前篇
ある犯罪者の話をしようか。
もはやだれも彼を止め得なかった。誰よりも欲して、Greed、そして、誰にも負けない。
そんな悪逆非道で暴虐の限り無頼でわがままを突き通した人間もついに全てに飽きて隠居生活に入ってしまった。そんな時代。
そうだ、彼の強さを示すもっとも有名な話の一つについて語ろうか。彼のこの手の武勇伝には事欠かないが、その中でも芯から恐怖せしめた話がある。あれはフラデリカの西に百キロ離れた東京というところでの十年前の話だ。そう、十年前の東京の話だ。
太陽が容赦なくギラギラと照り付けて、木の陰でセミがじわじわと鳴いている。
二人の男が、かげろうを揺蕩わせる炎天下のアスファルトを踏んで歩いていた。
「はああ、全く休みを取る暇もないし、働きっぱなしでも出世なんて望むべくもない。ああ、本当にきつい仕事ですね、それも賃金的にも、ね、リーダー?」
そう言いながらため息をついたのは、まだどこかあどけなさを残す若者だったが、顔全体を疲労が覆っていてどこか顔色が悪い。左右に分けられた髪の毛は力を失って、じっとりと汗を吸い込んで額に張り付いていた。
「上の連中に毒されたか? 仕事ってのは金が全てじゃない」
そう答えたのは、四十を超えたくらいの壮健な男だった。白髪交じりの頭髪は、全てかきあげられているが、ぼさぼさといくらかその流れに逆らって伸びている毛髪がある。後輩に気丈なことを言ってはいても、やはり彼も疲労の色がにじみ出ていた。
若者は右手に持っているビニール袋を掲げて、中に入っているコンビニ弁当を睨んだ。
「最近こんなんばっかですよね」
「…………」
「はあ、おいしいラーメンを食べに行きたい」
「そりゃ、おいしくないラーメンを食べたい奴なんていないだろう」
「べつにそういうことじゃないっすよ……」
そこで会話がピタリと止まって、彼らは黙ってテレビ局までの道のりを歩く。ドームがてっぺんにくっついたような目立つ見た目のテレビ局は遠くからでもよくわかる。二人はトボトボと歩いた。
彼らがこんなに疲れていたのは、時代の転換期の煽りを受けていたからだ。世界は第三次世界大戦を迎える前に、第四次産業革命を迎えた。Industry4.0と呼ばれるこの産業革命は、IT技術がありとあらゆる分野に浸透していくことを指していた。
その産業革命の影響は、何も先進的な分野には限らなかった。インターネットの普及で娯楽のあり方が大きく変化していき、その波は当然テレビ業界に直撃した。欲しい情報がネットに転がっているおかげで、テレビを見る人間が減り、スポンサーからテレビ局への出資額も減り、番組を制作するのにお金がかけられなくなってきていた。その結果、テレビ局の雇用形態が変形していった。
番組を制作する人間は、正規社員というより派遣社員のような扱いになっていく。番組制作に、報酬チーム制というものが導入された。番組を制作するチームがあり、そのチームにテレビ局は出資する。テレビ局が、必要な機材を貸し出し、制作費も与える。しかし、その制作費はチームがちゃんとテレビ局に返さなければいけなかった。自分達が製作した映像によって……。
「まるで、自転車操業です……」
若者がぽつりとこぼした。堰が崩れたように、再び今までため込んでいた言葉が口をついて出た。
「俺、テレビのきらびやかな世界に憧れてきたくちなんですけど、自分が来たときにはもう、なんかイメージと違いましたね」
「時代は変わる、当たり前だ。変化するってのは、良いことだ。そして、今までとは違う形で俺達はやっていかなきゃいけない、最初は辛いかもしれないがな、そのうち軌道に乗るさ」
「はあ、そんな殊勝に元気なことを言う気力は僕にはありません。なんかとんでもないネタが飛び込んできたりしませんかねえ。誰もが飛びつく特上の金になる特ダネ。こうなんというかその、世界が危機にさらされるー、とかそんな感じのインパクトのある奴」
チャッチャラッチャ~~と気の抜けた着信音が鳴り、若者はポケットからスマートフォンを取り出した。耳に押し当てて、すぐに呆気にとられてビニール袋を手から落とした。
「え?」
豪華絢爛な屋敷の中に、お仕着せられた子供用の上品なスーツに身を包んだ少年がいた、名前は修一という、まだ生まれて二桁年には達していない。
ここは、都心に近い一等地だったが、そんなことには一切意に介さず、どんと大きな洋館が立てられた。ヴィクトリア王朝風の凝った木材の装飾が、洋館のいたるところをさりげなく引き立たせてはいたが、近くで見ればそれは手入れが行き届いておらず、少しずついたみ、色あせていた。
「……もごもご……むぐ……」
少年は傍にいる車いすに座りっきりの老人を眺めた。水気の失った目はつけっぱなしの煌々と光るTVをわずかに反射する。その老人は、その160インチの巨大なTVを、見ているのか見ていないのかわからないが、眺めていた。老人が言葉を発するのはご飯どきくらいでそれ以外のときは、言葉にならない呻きを上げるのみ。
老人の乾ききってあばたの浮かんだ皮膚を眺めながら修一は、やれやれだな、と半ば自嘲気味に心の中で呟いた。少年には十二分に自分の置かれている立場の馬鹿らしさというものがわかっていたのだ。
僕の両親が、僕をここに連れてきたのには意図がある。親は、その理由をはっきりとは言わないし、一応、僕をここにつれてきているのは他の親戚に秘密にしているようだ。親が隠しているのは、僕でもすぐにわかる程度の秘密だ。僕の祖父は大金持ちで、そして、子だくさんで親戚がたくさんいる。意図はめいかくすぎるよね。僕の両親は、祖父が僕に特別に目を掛けて、僕に遺産を残すように仕向けたいんだ。でも、今の呆けてしまったような祖父にそんな奸計が意味を持つとは思えない。とんだピエロだ、僕は。
部屋の隅にある時計をちょっと見る。時代遅れのおおきなのっぽの古時計が十一時半ごろを指している。古い時計だが、使用人がこまめに時刻合わせをするために正しい時刻を指していた。僕なんかは、普通に電波時計にしろよ、と思うんだけど、この屋敷はなにからなにまでお金がかかっていていけない。とにかく、もうじき昼頃で、昼ごはんのじかん、というわけだ。祖父のごはんはなかなかにひどい。どうでもいいけどさ。メイドのまゆみが祖父用のごはんを給仕するわけだけれど、メイドのまゆみはうちの両親と秘密裏に繋がっている。さりげなく細かいいやがらせをしている。例えば、祖父の苦手なたまねぎをたっぷりいれてみたり、それでも祖父は口に突っ込まれるスプーンを強引に押し返すことができず、いやがりながらも食べる。またはたからみても高齢者には酷である、高脂質、高塩分の料理を出したりと、さりげなくせめたてている。両親もまゆみも世間一般によくみられる小悪党だ。本当に殺したいのならさっさと毒をもるなりして、いかようにもできるものをそんな回りくどくやるのは、自分の良心が痛まない程度にいやがらせをしたいからだろう。
やれやれ、今日はどんな料理がだされるのだろうか。めったに喋ることのなくなった祖父が喋るのは、ごはんどきだけだ。おなかが空いたときに、まゆみを呼びつけてごはんを出させる。そろそろごはんをたべることを忘れるなんてことがありそうなものだけど、人間どんなになっても本能には忠実らしく、毎日忘れずにお腹がすいたときに呼びつける。そろそろだろう、連日だいたいこの時間くらいに呼びつける。
祖父の口がぴくり、と動いてのどを震わせる。
「……ま、まゆみ、わしのおひるごはんは、……まだかいのぉ?」
真鍮のドアノブがぐるりと回って、マホガニーで出来た分厚い扉が開いてまゆみが姿を見せる。フリルの付いてすその長いメイド服を着た見た目は派手でもないしけばけばしくもなく、清楚で大人しい女性と言った感じだが、実際のところ、うちの両親に加担するくらいには中身が腐っている女だ。
「まさとしさま、おひるごはんはさっきお食べになったでしょう?」
!! んん、なんて嘘ついてんだ、おいおいおい、攻めかたが斬新過ぎるぞ?? 餓死させる気なのか? そうなのか? でも、それはさすがに無理だろ? さすがにむりがあるんじゃ……。
「おお……、そうじゃったっけのう……さがっていいぞ」
「はい♡」
じ、じ、じじじいっちゃん!!!!!!! あんた飯食ってねえよ!! なんで騙されてるんだ、そんなチープな嘘にさ!! ちょっとまってよ、これはいけない、いや、祖父のことなんてどうでもいいんですけどね? そうはいっても、ちょっと見過ごせないことって世の中ある。ある、あるある。
僕の声が喉から出かかる。退出しかかるまゆみを呼び止めるために、いきを、吸う、しかし、吸いかけた息は行き場を無くして滞留する。まゆみが、閉じかけた隙間の扉から、僕の動きを咎めるように無表情でじっと見つめた。蛇に睨まれた蛙――僕は――体を硬直させてしまう。その様子に満足したように、そっと音も無く扉は閉じられた。
じんわりと手が汗ばんだ。そうだ、別に僕は祖父を手助けする義理なんてないわけで、別に余計なことはしなくたっていいわけだし、それでいいんだ。いいんだ。余計なことはしなくたって。
そうやって必死で言い訳をしている僕を客観的に見ている自分がいて、いやになる。どうしたらいいんだ僕は。自己嫌悪。Conflict。この屋敷の、格式ばった外見の間を通っているどんよりとした空気が僕の喉を締め付ける。ああ、こんな腐った館は、潰れてしまえばいいのに。こんな、腐った世界は、亡くなってしまえばいいのに。
ブルブルブルと、震える僕のポケット。スマートフォンを取り出して、電源をつけて、このとき、僕は、世界が、とんでもないことになっていることにはじめて気づいたんだ。スマートフォンの中の四角い枠に収まったSNSは、本当にその話題一色だった。
リーダーと呼ばれた中年の男と、若者は今や走ってテレビ局に向かっていた。
「せ、世界が潰れちまいますね、リーダー」
「少なくとも日本はだめだろうな。しかし、剣と魔法が跋扈する時代がまた来るのだろうかね……」
「災厄の卵、それがまさか実在したとは思いませんでした、てっきり与太話だと」
「しかも、それが東京の地下に埋まってたとはな」
「しかも、それが孵化してしちゃってますとはねえ。こともあろうに、ドラゴンって、こりゃそんじょそこらの災難どころじゃないですね。さっさと荷物をたたんで逃げなきゃこっちもやばい、結構近いですからね」
リーダーは、若者をちらりと見て少し悲しげな表情を見せてぽつりとこぼした。
「ケンジ、これが、特ダネだ」
走り続けて、二人はテレビ局に着いた。中は慌てふためいた人間でごった返していたが、二人は大声を上げながらどいてどいてと叫んで階を上がっていく。関係者以外立ち入り禁止の看板を越えてどんどんと進んでいき、第十三放送室と彫られた金属のプレートが貼られている部屋に入った。部屋の中には、四人のチームスタッフと、一人女性のマネージメントがいた。
「リーダー!! やっとこられましたか!!」
数々のモニターを前にして座っている眼鏡を掛けたその女性が、頭から、重厚なヘッドフォンを下ろして、振り向いた。リーダーはいつもよりもずっとがらんと静かになった部屋の中を見て問いかける。
「いつもより、この部屋スッキリしているじゃねえか? あいつらは今どこにいる? サボりか?」
いつもはこの部屋にぎゅうぎゅう詰めになるほど人がいていつも文句ばかり言っているのだが、今日はやけに少ない。
「いえ……、彼らは避難すると言って荷物をまとめて帰りました」
「そうか…………、……わかった。それでミチコ。状況はどうなっている、政府の反応はどうなんだ?」
「竜は依然として、東京タワーとスカイツリーの間の、東京バベルタワーの辺りにいるようです……。日本政府は自衛隊を出動させたようですが、ありとあらゆる兵器が効かず、結果全滅、らしいです。なんでも、その巨体にも関わらず戦車の砲弾すら避ける上に、当たったとしてもまるで効果がない、らしいですよ。信じられます?」
「けっ、とんでもねえことになってんな、よし、ヘリを出すぞ、そんなすげえものは撮るしかねえ!」
「それで、誰に撮らせますか?」
「ケンジっ、お前行くか?」
リーダーは、若者に喝を飛ばすように問いかけた。ケンジは、キョロキョロと視線を宙にさまよわせたあと、怯えた声を出す。
「え……逃げないんですか? 僕達も、危ないですよ? 死ぬかもしれないんですよ?」
リーダーはその言葉を聞いて、ただ、そうか、とだけ呟いた。
「よし、俺が行く。俺が撮影してくる。こっち側のことはよろしく頼む。ああ、あと、避難したい奴は避難すればいい。別に俺は咎めないし、お前らにも守らなきゃいけない家族がいるだろうしな」
それだけ言い残すと、すぐにリーダーは彼のデスクの上に置いてある鞄を肩に担いで出て行った。リーダーが部屋を出て行くと、ケンジは、自分の机に行って荷物を最低限必要な分だけリュックに詰め込んだ。ケンジは、そっと、部屋を後にした。
屋上に着いたリーダーは、ヘリコプターの入り口の横に備え付けてある長方形の装置に、社員証をかざした。このテレビ局に常置してあるヘリコプターは、全体が黒く無機質で、驚くほど流線型の形をしていた。遅れて、ぴっと電子音がしてから、グウンとヘリコプター全体が唸るように起動し始めた。
『クラモチタカシ認証しました、口座番号077AC4930、振り込み経路とその残金を確認しました、換算すると最大飛行可能時間は凡そ22742秒です、目的地を指定してください』
流暢な電子音ですらすらと告げられる。両サイドの扉がスライドして、リーダーが乗り込む。リーダーは入ってすぐのところに設置されたタッチパネルで設定を終えていく。
この自動操縦をしてくれるヘリコプターは、局員なら誰でも使えるが、やはり、TVから貸し与えられる形を取っている。一秒飛行するごとに約42円取られ、一見安く思われるかもしれないが、一時間も飛んでいれば馬鹿にならない出費になってくる。リアルタイムで絶え間なく引き落とされていくのだ。
設定を全て打ち込み終えて、ヘリコプターの両サイドの扉が自動的に閉まり、そして、プロペラが回転し始めた。やがて浮き上がって、テレビ局を見下ろすように飛び立った。大きなテレビ局を見下ろしながら、せせこましく運賃を請求するヘリコプターに、リーダーはため息をついた。
SNSが、そのまるで昔話のような東京を襲った災厄の話題で持ち切りだということに気付いたとき、テレビからバタバタバタとプロペラが空を斬る音が聞こえ始めた。祖父が見ていた巨大なテレビの画面が突如切り替わったのだ。東京を襲う災厄!!と、左上に簡単な説明が添えられているが、そんなことはどうでもいい。テレビに映し出されているのは、人工的な東京の街がいたるところから火の手を上げて、なぎ倒されたビル、地震でも起こったかというほどに砕け散った道路、街のなにもかもが無残に破壊されていた。僕が連れられたことのある、古い小さな遊園地や、演芸場、奇妙な金色のモニュメントを掲げた四角形のビール工場、それがいま、どれもみな残骸になっていた。そしてその街には本来は不釣り合いな、戦車、戦闘機の残骸も地上に転がっているのが確認できる。しかし、カメラはそれらに目をくれず、どんどんとこの事態の元凶にズームしていく。その禍々しいおとぎ話の世界の怪物に。
それは鈍く分厚い鉛色の鎧のような鱗に全身を覆われている。生命の祝福を纏っている鱗をもつ竜は、最強の盾とも呼ばれるように竜それ自体が何人も犯すことができない絶対不可侵の聖域そのもののようであった。
僕は吸い込まれるようにその画面を見つめていたが、目を奪われていたのは僕だけではなかった。
祖父は目をかっぴらいて、驚愕の色をあらわにして見ていた。さっきまで、感情に乏しかったその顔が苦渋に満ちている。しかし、それも無理もないかもしれない、老人には刺激が強すぎる。撮影されている場所は、ここからそう遠くはない、祖父も思い入れがある場所だったろうし、何より、このあたりもじきに奴が来て焼野原にしてしまうだろうから。
竜が咆哮してみせる。のこぎりで金属を削っているような甲高くて掠れた爆音が大地を揺らす。竜が、こちらを見た。いや、画面の向こう側の撮影している人間に狙いを付けたのだ。撮影している人間の慌てる声が聞こえる、もうだめだとか、そんな声がヘリコプターの雑音などの間に聞こえる。
竜がついにとびかかるか、と思ったとき、竜はその動きを止めて、視線を下におろし目標を変えたようだった。竜の前方数百メートルのところにあるコンビニエンスストアの自動扉が空いて、一人の男が出てきた。
逃げ遅れた男性がいるようです、とナレーションが叫んだ。
ぴぽぴぽぴぽーん、と気の抜けた電子音とともに空いたコンビニの自動ドアの先に竜がいた。全身から立ち上がる熱気で蜃気楼を背負っているように見える。コンビニから現れたのは、粗雑な身なりの男で、伸びた髪の毛は肩までかかっていた。そして、手には、お湯を入れたばかりのカップ麺を持っていた。
「焼肉食いてえ」
とその男は呟いた。竜が咆哮して、甲高い音とともに押し寄せる気流が男の髪をなびかせる。その咆哮で初めて男はその竜に気付いたように、ぱちくりと目を瞬かせて竜を見つめた。高さが10メートルは間違いなくある竜は、遠くからでもはっきりと見える。
「はぁ~、これが竜か、初めて見たな」
と呑気に呟いた。




