第一章
第一章
【1】
素晴らしい晴れた天気の中、公立高等学校の校門を全力で走り込む一人の女子高生がいた。彼女は、そのまま下駄箱で靴を履きかえると自分のクラスに向かう。なるべく、音を立てないように、自分のクラスである教室のドアを開けた。
…ガラ…
教室の後ろのドアが音を立てて開く。忍び足で音をたてないように、担任の教師から見えないように気をつけながら自分の席まで歩く。彼女が自分の席についた時に、鐘が鳴った。
「…ということだ。みんなしっかり復習しとけよ」
にっこりと笑みを浮かべている20代後半ぐらいの青年は、視線を彼女に向けた。
長髪で、しかも茶髪。前髪だけを明るい色に染め、他の髪を暗い色で染めている。両耳には、いくもの蒼い石のついたピアス。顔が整っているだけに、ダークスーツをラフに着崩している彼は、ホストのような雰囲気がする。
「睦月、ちょっとこっちに来い♪」
手招きして笑っているけど、小悪魔の笑み。その目は、遅刻してきたのも見ていたから無駄と言い放っていた。しぶしぶ彼女‐睦月は彼のいる教壇に近づく。
「何回目の遅刻だ?」
「…3回目です」
「次に遅れたら、コレって言ったよな?」
ダンっと本の重みを知らせる音とともに、分厚い問題集を彼はのっける。数学という文字を見た瞬間に、彼女は拒否反応で頬をひきつらせる。
「今度のテスト範囲全部だ。分からないなら誰かに教えてもらえ」
「…オニ」
小声で返せば、彼は、すがすがしいほどの笑みを浮かべた。
「遅刻しなければいいだろ?今度遅刻したら全部解け!」
恨みがましい目で見上げれば、ぽんっとかるく出席簿でたたかれる。
「次の移動教室、遅刻するな」
教室から出て行く彼を見送り、睦月は足取りおもく席についた。
「おはよう、睦月」
天然の色に近い茶髪のショートに、深い勝気な瞳な女生徒は、友人に気が付くと明るい笑顔を浮かべた。
「おはよう、美里」
「ねぇねぇ、廊下見た?シリウスの予告状」
隣の席にいる黒髪の男子生徒がごほっと咳き込む。睦月は視線を彼に向ける。
「狼牙、かぜ?」
「いや、ひいてないと思うけど…」
苦笑を狼牙は浮かべた。
「シリウスは、何を盗むの?」
「たしか…『プロキオンの涙』っていう名前だったかなぁ。 白夜も予告状出していたし」
怪盗白夜は二人組の怪盗だ。白装束に片方が茶髪のウルフなのにたいして、相方は黒髪ロングですらっとした体系なのが特徴。二人とも中性的な顔立ちなのもあり、一部の男性たちにも人気のある怪盗だ。
「睦月、次美術だから急ごうよ」
「ん、待って」
支度をして廊下を出ると、渡り廊下を歩いて行くと、駐車場の方から赤髪のダークスーツを着ている青年が、学校の中に入っていくのを見かけた。
【2】
放課後、誰もいない美術室に、長い黒髪と茶髪のウルフの女生徒が入ってきた。少し長めの前髪のあいだからのぞく優しさのある濃く蒼い瞳は、目の前にある『蒼い水晶玉』にそそがれている。ガラスケースをとり、そっと触れると魔法陣のような模様が浮かぶ。
「…「コレ」の事を知っている人が他にもいるってことだよね」
「そうだね。他に知っている人がいるなんて思わなかった」
半透明な高校生くらいの少女の姿をした人は、黒髪の近くに現れてさびしげな表情を浮かべる。視線を黒髪の少女に向けると彼女はいたわるように言い、手をはなすと魔法陣のような模様はすっと消えた。
「プロキオンの涙って名前、つけた人って誰だろうね」
「ぴったりすぎて、呼ぶのも…嫌な気がする」
昔の話。
悲しいお話がありました。姿が違う大切な人を自らの牙でかみころして、壊してしまった犬の話。
呼んでもこない主人。その事実に気が付かずに呼び続けました。
そして、そのことに同情した神が犬を星座にしたのです。星座に使った星の名前には、「プロキオン」と名づけた。
この水晶玉の前で、悲しい話がありました。
その話はとても悲しい話なのです。
穏やかな、それでいて寂しい光を放っていた。
【3】
放課後、昇降口から外に出た狼牙は、ふと足をとめた。
ざーっと風が吹いていった。妙な胸騒ぎを感じさせる風で、ふと視線を空に上げれば黒い雲がだんだんとこの高校の上にだけに集まってきている。
…風が、騒いでいる。
今まで、穏やかに吹いていたのに、まるで何かを知らせるかのように荒れ狂って吹き始めている。誰かのやり場のない感情がもれて伝わってくるかのような空模様だった。
… ぽつ …
乾いた灰色のコンクリートに一滴の雨がおち、黒い小さなしみをつくる。だんだんと激しさをましていきそうなので、彼はそのまま雨宿りすることに決めた。
ズキっと鈍い痛みが左腕にはしる。少し眉をよせると、美術室の方に視線を向けた。「何か」がいる気配を感じる。シリウスも白夜も狙うと予告したものがある方向だ。
嫌な予感する。
今夜は、「プロキオンの涙」を盗むのに、まるで…何かを予告しているかのようで…。
気配に気づいて、視線を向けると、黒髪を長く伸ばした少女が立っていた。
違和感を覚えたのは、彼女が半透明で向こう側の景色が見えた事だった。
『鈴香、遅いな』
むーっと膨れていた彼女は、こちらに気づくと、驚いた表情を浮かべた。
『私が、見えるの?』
「あぁ」
『そっか。私は、佐久間 玲奈』
人なつっこい笑顔を狼牙に向けてくる。
『……彼を助けて』
そう言って、寂しそうな表情を彼女は浮かべる。
「彼…?」
『会えば、分かるわよ』
「どういう意…」
「狼牙、今帰り? よかったら、一緒に帰らない?」
琴音が後ろから、肩を軽く叩いてくる。琴音に視線をうつしてから、もう一度佐久間の居たほうを見ると、もう彼女は姿を消していた。
「あ、雨だ」
「マジ?俺傘もってきてねーよ」
一階の教室でパート練習が終わった吹奏楽でサックスの男女二人は窓の外を見てそうつぶやく。
「……濡れて帰るか」
「よかった、傘持ってきていて」
「お前は、置き傘していただけだろうが」
男子生徒の方が呆れた口調で言うが、女生徒は前のをジーっと見ている。彼が視線を向けた先には、首元がしろいフードの服をきた赤紫の髪の高校生くらいの少年が歩いてくる。首元以外は暗く紅い血しぶきのような模様が付いていた。耳元のあたりだけをのこして、ばっさりと短く切った前髪の間から見える青色の瞳は何も信じようとしない瞳で、彼は寒気を感じた。
「ゆう、れい?」
「違う。あんたに見えているなら」
いきなり、その少年はふらっと前に倒れこみそうになって、女生徒は、男子生徒に楽器をあずけて、駆け込み倒れないように支える。
「大丈夫?」
「…ごめん、ありがとう」
「なんで、そんな泣きそうな顔をしているの?」
「………」
「とりあえず、保健室に行こう?」
かるく頷く彼を見て、男子生徒の方に視線を向ける。
「はい、こっち来て肩かして」
「待て。両手ふさがっているから、三木がそのまま肩かしてやれ」
「あ、忘れていた。じゃ、彩そのまま音楽室までよろしく!」
「はいはい、お嬢様」
苦笑を浮かべている彼らをみて、少年は口元を持ち上げかすかな笑みを浮かべる。肩を貸されながら、目を閉じれば幻が浮かぶ。玲奈と櫂と三人でいて楽しかった、もどることのないあの頃の幻。彼女は、玲奈はもうこの世にはいないから…。
「プロキオンの涙の封印が解けた…」
「そうだな」
茶髪の長い髪をしていて、ホストのような容貌で狼牙のクラスの担任の教師は、職員室窓から降る雨をみて眉をひそめる如月を見て、寂しげな表情を浮かべて皐月は如月 櫂にそう返す。
「皐月。あの日から何年になる?」
「もう5年近くになるな…痛むのか。アイツにつけられた二本の傷が」
「私は、一体どうしたらいい?」
大切なものを、自分の手で壊すようにしむけてしまった。
もしも、途中で私が気づいていたなら、彼も彼女も死ぬことなんてなかったのに。琥珀色の瞳を閉じれば、その時の光景がよぎっていく。
暗く血塗られた部屋。
櫂とアイツがいる。アイツは自分で大切な人を殺してしまったのを知り、獣のように鼻にしわをよせてにらむ。アイツに抱きかかえられている黒髪を長くのばしている少女の身体は、深く鋭い爪で胸にななめの傷ができている。周りには、紅い水たまりができ、机
から落下しておちた花瓶に生けられていた、白い花びらが桃色に染まっている。
憎しみに染まった、青い瞳。
魔力を無理に開放させて、その力が少年の身体を支配し、同じく魔力を持っていた彼女を殺した。
「ころして、やる…。そのためならなんだってくれてやる…」
櫂の左頬には、獣の爪あとのような二本の鋭い傷痕から血が流れ出ているのに感情と呼べるものは一切感じられない。自分の意思も感情をも押し殺した人形。そんな感じがするほど、触ったらきれてしまいそうな琥珀色の瞳。寛恕を見せずに、淡々と呪文を唱える澄んだ声に応えるように、黒い霧のようなものが少年を包み込み、輪郭は霧に溶け込み姿が見えなくなる。
姿がきえたかわりに、カランと渇いた音をたて、丸く蒼い水晶玉がころがりおちる。少年の深い悲しみと憎しみから生まれた、水晶玉。
櫂は、それをしゃがみこんで片手にのるくらいの生まれたばかりのその水晶玉をそっと持ち、ひどく苦しそうに眉をひそめる。ぐっと力をこめて握り締め、肩がわずかに震えた。
『…こんな、つもりじゃなかった…』
押し出すように、ひどくかすれた声。
『俺は、最低だな。…結局、なにもできなかった…』
暖かな日の光のような光につつまれて、半透明の黒髪の少女が櫂の左頬に触れた。あたたかい感触に、櫂は少女を見上げる。彼女は、にっこりと笑みを浮かべる。
『なにもできなかったわけじゃないよ』
その笑顔がまぶしくて、彼は視線をそらす。
「…どうして、そんなことが言える…?」
『たしかに、未練がないって言ったら嘘になるけど。ねぇ、櫂。たしかに、結果はアイツを裏切ったかもしれない。けど、できるだけ「組織」から守ろうとした。自分を必要以上にせめないで』
その言葉を残して、彼女は…佐久間 玲奈は小さなシャボン玉のような光とともに姿を消した。
『プロキオンの涙』と名前をつけたのは、如月だった。
不思議な力があるとはいえ、もとは人の感情。
魔力という名の、ただしく使えば凶器にも幸器にもなる影響力。美術品をお金でしか判断しない人には、一つ間違えば狂気になるこの美術品をまかせるわけにはいかないから。
「だから、お前は盗ませるだろ?俺たちや、白夜。シリウスを使って」
「…」
「「力」がある俺たちを使って、管理するのが「組織」だ。もとはといえばシェノスが、神の力なんぞ、こっちにおとすのが原因だし」
皐月は、苦笑を浮かべていた。
【4】
大泉南高校から、歩いて十分のところにあるマンションの一室。家につくなり、リビングのドアを開けて、狼牙は兄に声をかけた。
「兄貴?」
「ん?」
兄のこと卯月 竜牙は、黒いズボンと白いYシャツに、黒いジャケットをはおりながらこちらに振向く。背が高く長めの茶髪のショートカット。シルバーのふちのメガネをかけている。メガネの奥の切れ長の茶色の瞳が狼牙を見る。
「……ホストみたいだな。何人も泣かせてきていそう」
思わずこぼれた本音に、竜牙は苦笑を浮かべる。
「泣かせてないな。こう見えても一途なもので」
「佐津季さん、一筋だね」
「なにか、聞きたいことでもあるのか…?」
「今日の、シリウスの『仕事』で盗むプロキオンの涙って何かあったのか?」
「……さぁ、知らないな。『資料』ならいつものところにおいてあるから読んでおけよ」
「うん」
「ま、『言葉』は『力』があるから、気をつけて使え」
「…ん」
ぽんっと、かるく頭をなでるように置くと竜牙はリビングを出て行った。いつも資料がおいてある兄の部屋に入ると、机の上に数枚の紙が無造作に置かれている。ゆっくりと歩いて一枚を手にとる。
資料には、『プキオンの涙』の写真、今までの経緯、警備の様子などが描かれた、学校の設計図が描かれている。進入経路と逃走経路などの確認を頭の中にたたきこむ。
予告時間、今夜零時。
ベッドを背にして座り込む。片手を前髪をつっこむようにして額にあて、写真を見つめる。
「一体、何があった…?」
問いかけても、資料にも何も書かれていなかった。
予告時間10分前。
高校は女子高生でうめつくされていた。
シリウスは、裏門から様子をみるために裏門にから、校舎を見る。人垣ができていて、ほとんど見えないが、その隙間から警察官がざっと十人ほど立っているのが見える。校舎の明かりはついていない。人目につかないように走って校舎に近づくとマイナスドライバーをポケットから取り出し、それを窓枠に差込み数回動かす。
カチャリ
小さな音が響く。
ものの数秒で窓が開き、足をつかずに一気に飛び越えて音もなく校舎内に着地する。
十数本ある赤外線センサーを避けて、美術室に向かって駆け出す。さすがに学校というだけあって、トラップは仕掛けられていない。警備の見取り図は、外が多くて中の警備は手薄だった。数人しか、中に警備はいないはず。
目の前にいないはずの人の気配を感じて目を細める。暗い廊下に若い警官が壁によりかかっていて、じろっと睨みつけてくる。
「…ここで、待っていて正解だったな」
若い警官はニッと笑う。
「上からの命令を無視してか?」
「なぜ、それを知っている?」
「いくらでも方法はある。俺はプロの泥棒だぜ?」
おどけてそう言い、若い警官は一瞬動くのが遅れた。
すぐに追いかけようとするが、すでにシリウスの姿が消えている。
「くっ どこに隠れた!?」
警官は走りながら、教室を手当たりしだいに探しにかかった。
教室の隅に隠れ、走り去った警官を確認してから足音をたてずに階段を駆け上がった。二階の渡り廊下から美術室に向かう。渡り廊下をはしりぬけ、階段の手すりにつかまり一気に一階まで飛び越え、残り数段を残すところに着地する。
そこからの残りの数段も飛んで一階に着地すると、軽やかに廊下を駆け抜け美術室の前で立ち止まる。黒いコートのポケットから、銀色で複雑に曲がったピッキング用の道具をとりだし、ドアの鍵穴にさしこみゆっくり開ける。
カチャリ
鍵があいた音がする。
美術室のドアに手をかけてゆっくりあける。真っ暗な室内に、窓からわずかな光がさしこむ。
『プロキオンの涙』が、真ん中にきちんと台座に置かれている。周りには赤外線センサーが張り巡らされている。
「ふーん、君がシリウス?」
茶髪のショートカットに、白いズボンに白いコートを羽織っている高校生ぐらいの少年は、中性的な燐とした声で言った。
「あぁ。会えて嬉しいよ、白夜」
声のした方では今話しかけてきた少年の他にもう一人居る。
黒髪を肩につくぐらいまで伸ばし、前髪の間からのぞく人をひきつける深く青い瞳。壁によりかかりこちらを見ていた彼は、笑みを浮かべゆっくりと口を開く。
「光栄です。俺たちも、貴方にあえて嬉しいですよ」
「…私も、お前達に会えて光栄だな」
後ろのほうから、闇からぬけだすように如月警部が出てきた。彼らでも気づかぬほどに気配を消していたことになる。
「如月…」
「そう怖い顔をするな。話がある」
スーツのポケットの中から、名刺をとりだしシリウスと白夜に渡す。
「君たちに、正式に頼みたいことがある。今は詳しく話している暇はないが…返事は後でいい」
黒髪の白夜のコートのポケットがかすかに光っているのが見える。若い警官が走ってくる気配を感じ、白夜も如月も廊下のほうに鋭い視線を向ける。
「人がくる。捕まえるフリをするから、逃げろ」
シリウスは、それを合図に台座に置かれている『プロキオンの涙』に触れた。センサーをさけて、手に取ると、手袋越しでも冷たさが伝わってくる。窓に向かって全力で走った。
ガラ
「待て、シリウス!」
ドアがいきよいよく開き、警官が走りこんでくる。黒髪の白夜とすれ違う瞬間、コートの中にはいっている本物の『プロキオンの涙』と台座に置かれていた偽物をすりかえた。
黒髪の白夜の横顔の輪郭が鮮明に見える。
数個のシルバーピアス。どことなく、女性的な印象をうける睫。整ったその顔立ちはどこかで見たことのある顔に感じた。
窓の鍵をすべるようにあけて、足をつかずに一気に飛びこえ外に出る。
竜牙が手配したバイクが裏門にあるはずだ。
全力で目立たぬように走り抜けていくと、ファンの歓声があがった。裏門の近くには、睦月が気づいて顔をあげる。
「…狼牙。 シリウスは狼牙なの…?」
彼女の手を力強くつかみ、報道陣をみて彼女も走り出す。エンジンがかかったままのバイクが置かれている。バイクに飛び乗り、ストッパーをはずす。ハンドルにひっかけてあるメットを彼女に投げる。
「乗って!」
メットを受け取るとバイクに飛び乗る。
「免許もっているの?」
「兄貴に教えてもらった。しっかり捕まれ」
彼女はためらいつつも、彼女は狼牙の腰に手をまわしておちないように力をこめる。確認すると狼牙はバイクを走らせる。タイヤから煙をだしながら、夜の闇の中を走り出す。
数分後。
警察やマスコミをふりきったバイクは、大泉南グリーンハイツの近くで、琴音の家の近くにバイクを停めた。
「今日、姉ちゃんの彼氏がくるから数学しごかれるから、帰りたくない」
「姉貴の彼が?」
狼牙は、苦笑を浮かべる。彼女はバイクを降りるとメットを彼に渡した。嫌なのか、少々涙目になっている。
「だって、皐月だよ?」
「……」
担任のホスト姿が「ご指名?」とかいいながら、ミニサイズがぽんっと浮かぶ。彼の授業は、習うよりも慣れろ、どんどんしごく傾向がある。狼牙も大の数学嫌いだから、気持ちはよく分かる。
「明日の朝、できるところなら教えるから。そんな顔そんな」
ぽんぽんっと幼い子供するように、頭をかるく撫でる。受け取ったメットをかぶる。
「じゃあ、また明日」
軽く片手をあげて、スロットをまわしてエンジンをふかす。
「ん、また明日」
彼女はにっこりと笑みを浮かべる。ストッパーをはずして、狼牙はバイクを走らせた。
彼をしばらく見送った後、買い物帰りと思われる白いコートに白いズボンをはいた茶髪のショートの姉に後ろから抱きつかれる。
「琴音、今の人彼氏?」
ぎくっと琴音は身体をふるわせる。姉に恋愛事を知られると、オモチャにされる。
「鈴香…」
黒髪の肩までの髪型に見えるように、ウイッグをつけている姉の友人に助けを求めた。
「…ごめん」
助けるのは無理だと続けて言われる。
「そんなッ」
その彼女の声は、夜の闇の中に響き渡っていった…。
その後、彼女は、姉に一晩かけて質問攻めにあい、数学の問題集が解けなかったという。
次の日。
ホームルーム後の一年の教室。
「ココ、教えて」
「ん、どこ…?」
琴音の机の近くに椅子を持ってきて座ると、彼は問題集をのぞきこむ。一気に距離が短くなり、ぼっと琴音の顔が紅くなる。隣の席になったということ、それと大嫌いな数学も好きな人との距離が近くなるのならばいいかもしれないと感じた。
「ここはな…」
さらっと髪がおち、問題を指差す手が近い。
ふいに影ができる。
「…二次関数なんて、懐かしいな」
横から黒髪の白夜に似た声がする。声のしたほうに視線を向けると、鈴香が横から問題集をのぞきこんでいた。
「鈴香、どうしたの?」
「孤華から、逃げてきた」
「あぁー…お姉ちゃんね…」
琴音は視線を横にそらす。
「そういえば、琴音の好きな人ってこのクラスにいるよね…?」
「……な、ちが…」
むしろ、隣にいますといいたい。知らないとはいえ、本人の前でそのことは言わないで欲しい。動揺して真っ赤になっているのは、頬に感じる熱で自覚している。
「…そっか」
狼牙は寂しげな表情を浮かべる。
彼の胸がズキっと痛みがはしる。見るともなしに廊下に視線を向けると、琴音をもう少し大人びて背が高くなり、ショートにした雰囲気の先輩がしのび足で鈴香のうしろにまわりこみ抱きつかれる。
「白状しろ!」
「しない。あんたには!」
断固として拒否している鈴香を見て、琴音が口を開く。
「なんか、知らない人が見たらカップルに見えるのって私だけ?」
「いや、俺にもそう見える」
狼牙と琴音は顔を見合わせて笑みを浮かべている。言い合っているのをみても、楽しそうだ。
【5】
「一条先生♪」
廊下を歩いていた生物教師の二十代後半の青年の腕に、なにかまとわりつく。さっとかるく腕を組み、孤華は一条 理希を捕獲する。
「…げ」
思わず一条はうめく。この女生徒については、いい噂は一つもないばかりか、教師の秘密ですら調べ上げるほどの情報収集がすごくて、彼の中学校時代の友人から施された手段はおそろしい…。
「睦月と鈴香…お前たち、何を聞きたい?」
「そんなに怯えなくても…」
「奈津に情報収集を教わったのを、知っているのに。あの子悪魔の弟子が怖いに決まっているだろうがっ!聞き出す手段は、選ばない。全校生徒の話は知っているという噂もあるだろうが」
「危険人物みたいな言い方やめてくれないかな」
苦笑を彼女は浮かべる。
「「リク」の事を知りたいの」
「なんで…知っている?もう五年前のことなのに…」
「理希…陸はどうしているの?」
「……」
鈴香の隣に半透明の佐久間 玲奈の姿が見え、視線をそらす。そらしても、見られている気配が苦い。
「陸は…死んだ。五年前…佐久間が死んだあの日に…」
『え?』
しっかりと正面から、理希は佐久間を見据える。つらそうな表情を浮かべ、声を押し出す。
「死んだ、あの日に…。ある意味、自殺という死に方で…」
5年前のあの日。
突然の家の電話が鳴り、電話口に出る。
友達の誰かと思っていたら、そのどれでもなく…佐久間玲奈が死んでいるという警察からの連絡だった。
頭の中が真っ白になる。
一気に感覚が消える。受話器をもとに戻すことを忘れて、その場所ー死体安置所に向かう。置かれていた死体はきれいだった。
寝ているみたいで、今にも起き上がってきそうなのに、その体温が氷のように冷たい。
すいがりついて、泣いた。
なぜ、彼女だったのか。笑顔で、また明日と言っていたのに。泣きつかれた彼女は、1回は手首を切ろうとかみそりを手首にむける。
ぷつん
皮がさける音。
赤い水があふれてくる。
傷口があつい。
『事実を知りたくないか?』
視線を向けると青年が一人立っている。銀色で先にいくほど赤になるグラデーションのショートの髪。アメジストのような深い色の瞳が、彼女をそのままうつしこむ。
迷いもせずに頷く。話された事実が終わったあとに、青年はもう一度訊いた。
『それでも、死にたいか?』
陸は頷く。
『そしたら、このことを僕の記憶から消して、あなたの使い魔にして』
『お前の大事なものを壊した俺に、なんでそんなにおだやかな笑みをうかべられる?』
『もう、誰がわるいとか、つらい思いをひきずるのには疲れたよ。生きていたら壊れそうだから』
悲しい笑みを浮かべて、そこでいったん言葉をくぎる。
『僕は、感謝している。本当のことをおしえてくれたから』
『……』
『僕が、貴方の傍にいる。だから、貴方も復讐なんてやめてよ。僕みたいに壊れそうな人がいたら救って。それが、貴方の宿命だから』
彼女は、自らの手で青年の手を首にからめさせた。青年は静かにに力をこめる。
やがて、糸がきれた人形のように彼女の身体には力がはいらない。殺したのは、青年。
死を望んだのは、彼女。他殺だというのか、自殺だというのか…。しいていうのなら、自殺。警察は、上からの圧力で彼女の死を自殺だと片付けたが、佐久間の親友だった陸は、死を選んだ。
【6】
ザーッと午後から雨が振り出す。学校のテレビでは、強盗などのニュースが繰り返し流されていた。
「……」
大泉南高校の中庭を歩いていた杳は、何かの気配を感じてぴたっと立ち止まる。獣のように鋭い視線で、目の前に立っているダークスーツの青年をいる。
漆黒の髪といたずらっこのような輝きをもつ狼のような瞳。肩ぐらいまでのばしていている髪は、後ろで一本に結んでいた。
「そんなに睨むことはないだろう。俺は、お前を「組織」に連れ帰る気はない」
シェノスはおどけた口調でそう言うと、ニヤッと口元をゆがめた。
「如月櫂」
背をかがめて憎しみにあふれている瞳をのぞきこむように、顔を近づける。怪訝そうに眉をひそめて、青年を睨みつける。
「アイツの居場所を教えにきた、それだけだ…」
チュンと何かがかすめる音がした。
スパッとかみそりで一気に切ったような鋭い傷が、左頬にすーと浮かび赤い雫は頬を
伝っておちていく。
「お前が、その名前を口にするな」
あの日の血まみれの部屋。
櫂の表情の消えた琥珀色の瞳。
胸を赤くそめた彼女。
そして、シェノスという堕天使の満足げな笑み。
櫂の上司、草薙は普通ではなかった。
狂気にみちていた。
シェノスは驚いたかのように目をかるく見開くが、すぐに歪んだ笑みを浮かべる。
「本当に、俺なのか…?」
何もかもをみすかすような冷ややかさを持つ瞳で、少年を見る。
シェノスは片手をすっとかるく持ち上げて、目を細めて空を視線でさしてから横目で少年を見る。普通の雲よりも暗い雲。悲しい、憎い、その感情から作られた雨は、弱いものを狂気に走らせ…強い破壊衝動をおこす。
「だったら、俺だけ狙えよ。何も、無関係な人を狂わすな、少年」
大きく心臓が鼓動する。挑発的な口調に、自分の中の大きな獣が首をもたげ、身体を支配したいと暴れる。その激痛に耐えて、少年は顔を歪ませる。
「俺が、狂わせた…?」
「あぁ、あのときもお前が手にかけた。お前が憎いのは、俺でも櫂でもないだろう?」
小声で言われた言葉が、大きく聞こえてくる。
「お前は、お前自身が赦せない」
三人で居たあの頃の楽しい時間を、自分の手で壊してしまった。その過去は変える事が、できない。元には戻る事もできない。
シェノスはきびすをかえし、肩越しに振り返ると、くっ喉の奥で笑った。
腕の痛みに少年は、自分を抱きしめる。青年は目を細めて、霧がとけこむように姿が消した。
「この二人、知りませんか?」
天然の茶髪を肩につくくらいまでのばしている少女は、近くにいたジャージ姿の二人の女生徒に声をかけた。
一枚目の写真は、どちらかといえば美人系の黒髪のロングの少女と茶髪でショートの少女と話しているもの。もう一枚は、一枚目に出ていた茶髪の少女が友達と思われる男子と話しているもの。
「あ、コレ鈴香じゃない?」
「本当だ?」
「今、どこにいるのか分かる?」
「ごめん、分からない。ホームルームが終わったあとにはいなかったから」
「…もしかしたら、図書室か地学室にいると思う」
「ありがとう」
にっこりと少女は笑ってお礼を言い、昇降口に向かって歩き始める途中でふと立ち止まる。女生徒たちのほうに振向く。
「この「雨」が、激しくならないうちに、帰ったほうがいいよ」
少女は、どこか悲しげな表情を浮かべてそう言い昇降口の中に消えた。
【7】
「…如月、警部…」
若い警察官の大田が、資料室にファイルを返しにくると櫂は分厚いファイルをぱたんと閉じて視線をあげる。
「調べ物ですか?」
「えぇ」
「例の事件関連の…」
ファイルの表紙を見て大田は顔をしかめる。警察の内部でも極秘だと圧力がかかっている事件は、古くからあるが表ざたにはしないで、極秘裏にしまいこまれてきている。理由は簡単だ。処理するのには難しく、科学の力では解明できない事件ばかり。それも、怪盗ブラックエンジェルやシリウスや白夜といった有名な泥棒が盗む、美術品の周りにばかりおこっている。
「はっきりとした証言もなくて、被害者は口をそろえて「呪い」だといっている。バカバカしい。そんなものあるわけないのに…」
吐き捨てる大田を見て、櫂は視線を横にそらす。
「ありますよ」
「え?」
「魔法と呼ばれる「力」も、「呪い」も。もともとの呪いは、影響力。物事に影響する力のことをさします。その力自体にはいいも悪いもない。いいかえれば、よくもわるくするのも術者しだいです。黒魔術は、悪魔の力を。白魔術は神の力を。与える影響は、逆に位置するのに…いつのまにか、傷つけることを「呪い」名づけ、怖いもの。得体のしれないものとして位置づけされてしまっているだけ…」
言葉の持つ意味で、与える力が違い人の感情をゆるがす。
「言葉の意味に縛られていて、呪いというのは、影響力で…身近なものなら貴方も使っているのではないですか?言霊、それは、使う人によって人を喜ばせ守り、傷つける凶器にもなりえる怖いものです」
大泉南高校の二階にある部室では、鍵をあけてはいってきた孤華はニヤッと恐ろしい笑みを浮かべる。
「私に開けられない鍵はないのよ♪」
鈴香はぐったりとして、壁によりかかっている。鈴香が陸の事を知ってからの、佐久間玲奈のおちこみがダイレクトに頭痛になり腕の一部が痛む。佐久間にとって、彼女は仲のいい友達だったから、なおさらだ。
しかし、あの後すぐに廊下で思わぬ人物があらわれてあまりにもうるさかった孤華は、外にしめだされていた。
「…せやな」
関西弁に他校の制服を着ている青髪の少年は嫌そうな表情を浮かべる。
「その仕事、意外とあっとるんやない?」
思い切り泥棒家業についている。ピッキングは鍵の仕組みを理解し、練習しないとそうそううまくいかない。
「あら、なに思い切り嫌そうな表情を浮かべているのかな、零くん♪中学のときからの知り合いにむかって…。 学校さぼって、さらにデートしていたじゃない?鈴香のつけているこのピアスってあんたからのプレゼントだって…」
そこで言葉がとぎれた。
カラッという音をたててドアをあけて陸が入ってきた。
「…見つけた」
冷めた表情でそういい、鈴香のほうにゆっくり歩いてくる。
「おまえ!」
零に腕をつかまれてもクスっと彼女は笑みを浮かべる。睨みつけられているのに、平気だといわんばかりに口元を持ち上げる。
「私は、ただ、探し物を持ち帰る事ができれば何もしない」
「やっぱり、愁の…?」
視線だけを動かして、陸を見る。陸とは視線があわない。鈴香ではなく別の人物を見ている。
「…そう。頼まれたのよ」
「なにを?」
「もう、知っているのでしょう?」
陸は、なにを今更きくのかと呆れたため息をはく。
「集めているの。危険があればそのときは…」
悲しげに目を伏せる。
「勝手やそんなん!」
「ただの力目当てである青年が白夜を狙っているのも事実よ。それに、その判断が間違いって貴方は言える?すべての事実を知らない貴方が」
「だからって、暴走する可能性があるからって…処理するかもしれへんて!」
「悪い、と言いたいの?」
すっと指をさして銃のかたちをとると、ふざけるかのようにバンっと口でいう。
「本当に、相手のためだと言えないことでも。可能性を考えて行動する世の中なのよ」
それに…と陸は続けて言う。
「この出来事の発端は、ある堕天使が好きな人のためにおとした力が暴走したから、集めることにした。彼女のために、いえ、彼は自分のためにそうした。その行動が悪いといいきれるほど、あなたは誰も傷つけずにいられた?」
そうして彼は、力を管理するための組織をつくった。少しでも力の持ったものが、自分のように壊れないように、被害がでるまえに、危険なものは処理をするという手が赤く汚れる仕事も組織に与えた。
しかし、そうなる前に未然に盗むことでふせごうとした。
管理しようとしたとき、櫂は力を持った少年の友人になっていたのに、上司に欲がとりつく。何も知らない櫂は、少年が傷つくことのないように上司に報告した。
そして、無理に解放させればどうなるのかなんて考えもしない上司は、力ほしさに無理に奪おうとして。結果的に、少年は自分の手で大切な彼女を壊してしまう。
【8】
中庭で杳がうずくまっている。
「…っく…」
痛みをともなって思うようには動けない。心の中の獣が、低い声で少年に語りかけてくる。
『殺せ…少年を殺し、痛みを与えた青年を』
「なぜ?」
『それだけのことをアレはした。知っているか?アレは彼女以外愛せない偏愛主義者だ』
「した、ところで…なにが、変わる…!?」
『……』
「死ぬことが、命をうばうことが最大の憎しみだと誰が決めた…?恐ろしいんじゃねー…そんなもの逃げているだけじゃねーか!! 奪って何になる?憎いから、殺す権利なんて誰がもつ? 痛みを与えると思うのなら、最後まで生き抜いてみせろ!」
コツっ
足音がして見上げるとダークスーツに身を包んだメガネをかけた青年がたっている。前髪を真ん中でわけていて、冷たい表情で見下ろす。
「貴方が、『プロキオンの涙』ですか?」
「誰、だ?」
「これは、失礼いたしました。私は椎名といいまして木下家に仕えている執事です」
本能がこの青年は危険だと告げている。
「貴方を…」
ニヤっと歪んだ笑みを椎名という青年は浮かべる。
「奪いに参りました。…あの方の、慎様のために…」