ときわ路に揺られて
緑色の帯を巻いた電車に乗ったとき、僕はボックス席にその若き男性に連れていかれていた。電車の中では、初めて流れてくる車窓に興奮していた。
「君は、旅行が好きなのか。そうだったら、俺と趣味が合っていることになる。」
「え、そうでもない。親に旅行に連れて行ってもらったことなどないよ。それどころか、毎日家事を手伝わされて、勉強もさせてもらえなかった。名前ですら読んでもらったことがないから自分の名前が何かわからない。」
「そうだなあ、君は呼び名ですら与えられていなかったと言っていたな。穂高岳って知っているかな。」
「え?」
「穂高岳だよ。俺の家からも見える、日本第三の名峰だな。信州では一番だぞ。君だって、その山みたいに雄大で立派になってほしいな。あの山のように自然を湛えられ、実りある子になってほしいな。」
「穂高岳?一度も見たことがない。」
そう少年が呟くと、青年はスマートフォンから穂高岳の写真を見せた。
「きれい、というか壮大だなあ。」
「だろ。穂高、って呼んでもいい?」
「いいよー。」
「穂高さ、じつは俺の恋人、というより妻の了承、もう取っているよ。」
「マジで?」
「ほんまに。」
「だから、そのまま住んでいい、ってこと?」
「別に構わないよ。」
「やった!前の親みたいに死ねとかアホとか言わないの?」
「言う親のほうがドアホや。」