第二章
第二章
【1】
「慎!」
体育館の入り口から入ってきた声の主、狼牙の先には、私服姿の女生徒がたまたま近くにいた女生徒をまきこみ暴走していた。彼の隣には、琴音が一緒にはいってくる。私服姿の彼女がなぜ暴走しているのかは、毎度のことなのでなれている。
「?」
その原因となっている慎という少年は全く気づいていなかったらしい。バスケ部の部室である体育館の中で、一人練習をしていた少年は呼ばれたのに気づいて狼牙のほうに振向く。彼の後ろで暴走している彼女の姿を認めて、一瞬かたまる。
「…頼むから、アレを黙らせろ。黙らせられるのは、慎しかいない」
「なんだったら、顧問と先輩には上手く言っておきますよ?」
「悪い、ちょっと行ってくる♪」
あわてて狼牙にボールをパスしてから、彼女のところに走りさっていく。
「慎先輩って分かりやすい。犬みたい」
ぽんっとミニマムサイズの慎先輩に耳と尻尾がくっついて、ぱたぱたと動かす姿が浮かぶ。どちらかといえば、童顔で可愛い雰囲気がする慎。時々、演劇部にも声をかけられ、ネタで彼がヒロイン役で演じた劇「developed feeling」の「真由」に一目ぼれしたファンたちが、一気におしよせ怖くなったのだそうだ。
おそらく、体育館の外にいる彼女らは演劇のファン。そして、その中の一人が…
「アイツの、妄想はどうにかならねーのか?」
「仕方ないよ。大好きな人といると多少なりともあるから。それに静は不安だよ。慎先輩って女子に人気があるし…」
「静って彼女がいるのに?」
「関係ないよ。好きになるのはとめられない感情だから」
「ま、そうだな…」
「狼牙!」
ターゲットを発見すると、一人の少年が体育館に走りこんで来る。狼牙は無言のまま彼をよけて、声の主の少年を見る。よけられた少年はじと目で狼牙を見る。
「なんで、よけるんだよ」
「お前にだきつかれたかない、樹」
「なんか最近つめたい…ぐれてやる…。琴音、なぐさ…」
「睦月に近づくな、ケダモノ」
樹を睨みつける様子は、怒りがあふれてきていて怖い。
「お前、人の事が言えるのか?」
恨みがましい目で狼牙を見上げてくる。
「……」
視線を彼からそらす。
まったくないといえば、嘘になるが認めたくない。視線をそらした先に、体育館の外に通じているドアをあけて、ダークスーツっぽい格好をした青年が入ってくる姿が見えた。
普通についているのに足音をたてていない。何かから逃げてきたのか周りを気にしている。
琴音は誰なのか思い出して、青年を指さす。
「ルカ先輩♪」
「誰?」
「慎先輩の知り合い」
狼牙はルカを見る。
「あ、琴音」
「え?女の人?」
「ん、よく言われる」
「久しぶりです」
笑みを浮かべて琴音が笑う。
「あの時は、ありがとうございます」
「いえいえ…」
チラっとルカは狼牙を見る。何かに納得したのか、ぽんっとかるく手をうつ。
「それより、ちゃんとつかまえておかないと誰かに奪われるかもよ?」
にっこりと笑って言う青年に、狼牙はかるい敵意を抱く。一瞬、よく似た青年の姿がかさなった。
【2】
一瞬、よく似た青年の姿がかさなる。なぜ、この人の後ろに見えたのか分からない。ふと、窓際に何気なく視線を向けると、半透明の人の姿が体育館の二階の通路にぼーっと立っている姿が「視えた」。
こういう人の姿が「視える」のは、今に始まったことではない。小さい頃、不思議な感じの違和感がある気配を感じたのが、はじまりだった。それ以来、何かしら感じ取るような能力が身に付いた。両親や、兄弟はあたりまえに「視えている」。そんな家系だったせいもあるのかもしれない。
「そういえば、次に、怪盗シリウスが『ルナ』っていう美術品をいただきますって予告状を届けた事を知っている?」
「えぇ、『ルナ』っていう『鏡』でしたよね?」
「そう。真実を写しだし、愛をはかるっていうのがもっぱらのウワサの」
ニヤッと彼女は口元をゆがめて笑みを浮かべ、ちらっと視線を俺と睦月に向けた。視線もからかっています的雰囲気がかもし出されている。
「睦月、興味あるでしょ?」
「……どちらかといえば」
一瞬で彼女のまとっていた雰囲気がガラっと変わった。目つきがマジで、「男」の「獲物」を狙う目になっていて、寒気を感じる。ふっと不敵な笑みを浮かべると、わざと俺に見せ付けるかのように視線をよこしてくる。
「この酔っ払い。何をしているの?」
「美咲、高校生のカップルをからかってみたくなりまして…」
「ごめん、ルカが迷惑かけたわね。今、つれて帰るから。ほら、行くわよ」
美咲と呼ばれた女性は、ルカの腕をつかみひきずるように体育館を出て行った。
その様子を見て、クスっと睦月は笑った。
「いいなぁ、仲が良くて」
ダークスーツを着ている青年は、喉でならすような笑い声をあげる。メガネをはずし、いつもはきちっとあげているオールバックの前髪すらおろしている。
心の片隅に、他の人に恋するあなたが憎いと気持ちがある。
愛しているのに、憎んでいる。この矛盾はいつまで抱えつづけていくのだろうか。矛盾はしだいに大きくなっていく。
「お帰りなさいませ、慎様。今日は早いお帰りですね」
にっこりと優しい笑みを浮かべて、椎名は慎を玄関のドアを開けて屋敷の中に招きいれる。外見が豪華なこの屋敷は、昔はお化け屋敷等と言われていたが、椎名がこの木下家に仕えていらい、まめに手入れしているおかげでそのような事は言われなくなっていた。
「こんにわ、椎名さん♪」
「静様もますますお綺麗になられましたね」
「もう、お世辞が上手い」
「いえいえ、本当のことですよ?」
「椎名!」
静を私に盗られてしまう嫉妬を慎様が、嫉妬こもった目で見てくる。本当に、素直で可愛らしい方だ。ま、だからこそ、家系である執事になることにはなにも違和感はわかなかった。執事の仕事は、表の世界の執事の仕事とは異なることが一つだけある。
そのことについては、ある意味矛盾と不安が大きくつのっていくことが大きい。
「さ、早く中に入ってください。いくら日の光に慣れていらっしゃるとはいえ、慎様にとっては天気がいい今日は、体調が崩しやすくなってしまうんですから」
「うん、いつもありがとう。椎名さん」
屋敷の中に入っていく二人を優しい笑顔で見送ると、すっと表情を冷たく後ろにいるであろう人物に、視線を向ける。
「どうだった?」
さっきまで二人がいたところに、金髪のピアスを数箇所あけている少年が方膝をついている。少年の表情はここからはみえないが、震えているところからして脅えているのはたしかだ。
「ハヤテ」
「あんたに言われた情報を、「組織」から仕入れてきた」
「役にたちそうか?」
「「組織」のトップであるシェノスしか知らないような情報だ」
「「アレ」は、どこにいる?」
「少年の方は白竜グループをたちあげていて、そこでなんでも屋事務所を開いている。もう一人の少女は、「死亡」していて消息不明…」
「そうか」
ゆっくりと彼に向き直る。膝をおって姿勢を低くすると、彼の顎をゆっくりと持ち上げる。
「私はお前に、どういう情報がほしいと言った?」
すっと目を細めると、少年は逃れようとあとずさろうとするが力では私の方が上だ。
「陸のことなら、あきらめてくれ!彼女は人間として生きてないなんだ!!」
「それは、彼女が選んだ道だ。生きるということから、逃げた彼女の選択。そのあともこの世にいるのなら居場所を探し出せ。忘れるな、俺は、「組織」から逃れたいお前を救うという条件を出すかわりにお前が、すべてを差し出すと言ったな」
喉の奥を音をたてて鳴らす。
「なら、「黒竜の力」を持っているもの、すべての居場所を探し出せ」
顎から手を離すと、彼はよろよろと立ち上がった。彼に背を向けて玄関のドアに手をかける。
「あんたは…何がしたい?」
「力がほしい。かえるための、すべてを終わらせる。そのための力だ」
「アイツを、慎を傷つけていいのか!」
「お前にそういうことを言う権利があるのか?」
吐き捨てるように、声を押し出す。
「慎を裏切っている、友達という共犯者が」
「……ッ」
「安心しろ。成功すれば、今回のことは誰にも言わない」
音をたてて、おもみのある豪華な装飾が施されたドアが閉じた。
あぁ、こんなにも愛しくて憎い。守りたいのに、壊してしまいたい。この矛盾だらけの世の中がかえられる、そのための力がほしい。
ヴァンパイヤーとのハーフの慎様に、血をさしだすのもおしくはない。なのに、虚しさと目から伝って落ちる水はなんだ?この世がそうさせるのか?ならば、この世など…どうなろうとかまわない。
玄関から入ってすぐの靴箱の上に飾られている鏡。月をかたどられたデザインの手のひらサイズの大きさの鏡を見つめる。そっと手を伸ばして、指で鏡に触れる。
「なぁ、そうだろう『ルナ』」
脳裏には、深い青い瞳をしている天使の青年の姿がよぎっていく。
すべての始まりは、身分の差のソルとルナの恋から始まり、その子らまで兄弟の恋に堕ちた。
一途だと人はいうのだろうか。その人だけだと偏愛することの痛みも悲しみも、苦しさも。喜びも嬉しさも、実際にしてみたいと分からないでしょう。その人にとっての大切な存在でいることを望み、焦がれ、恋人になりたいという本心をおさえることも。否定される感情を抱き続けることも。指をはなせば、水が指にすいつくように鏡の表面がゆれる。波紋がおこるその鏡の中には、眠っている赤紫色の髪の蒼い瞳の少年の姿が見えた。
【5】
夢なのか現実なのかあやふやな空間に、二人の少年は立っていた。地面も空も何も境なんてものがない。なのに、四方を透明でどこかの光景をしゃぼん玉の球にうつしだされて
いく中で立っているのは、普通なら違和感があるが、そこまで感じない。「ココ」はこういうものなのだと、納得しきれている自分がいる。赤紫色の髪の少年と、黒髪の人より犬歯がするどい少年は向かい会う。
「…誰?」
真は、赤紫髪の少年に問いかけた。
「君のよく知っている存在だよ」
「ココは?」
「君が持っていた鏡の中」
「?」
ココにくる前のことを思い出そうと、記憶をさかのぼらせる。
静と一緒に俺の部屋にいた。椎名がいれてくれた飲みものに口をつけ、そこから先の記憶がまったくない。
「ま、現実であって現実ではない世界だね。君にとっては」
すっと赤紫髪の少年は、深い青色の瞳をほそめる。どこか遠くを見つめている。
「でも、ココから現実に戻ることもできる」
その視線の先をたどっていくと、その先には、凍った氷の中に閉じ込められている静の姿がある。周りには、進入をこばむように鎖の壁ができあがっていた。
「静!?」
「彼女をここから連れ出すことも」
「どうすればいい?」
「……」
ふぅっと呆れたため息を彼は吐き出す。しばらく、何かを考えたあとに口を開いた。
「では、クイズを言おうか。ココに連れ込んだアレも、それが目的らしい」
「クイズって!そんなことしている場合じゃない!!」
「それでは、事実にたどりつけない。きみはソレを知らなければならない。知らないのに、彼女を救う術はない」
「?」
「あの氷も鎖も、彼女自身。だとするなら、解く術は?」
「知らない」
「君には、その術があるだろう。あぁ、もしくは…知らなかったのか」
「なんのことだ?」
「彼女の心が、不安だから。人は逃げるために逃避をする。傷つきたくないために…」
「不安?」
「心というものは、目に見えない。目に見えないからこそ、何よりも大事にする。変化するものだから。失うという事実を知っているからこそ大事にしようと思う。痛みで初めて知ることの一つだ。だとするなら、きみは、彼女を不安させた原因があるはず」
「何が言いたい?」
「不安になると、人は疑りぶかくなる。信じるということが難しいことなのだと気づかされる。伝えてもいないうちから、相手も言わなくても当然分かってもらえているなど、思い違いの場合がある」
すっと赤紫髪の少年は、真を指差す。
「心当たりはない?」
【5】
同じ時刻、木下亭。
夜中の零時。ぎぃっという音をたてずに、重々しいドアをあけて黒装束の男が入ってくる。長めのショートカットの黒の前髪からのぞく、見るものをひき つけるその瞳は、『ルナ』を見る。
「遅かったじゃないですか」
靴音をたてて椎名が立っている。普段は着崩さないダークスーツも、ネクタイをとりさり前髪をおろしていた。ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「……返してもらう。『杳』を」
彼は喉の奥で笑う。
「予告状もよこさないで、人の家に勝手にあがりこんで言う台詞ですか。『黒竜の力』という「力」を、返してほしいのでしょう」
「違う、『彼』という「人」だ」
「では、お聞きしますが、なんで彼がここまで組織に必要とされているのか知っていますか?」
「危険だからですよ。このままだと、私のようなものに操られるとリスクがある。それこそ、世の中の人がいなくなるような、ね」
「何が、言いたい?」
「見たくないものに蓋をする。これでは、なにも解決などならないのに。命を左右する権限まで同じ「人間」が、左右する権利などありませんよ。権利が、「力」がゆがむのは、人より上だと思いたいからでしょう。人を傷つけ、それでも、人を守っているなど、笑わせるな」
圧倒的な慎重さでシリウスを見下ろす。
「組織の犬」
吐き捨てるような口調に、見るものを凍らせるような瞳。獣の瞳は鋭く、シリウスを射抜く。憎悪。愛憎。憎しみと悲しみが入り混じった感情をこめてにらみつけられ動けなくなった。何かしなければ、切れてしまいそうなほどにするどく冷たい。
「一つ、いいことを教えてあげましょうか。この中にはあなたの先輩の真も入っています。彼女もね」
手を伸ばして、彼はそっと触れた。少しだけやさしさが瞳にうつる。
「この鏡は、真実の愛だという噂があるのは、気づかせるからなんですよ。持ち主の願いを叶えてくれるとも」
「……。それは代償を求める」
「えぇ、知っていますよ。何かを得たければ何かを失わなければならない。それは、今まで生きてきた中で実感があることでしょう」
ピリっと拒絶するように、透明な膜が彼の手をはじきかえす。
「何を失おうとかまわないですよ、私は…。【彼】が昔、【彼女】に恋したように」
「どういう意味だ?」
「すべての始まりは、二人が恋におちたところから始まるからですよ。『彼』は、『彼女』のためならば何を失おうとかまわないと思っていたから」
そこまで言うと椎名はスっと目を細めて、視線をシリウスに向けた。
力がほしいと強く願った。この世の矛盾だらけで、すべてを物で計ろうとするような世の中が。守ろうとするものを守るためには、力が必要だと。私の手で育ててきたあの方が、傷つけられてしまうのであれば、守るための『力』が必要だった。
シリウスは眉をひそめた。
「自分のだけの正しさでこの世を変えても、今度は違う自分に殺されてしまうかもしれないのに?」
「だから、神と呼ばれる存在は、私のような人間には力を与えずに、力を欲しない人に与える。欲しない人というのは、とても心が強いものですから。それでも、私は力が欲しい」
【6】
「なぜ、『力』を欲するのだろうね。君には分かる?」
赤紫髪の少年は、黒髪のヴァンパイヤーのハーフである少年を面白しろそうに見つめ、やがて視線をそらした。外見年齢は同じ年齢に見えるのに、まとう雰囲気は圧倒的なとしの差を感じさせる。
「知らない。それよりも…早く、静を!」
「言っただろう。それは、君にしかできないことで、解くためのヒントはすでに与えたはずだよ」
見透かすような深い青い瞳は、おだやかで敵意は感じない。むしろ、あたたかさも感じるというのにどこか悲しげに視える。
「それに、もう少し話していても彼女は死なない」
「貴方は、何を知っていますか?」
「この出来事のはじまり? 独占的な支配は、ゆがむ。ゆっくり蝕むように他人を狂気にかりたてるものもあるって事」
じーっと赤紫髪の少年は、慎を見る。
「ただ、言わなければ伝わらないこともある。彼女に気持ちを伝える大切な一言を言ったの?その一言を言えば、ここから出られるよ。……まさか、まだ思いつかないのか?なら、俺が彼女を」
「どうするつもりだ! 手をだすな!!」
にんまりと赤紫髪の少年が笑う。
「なぜ?」
「俺は、彼女のことが守りたいと思う大切な存在だから!!」
瞬間にピキっと氷がわれ始めている。だんだん視界がぼやけて、滲むのが分かる。最後に慎の意識はとぎれた。
シリウスが何か小言でつぶやき、手を伸ばして椎名の瞳を閉じさせる。淡い水色の魔方陣が浮かびあがり輝きをます。ガクッと彼の身体から力がぬけて床に倒れこんだ。
壁を背にして座らせると、すーっと丸く光る青い光が蛍ように、シリウスの近くにまとわりつくようによってくる。
そっと触れると、苦痛に顔をゆがませた。
溶け込むように蒼い光がなくなると、シリウスはその場で空を見上げる。赤く大きい満月が輝いていた。