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DRAK/DUTY  作者: 皐月 悠
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第三章


第三章


 眠りから覚めると、今が何時なのか分からなくなる。寝起きの時にはいつも時間間隔がが、なくなってしまう。時計を見れば、まだ、夜中の三時頃だった。

 洗面所で顔を洗って、自分の顔を覗き込む。

 時間間隔がないのは、俺が人間ではなくて、ずっと昔にこの人間のいる世界に来たからかもしれない。黒髪の前髪が水に濡れて、いつもより長く見えた。その隙間かから覗く瞳はひどく疲れていて、苦笑を浮かべた。

 向こうでの自分の名前は、シェノス。今の自分の名前は神野という。

 そのままベタンダに行き、夜空を見上げると胸をざわつかせる赤い月が輝いている。

 

 どうして、俺がココに居るのか?

 

 それは、人間の世界で言う1000年前の出来事が、原因だった。

 

 【1】

 

それは、気が遠くなるほどの昔の出来事だった。

まだ、俺…シェノスが『堕ちる』前の天使で人間界に居なかった頃の昔で、人間の時間で言う1200年前に、怪盗の仕事で入った皇族の家で、一人の少女に出会った。

その出会いは偶然だとは思えない程に、一瞬で恋に落ちてしまい…どうしようもないくらい、好きになっていた。


カタンッ


「―――ッ」

クラインスター家という皇族の神殿のように大きく白い石でつくられた屋敷の一室。

小さな音が聞こえ、部屋の主の少女は暗闇の中、ドアをドアの隙間からもれてくる月光が、くっきりと小柄な人影が照らし出すのを見てしまった。

彼女が驚き、幼さの残る小さい口が開きかける。それを見て、俺はその口を手で覆った。

 「声を、だすな」

 何度も頷くのを見て、手をはずす。

「貴方は、誰?」

高く透き通るような声が冷たい空気に響いた。

栗色のしなやかで長い髪は背中におち、まっすぐで綺麗な瞳に俺の姿が写りこむ。

「俺は、シェノス」

「シェノス?」

彼女はたどたどしく俺の名前を繰り返した。

「あの怪盗の?」

「あぁ」

俺の親父も、俺も黒髪で何かあれば『あの悪魔との間の子』と、特に皇族は俺らのことを嫌っている。なのに、名前を呼ぶのもどこか懐かしい感じがする。

「侵入者がいるぞ!」

「まだ、近くにいるはずだ」

「探せ!」

家に侵入したのが気づかれてしまったらしく、騒がしく家の人の声が聞こえはじめてきた。逃げなければ、捕まってしまうのが分かっているのに、なぜか、ぎりぎりまでここに居たくなり、女の頭にポンポンと撫でるように手を置いた。

「危ないから、夜で歩くのは気をつけろよ。じゃあな・・・」

自分でも気が付かないうちに自然な笑みを浮かべ、そのまま立ち去ろうと歩き出す。

「待って!」

服をかるくひっぱられて振り向くと、すがりつくような視線とぶつかってしまった。

「また、会える?」

俺は苦笑を浮かべた。

「……、会えるよ」

「そう、よかった」

彼女は安心したかのような笑顔を浮かべている。俺はそんな彼女に笑みを返すと、その場から後ろを振り返らずに窓まで走った。

「シーラ、無事だったのか!」

飛び越えて外に逃げ出すと、大きな石作りの神殿のような建物を見上げた。彼女の部屋から家族が呼ぶ声が聞こえてくる。

「…シーラ?」

懐かしい名前だった。

小さい頃、あたたかくて大きい手のひらで撫でられながら、銀髪の女性の声が愛しそうに誰かの名前を呼ぶ光景がよぎる。その女性が誰なのかは知らない。だが、この人は俺の名前も呼んでいた。


この時、お互いの事は何も知らなかった。

彼女の家の事情も、俺の事も、他の事も。

もしも、運命というものがあるのなら、彼女との出会いも初めから決められたものだったのだろう。


【2】


ある日突然、親父は行方不明になった。

その時の記憶が脳裏にこびりついて離れてくれない。

あわただしく家のドアが蹴破られ、数人の銀髪の大人が親父をつかみあげ殴った。

「ソル、貴様は何をしたのか分かっているのか!」

大人たちは、何も言わない親父に舌うちをした。

かすかな苦痛に口元を歪ませても、琥珀色の獣のように鋭い瞳から意思がゆらぐことがない。

「俺は、あの「力」なんて関係なく彼女を愛して身をひいた。たかが、あんな力などほしければくれてやる!」

「ほしくはないのか!? あれさえあれば…」

クっとおかしそうに親父は喉をならす。

「なんでも叶う万能でしかも、楽に手にできる力など諸刃の剣。何かをえるのは何かを払う。大切なものが代償になるのなら、 そんな「力」はいらない。あるべきところにかえるべきだ」


その後すぐだった。

親父が人間界に落とされて、事実は闇にかくれてしまった。



深夜。できれば忘れてしまいたい過去の夢を見たせいか、寝返りをうっても寝付けない。こんな夜は、もう眠れないだろう。

起き上がると、俺は彼女の家に急いだ。屋敷の中に忍びこみ、足音を消して歩く。

考えてみれば、彼女の部屋さえ知らないのにどうやって会うつもりだ、俺は。

苦笑を浮かべた。


「誰?」

小さく問う女性の声に、視線を向けると、彼女によく似た顔たちのショートカットの少女が俺を見ていた。

「シェノス?」

「……」

「アンタが、シェノスなのね」

つかつかと歩いて来ると、彼女は腕をつかむとそのままどこかに向かって歩き始める。

「……どうして、今日なのよ」

「何かあるのか?」

「あの子の、姉の誕生日」

立ち止まると、振向き俺を睨みつける。

「本気じゃないのなら、突き放して」

「……」

何も言えなくなってしまう。本気でないのなら、突き放してほしいと言われてしまう心あたりは、残念ながらある。それに、本気なのか、自分でもよく分からない。

「会いたい、彼女に」

「貴方は、あの人の…」

そこまで言うと、目の前の少女は口ごもる。

「いや、なんでもない」

何か言いかけて、そのまま飲み込む。少女は視線を逸らすと、指で部屋のドアを指し示す。うつむいていたため、俺から表情が見えない。

「ココが、彼女の部屋」

「…ありがとう」

そう言い、彼女の部屋に入って行く。

それから、何度か、俺は彼女に会いに屋敷に忍び込む様になっていた。

いつものように、いきつけの酒場で俺の話を聞いていた弟のシルクは、バンッと音をたてて立ち上がった。

いきなり立ち上がった彼に、他の客は不審そうな視線を彼に向ける。いくぶん彼は声をおとして、カウンターの席に座った。

「クラインスター家の人間を好きになって、付き合いたいって…冗談でしょ?」

クラインスター家は、代々皇族の血を受け継ぐ一族だ。 たいして俺は親の顔も知らない、怪盗家業をしている。身分違いで冗談だと思われるのはもっともだ。 カラッと氷の入ったコップをテーブルの上におくと、正面からシルクを見つめる。

「俺は、本気だ」

真剣な表情を浮かべている彼に何も言い返すことができずに、視線を逸らして一気に残りの酒を飲み干した。

「…頭の固い貴族連中が黙っているとは思えないよ」

「黙らせればいい、たたけばいくらでもホコリがでてくるさ。それに…シーラを他の男にとられたくはない」

「珍しい、女をコロコロ変えている兄貴がそこまで言うなんて」

クスクス笑いながら彼は、俺の人差し指を軽くつついた。

「この指輪、彼女からもらったの?」

「……」

俺は黙秘をして冷静を装っているつもりだったが、それがかえって逆効果になったようだ。 キラッと彼の瞳が恋話好きな女みたいに光る。

「顔が真っ赤って事は、図星?コレどうみても女もの指輪だしぃ。兄貴の誕生日は昨日だったよね?」

からかい口調で小突いてくる弟は、相当お酒が回っているみたいで、呂律が時々回らなくなってきている。

「兄貴の事なんておみとうしなの! あ、ソレ俺のー」

 飲み過ぎと判断して、年上の俺が彼の酒の入ったコップを取り上げる。

「ダメ。酔いつぶれたお前を誰が送ると思っている?マスター、ウーロン茶いれてください」

マスターにウーロン茶を頼んだ。酔ってきている彼を見ると、マスターはクスッと笑いながらすぐに用意してコップに注いでくれた。

「はい」

「――――ちぇ」

カランとドアについている涼しい鐘の音がして、二人つれの女の人がはいってきたのを シルクは横目で確認して目を細め、コップに口をつける。

「なぁ、正直なところ彼女とどこまでいった?」

ゴフッ

 飲み物が気管支の方にはいってむせてしまった。

ガッターンと音をたてて、シルクの隣に座ろうとしていた女性が何もないのによろけてこけてしまい、付き添いの人があわてて立たせて座らせた。

シルクはどういうわけか、いたずらっ子のような瞳で視線を隣に座った人に向ける。

「キミ、大丈夫?」

「だ、だだ、大丈夫です」

隣に座っている人はなぜだが激しく動揺して、それを隠そうと前においてあったコップを 一気に飲み干す。

「それにしても、いきなり何…」

シルクの隣に座って少女はバタとうつぶせに倒れた。 付き添いの人が揺さぶって声をかけているのがまったく反応がない。彼女の傍に置いてあるコップの近くにいくとアルコールのキツイ匂いがする。 結構強いお酒がはいっていたようだ。

「おい!」

そう言って肩を叩くとかすかな反応があったけど、顔を近づけると規則正しい寝息が聞こえてくる。 ほっと安心すると彼女をおんぶしてマスターに声をかける。

「マスター、いつもの部屋の鍵ください」

「ほらよ」

ぱしっと片手で鍵を受け取る。

「あ、シルク、そこで待っていろよ?それからそこの人。たぶん、つれて帰るのが無理だからちょっと 寝かしてくる」

それだけ言うと、俺はいつもシルクが酔っぱらって帰れないときに寝かしてもらっている部屋に向かった。

残された三人がニヤっと小悪魔のような笑みを浮かべていた事実を後になって知ったのだった。


部屋のドアを開けて中に入ると、パタンと音がして閉まる。ベッドの代わりになるソファーと毛布が一枚だけあって、窓は小さいものが一つしか付いていない。 壁際の隅の方にあるソファーに彼女をおろして寝かせて、少し口を開けてスースー規則正しい寝息を たてている彼女に、毛布をかける。

「…ん…」

寝言を言いながら寝返りをうちそうになったので、かけている眼鏡をおこさないようにそっとはずす。パサッと黒髪のショートのカツラがずれておちた。銀髪がさらっとおちてくる。

「え、シーラ!?」

ドキドキと早鐘を打ち始めた心臓をなんとか静まらせようとするけど、無理だった。というより、アルコールがはいった状態で、この環境にいる事が非常に理性の危機を感じているので、部屋から出ようとドアノブに手をかけてひいてみると、カギがかかってしまっているのか開かない。

ドンドンと軽く拳を叩きつける。

「開けろ! 誰か、そこにいるだろ!?」

「告白しちまえば?」

「……シルク、お前には言われたくない」

「なら、とっととお姉ちゃんに気持ち言ってよ!見ていてじれったいのよ」

「その声は、シェリー…?」

「そうよ。まぁ、そんなわけで、ココしばらく開けないから頑張りなさいよね」

 「いいですね、青春って。この2人に協力する事にしました。また、後で開けに来ますから」

 「マスターまで?」

コツコツと3人分の靴音が空しく遠ざかっていく。

「な、待ちやがれ、てめーら!……ココから出せ!!」


こうして、俺はこの後出してくれるまでの数時間、すやすや寝ている彼女の横で疲れ切って眠ってしまっていたところを起こされた。意識がはっきりしてきた頃、シルクとシェリー、それとマスターの3人について、たっぷり、しめてやった。

『ほら、常連のお客さんですから協力しないとねー』

マスターにニヤニヤ笑いながらそう言われたが、言葉のままの意味ではない。訳すのなら、『そんな面白いことを見逃すはずがないでしょう?』 だろう。


「ねぇねぇ、シェノス」

いつものように彼女の部屋に寄ったら、笑顔を浮かべて俺の方によってきた。

「また、お酒飲みに行こうよ」

「―――ッ」

この前の事が頭の中をよぎっていって、一瞬で顔が赤くなるのが分かる。

「何、赤くなっているの?」

「…なんでもない。お前と飲むのは遠慮しておく…」

「なんで?」

  そういう彼女を、目を細めて見る。

よくない。この前、彼女が起きるまでの間は地獄だった。

一番聞きたくないときに限って、隣の部屋でいちゃつき始めたバカップルの声が聞こえてくるわ。

起きたら起きたで脱ぎ始めようとするわ。

チロッと彼女の方を見ると、今も彼女はすねているようで、頬をかるくふくらませた。

はぁと浅くため息を吐く。

「……今度、な」

「うん」

彼女は満面の笑みで頷いた。


【3】


ネジをまいて、木の箱を開けると金属のすんだ音が聞こえてくる。明るく元気になってくるようで、それでいてどこかせつないメロディー。

「兄貴、それ誰にもらったの?」

俺は軽く首を横に振ってみせる。

「コレ(指輪)のかわりにシーラにあげようかと思って」

「つくった? 兄貴が?」

シルクはおおげさに驚きをジェスチャーで表現した後、よろよろとわざとよろける。

「明日は嵐?それとも台風??どっちにしたって何かが起こる」

「……おい」

「だって、この俺様な兄貴が本気で人を好きになって、こんな綺麗な曲まで作れるなんてありえない」

「……」

「アレ、これって…」

机の上に散らばった紙を見つけて、手を伸ばそうとしたシルクより先にとって机の引き出しにしまう。開けられないように、前に立って塞いだ。

「見てもつまらないから」

「……ふ~ん。いいよ、別に。もう勝手に読ませてもらったから。兄貴って意外と詩人だねぇ。 そいや、はいコレ。手紙…兄貴に渡してくれってさ」

受け取って見ると、その手紙の文字は女が書いたものだった。 全部読み終わってから折りたたんでゴミ箱に捨てる。

「少し出かけてくる。すぐに戻って来ると思うけど、彼女が来たら適当に言ってひきとめといて」

「わかった」

俺は彼女と会う前はよく行っていた、あの家にある場所に向かって歩き始めた。家に着くと手紙の主はドアを開けて、笑顔で俺を向かえた。

「来て、くれたの?」

「あぁ」

「中、はいってくれないかな」

「お邪魔します」

ココに来るのも今日で最後だ。この人に会うのも終わりにするつもりでここに来た。

家の中に入ろうとすると、その人はいきなり振り返って唇を重ねてきた。 狭い玄関というのとあまりにも不意打ちで、よけることができなかった。

「……シェノス……」

凍りついたかのような声が後ろから聞こえてきた。体中の血が一気にひいて手足の先が寒い。体すべてが凍ってしまいそうになり、ドクっと心臓が波打った。振り返るのが怖い。 聞きなれた彼女の声を聞き間違えるはずもない。

「こんなところで、何をしているの…?」

振り返ると、無理に笑おうとしている彼女が立っていた。

 俺は何も言えなかった。

縁をきるつもりでココに来たのに、その人とキスしているところを見られてしまったのに、どう言ったらいいのか、分からない。

「なんで何にも言わないの?…もしかしたらって思ったのって、気のせいだったんだ。 私の事も飽きたら捨てるんでしょ? 私は貴方にとって何なの! 何の価値もないの!!」

「違う!」

「どう違うの! 私には何もしてこないくせに!」

「それは…」

「もぅ、いいよ」

彼女はキっと俺を睨みつけてくる。

「シェノスなんてダイキライ!!」

血を吐くような口調でそう言う彼女の瞳が潤んでいる。


―――――・・・ ドクンッ ・・・―――――――


心臓が大きく鼓動をうつと、痛みがはしった。

いや、痛みなのかどうかさえ分からない。ひどく頭がすっきりしていて何かが壊れた。走り去って行く彼女を追おうと、走り出すと目の前が真っ暗になった気がすると同時に俺の意識はそこでとぎれた。 目を開けるとそこには見慣れない天井が見えた。 声が聞こえてくる方に首を動かすと、誰かと話していたシルクが気づいて声をかけてきた

「兄貴、気がついた?」

「全く、人騒がせだよね。睡眠と食事くらいしっかりとりなさいよ」

「夢中になっていたから、つい。でも…もう必要ないな」

なんともいえない顔を二人は浮かべた。

「今さら、俺の言葉なんて信じてもらえない」


その日から、彼女の家に行くのをやめた。 あの頃の俺は精神的にまいっていたかもしれない。 何をやるにも彼女の笑顔が浮かんだ。 仲直りをして笑顔で話している夢を何度も見た。そのたびに酒をあおっても忘れさせてなどくれなかった。机の上に置いてある受け取り手のないオルゴールにそっと手を触れる。

「…捨てられない」

捨てられないのなら、誰かにあげてしまった方がいいのかもしれない。 ココにあっても仕方のないものなのに、誰かにあげる気にもなれなかった。

ネジをまいて蓋を開ける。 目を閉じてスーッと息を吸い、流れはじめた主旋律に詩をのせて歌いはじめた。歌い終わると誰もいないはずなのに、拍手が聞こえて俺は目を開けた。

「兄貴、歌上手い。さすが、詩人!」

「…帰ってきたらノックくらいしろ!」

「さ、はいって」

俺の話を途中でさえぎって促すと、弟の後ろから恐る恐る彼女ははいってきた。

「…お邪魔します。弟さんに話があって渡したいものがあるって言われて…」

「じゃ、俺、夕飯の買出しに行ってくるから」

ポンと俺の肩をたたくと、そのままシルクは外に出て行った。 シルクとすれ違いにシーラは部屋にはいってくると近くにある椅子に腰を下ろした。しばらく沈黙が続いて、先に口を開いたのは、彼女の方だった。

「この前、他の女の人とキスしていたのは、どうして?」

「別れを告げようと思って行ったら、向こうからしてきて避けられなかった。あの日いらい行ってない」

「ウソ」

「こんなところで、嘘つくわけがないだろ。……この前は、上手く言えなくて、ごめん。大切な存在だから、大切にしたいから何もできなかった」

「本当、なの?」

「あぁ」

彼女はいきなり、俺を抱きしめた。戸惑いながら、そっとその小さなその肩に腕をまわした。

「……好き」

頬に彼女の唇が触れた。それだけで全身が熱くなる。それに気づいていないのか、彼女は震えながら唇を重ねてきた。

軽く触れるだけのキス。

恥ずかしくて、嬉しくて、俺たちは顔を見合わせてクスっと笑った。いつまでもこんな風に彼女の傍にいたいと、そう思っていた。

だが、それは叶う事がなかった。



【4】


「…どこへ行っていたの?」

シーラがシェノスの家から自分の部屋にもどったのは、いつもよりも少し遅い深夜だった。いつもならいないはずの母は、怖い顔をして彼女に向けている。

「彼氏、ができたっていうのは本当なの?」

どうつくろっても今さら遅いようだった。 なんて言うのか予想のついていたシーラは、かるく息をはいて目を閉じて深呼吸すると母を見る。

「はい」

「その人の名前は?お父さんには言わないから、怒らないから言いなさい!」

怒らない、なんてウソだ。

「どうせ、調べるつもりでしょ、彼の事を」

「あたり前です!あなたにふさわしい人かどうか調べるのは、親として…」

「違うよ!お母さんは人を見ているんじゃなくて、家柄を見ている。いつだってそうだったじゃない。私は、好きでもない人と結婚したくないの!!お母さんがなんて言って反対しても、ウィンと結婚しない!あの子は、ただの幼なじみで恋愛感情なんてないの。 親が決めた婚約者でも」

「……そう、そこまで言うなら仕方ないわね。でも、彼の名前くらい教えてくれてもいいんじゃないの?」

いくぶんか落ち着いて納得したような表情を浮かべたので、私は彼の名前をいった。

「シェノス」 彼の名前を聞いたときの母の顔は青ざめていた。 まるで起こってほしくないことが起こってしまったかのような表情を浮かべた。

その後すぐだった。

 母の態度が狂ったかのように豹変し、ウィンとの結婚式を強引に決め、私をだまして結婚式当日に式場に連れていかれたのは。今すぐにでもココから逃げ出したのに、体の動きを封じられて動けない。その間にもウソの結婚式の準備は確実に進んでいる。

「な、なんで?」

「ダメなのよ、彼だけは。彼とは結婚できないのよ」

母が言いにくそうに顔をゆがめたのと、彼が走りこんできたのはほぼ同時だった。

「……どうしろって言うのですか?」

冷たいような口調でいいながら彼はしっかりと母を見据えた。 何もかも、見透かすような瞳で見られて母は視線をそらす。

「あなたたちは結ばれないの。だから、別れた方が、お互いの」

「結ばれないから幸せじゃないって、そう言いたいのですか?」

彼は穏やかな笑みを浮かべた。

「結婚できないから、幸せじゃない。結婚できれば結ばれるなんて誰が決めたんですか?俺は、そうは思いません。 両方が思っているから幸せに感じます。その人を思うと幸せになれるから。……たとえ、どんなことになろうと 後悔はしません」

「私も後悔はしない」

「……シーラ」

「お母さんが何を言っても無駄。シェノス、私をさらって」

「本当にいいのか?俺がお前をさらっても……?」

彼女は綺麗な笑顔を浮かべた。

それが、俺が天使だった頃に見た、彼女の最後の笑顔だった。

その事を知った『神』によってシーラは堕天使とされ、「人」として生きるように告げられた。シェリーも隠していたとされ、「人」に生まれ変わることになった。

なぜか、なんの罪もとらわれなかった俺は、わざと『神』が大切にしていた『力』のかたまりを人間界におとして『堕天使』として人間界で彼女の生まれ変わりを待つことにした。


約千年後。

俺は、ゲームセンターに一人でいる女性に声をかけてみた。

それは、気まぐれだった。

なぜ、声をかけてみたくなったのか…一人でいる女性で気になったからだ。それだけの理由で声をかける事もないのだから、どんな理由を並べてみてもどれもしっくりこない。

だから、声をかけたのも、今こうして2人で彼女の家に近くまで並んで歩いているのも、ただの気まぐれだった。


歩調をゆっくりしたものに変えて彼女が追いつけるように調節した。 追いつくと、彼女は腕を組みながらクスクスと笑う。

「何がおかしい??」

「神野って、こういうところがさりげなく優しいよね」

「そうか?」

「うん」

彼女は、嬉しそうな表情を浮かべて顔をすり寄せてくる。特に優しく接しているつもりもないから、優しいよねといわれても分からない。ただ、体が勝手に動いているような感じがする。

「ねえ、神野。本気で好きな人いるの?」

「今はいない。ずーっと昔にはいたな、一人だけ」

気が遠くなるような昔。親友とも恋人とも兄弟とも言えるような大切な人がいた。

「それって、どんな人?」

「俺がないものを全部持っているような人」

「それじゃ分からない」

「具体的に言えと言われてもきりがないから、言わない。そうだな…向日葵みたいなヤツ?」

「それじゃ、分からない」

「んー…じゃあ、タンポポ?」

「……どんな人なのか分からないけど、好きな人がいたって事だけは分かった」

「そういう事にしておいて」

タバコが吸いたくなったが、彼女が嫌いなので吸うわけにもいかず、無意識にシャツの胸ポケットに伸ばしかけた手を、ズボンのポケットに入れる。

 花の他に例えるのなら、太陽みたいな人だった。彼女と出会ってから、周りに対して素直になれたから、いつもの風景がまったく違って見えた。やっぱり、タンポポの方が雰囲気にあっている気がする。目立つ花ではなくでも、いつでも傍に居てくれて明るく照らしてくれるから。

「人を好きになるのって、その人がその人だからだろ?」

 切なそうに顔が歪んで、ぎゅっと組んでいる腕に力がこもった。

「……私ね、最近失恋した」

そのまま彼女の話を聞くことになった。

彼女は、松本 利江、大学二年。

高校生から付き合っていた彼氏がいた。今は大学が違うせいもあっほとんど逢っていなかったらしい。 彼も利江もいろいろと学校生活が忙しく、なかなか会う暇もなかったので、特に気にしていなかったという。メールも電話も忙しいという理由からあまりしなくなっていった。

そんなある日の夕方頃に、彼から電話がかかってきていたのだが、バイトでちょうどでることができなかったらしい。 終わってからすぐにメールを送ると、すぐに電話がかかってきたという。 あわてて彼女は電話にでた。

「最近、連絡くれないよね」

いきなりそう言われて、彼女は言葉につまって何も言えなかったらしい。

「理由って、俺に言えないようなことなの?」

違うと彼女は言ったが、彼は信じようとはしなかったらしい。その後に何を言っても聞き入れようとはしなかった。 そうなってくると彼女もきれてしまってたまっていたものを吐き出してしまった。

「なんで、そうなるのよ!!大体、そっちからのメールとかも全然なかったじゃない!!」

その最初の言葉を言ったら最後だった。もうあとはとまらなくなって、言い合いの後の、あのなんとも言えない沈黙の後、彼は妙に冷静な声であさくため息を吐きながらこう言ったらしい。


「利江、別れよう」


その話を聞き終わって、正直俺は、なんて声をかけたらいいのか分からなかった。

「そして、やけ酒、やけ食い、一人カラオケやって忘れなれなくて、ゲームセンターに?」

彼女はそのまま頷く。

俺が声をかけた時には、小雨が降り始めた夜の街に一人、ぽつんとつまらなそうに佇んでいた。捕まえたのが俺でよかった。全員がそうとは言わないが、そういう男は喰うことしか考えてないし、それで彼女が忘れられるとも思えない。大体、やけになってそういう関係になったとしても、結局はむなしさだけが残っていくものだし根本の解決には、なりはしない。 自分で自分を壊していくようなものだ。

「ねえ、神野」

「なんだ?」

「なんで、私に声をかけたの?」

「ただの気まぐれ」

「ひどい。あ、この辺で大丈夫だから」

「そうか、じゃ気をつけて」

そのまま背を向けて歩き出そうとすると彼女に呼ばれた。呼ばれて利江を見ると、彼女の大きな瞳に俺が写りこむ。

「……また、会えないかな?」

ふっと笑みがこぼれて、答えは決まっていたみたいだ。

「いいよ」

交換した連絡先を見ながら、ふと独り言がこぼれおちる。

「……これが、また始まりなのかもしれないな」

昔、彼女がくれた指輪が、街灯に反射してキラっと光っていた。


あれから数年経った今、俺の隣には彼女が居てくれる。そっと指で冷たく存在を主張している指輪を優しくそっと撫でた。時々、磨いているせいなのか年月を感じさせない程に、冷たく優しい光を放っている。

 今の彼女の手を放すわけにはいかない。

 もう一荒れしそうな予感を感じて、神野はそっと目を閉じた。


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