3. 三十一文字 〜 蛍の唄 1 〜
今回は、モサ男と縁斗のおねーちゃんが出てきます。
縁斗の神社へと向かう理由。
何か、あやふやな点もありますが少しは理解して頂けるのではないでしょうか。
今後とも、大幅に登場人物が増えていきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。
「あ、おい!!」
「いいから!!走って!!!」
思い切り、手を引っ張られた。
なんで、走っているのかわからない。
冷たい刃のような風が口の中に入って至る所にあたり、痛い。
どこかに連れさられるのか、本当に心配されているのか。今の俺の頭にはこの二択しかなくて、多分、コイツから逃げることはムリだとはっきり今、わかった。
「ハァハァ…、こ、ここら辺で、ハァ…、い、良いかと…ハァハァ」
・・体力、なさすぎ
「手」
「あっ、こ、これは、す、すいません!!」
パッと、手を離してくれた。
「あの…、誰?」
「え、え、えっーーーーーと…」
モサモサの頭で何を言おうか、必死に考えながら頭をかく姿は、誰かに似ているような気がした。
「俺、松谷。お前は?」
モサモサ男は、俺に驚いたようだ。
「え、あ、ふ、藤沢 永真で、す。」
モサモサ男にも、名前があったのか。
「で、なんで連れてきたんだよ!!」
いつよりも冷静だな俺、と少し思った。
「ひ、ひっ、え、えぇっと…」
さっきからずっとこれだ。物凄く、イライラする。
「ビビんな!!話せぇ!!!」
何だか、俺とねーちゃんが似てるみたいで気持ち悪くなってきた。
「お、襲われて、いると、お、思いましたのデェェェェ!!」
はっ?
何を言ってんだか…
「おれ、誘拐されたと思ってる。」
「え、だ、誰にですか?」
「お前。」
「そ、そんなッーー!だ、断じてそんな事はあ、あぁあ、ありませんよ!!」
焦りすぎ…。
それに、ここどこだよ。
「じぁ、なんで俺の名前知ってんだよ!!」
「そ、それは…」
やはり、誘拐か。
「なーんーでー?」
やっぱり、こういう時は、スマホが欲しい。そしたら、こんな奴、直ぐに通報できるのに。
「お、お姉さんがい、いらっしゃいますよね?」
「えぁ?ねーちゃん?」
コクコク
モサモサ頭過ぎて、まったく、目が見えない。
「なんで、ねーちゃんなんだよ」
「し、知り合いなのです。彼女は僕の事を覚えてはいないと思いますが…」
「はっ?」
この天才の頭じゃ、理解できない。
ってか、何でねーちゃん?!
「どういう…」
「お、おぉ、お宅までお送りします!!」
モサ男の声のせいで、俺の質問は消された。
風が吹く。木々は、揺れ、葉が鋭く、空を刺していく。
今日の月はいつもより、綺麗で、歩いていても、自然と目に入る。
普段は、月なんて見ないのに、今日は少しだけわかったと思う。それは、昔の奴が月を見ながら、こんなにも、暇な気持ちを月に押し付けていた事を現代人の俺が学ぶ日が来るとは、思っても見なかったからだ。
本当に、話すことの一つや二つあるだろ。
なのに、なのに、無言だし、なんか、喋れないのか、コイツ…
さっきから、こっちが質問しても、頷くだけで会話にならない。
つまんねー
「なぁ…」
モサ男を表すあの言葉、なんだっけ?コミュ障、とかだよな。
「は、はいっ!!」
「ついたんだけど。」
本当に、誘拐する気は無さそうだ。
「こ、ここですか?」
普通の住宅街。
どこの家も、似たような建て方だ。
「え、うん」
名前を知っているのに、住所は知らなかったことに関しては、信用できる奴だとは思った。
けど、ねーちゃんを知っていた事に関しては、何も聞き出せなかった。
「密集してますね…」
それぞれの家の明かりが道を少し照らす。
「今日は、家に1人なんですか?」
車の通りは少なく、それぞれの家の家族団らんの声が聞こえる。
「いや、ねーちゃんと母さんがいるけど…」
今頃、テレビとか見ているような気がする。
「そうなんですか…、けれど、なぜ電気が一つも付いていないのですか?」
どこに目を止めてるんだ、このモサ男は。
「一体どこ見…て」
確かに、確かに、家の前のはずだった。それに、さっきまで、どこの家にも電気が付いていた。
今日は、普通の普通の一日になるはずだった。
「なん…で、電気が付いてないんだよ。」
自分の家だけではない。隣の家も真向かいの家も周りを見渡す限り、どこの家も電気が付いていない。
街灯の電気も、ついていなかった。
右を見ても、左を見ても景色は暗く、明かりはなく、どう見ても異様な光景。
何が、何が起きて…そ、そうだ!!急な停電とか、それか、避難訓練とか!!それか、それか…
色んなことを考えた。本当に考えた、が、どれも頭の中では浮かんでは消えて行く、バカな俺の頭ではやはり、わからなかった。
「キャァァァァァァァァーー!!!」
「「なっ?!」」
だが、俺の考える時間はそうそう無かった。
この叫び声は間違いなく、俺の家の中から聞こえてきた。そして、叫び声は、聞き間違う事のできないねーちゃんの声だった。
ガチャガチャ
「ど、ドアが開かない!!!か、カギが!!」
ドアノブを必死に左に回したり、右に回したりする。いくら、ガチャガチャやっても、ドアは開かない。
「どいて!!僕がやります!!」
着物の懐から、四角で長細い紙を取り出す。
紙の上の方には、訳のわからない紋章のようなものがあった。
「今からする事を誰にも言わないでくださいね…」
おどおどしている姿より、よっぽど、この姿の方が嫌いで、気に食わない。そんな、人を、遠ざけるような目が前髪からチラチラと見え、闇夜に映えた。
モサ男は、ドアに紙を貼り付け、手をドアに当てたまま、何かブツブツと呟き始める。
薄い、薄い、緑や黄色の…、昔ばぁちゃん家で見た蛍の光のようだった。
徐々にドアの周りに光が集まっていく。
グスッ、グスッ…と、誰かの泣き声が同時に聞こえる。
「お願いです!!僕から、離れないでください!!」
「えっ、」
「さもないと死にますよ」
深く、深く、真面目な声だった。
この時、俺はこいつがなにを言っているのか、イマイチ理解できていなかった。
「離れて!!」
何歩か後ろに下がる。
あたりは暗いまま、明るいものは蛍のような光と月の明かりだけ。
バンッと、大きな音とともに、ドアが開いた。
「行きましょう!!」
「え、あ…」
手を強く引っ張られる。
離れたら、死ぬとか意味わかんねーよ。
恋愛ドラマじゃないんだし。
ここは、俺の街で、俺の家で、俺のホームグラウンドで、俺のねーちゃんがいる家で、俺の母さんが帰ってくる家で、俺はこの家の男だし、家族を守るのは俺の使命だし。
だから、ここは、
俺の
俺の
俺の
俺の
俺の
俺の
・・・。
ドクンッと強く、胸の音が、不気味に響いた。
ここは、何だ。
ここは、何処だ。
ここには、何の意味が。
これが、使命なのか。
ドクンッと、ドクンッと、俺は、何かを探しているみたいだと、それだけは、確かにわかった。
何かを忘れてる。
何を探しているのかも、忘れてる。
頭の中が、ぐちゃぐちゃになっていくのがあまりにも気持ち悪くてグラッと、足元がフラつく。
このモサモサ男は、ねーちゃんの知人みたいな事を言っていた。
世界が、スローモーションのように、モノトーンの世界のように映る。
なら、こんな詐欺師みたいな奴と、どこで会ったんだ?
引っ張られながら、階段を上がっていく。
フラフラして、頭が追いつかない。
今は、ねーちゃんを探しているのに、それは俺の使命では無いような気もする。
「キャァァァァァァァァーー!!!」
二度目の叫び声だった。
「こっちの部屋です!!はやく!!」
色んなことがわからなくなって来た。
ドクンッ、ドクンッと深く、深く、赤い、赤い。得体の知れない何か。
バンッ、とドアが開け放たれる。
「糸華!!!」
モサ男が、此処ぞとばかりに叫んだ。
本当に、コイツ、ねーちゃんのこと知ってたのか。
昔、何処かで、会ったことがあるような気がする。
静かな、静かな、梅の花。
目の前の光景に、ヒビが入る。
モサ男がベッドに倒れているねぇちゃんの元へ駆け寄る。
ねーちゃんは涙で、目の前がボヤけているようだった。
けど、嬉しかったんだろうな。えっちゃんに会えて…
昔は、色々と大変だったなぁ。
目の前が揺らぎ、一面が黒と赤の世界に切り替わった。
あれ、昔って何だろう。
俺の昔は…
「えーんー!!」
先週から、おばぁちゃんの家に来ている。
周りは、田んぼばかりの田舎で、何回か来ている私にとっては珍しくないけど、幼稚園に通っている弟にとっては物珍しいのだろう。
今日も、どこかに出かけたみたいだ。
けど、今日は違った。
「糸、まだ縁は帰って来ないのかい?」
おばぁちゃんが、家から出て来た。
ここも、古い建物で、建ててから100年以上はたっているそうだ。
「うん…、もう夕方だし、大丈夫かな…」
「心配することはないよ。この地には神様がいるからねぇ」
夕日がまだ、綺麗に丸を残していた。
「神様?」
おばぁちゃんは、私がここに来た時、よく神様の話をする。
「そうだよ。神様だ。大丈夫、縁には、神様がついてる。」
ゆるりと、風が吹き、足元を通って行く。
「神様って…、どんな神様なの?」
風の匂いまで、街中と比べ、心地いい。
「ふふ、そうだねぇ、梅の神様かねぇ」
「えっ、梅に神様がいるの?」
「違う違う。」
おばぁちゃんは、軽く首を振った。
「その神様は、昔。お人だったのさ。」
「神様が人?」
「ふふ、そうさ。」
「でも、神様は神様でしょう?」
おばぁちゃんは、またふふと笑った。
「さぁて、中に戻ろうかねぇ」
「お、おばぁちゃん?!」
カァカァとカラスの鳴き声が聞こえた。
「糸も、入んなさい。続きは、部屋の中で、夕飯前のスイカを食べながら、話そうじゃないか。」
そう言うと、中へ入っていった。
「で、でも…」
年も離れているせいか、弟が妙に心配だ。
元気しか、取り柄のなさそうな弟が無事に帰って来るのか。そう考えると、夏なのに、少し、寒く感じた。
「糸ーー!手伝っておくれー!!」
うぅ…
「わ、わかったぁーーー!!!!」
縁が帰って来なくて不安だけど、取りあえず、おばぁちゃんの話を聞くことにした。
「さぁ、スイカだよ」
おばぁちゃんの手には、大きなスイカがあった。
「ありがとう」
おばぁちゃんから、スイカを受け取る。
「ふふ、糸はちゃーーんと、お礼が言えるんだねぇ」
「えっ?普通じゃない?」
チリンチリンーっ、と風鈴の音が耳に入る。
「ふふ、普通、言えないものなんだよ」
「どうして?」
「言うことを忘れちまうのさ。」
おばぁちゃんは、私が知る中で一番の物知りだ。
「そう、なんだ。」
とても、寂しい感じがする。
それに、言うことを忘れちゃったら、誰とも話せなくなるよ。
「あ、ねぇ、神様の話。」
「おや、糸はこの話、嫌いじゃないのかい?」
「どうして、嫌いになるの?まだ、話、ほとんど聞いてないのに。」
「ふふ、そうだったねぇ」
糸は、賢いね。とおばぁちゃんは、言って話し始めてくれた。
「昔、梅の神様は、お人だった。」
それは、200年くらい前の話。
当時、戦が少しずつ、落ち着いてきていて、庶民の生活もほどほどに安定してきていた頃だった。
そんな中、梅の名前を貰った女の子がいて、とても、可愛い子だった。
とりあえず、梅とでも呼ぼうか。
梅は、気品もよく、字も書け、料理も、裁縫も、何をさせても、器用にこなしていった。
名の通り、笑った姿は赤く麗しい梅の花と誰しもが称したと言う。
梅は、大人になり、その町一番の美女と名高くなった。
そして、月日が経ち梅も嫁ぐ年頃となった。
数々の縁談があったものの、梅の両親は時間を掛けて、梅の見合い相手を探していった。
その中で、たった一人だけ、その梅の両親が見合いを許した相手がいた。
その者は、あろうことか、生まれが高い貴族の一人息子だった。
順調に見合いの日取りが来月に決まった頃、梅は町中を散歩していた。
日々が詰まらなくなったと言うんだから、困ったお嬢さんだったんだろうね。
けど、ある日から一変したんだ。
「お嬢さん」
梅は、突然若者に声を掛けられた。
「え、あの、何か…?」
「あ、いえ。髪に葉っぱが付いていたものですから…」
若者は、梅の髪に付いていた葉っぱを素早くとり、すみません、とだけ言った。
「あ、ど、どうもありがとうございます…」
「いえ、とんでもない。ですが、せっかく、べっぴんさんなのですから、気をつけて下さいね。」
若者の姿に、梅は一瞬にして恋に落ちた。
その若者は、縁次郎と言って、神社の息子だった。
「それでは…」
「あ、あの!!」
「はい?」
梅は縁次郎を呼び止めた。
「お、お見受けした所、社の方でしょうか」
「あぁ、はい。そうですよ。」
優しく、ふっと縁次郎は笑った。
その後、二人は打ち解け、梅は度々、縁次郎がいる神社へと向かった。
「梅さん。町から遠いのに、わざわざ来てくださってありがとうございます。」
「いえ、私も来たくて来ているのですから。」
梅は、この世とは思えない幸せの中にいた。
二人は、惹かれあい、恋に落ちたのは簡単だった。
だが、梅には問題があった。そう、梅には見合いがあったのだ。
未だに、縁次郎には話しておらず、ずっとその身だけに隠していた。
そんなこともつゆ知らず、縁次郎はとあることを考えていた。
ある日、梅がいつものように、神社へと来た日のことだった。
縁次郎は、その神社の名物でもある梅の木へと、梅を呼び、梅の花が咲き誇る下であることを言った。
「お、お話があります。梅さん。う、梅さんさえ良ければいいのですが…」
「な、何でしょう、え、縁次郎様。」
縁次郎の少し、震えた声に、梅もただ話ではないことがわかり、互いに見合わせ、緊張していた。
そんな中、縁次郎は勇気を振り絞り、告げた。
「う、梅さんさえ、良ければ、私と夫婦になっては下さいませんか。」
顔は、真っ赤で梅は少し笑ってしまった。
「はいっ!!」
梅にとって、人生の中で一番嬉しい時だっただろう。
梅は、舞い上がる気持ちを止められなかった。
その神社には、毎年、綺麗な梅の花が咲いた。
梅は、家の中に帰る道すがら、喜びのあまり普段は歌うはずのない鼻歌を歌いながら、帰り道を歩いていた。
「ただいま、戻りました。」
引き戸を開けて、家の中に入る。
「梅!!、一体どこに行っていたんだ!!」
「どこって…」
「そうよ、梅。お見合いも近いのよ。何処かに行っている場合じゃないの。」
梅の喜びは、一瞬にして、嘆きへと変わった。
不安と後悔と後ろめたさでいっぱいだった。
当時、お見合いとはもう結婚が前提でのお話みたいなものに近かった。
梅の想いも虚しく、見合いの日がとうとうやって来た。
あの日から一度も、梅は、縁次郎の元に行けなかった。行く暇も無かったが、行く勇気すらも梅にはなかった。
「梅、綺麗よ。立派な娘だわ。」
母が微笑みながら、娘の頰を撫でた。
「ありがとう…」
梅は、泣きそうで堪えるのに必死だった。
「さぁ、梅。」
父親が梅の手を引く。
はぁ…
梅は、見合いで嫌われてしまったらいいのに。と、ただひたすら思ったという。
だが、そんなことは出来ることもない。この結婚が決まれば、梅の父親に今以上に仕事が入ってくるというもので、梅の父親自身も、喜んでいた。
「遅れてしまい、申し訳ありません。」
相手の方が少しばかり、遅れて入って来た。
町で有名な旅館の部屋を借りての、見合いだった。
「いえ…」
梅は、相手の顔を見ることが出来なかった。
カタカタと震える手をただ押さえつけて、体の中で連鎖するの隠していた。
「お気分でも悪うございますか?」
「あ、いえ、そんなことは…」
相手に申し訳ないと思ったのか、梅は少し顔を上げた。
「おや、やっと、顔を見せて下さいましたね。」
「あっ…」
パッと、また梅は下を向いた。
「そう、緊張なさらずに」
相手側の奥様が言った。
「す、すいませんな。うちの娘が…」
父も、ペコペコと頭を下げ始めた。
「ですが、べっぴんさんですなぁ〜」
「そうですねぇ、貴方。」
見合い相手の両親は梅の気品の良さに惚れ込んでいた。
「あ、ありがとうございます…」
少し、顔を赤らめるものの、嬉しさなど現れず、不安は消えない。
「父上、母上、緊張させてはいけませんよ。」
「あら、わかっているわよ」
「そうだぞ!」
見合い相手の彼は、心優しい者だったが、彼にも不安と秘密があった。
「ははは、あっ、そうだ。改めて、お名前をお聞きしてもよろしいですか。」
優しい好青年と言う言葉がしっくりとくる方だった。
「え、あ…はい。」
梅は少し顔を上げて言った。
「梅と申します。」
手を揃えて頭をゆっくりと下げる。
「ご丁寧に、ありがとうございます。」
一度、くすっと笑って言った。
「私は、藤沢 永真と、申します。」
永真は、優しく微笑んだ。
世界が暗く見えるのは、俺だけなのか。わからなくなる。
暗い煙が、ねーちゃんとモサ男の周りを囲んでいて、所々に梅の花びらが見えた始めた。
赤く、燃える炎のように綺麗で、どこかで見たことがある、とも思った。
でも、その光景も、黒い煙も、赤い、燃えるような梅の花びらも、全てが、全てが、俺の現実とは違った。
俺は、ただそこに立ち尽くすことしか出来なかった。
世界でぼっちとは、このことか。
「ハックシュンッ!!」
ヒドイくしゃみに、窓の風、いつもの天井、ついでぐらいの風鈴の音。
夢を見たような気がする。
だが、ぼやけて見える世界は、さらに眠気を引き起こす。
チリンチリンッ…
冬の風鈴の音を除いて、
「おや、起きられましたか。」
ちなみに、隣にはモサ男。ちゃっかり、俺の椅子を使っている。
・・・はっ?
「うぉおぉぉぉおー!!!!!」
俺は、反射的にベッドから跳ね上がり、置いてあった目覚まし時計をモサ男に投げつけていた。
ガッ…
「い、痛ッ!」
目覚まし時計をキャッチしてはいるものの…、おでこに的中だった。
寝起きだから、仕方がないが、後で後悔することになることは、この時は、まだ、わからなかった。
「あ、わ、わりぃ…」
何滴か、ポタポタッと床に垂れる音がしんみりと聞こえた時、部屋のドアがゆっくりと開いた。
カチャカチャと食器の音も聞こえる。
体の底から湧き上がってくる、この声を抑えるのは、いつも大変だ。
本能が告げている!!!逃げろ、と、叫べ!!と、だが、叫びたいけど叫べない、そんな虚しい気持ちがここにある。
どうしても、逃げられないのだ。
この家の主導権は、女にある。
だから、
「お茶持ってき…」
ねーちゃんも、そのうちの一人なのだ。
数秒の沈黙が続く。
ねーちゃんがドアの前で固まり、俺もまたベッドの上で固まっている。
もちろん、モサ男も停止中だ。
部屋の開いた窓から風が入りチリンチリンーっと風鈴の音だけが耳に入った。
俺は、沈黙が大嫌いだ。
それは、俺の目の前で、怖いことが起こる前触れのような気がするからだ。
案の定、それは当たりになるけど…。
「コラッァァァァァァァァ!!縁斗ォォォォォォォォー!!」
凄まじい、雄叫び声。
絶対に、この姉どこにも嫁になんか行けねーよ!と、心の中で軽く言っておく。
「まっ!まぁまぁ、そこまで…」
ねぇちゃんの怒りを止めようとするモサ男がここに一匹いた。おどおどしている姿に、ねぇちゃんが怒っているのは、このモサ男では?と錯覚してしまいそうになるが、その前に、ねぇちゃんに楯突くのはやめたほうがいいことだけは心の中で教えておいてやる。
けど、まぁ、ただ、それだけだ。
なぜなら、ねぇちゃんは…
「あんたは、黙って!!」
ギロッと、向けられたであろう鋭い目は、尖った槍のようで誰もが身震いをする。
睨み目一つで、相手を黙らせるからだ。
多分、母さんの元ヤンの血が流れているからだと思う。
予想以上に、モサ男は身を震え上がらせていて、俺とともに、ねぇちゃんから怒鳴られる始末。
泣きたくても、泣けない。それが、男なのだ。
それより、俺はなんで寝ているのか。ここが問題だ。
「ねーちゃん、俺。」
とりあえず、聞くことにした。
「あぁ、倒れたの。」
さらっと、言われた。
答えるのが面倒なのか、こっちを見もしない。
「どこで?」
「糸華の部屋ですよ。」
そんなねーちゃんに変わり、モサ男が教えてくれた。
「えっ?なんで、ねーちゃんの部屋なんだ?」
だが、それも直ぐ疑問に変わる。
「覚えていないのですか?」
「えっ?は?えっ?」
何を?と、問い返す前にま、ねーちゃんに質問されてた。
「倒れる前、何してたかわかる?」
ねーちゃんが、睨みつけた目と違い、真面目な顔で聞いて来た。
「倒れる前…?」
倒れる前、倒れる前、覚えていること…。
ヒラリと舞う、赤い赤い、
「梅の花」
ピタッ、とモサ男の全ての行動が停止した。
「梅花。という名の女をご存知ですか?」
梅花
「どっか、で…」
「ね、ねぇ、縁斗…、あんたこれ、どこで手に入れたの…」
机の上に置いてあった梅の枝。
「あ、あぁ、それ、学校から帰って来た時に置いてあった。」
よかった。枯れてなくて。
「あれ、手紙は?」
「このこと?」
「あ、それ!!」
急いで、机に向かう。
倒れたと言う割には、ちゃんと歩けた。
「その手紙。見せて頂いても、よろしいですか。」
剣の刃のような目だった。
ねーちゃんが、起こるときよりも恐ろしい。何かを被った目。
あの目に、睨まれたら全てのモノが動けなくなるんじゃないかと思った。
「縁斗…、妖って、信じる?」
ねぇちゃんは、突然そう言った。
「妖?なんだそれ。」
お伽話か、何かかと浅い知識で聴き始めた。
「妖。それは、人に害する者。長年、人と妖は一線を置いて来ましたが、今は…」
「お、おい!!一体、何の話なんだよ!!」
急に始まった妖の話、頭いいやつでも、理解できないと思うし、なにより、算数を理解するよりも難しくて、考えたくないし、どうでもいい世界だと思った。
特に、この静かな風景も場所も言葉も嫌いで、くだらない。
「私が、妖なのです。」
意味がわからない。
一体、誰だというのか。
「はっ?」
話が掴めない。
「縁斗様、貴方は、」
そう言えば、さっきから何故か様呼びだ。何故だ。度々、様が出てくるたびに疑問に思った。
「様呼び嫌だ。」
気付けば、言葉は口から出ていた。
「あ、す、すいません。ですが、なんとお呼びすれば…」
「呼び捨てでいいぜ。」
ベッドに座って、両手で伸びをした。
野球したい。
ここから、俺の現実逃避も同時にスタートしていた。
「せ、せめて、縁斗君で…」
「あー、じゃ、それでいいや。」
早く、話戻せとばかりにねーちゃんの目が怖い。
「あ、で、それで昨日の夜。おつかいを頼まれて、商店街を通り、スーパーへと買い物に行き、その帰りに、ある妖に襲われそうになり、私はそこを通りかかりました。」
堅苦しい話は、苦手だ。
現実逃避がスタートしたと同時に、話題を変えようとひたすら話題を探していた。
「はっ?通りかかった?待ち伏せじゃなかったのか??」
「ゴホッ、違いますよ!!」
そう言って、咳払いを一つした。
「そして、御自宅まで私は付き添いをしました。」
「え、誘拐。」
「ゴホッゴホッ!!それは、誤解です!!!」
あからさまに、偽の咳だったと思う。
「それより、いつの間にマフラーしてたんだ?」
茶色い、古びたボロボロのマフラーだった。
「え、最初からしてましたよ。」
「えっ?」
「そんなのどうでもいいから、話!!次!!」
ねーちゃんの声は、やっぱり恐ろしい。
「あ、え、えぇーーと…、それで、この家に鍵がかかっていたので私の"アレ"で鍵を開けて、家の中に入りました。」
「強盗…」
少しばかり、冷ややかな目をモサ男に向ける。
「ゴホッゴボッ!!だ、だからゴホッゴボッ!!ち、違うゴボッゴボッ…!!」
『むせた!!』と、この日始めて姉弟の心が一つにリンクした。
ゴボッと意味不明の咳をしているが、よっしゃーーー!!と、此処ぞとばかりに心の中でガッツポーズをお見舞いしておいく。
「ねぇ、"アレ"って、何?私の"アレ"とか、言ってたけど。」
真剣な顔で、ねーちゃんが言った。
「それは…」
「異能力とかなのか?!!」
そんなねーちゃんとは、違い、俺はテンションが上がっていた。
バコッ!!
そのせいか、近くにあった教科書で頭を叩かれたが。
「あ、糸華!!良いんですよ。異能力…、と、言うよりかは、我々の世界では、当たり前の能力ですよ。」
「我々の世界、ね」
気に食わなさそうに、ねーちゃんがボソッと言った。
「ねーちゃん?」
だが、違ったようだ。
「縁斗。ちゃんと、聞いて。」
「糸華、いいんです。私が、話します…」
俺だけが、知らないみたいだった。ただ、空気が重く、重く、静かだったのは、何年たっても、覚えてる。
「縁斗君の学校の近くに、神社があると思うんです。」
「神社?」
「はい。その神社にいるのは、神に近い者。ですが、完全ではありません。その上、神社の敷地内から出ることが出来ず、その者が、外に出るためには、たったお一人、彼女が望んだお人でなければ駄目なのです。」
何かのゲームの設定だと、思ったし、現実ではないとも思っていた。
「その人って?」
「その人とは…縁斗君。君のことです。」
「はっ?なんで、俺?」
此処までは、夢だろうと途中で思い始めた。
「あの、梅の枝と手紙が証明しています。」
「なんで、それぐらいで…」
「彼女の能力は…、梅を操るものです。」
でも、声とチラチラと前髪からみえる目に、夢ではないと、現実に戻れと言われているのがわかる。
「でも、それだけじゃわかんねーだろ!!」
正直言って、怖かった。
「手紙に『梅花』と、書かれてはいませんでしたか?」
ドクンッ
心臓が、強く鳴り、身体中に響いた。
「書か…れて、た。」
「彼女の能力の名は『梅花』。貴方に危険を知らせたかったのでしょう。」
ドクンッドクンッドクンッ、心臓が早く鳴り身体中に響いて、痛かった。
「長年、私は君が現れるのを待っていました。」
息が、うまく出来ない。
「なんで…」
「君が帰ってくる前、糸華以外に、とある妖がこの家に入っていました。」
「そんなやつ、知らない」
何かが崩れる気がする。
何かが壊れる音がする。
震える手がそれを告げていた。
「縁斗…、今日、母さんの姿とか見たりしなかった?」
ねーちゃんが、暗い声と同じ眼差しを俺に向ける。
「母さん?あ、母さん…!!!母さん、どこにいるんだ!!!」
今更、気付いた。
でも、頭の中ではその妖とやらが家に入り込んでくる前に仕事からの電話でまた、仕事をしに行ったんじゃないかと思っていた。
「縁斗…、何言ってんの。」
ねーちゃんの言葉は、俺にとってめちゃめちゃ残酷で、冷たくて、寒くて、信じがたいものだった。
「一週間前に亡くなったじゃない。飛行機事故で…」
「え、何言って…、いたんだぞ、リビングに、俺に、俺に…」
嘘だ。と、思った。
『NICEBOY!!ついでにぎゅーにゅーも買ってこい!!、身長伸ばせ!!』
ガッツポーズ姿の母の姿が頭から離れない。
記憶が、記憶は、覚えてる。
何個かあるピースが重なった気がした。
俺は、バカだけど、パズルだけは大得意だった。
そして、俺の頭のピースがはまった時点で、ねーちゃんの言っていることが正しいと判断できた。
ねーちゃんが、部屋にこもってる理由。ねーちゃんがこもり始めたのは、三週間前。
最初の一週間はインフル流行での学校閉鎖。
二週間目の最初は、ねーちゃんがインフルにかかった。
三週間目の最初は、母さんが死んだ。
部屋にこもる理由が、一致した。
「縁斗…、聞いて。」
「し、信じらんねーよ…、んなこと…」
「わかってるけど。これだけは、わかって…、多分、縁斗の前に現れたのは本物のお母さんだと、思う。」
「何言ってんだよ!!!!!こんな時まで
馬鹿にするな!!!」
気付けば、怒鳴り散らしていた。
喉が、乾いた。
「ハァハァ…」
息が上がっている。
また、また、俺のせいで静かになった。
「スーツ姿だったんじゃない?」
「ス、スーツだった。で、でも、げ、玄関には、いっぱいお土産があって…」
いつもより頭が回らなくて、辿々しくしか、喋れない。
「良かったね。縁斗。」
「何も、よくねーよ…」
声が、ほとんど出なかった。掠れて、醜い声だった。
「縁斗…」
目が熱くなって、息ができているのかもわからない。息を吸っても、吸っても、何も変わらない。何が何かも、わからない。
視界がぼやけて、涙が伝って行くのがわかる。
「縁斗…、今後、お母さんの姿を見つけても、追いかけたら駄目だからね…」
ねーちゃんは、そう言った。
意味がわからない。
「母さん…、が、死んだ、ヒクッ…なら、母さんが現れる、はず、ヒクッ…、そんなはず、ないだろ…」
なんで、なんで、なんで死んだんだよ…
言葉が繋がらなくて、喋り方も忘れたみたいに、世界は暗かった。
「縁斗…、スーパーから帰ってきた時、お母さんはいた?」
なんで、ねーちゃんはそんなに冷静なんだ。
「いな、かった…、ヒクッ…」
「そっか。」
縁斗…、そう言ってねーちゃんは俺を呼んだ。
「私ね、縁斗がスーパーには行ってた時、部屋のドアをノックする音が聞こえたの。」
「えっ…」
「開けてみたら、ね。」
その声は、震えていて、いつもとは別人だった。
「お母さんだった。白い、フリルのワンピースを着て、丸い赤色のイアリングをしたお母さんが立ってた。」
俺は、驚いた。
ねーちゃんでも、泣くのだとわかったからだ。
叫び声とかは、あげたりするが泣く姿を見たのは初めてだった。
「お母さん、だと、思った。帰ってきたんだって…、けどっ、違った。お母さんじゃなかった。お母さんに化けた『妖』だった…の。」
「あや、かし」
「このままでは、君達以外にも狙われる人達が増えます。それに、君達のお母様が亡くなられたように次は、死者が必ず出るでしょう。」
世界は、暗くなんかない。
「ですから、縁斗君、君にお願いがあるのです。」
むしろ、何かに満ちている。
「縁斗。」
二人は、俺のことをしっかりと視界にいれていた。
「その糸華を襲った妖は、この街では、『とある者』にしか、倒せないのです。」
「とある、者」
そして、俺は何かに溢れていた。
「はい。神と妖の間に立つ者。『神間妖』と、呼ばれる者で、別名、二半とも、呼ばれます。」
「しんまよう、にはん…?」
「はい。その二半は、先ほど言ったように『梅花』と言う術を使います。」
「それが、さっき言ってた。学校の近くの神社にいる奴か?」
「はい。その名は…」
「名前は…?」
クスリとモサ男は、笑った。
君が自分でお決めなさい。
なんで、そいつの名前を俺が決めるのか、わかんない。
けど、俺はやる。
今思えば、あの妖を倒せば母さんが帰ってくるだなんて馬鹿なことを考えていたのかもしれない。
けど、あの階段を登ったことに後悔はなかった。
あの日ねーちゃんは、やりたくないのならやらなくていい、とは言っていたけど、本当は必ずやり遂げて欲しかったはず。
自分が何をすべきなのかあんまりわかんねーけど、それでも、登ろうと思った。
俺が、登りたかった。
そして、階段のその奥を見たかった。
「ま、松谷君…」
「な、なんだ?」
階段を何段登っただろう。
「う、う、上…」
リクノエが手を伸ばして、何かを指す。
上…?
「やっと、鳥居が、見えて、きた」
お互い辿々しい声だったがそれも、もう直ぐで終わる。
「ハァ、あともうちょっとだね、」
リクノエは、軽くははっと笑った。
「ありがとな、リクノエ」
こう言う時、我が家ではちゃんとお礼を言えとずっと、言われ続けている。
「うん、ちょっと楽しかったかも」
ニッと、さっきとは比べ物にならないくらいリクノエが笑顔を見せた。
学校では、何度か愛想笑い程度の笑い顔は見たことがあるが、今回ばかりは、初めて見た、リクノエのちゃんとした笑顔だった。
「そっか!」
俺も、自然と頰が緩んだ。
まだ、知らないことがたくさんある。
けど、リクノエには申し訳ないことがある。
何故、神社へ行くのにリクノエについてきてもらったのか、今考えても全くわからないのだ。
でも、頼りになると思った。
「あと、もうちょっとだ、頑張ろう松谷君!!」
「おぅ!あ、リクノエ。名字じゃなくて、下の名前でいいからな。」
「え、いいの?」
「おぅ!!」
クスッと笑って、ありがとうとだけリクノエは言った。
「じゃ、早く行こう、縁斗!!」
「だな!!」
汗だくで、息も荒くて、幸せなことなんて一つもないのに、ぐちゃぐちゃの世界が少しだけ、好きになったような気がする。
妖なんて、本当はどうでもいいけど、何かを守れる手伝いでもできるのなら、いいのかもしれない。
最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。
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