を動かして走り出しました。
目指すのは私の家です。
こうして目を覚ました今、どうしても会わないといけない人がいる。
その人に、どうしても伝えなきゃいけないことがある。
その想いでひたすらに走りました。
横切る風が気持ちよく、空は綺麗な赤色と星空を浮かべています。
なんて気持ちいいでしょうか。
今までとは全然違う景色に嬉しさが止まらず、私の足はますます速度を上げていきました。
そして自宅に着くと、無造作に靴を脱ぎ捨てて、家の中へ入っていきます。
リビングの扉を開けると、そこにはお母さんがいつものように、台所で夕食を作ってくれていました。
お母さんは帰ってきた私を見つけると、一瞬目を見開いて、そして控えめな、『おかえり』と言うだけです。
そこでようやく理解しました。
私とお母さんの心が、ここまで離れていたことに。
その事実が、私の罪悪感を刺激して、キツく胸を締め付けます。
次の瞬間には、お母さんに飛びついていました。
「お母……さん……お母さん……お母さんお母さんお母さんっ!」
「ちょ……っと……! 結香……?」
「ごめんなさい……お母さん……ごめんなさい……っ!! あぁああぁあっ!!」
「……うん。うん」
その後、私はひたすらに泣いて、自分の心の中に溜めていた想いを全て吐き出しました。
お父さんがいなくなって寂しかったこと。
その所為で自分の感情が抑えられなくて、暴力を振るってしまったこと。
私は悪くないのに、お母さんが代わりに謝っていたことが見てて辛かったこと。
みんながよって集って私に喧嘩を挑んできて、どうしたらいいのか分からず嫌々でそれをやっていたこと。
お母さんと喧嘩して、毎回とても傷ついたこと。
そして――お母さんと仲直りしたかったこと。
それら全てを、お母さんに包み隠さずぶつけました。
お母さんは私の言葉を静かに聞いて、そして静かに泣いてました。
そして全部受け止めてくれました。
こうして私たち二人だけの家族は、再び絆を取り戻せたのです。
私の話を聞き終わると、お母さんは、涙を拭いて申し訳なさそうに私を見てました。
「今まで結香にそんな辛い思いをさせていたのね……本当にごめんなさい」「ううん、もう大丈夫だよ」
だって、七芽くんのおかげで自分を取り戻すことができたから。
そう続けるつもりでした。
でも先に、お母さんの言葉が私の上から被さったのです。
「あのね結香……いつ言おうか迷ってたんだけど……お母さん、再婚しようと思うの」
「え? それって……」
「新しいお父さんができるてことよ……大分前から話そうとは思ってたんだけど、中々言い出せなくて……本当にごめんなさいね……」
お母さんは少し困った顔をしていました。
きっと、ずっと胸の中に秘めて言い出せなかったのでしょう。
それも当然です。だって昨日まで、私たちの関係は崩壊しきっていましたから。
だから今度は私がお母さんを安心させる番です。
私は笑顔でお母さんに言いました。
「おめでとうお母さん! 私も、とても楽しみだよ!」
「! 結香……っ!」
そう言って、お母さんは泣いてしまいました。
お母さんが嬉しいなら、私も嬉しい。
このときの私はそう思えました。
以前の黒台風だった頃であれば、多分ものすごく反発していたと思います。
でももう大丈夫。
もう、私は化け物じゃなくて、普通の女の子だから。
「それで千葉から地方の方へ引っ越すことになるの。だからそのつもりでいてね?」
「え……?」
それを聞いて、私は選択を迫られました。
七芽くんにそのことを言うか、言わないか。
私の正体を明かすか、明かさないか。
でも私は、あえて言わず、正体も明かさないことに決めました。
今の私では、多分七芽くんに好きになってもらえない。
こんな男の子のような私を、彼は受け入れてはくれないだろう。
そう思い、私はとことん頑張って、どんな男の子でも好きになるような理想の女の子になることを決めたのです。
そしてその時が来たとき、彼に告白して確実に好きになってもらう。そう決めました。
幸い、お母さんの再婚相手である新しいお父さんは、穏やかでとても優しい人で、そんな私の願いを後押ししてくれました。
それからというもの、私は失った女の子としての自分を取り戻すため頑張りました。
髪を伸ばし、メイクの勉強をして、お洒落に気を使い、流行に敏感になって、気配りや料理もする。
とにかく理想の女の子になれることなら、何でもチャレンジしました。
そして夢のような女の子というベールを、私は作り上げて、被ったのです。
次、七芽くんに会った時、絶対に振り返ってもらえるように。
その結果、私は読者モデルにスカウトされるまでの女の子に成長しました。
そしてこのとき確信したのです。
今の私なら、七芽くんも振り向いてくれる、と。
だから転校初日、私は覚悟を決めて、七芽くんを空き教室にへと呼んで、告白したのです――。
◇◇◇
「て頑張ってみたんだけど、七芽くん変な方向にこじらせちゃってるんだもん。本当、参っちゃうよねぇ……」
「それは……すまなかったな……」
ううぅ……まさかあの告白に、そこまでの経緯が籠もってるなんて知らなかったぜ……。
でも普通、超絶美少女に何の理由もなく告白されたら、誰だって警戒すると思うがな。
「さてと。これで全部だよ、七芽くん。
これが、私と七芽くんにまつわるお話の全部。私が七芽くんのことを好きになった理由。
私を化け物から人間に戻してくれたあなたには、返しても返しきれない恩がある。
そして同時に、私はあなたのことが好きになった」
手を大きく開き、緩木は体を使ってそれを伝えてくる。
「『美女と野獣』。あれは、僕が美女で、野獣は緩木て意味だったのか」
「当たり」
つまり『南小学校の黒台風』だった緩木を、僕が助けたと言いたかったのだ。
って、分かるか、そんなヒントで!
伏線が張れてなさ過ぎるだろが! 解かせる気あんのかこら!?
あ、なかったのか。
「でもそうか……そうだったのか……」
僕は後ろにあった机に両手を乗せて、首を後ろに逸らし大きく息を吐く。
そして心の中で、正直な気持ちを述べた。
えぇー……。全く記憶にないんですけど、それ……。
いや、確かに全校大対戦で戦ったのは覚えてるし、家で遊んだ記憶も微かにはある。
でもそれを、そんな約6600文字も使った感動巨篇レベルの気持ちで捉えられてたのか……あれ。
そもそも僕が緩木を家に呼んだのは、黒台風を仲間にできれば、何かと得だろうという打算的な考えだったからだと思うし、親友云々もその場のノリみたいな感じで言った言葉だろう。
僕の性格上、多分そうだ。
だって僕、喧嘩とか全然出来ませんし。
ひょろひょろの男子でしたし。
全校大対戦に連れて行かれたのだって、なんか二つ名付いてるから、お前も来いって言われて無理矢理連れて行かれただけだし。
喧嘩の強い友達が出来れば何かと得だと思ったんですよ。あのときは。
でもそんなに恩義感じられると、滅茶苦茶困るんですけどぉ……!? 僕別にそんな大したことしてないからね!? 罪悪感増し増しで、胃がもたれるわッ!!
「だから私は、あなたのためなら何でもするし、あなたを手に入れられるなら、どんな代償でも支払う」
「っ! やめろ緩木! 何もそこまでしなくても僕は……!」
「恋人になってくれるの?」
「っ、それは……」
情けない話だが、それに首を縦に振ることはできない。
前にも言った通り、僕がここで首を縦に振れば、恋人同士にはなっても、緩木の暴走課金を止めることはできない。
それを続ければ、互いが互いに疲弊させて、共倒れとなるのがオチだ。
だから今の歪な関係では絶対に、緩木と恋人になることはできない。
「言っただろう、僕は誰とも付き合うつもりはない。今の緩木と特にな……!」
「そっか、残念。それじゃあ、お話も済んだことだし、お弁当食べよう?♡」
「いらない。僕はもう一切、お前からの課金は受け付けない。そして必ず、お前の暴走を止めてみせる」
「告白ならいつでも受け付けるから、待ってるよ」
そこで交渉は決裂し、僕は空き教室を後にした。
これで全ての情報は出揃った。
後はただ、どうやって緩木の暴走を止めるかである。
僕がこれから相手するのは、小学校のトラウマである『南小学校の黒台風』だ。
だからこそ、一人で挑むのは危険だろう。
僕はそう思い、ある人物にへと電話をかけた。
緩木のことで相談できる人間など、一人しかいない。
「もしもし綺羅星さん、直ぐにこないだ会った階段下まで来てくれ。緩木結香の暴走を止めるぞ」
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