純文学とファンタジー
アニメ、ゲーム、文学について。
エヴァンゲリオンは、最初の放送のとき、「何このオープニングの速い画面の切り替え」とか思っていた。
ほとんど見ていなかった。
最初の放送の時に見たのは、加持とミサトのラブシーンくらいだったろうか。
コメットさんは素晴らしかった。最終回、王子がメテオさんにぶたれるのがよかった。自分が叱咤激励されているかのように感じたのである。
単純に言えばオタク文化だが、僕はそれを「内面的な文化」と呼んでいる。
もう日本ではほとんどプレイされていないようだが、ウルティマオンラインというゲームも、二〇〇一年ごろは非常に盛況だった。バード(吟遊詩人)のキャラクターを作り、モンスターを同士討ちさせてたくさんのゴールドを稼いでいた。
でも僕はファンタジーをほとんど書かない。純文学ばかりである。
世界文学の最高峰と言われているのはナボコフの「ロリータ」。たしかに変態的な小説なのだが、人生の哀しさを感じさせるところが一級品である。
「ロリータ」(新潮文庫)のあとがきを大江健三郎氏が書いている。小説を書く人にとってロリータは最高の教科書であろう、みたいなことを書いてらっしゃった。
それならこの教科書を最後まで読もう。最初に読んだのは高校時代だ。もう二十年以上前の話である。
お読みくださりありがとうございました。