急
入学式が終わり、下校時間になると、福嗣高校の校門の前で、湊はスマホを扱っていた。通話アプリの『Rine』を使って、先に帰っている母親と連絡を取り合っている。
「えっと、『今日は不思議なことがあったよ』っと」
『不思議なこと?』という、母親からのチャット文字がスマホから浮かび上がる。
「『駅の前で下級生が上級生にいじめられていたんだけど』、『それを二年生の先輩が』……」
二回目の送信をしようとした時、湊の目の前に影が伸びたように現れ、湊はそちらへと視線を向けた。
「こんにちわ、湊さん」
そこにいたのは徒槻燈花だった。
「こんにちわ、えっと……徒槻さんでしたっけ?」
「ええ、覚えてくれていて嬉しいわ。まぁ私は、あなたがお母さんの胎内の中にいる時から知っていたけどね」
燈花は目を細めそう言う。
「それってどういうことですか?」
「まぁそれは置いといて、あなたにすこし訊きたいのだけど――」
燈花はポシェットから二枚の写真を取り出し、湊に見せた。
一枚目にはずぶ濡れになったブラジャー。
二枚目には目を繰り抜かれた少女の変死体だった。
その二枚の写真を見るや、湊は口を抑える。
「そ、それが、なんですか?」
「二日前に福嗣町の近くにある山の中で発見された、ある男に殺されたとされている少女の遺体よ。名前は水槌杏子。今日福嗣高校に入学するはずだった……あなたの同級生よ」
「水槌杏子……たしかに彼女はあたしと同じ中学校の同級生でした。でも殺されたなんて――」
湊は思い出すように言う。
「彼女を学校で見かけなかったのはそれが理由だったんでしょうか? 水槌杏子さんとは違うクラスでしたけど、同じ福嗣高校に行くって話を耳にしたことがあったので」
「おそらくね。それから彼女は一週間前から行方不明だったそうよ。そして死亡推定時刻は八日前のこと――」
「行方不明になる以前から……つまり彼女はすでに――」
「殺されていたということになるわ」
「それで、徒槻さんはいったいあたしになにを訊きたいんですか?」
「彼女になにか妙なことはなかったのかを訊きたいのだけど」
「それは無理ですよ。一週間前なんて春休みのあいだでしたから」
湊は苦笑を見せる。
「それから、私はあまり下着には興味がないのだけど、この下着のメーカーがなんなのかわかるかしら?」
湊はもう一度、燈花からブラジャーが撮影された写真を見せてもらう。ブラジャーのタグにはカップとサイズ。その下に『Vierge』と書かれていた。
「えっと、ヴァージェ? いや違うなぁ。ヴァージンだとスペルは『Virgin』になるから」
首をかしげるように湊は唸る。それを見て燈花はあきらめたようにためいきをついた。
「無駄足だったかしら」
「でしょうね。すみません、お役に立てなくて」
湊はそういうと、その場を立ち去る。
「あ、湊さん。お母さんによろしくね」
燈花はそう言うと、湊とは別の方角へと去っていった。
湊は燈花のほうへと振り返り、
「徒槻さんって、ママさんの知り合いだったのかな?」
と首をかしげた。
「目を繰り抜かれた変死体ねぇ」
うしろから声が聞こえ、燈花は立ち止まりそちらへと、頭上へと振り返った。
そこには二人の少女が浮かんでおり、ゆっくりと地上へと降りていく。
一人は十二神将の子神の毘羯羅。もう一人は十二神将の巳神である因達羅であった。
「十二神将の二人が監視なんて、瑠璃さんも心配性ね。湊さんはちゃんと学校に行っていたし、帰路に着いていたわよ」
「それは別に心配してないわ。彼女からお願いされていただけ」
因達羅がそう答えると、燈花はゆっくりと視線を毘羯羅に向ける。
「それよりも今朝のことだけど」
「福嗣駅の前に現れた少年のことね――おそらく摩虎羅が思っている通りだったわ」
毘羯羅は怪訝な表情を見せる。
「彼……普通の人間じゃないわよ」
「やっぱり、あの時上級生から殴りかかられていたのに無事だったのは――」
「なにかしらの力を使ったと思って間違いはないわ。だけど、そうだとしてあの事件と関係があるのかしら?」
毘羯羅は首をかしげるように燈花を見る。
「それはまだわからないわ。あの事故で生き残っていたのはたった二人の子どもだったようだからね」
燈花は福嗣高校の方へと視線を向ける。
「それにしても――」
毘羯羅が頭をかくように混迷とした表情を見せる。
「どうかしたのかしら? 毘羯羅」
「いや……ここ最近妖怪の仕業なんて話を聞いてないし、その事件だって犯人は捕まっているのでしょ?」
そう訊かれ、燈花はちいさくうなずく。
「だけど、その犯人はこう供述しているわ――『すべては神のお導き』だってね。それに証拠不十分で釈放されているわ」
「ふざけたこと言ってるわね。まったく……」
毘羯羅はためいき混じりに言う。
「私たち神仏は、ただ人間を見守るくらいしかしないっての。そりゃぁちょっと口を挟んだりはするけど」
「その事件に関しては、彼からの依頼で引き続き調べるんですね」
因達羅にそう訊かれ、燈花はうなずく。
「警察を信用していないというわけではないけど、決定的な証拠が見つかっていない以上、事件は保留されていることになるからね。だけど……この事件はまだ氷山の一角ですらないかもしれない。この奥底にはまだ私が想像しているよりも悍ましいことが起きている。いや……起きようとしている」
燈花はそう毘羯羅たちに言うと、高山探偵事務所の方へと歩き去っていった。
「この話……、瑠璃さんと彼女たちに連絡したほうがいいかしら?」
「いや今はまだしないほうがいいわね。人間がやったことかもしれないし」
毘羯羅は因達羅の問いかけにそう応える。「それにあの子たちはもう普通に暮したほうがいいのよ」
福嗣駅前のバス停にやってきた湊はジッとバスが来るのを待っていた。
その時、パトカーのサイレンが聞こえ、そちらへと目をやる。
「なんか事件かな」
湊は興味をそちらへと向ける。するとすぐ近くのコンビニでパトカーが停まった。
「湊さま早く帰らないと」
「わかってる。――パパさん来てないかなぁ」
遊火に注意されながらも、湊の足はすでにパトカーの停まった方へと向けられていた。
それを見て、遊火は頭を抱える。
――もう警部補に昇格してるからパトロールするとは思えないんですけどね。
湊が事件が起きている現場にやってくると、すでに人だかりができていた。
その人垣を割って入るように湊は最前列へとやってくる。
「あの、なにかあったんですか?」
「あぁ、なんでも強盗だってよ」
湊が声をかけた老人はそう応える。
コンビニの入り口から長身の男性が、従業員と思わしき女性を人質に取りながら姿を表せる。それを見つけるやいなや一斉に野次馬たちがスマホやガラケーのカメラを向けた。
「おいてめぇ、いったい誰に断りを受けて写真撮ろうとしてんだぁ?」
強盗犯がそう叫ぶやいなや、拳銃を野次馬の一人に向け、発砲した。
「……っ」
湊は、いや野次馬たちはその状況が理解できなかった。
弾丸が野次馬たちのすんでの所で焼け焦げて落ちているのだ。
「――――なっ?」
強盗犯は唖然とする。
「も、もう一発だっ!」
強盗犯はもう一度弾丸を放つ。しかし、その弾丸が焼け焦げて野次馬の前で落ちていく。
「くっ、クソォッ! お前らぁ道を開けろぉっ!」
拳銃を人質のこめかみに突き付ける。
「おらぁ、さっさと退きやがれ……こいつがどうなってもいいのかぁ?」
野次馬たちもさすがに人質が危険な目に遭っていては、犯人の言うとおりにしなければと思い、道を譲ってしまう。
「おい、そこの警察。お前らも手に持ってる拳銃を捨てて、顔を車のほうにこすりつけておけ」
警察官二人は、強盗犯の言う通りに、背中を犯人の方へ向け、顔をパトカーに向ける。
「きゃはっはは、いいなその間抜けな格好」
強盗犯は笑みを浮かべ、拳銃を警察官の一人に向ける。
「死ねや……ファッキンドッグ」
強盗犯の拳銃が火を噴く。
「――ありゃ?」
強盗犯は手に持っていたはずの拳銃に目をやる。
そこには、たしかに拳銃を持っていたはずだ。
しかし今、強盗犯はなにも持っていない。
そうなにも――人質であるコンビニの女性店員すら握っていないのだ。
「いい加減にしねぇとキレるぞ」
声が聞こえ、そちらに目をやる。そこには自分よりもすこし背の低い少年の姿があった。
「お、おうの……くん?」
女性店員がギョッとした表情で少年を見る。
「栗川さん、なんスかこれって、なんか刑事ドラマの撮影中かなんかッスかねぇ? でもカメラもマイクも……俳優の姿もぜんぜん見当たらないんすけど」
場の空気を読まずか、少年は栗川という女性店員と強盗犯に近寄っていく。
「お、おいキミィッ! 犯人に近付くんじゃないっ! 危険だっ!」
警官二人が雅を制止しようとする。
「あ、あの人……っ!」
「今朝上級生にいじめられてた一年生を助けていた……たしか桜野って人」
湊と遊火が目を見開き、少年――桜野雅を一瞥する。
「て、てめぇいったいなにもんだぁ? おい俺の拳銃をどこにやった」
「拳銃……っていうのは、コイツのことかい?」
桜野雅は口角を上げ、手に持った拳銃を見せた。
「なっ? てめぇ返しやがれ」
強盗犯が桜野雅から拳銃を奪い返そうとしたが、桜野雅はその拳銃をうしろの、警察官たちの方へと放り投げた。
「て、てめぇ……殺されてぇのか」
強盗犯が忍ばせていたアーミーナイフを取り出し、桜野雅を威嚇する。しかし当の本人は何事もないかのように平然としていた。
それが更に強盗犯の怒りを買う。
「死んで後悔しろよぉ、ファッキンボーイッ!」
強盗犯はナイフを振り翳し、桜野雅に斬りかかった。
「若雷の荒魂よ……祓いたまへ浄めたまへ」
その一瞬、湊と遊火の目には、桜野雅と強盗犯の間合いに一閃の雷が走ったように見えた。
その雷が消えると同時に、強盗犯の持っていたナイフが地面に落ちる。
「なっ?」
強盗犯は唖然とした表情で桜野雅を見る。
「あんたさぁ、バイトの時間が遅れればその日のバイト代がどれだけ減るか知ってんのかぁ……こっちは入学式の片付けを手伝っていて、バイトに遅れそうだったから急いできたってのに、あんたが妙なことをしてくれてるおかげで、一時間くらい時給が減ってるんだよ」
表情を見せない桜野雅がそうつぶやく。
「い、いったいなにを言って――」
桜野雅の右拳が強盗犯の腹部を一撃する。
「がはぁっ?」
その強烈な一撃に、強盗犯は吐血した。
「地雷の荒魂よ……祓いたまへ浄めたまへ」
強盗犯の身体を喰らうかのように、桜野雅の右手が放電し、強盗犯に放たれる。
強盗犯はその場に倒れ込み、口から煙を吐き出した。
「か、確保っ!」
その一部始終を呆然と見ていた警官たちが一斉に強盗犯を取り押さえる。
「す、すごい……」
湊も遊火に声をかけられるまで呆然と立ち尽くしていた。
「あぁ、これじゃぁ今日のバイトは行かねぇほうがいいなぁ。ほとぼりが冷めるまでどれくらいかかるかわからねぇし」
隣で愚痴にも似たつぶやきが聞こえ、湊はそちらへと目をやる。
そこにはさきほどまで強盗犯と対峙していた桜野雅が困惑した表情で警官たちを見ていた。
「あ、あれ? さっきまで……そこに」
湊はコンビニの手前と桜野雅を交互に見る。
「あれ? お前ってたしか今朝駅の前にいた」
「あ、一年の大宮湊といいます。桜野先輩」
湊はそう声に出すと、桜野雅は困惑した表情で頭のうしろをかいた。
「あれ? なにかおかしいことでも言いましたか?」
「あぁ、ちょっとなぁ。まぁ間違うなっていうほうが無理な話なんだけど……」
桜野雅は自分の学生証を湊に見せた。そこにはたしかに彼の写真と名前が記載されている。
湊はスマホで学生証のQRコードを読み取り、詳しい内容を確認する。
「福嗣高校二年四組、出席番号3番――桜野雅……?」
湊は驚いた表情で学生証と桜野雅を見る。たしかに名前が『お』から始まるなら、出席番号が3番だということも納得がいく。
「オレの苗字ってよく間違えられるんだよ。いちいち注意するのも面倒だから、友達や知り合いからは下の名前で呼んでもらってる。もしオレに声をかける時があったら下の名前で呼んでくれ」
そう言い残すと、桜野雅はその場を、人混みに紛れるように姿を消した。
「み、湊さま、早く帰らないとママさんから怒られますよ」
遊火に声をかけられ、湊はアッとする。
「そ、そうだった。今日ママさんが入学祝いにケーキ焼いて待ってくれてるし、パパさんも仕事を早く切り上げてくれるって約束してくれてるんだった」
湊は今度こそ、バス停に向かい、自宅へと帰っていった。
これが、この奇妙な二人の出会いが、長い組曲の序曲でしかないことに、湊は、いや、桜野雅も、そのことをまだ知る由はなかった。