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DRAK/DUTY  作者: 皐月 悠
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第四章


第四章

 

 佐久間は、ベランダから胸をざわつかせる赤い月を見上げた。

 今の彼女には、人間の生身の体は存在していない。では、幽霊なのかといえば、それとも少し違っていた。

 『んー…何か、嫌な感じがする』

 上手く言葉に出来ないけれど、あの赤い月は苦手だ。

 胸をざわつかせているのが、具体的に何かは分からない。たぶん、心の中でこうしたかったという未練が、あの月を見ていると悪い意味で揺さぶれるから、気持ちが悪くなってしまうのかもしれない。

 どんなに願っても、楽しかったあの学生時代には、戻る事ができない。

 後悔しても、何も生まれてはこない。

 だから、こんな後ろ向きにさせるこの月が嫌いだ。

 ベランダから、部屋の中に戻ると部屋の主はベッドの中で丸まって寝ていた。寝ている間でも、何か強い感情がこみあげてくるのか、すやすやと気持ちよさそうに眠れていない。この人には、私の姿は見えない。視えてはいけないのだろうなと思う。

でも、痛々しくしている姿を見るのが、辛いけれど気になってしまう。

彼女は生きているのだから、幸せになってほしい。

彼女…神崎が、こんな風に後悔しているのは、学生時代のあの事が原因だった。

 

 

【1】


中学校の校舎には、夏の暑い日ざしが朝だというのに、容赦なく照り付けている。木々を揺らして風が吹き、開きっぱなしになっている窓から教室の中にはいりこみカーテンをはためかせている。

まだ、誰もいない教室に一人の少女が本を読んでいた。

漆黒の長い髪を背中ぐらいまで伸ばし、今はその髪を上の方でまとめていて、 その瞳は本に落とされていた。ペラペラと無関心そうにめくっていた手が、ふと、とまった。

そのページにはホワイト・ウルフと大きい字で書かれていて、説明文の右隣には 月夜にてらしだされた神々しく輝いて見える真っ白の狼が描かれている。

狼の穏やかな青い瞳がこっちを見ている。 なにもかも洗い出し、癒してくれるような…見透かされるような瞳に、彼女はそっと触れた。

「何を読んでいるの?」

ビクッと肩を震わせながら、ゆっくり声がした後ろの方に振り向いた。

「なんだ、奈津か…びっくりした」

少女は友人の顔を見ると、心底ほっとしたような口調でそう言う。

校則で染めることが決められているのに、彼女の髪は赤く頬にかかるほどの ショートだ。

制服をある程度ラフに着こなしているこの少女は、如月 奈津。紅い髪は代々の家系の髪の色で生まれつき、染めているわけではないらしい。彼女には弟が一人居る。

「なんだ、とは何よ。何だとは!!」

「だって、いきなり声がしたから…てっきり、出たのかと」

この時間帯は部活で朝練をする人がほとんどで、他にはあまりいない。 それに、さっきまでは誰もいなかった。 ふと彼女の視界に、教室の黒板の上につけられている大きな時計がはいる。

「奈津、部活は?」

「ファイル忘れたから取りにきただけ。まだ、朝練終わってないよ」

そう言いながら奈津は、彼女の後ろの自分の席の机の中をさがす。 ガサコソと音がたつ。本人いわく、机の中には持って帰るのを忘れているだけのプリント類や全教科の教科書やノートがひきめしあっている。

「あれ?確か、ココだと思ったけど」

「本当に机の中にあるの?」

「家になかったから、たぶん」

「鞄の中には?」

「……ない」

少し思い出してから、奈津はきっぱりとした口調でそういう。 昨日、寝る前に友達に貸す予定の本などを入れる時にはなかった。

鞄、机の中、家にはないらしい。 それ以外の場所でありえそうな場所?

確か、昨日、奈津はファイルから楽譜だけとりだして、授業中に暗譜していた。 教師がまわってきてあわてて、ノートの中に隠していたような気がする。 あの教科ってたしか社会の授業だったのを思い出した。

かがんで奈津の机の中を覗き込み、社会のノートをひっぱりだそうとしたら、ノートの上にのっかっていたノート類がいっせいにふってきた。

「佐久間、大丈夫?」

「ごめん。とろうとしたらふってきちゃった」

はいと、社会のノートの中から楽譜を抜き取ってわたす。

「あった! ありがとう佐久間♪」

奈津は佐久間を軽く抱きしめる。

「これで、怒られずにすむ」

ブラスバンド部顧問の菊池先生は、それはもう厳しくて怖いというので有名だ。 怒らせたら最後だ。

「よかったね。でも、早く行かないと、また怒られるよ?」

「…げっ…」

時計を見て確かめると、彼女はそのまま石化する。

「じゃ、またあとでね~」

慌てて佐久間から離れると、そのまま奈津は音楽室に向かって走り始めた。そんな友人を佐久間は笑顔でかるく手をふって見送る。

教室に残された彼女は、散らかった教科書をみて思わずため息をつく。

「で、結局私がコレを片付けるわけね」

 そのままってわけにもいかない。

彼女はしゃがみこんで教書を拾うと机の中にしまう。

スッと誰かの影が、教室のドアの方から近くの床におちた。影の主の少年は、黙って彼女の隣にかがむと、散らばっている教科書を机の中に いれるのを手伝う。人の気配に気づいて見ると、クラスの男子だった。

「一条君」

一条 理希というのがこの少年の名前。 まだ中二で幼さがのこって可愛いと言われているものの、将来は美形の青年になるだろうと感じさせる顔。この中学校で人気が高いのは、言うまでもない。

「あ、ありがとう」

なぜか緊張して声がうわずってしまった。

ニコッと満面の笑みでお礼を言われて、理希はぷいっと顔をそらす。よくみれば、耳まで真っ赤になってしまっているが、佐久間は気づかない。

「別に、お礼言われるまでもねーよ」

理希はあまり顔を見ずに、教科書をひろって机の中に入れるのだが、妙なひっかかりがあってすんなりと入っていかない。

「ん?」

なんだろうと思って、机の中を覗き込む。

「……。なんだ、コレ」

机の中の状況は悲惨としか言いようのない状態。

ファイルにいれもせずにつっこんだだけのプリントはすでに、隅の方がビリビリになってしまっている。このままほっておけば、もっと悲惨な事になる。

佐久間は理希の隣から、机の中を覗き込む。

「やっぱり、片付けるしかないね」

「そうだな」

「でも、助かった。一条君が来てくれて」

今までいれていた教科書やノートを全部椅子の上にひきずりだす。

「そういえば、なんでいつも早く来ているの?」

「……。」

「ネタづくり! 家じゃなくて、学校が不思議とわいてくるんだよ」

「ネタ?って、マンガとか小説とか書いているの?」

「うん」

彼女の瞳はキラキラと輝いた。ぐっと顔を近づける。

「じゃ、今度見せて!」

「いいよ。つまんないかもしれないけど、それでもいいなら」

「やった♪今度、私のも持ってくるね。私もちょっとだけど書いているから」

彼女の子供のようなはしゃぎぶりに、理希は嬉しそうに目を細めて自然に笑む。

「楽しみにしている」

「文下手かもしれないけど、いい?」

「いいって、俺も下手だし」

「じゃ、持って来たら渡すね」

プリント類を分けていると、何か小さい黄色い紙がひらっと空気をまって床におちる。

拾って見ると、その紙には昨日の日付とB定食とで書く印刷されている食券だった。

「あー、やっぱり。もう、ココにあったんじゃん、奈津!!」

「なぁ、サクマ。昨日ギリギリになって食堂に来ていたの」

「奈津の食券探していた」

「いろいろと大変だな、佐久間」

コクッとうなだれるように、彼女は頷いた。この時ばかりは、彼女のおおざっぱな性格をどうにかしてほしいと切に願った。

「おーッス!!」

元気な少年の声が教室のドアのあたりから聞こえる。 ただでさえ、この少年の声は大きくて元気がいい。悪く言えば、ありあまる元気を声にだしているような、短めに切ったショートの陽気な性格の少年だ。

「石田、おはよー」

「おう、佐久間」

ぐっと身をのりだすと、彼は勝手に話始める。

「聞いてくれよ!俺の仕入れた情報によると、なんと…」

このままほっとけば、最低十分はつきあうはめになる。 そのへんのところは、さすがに小学校からの長い付き合いなので分かっている。理希は、その場から離れようとするが、それを彼が見逃すはずがない。ガシッと理希の首元をつかむとひきずり戻す。

「理希?人の話は最後まで聞こうって言われているだろ?」

「俺はそんな話聞きたくもない」

「最近の若者は人の話を聞けなくてダメだね」

「お前の話は、押し売りだろうが!!」

「まぁまぁ、そうイライラせんと、カルシウムとらないとダメだぞ?」

「うるさくさせいるのは、てめーだ!!アキラ!!!」

そんな二人を見て、佐久間はクスクスと笑ってしまう。

「それで、なんの話なの?」

「お、そうそう、あの三人組の怪盗から予告状が届いて、今夜十二時に藤崎先生の家に 『幸せを呼ぶ、白き狼』っていう美術品があるんだけど、ソレを盗むらしい」

アキラは、どうだすごいだろうとでも言いたそうな口調で言う。

「『白き狼』?」

「『白き狼』ってのは、水晶で作られた狼の像なんだ。ただ…ちょっと、この像にはいわくがある」

「いわく?なんかべただな」

「今までもそうだけど、あの三人組みはこういう物ばかり盗む。それも、いわくとされているものは本当に起こったもの。昔から美術品には、魔法と呼ばれている『力』が宿っているものがある。魔法っていうのは 本来、誰にでもある力だけど、使える人ってなると数が少ない。使い方を知らないだけだけどね」

「それが、いわくとどうつながるの?」

彼女は眉をひそめる。

「この魔法と呼ばれている力は、本来、善悪ないただの影響力をもっているだけのもの。使う人によって、使い方も変わる。人のために使う人もいれば・・・人の死に使う人もいる」

その話を聞いた佐久間は突然頭痛がして、辛そうに眉をひそめる。

また、あの懐かしいような不思議な感覚が全身に広がっていった。穏やかなものではなく、つらいことを思い出したような痛み、 ある映像が彼女の脳裏をよぎっていく。


真っ暗な空間。 怖いくらいに、気が狂いそうなほどの、闇。

紅い水が水面におちる。

血のように赤い水面に、同じく紅い水が落ちることで、ミルククラウンができ、波紋が ひろがってゆく。いつのまにか、暗かった闇がはれてゆく。 闇がはれていくとともに、赤い水がとびちっていく。

そこは廃ビルの一室。 窓は、上のほうに一つだけ小さいのがついている密室。光がさしこんで何か大きい獣がうずくまっているのが見える。うづくまっていて獣の顔がよく見えないが、泣いているような気がした。

やがて何かに気づいて顔を上げた。

その瞳はきれいな海のような穏やかさをもっている。 獣の寂しそうに微笑みを浮かべて、口を開ける。

『やっと、見つけたね。佐久間……』

口が動いているので、何事か言っているのは分かるが風の音でかきけされて 聞こえない。


「まぁ、黒魔術と白魔術ってわかれているけどな。で、強い思いがこもった魔法がやっかいだ」

「ふとしたきっかけで、『魔法』は『呪い』に変わってしまう」

すごく当たり前の事を言うように、感情がこもっていない冷たい口調で彼女は答えた。

「佐久間、なんで知っているんだ?」

理希の声で、完全にサクマの意識がもどった。

分からない。なんなのだろう。さっきのあの獣も、一体、なんなのだろうか。

「……。分からない」

でも、アレは怖い。

思い浮かべるたけで悪寒が走り、鳥肌がいっせいに走ってしまうほどだ。 彼女の様子を横目で見た彼は浅くため息をはく。

「座っとけ、佐久間」

理希はぽんと頭に軽く置くように撫でる。 リュックを時分の席に少し乱暴に置くと、彼は椅子によりかかる。

「どうせ、コイツの話はまだまだ続くだろうからな」

「なんだ、その聞きたくないけど、聞いてやるって態度は!!あのなぁ、『dark angel』の話だぞ!」

「俺には関係ない。たかが、コソ泥だろ?なんで世間が騒いでいるのか分からない。泥棒は、日本中にいるって」

「理希~、俺が、寝る間もおしんで調べたっていうのに、 無駄話ですませる気か?」

無駄話ですませてしまったら、彼はウソ泣きで号泣するしご機嫌を戻すのが大変だ。

「アキラ、俺が悪かった」

「じゃ、聞いてくれるよな」

ぱっとアキラが人なつっこい笑顔を浮かべた。 返事のかわりに理希はため息で応じる。

「彼ら三人は、いわくつきのものを集めている。それはなぜか?そういうのに 対処する組織があるからだ。そして、組織に属する者たちは……」

そこでいったん言葉をきる。 アキラは真剣な表情を浮かべる。

「今では、失われてしまった強い『魔力』をもっていて、自由に操られる者。つまり、魔物や魔物の血が混ざって居る者」

視線をおとし、自分の左手を見る。 小さい何かの模様の痣が、にぶく輝く。

「彼らの仕事は、強い『力』があるがゆえに、人に害をなすものや危ないと判断したものをコワスこと。 集めているのは、そういう危険なものを封印、もしくは消してしまい・・・人を守るためにコロスこと」

手に力をいれて握りしめた。血がでてきてしまいそうなほどに強く。

「『力』の覚醒がまだだったとしても・・・危険だと判断されたら、コロシテしまうってことだ」

反応して彼女の体が震えて、ぞくっと悪寒が背中を駆け上っていく。

後ろに別の気配を感じる。大きな人以外のものの気配。 霧が集まるように空間から音もなく抜き出る。白い獣は睨んでいる少年―アキラと目があうと、口元を人間が笑うようにニヤとゆがめる。 口の端を浮かべたたけの笑み。

『ふん、たかが、半分血がまざっただけのお前ごときが、この俺をとめられるのか?』

それだけ言うと、また、音もなく獣は姿を消した。いなくなってしばらくはそのまま、獣がいた空間を、目を細めて見ていた。


【2】


開きっぱなしの窓から風が入ってくる。

何かが変だと感じる風だった。まるで、何かの異変を知らせるかのように心臓が大きく鼓動する。真っ暗な闇のそこから冷たさがはいあがってくる。

気持ち悪い。

一瞬見えたのは、黒髪の青年の瞳が狼のように深い緑色の瞳だった。空間にガラスの破片がとびちるように透明な破片がふりそそいだ。

「…誰?」

その問いに答える声はなかった。


その頃。

屋上では、風が吹き理季と青髪の少女の前髪をなでていく。

「?」

木々が揺れていなかった。

少し離れたところにいる数人の同級生は、この風に気づいていない。空気がしだいに理季たちをかこむようにあつまってきて、あれる。

しだいに一つの場所に円をえがくようにまわり始めた。血の気が一気にひいていく。がくがくと身体が震え始めた。頭の中で危険だと何かが警報を発している。

「……ッ」

「綾!」

体重をささえられずに、ふらっと彼女は前に倒れそうになる彼女を理季が片手でうけとめる。

『邪魔は、させない』

低い少年の声が聞こえて、理季はその少年を睨みつける。

『気を失っているだけ。何をあわてているの?』

完全にぶちきれた理季は、少年の胸倉をつかみとり思い切り殴る。殴られて後ろに倒れた少年の口の端がきれて血がにじみでている。

『…』

驚いたかのように少年は目を見開く。

少年の身体は、半透明の姿で向こうにある景色すけて見えている。

「……お前」

『そう、幽霊。誰にも邪魔はさせない。』

そう少年が言った瞬間に少年が抱え込んでいたものすべてが脳裏に映像として一気になだれこんでくる。


いつもの教室の光景。

冷たいクラスメイトの視線、あざけりの声。

偶然耳にした言葉。

『ほら、私って優しいから~。本人に言えないんだよね~』

何がだ。本人に言えないのは、言う勇気がないだけ。

『優しいね~』

なんて頷いている友達。知らないとでも、聞こえないとでも?

だとしたら、吐き気すらしてくる。わざと聞こえるように言っているくせに。

反応をみて楽しんでいるだけなのだろ?

僕が来ると口をつぐむ。

コソコソと笑いながら、話はじめる。

幻聴? じゃあ、名指しの言葉はなんのため?

心がしだいに冷えていく。

そして、あの日。

冷めた目が気に入らないと数人の男子生徒に呼び出された。黙ってきいていると、なぐりかかってくる。

『その目が気にいらねーんだよ!』

僕の身体は屋上の柵をこえて…地面に落下した。

黒と白で飾られた部屋。

スーツを着た担任。制服を着た全校生徒。沈黙が支配する中、心の声が響く。

『学校のイメージが。なんでこんなバカなことを…!』

自分の保身。

『バカだよな。なにもそこまで』

何が分かる。

『自殺なんて』

自殺?違う、僕は殺された。自殺なんかじゃなく、やつらが。

『目撃者が誰もいなかったそうよ。かわいそうに』

目撃者? あいつらがそうだ! なんで、みんな疑わない!!

『自殺だって流して正解だったな』

『ウワサが事実になる。ウソもほんとで、ほんとがウソ』

隠された事実は、伝えることができない。犯人はアイツらなのだと。証拠がなければ、ダメなのだというのなら証人でもなってやる。もしくは…。


そこで、映像が途切れた。理季はすっと苦しげに目を細める。

何もいえなかった。言う事などできなかった。

「ごめんね」

かすれた少女の声がする。声のした方に視線を向ければ、佐久間がそこに立って泣いていた。

「気づいていないふりをして、見えてないふりして…ごめん」

佐久間は、彼から視線をそらすようなことはしなかった。バカみたいだと自分で思う。こんなことしかいえない。どれも、偽善の言葉のような感じで、自分の言葉として相手に言えるのはこんな簡単な言葉しかうかんでこないから。

『綺麗な人だね、キミは。泣かないで。悲しんでくれるのは嬉しいけど。事実を伝えられれば、僕は…それでいいから』

寂しげに少年が笑うと、少年の身体をあたたかい光が包み込む。

『やっと、いける』

満面の笑みを佐久間に向けた。

『ありがとう』

その声をのこして少年は消えた。

「そんなにきれいな人間なんかじゃない」

悲鳴のような声で彼女は言い、泣き崩れ落ちる。

「佐久間」

泣いている彼女が痛々しくて、理季はそっと声をかけると、顔を上げて理季の方に振向くと涙で潤んだ瞳と視線があう。

自分をおさえて泣けなくなったのは、いつから?

感情を隠すことを知らないのが子供で、耐えて笑顔を浮かべ、心で泣くのが大人?

中学生なんて、まわりの大人からみれば子供だと言う。人間の心の闇をみせつけられて、傷つくという現実を知っているのに、知らないという大人。現実をみていないのは、どっち?

「…佐久間?」

綾が心配そうに彼女をのぞきこむ。

「何があったの?」

「……さっきね」


一枚の透明な白い羽が、穏やかな風に吹かれて空高く舞い上がった……。


【3】


汚れのない穢れのない真っ白な羽が空高く上っていく。

風にのってその羽は学校の屋上へと続く階段に座っている一人の少年の下に舞い降りる。赤い髪を肩につくぐらいまでにのばしたショッートカットで琥珀色の瞳をしている少年はふわっと手のひらで受け止めた。

目をすっと細める。

「…よかったな」

ささやくような優しい声とどこか寂しさをたたえた瞳は、ココではなく遠くを見つめている。脳裏によぎる映像と、心の本音。

「俺は、救われないから」

組織に所属するものとして、手を汚してきた。

そうする事がいいのだと言い聞かせられ、それでも納得のいかないものをたくさん抱えて、今、その心の闇は大きすぎて誰かにうちあけることすら難しい。苦しみから解放されることもなく、ずっとずっと抱き続けてきた。

「俺を、ここから救いだしてくれる人はいるのかな?」

風が優しく少年の髪を撫でていく。

 

放課後。

「あぁ、つまんない」

中学校の演劇部の部室である視聴覚室から、栗色の髪を頬にかかるまで伸ばした少女、陸のがっかりした声が響く。視聴覚室に教室と同じように並べられた椅子に座って、陸は机に肘をついてふくれる。彼女の視線の先には、部室の床に衣装というゴスロリの服が置かれていた。

「せっかく、佐久間で遊べると思っていたのに」

「陸、あんたね…あんたのオモチャじゃないでしょうが」

友人のその様子を見ていた綾は、呆れてため息まじりに言う。しかし、こういったところでまったく無駄である。

「そんなの、決まっているじゃない♪」

にっこりと笑みを浮かべる。

「はいはい、聞かなくても分かっています」

ドアをゆっくり開けて、申し訳なさそうな表情を浮かべた佐久間は、視聴覚室に入ってきた。

「遅くなって、ごめん…」

「佐久間♪」

主人にだきつく犬のごとく、陸は佐久間に抱きついた。

「……あつい。離れて」

「ヤだ」

陸をひきはなそうとするが、なかなか離れてくれない。そのままバランスを崩した二人は床にころがる。

「いった。陸、大丈夫?」

痛む頭をおさえて起き上がると陸の顔のどアップがあった。

あわてて顔をそらすと、上にのっているかたちになっている陸はおもむろに押し倒して手をのばして、彼女の服のボタンをぷちぷちと脱がし始める。

「なにしているの?」

「なにって、服を脱がしています」

「?」

「こうでもしなきゃ。アレ、着てくれないでしょ?」

陸の指さした視線の先には、ゴスノリのドレス。

「…嫌、ふりふりの服苦手~。絶対着たくない~!!」

「うるさいな…」

動揺している彼女を見て、陸はかすかに顔をしかめると、意地の悪い笑みを浮かべる。

「おとなしくしないと、首にキスするゾ」

ぴたっと佐久間は暴れるのをやめた。

「別に嫌じゃないし?」

「相手の嫌がる事してどうするのよ」

首元をひっぱり、綾は佐久間からひきはなす。

「…ごめん」

陸は、自分の佐久間にたいする気持ちには気づいていた。

ただ、伝える気はなかった。できることなら、ずっと傍にいたい。もしも、いつの日か、彼女がどこか遠くに行ってしまったら…その時には、壊れてしまうかもしれない。


高校生になった頃、神崎とは別のクラスにいた陸と佐久間と仲良くなった。たまたま体育の時間が合同の授業だったのがきっかけ。

それまで、ある事情で一年留年していた彼女の周りには親しく話す友人も少なく、自分からも話しかけられずにいた。

彼女達二人はそんな頃、笑顔でよく話しかけてくれた。

そのうち、興味がわいた。

彼女達のグループとも最初はぎこちなかったが、話していくうちに馴染みふざけあえるようになる。そんな昼休み。

「ね、佐久間。好きな人できた?」

笑顔で、茶髪でショートの陸が黒髪のロングの佐久間に聞いた。

気になって視線を向けると、彼女は紅くなっていて、他にお弁当を食べていた友人達はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。目は獲物を狙う猫。いわく、聞きだすまではなされない。そんな空気に、神崎はおとなしく弁当を一口放り込む。

「そういえば、最近、紫色の髪の少年と紅い髪の少年の三人でゲーセンにいるところを見かけた情報があった」

ほれと、三人が写っている写真を彼女の前に突き出す。冷や汗を流して陸以外の友人に佐久間は助けを求める。が、誰も視線をあわせない。

「ふーん」

 陸は面白そうに彼女に抱きつき、耳元に口をよせた。

「で、どっち?」

「さぁ?」

「正直に言わないと、襲うよ?」

 本当にする気がないのは、ここにいる全員が知っている。

目が半分だけマジなのを確認すると、下手にごまかすのは、やめたようだ。

「恋の好きじゃない、まだ」


あ、バカ…。


その場にいた全員がそう思った。

まだ、ということは、これからはあるというわけで。

 自覚はないが好きかもしれない。そんな心情を告白するようなもの。それに、陸が気づかないはずがない。彼女は驚いたが、それ以上は聞かなかった。

「そう」

そう明るく言うと佐久間から離れた。

「美咲はさ、好きな人がいたとしてその人には別に好きな人がいるとしたら、自分はいつまでこの人の傍にいられて何人の恋人ができて別れていくのを見守ることができるんだろうって思ったことある?」

誰の事を言っているのかはすぐに分かってしまう。陸にとってそう想える人は佐久間だけだから。陸は佐久間のことが好き。その事実は全員知っている。

佐久間のことを好きな一条という男子には、今日は私の方が長く傍にいれたとかしょうもない自慢大会をしている。それに本気で応戦する彼も彼だと思うが、陸は笑顔で接していて、そんな事を思っているとは感じた事がなかった。

「いつかはさ、傍から離れなきゃいけないときがくると思う。それがどんなときかは分からない。自分が恋人になれたらいいけど…難しいよね。自分とは周りとは違うというだけで好奇の視線を向ける世の中だから、面白半分に気持ちを扱われて傷つくことだってあるから」

「……伝えないの?」

「何回もスキって言っている」

「そうじゃなくて!」

「僕はさ、付き合っている人がいるからって諦める事はできないけど、無理に自分のモノにしらいとも思わない。それは、佐久間が望まない」

「…だけど」

「結局ね、僕は今のこの居場所がなくなるのが怖い。だから、動けない。本当にそうしたいのなら、今の友達という居場所を失っても行動しないとね」

「美咲はさ。まず、動くべきだよ。自分はどうしたいのか」

彼女の後ろ姿がまぶしくて、視線をそらす。

自分で自分を受け入れられない。自分で感情を否定しても誰も受け入れることなんてできない。そう思ったら、心が軽くなった。


その夜、夜中に電話が鳴った。

佐久間の母がかけてきてくれた。

電話で伝えられたことが信じられない。

さっきまで、学校で話していた。

さっきまで、普通にまた明日と別れた。


その日、佐久間が亡くなった。

そして、陸も亡くなった。


警察の話では二人とも自殺だということだった。

何度も呼んだ。何度も冷たくなった身体をゆさぶった。

 

 そして、それから数年たった今でも、神崎はこの時の痛みから完全に、立ち直る事ができずにいた。

 

『いい人、見つけなさいよ』

 

 佐久間は神崎にそうささやくと、部屋の中から姿を消した。

 

【4】


力と言うものは、ときとして代償を求めるという。

何かを得るには、同等のあるいはそれよりも上の対価を支払わなければならない。

無からはなにも生まれやしない。生むには、もとになる「何か」が必要だった。

「何か」は身近でたとえるのなら、努力や勉強や練習。言霊で人をはげますということがあって、はじめて奇跡とか偶然が望みを叶える。

もしも、楽をして力を得たと錯覚している者がいるのならば、その「力」は、あなたを

狂わす狂気にかりたて、やがてあなた自身をもむさぼり食らうだろう。その裏にある痛みを知らないのであれば、あなたは知らないうちに、傷つきボロボロになってはじめて気づくのだろう。


黒髪の青年の瞳に、切なげな悲しみがうつりこむ。

もともと、魔力には二つある。

黒魔術と白魔術。

根本的に違うのは、力を借りてくる主が『神』と呼ばれるものなのか、それとも『悪魔』と呼ばれるものなのかで大きく違う。魔術自体は、ものごとに影響をおよばす影響力だというのなら、人を明るくさせるのが白魔術で自分の欲から力を使うのが黒魔術。


約千年前。

堕天使とされた一人の青年がおとした「力」は、黒くそまっていて、その力のカケラは、霊感の強い一族のものにたどりつく。黒い獣の姿をした力は、ゆっくりと目の前の青年に語りかける。

『もしも、肉体がほろびても生き続けたいか?』

愛しい人が死んでしまった霊感の強い一族の青年は声に頷く。

『ならば、そのひきかえに、お前の大切な者ができたら、お前の中でのその人の存在をもらう』

『あぁ、好きにしろ』

『契約成立だな。これで、お前は『生き』続ける。何度生まれ変わって、肉体が滅びても『記憶』だけは抱き続ける』


にやりと黒いケダモノは笑う。

身体のないそのケダモノは身体が欲しかった。

そして、一つはその青年に。

もう一つは、美術品の中にうめこませた。もう目覚めることのないように、堕天使の青年は細工をした。

神野は目を開けて、赤い月を見上げる。


「……完全な目覚めではないのが救いだな」


今ならば、まだ、怪盗の仕事をしてくれているアイツが、現物をうまく盗みだしてくれるだろう。

いつ、黒いケダモノが暴れたとしてもおかしくはない。その昔に行われた契約があるのだと彼らも伝えなくてはいけない。

 神野は深くため息を吐き出した。


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