鼻を近づけて
ナレ 明くる日、俺は福祉センターにやってきた。施設の中を探しても、キオはなかなか見当たらない。
キオ カーリマー!!こっちー。私こっちだよー?
ナレ やたら大きな声が窓の外から俺に呼びかけてきた。キオだ。
キオ カリマカリマ!私カリマに会うのすーっっっっごい、楽しみにしてたよ!
ナレ まだ声を出してなかったんだが、キオはどうして気づいたんだろう。
キオ なんていう花?
カリマ ラブリーブルー。青いバラ。
キオ 青いのは名前聞いたらわかるよ。
カリマ おまえが青をみたいっていったんだから、苦労してお前でもわかる青を持ってきたんだろ!
キオ はいはい、ありがとうございます。早く見せて、ラブリーブルー見てみたい。
ナレ キオは主演女優のカーテンコールのように、深々とお辞儀した。
カリマ はーいはい、花束はこっちですよ~っと。
ナレ ラブリーブルーをもった手をキオの顔に近づけた。あろうことかキオのやつ、俺の手を見つけて、俺の手首ごと掴んで顔に寄せた。
カリマ うおおおおおおっ!?
キオ とっても涼しい!でも作り物じゃない、生きている花のいい香りがする!
カリマ 痛って痛って!棘、トゲ!
キオ くんくん!これすっごくいいにおいだね。ここ掘れワンワン!
カリマ こら!人の話聞けよ!!
ナレ 人としていろいろ間違っているキオは大きく目を見開いてラブリーブルーを嗅いだ。花を嗅ぐときに目を見開くヤツなんて初めて見た。そんなキオをみてると、棘の指す痛みは吹き飛んでしまった。わけねーだろ!
カリマ ううっ、うっ!
キオ なーにが、おかしいの〜?
カリマ なんにもおかしくないない!いってえんだよ!!
キオ なに、私がかわいい!?
カリマ とにかく手を離せ!
ナレ 俺はキオの手を振りほどいた。センターの人に手当てを受けてる間、キオはちぢこまって謝っていた。
キオ ごめんね、ごめんねカリマ。
カリマ いいんだキオ。バラのとげのことしらなかったんだな。
キオ 知ってたよ。でも忘れてた。
ナレ キオが普段より2回り縮んで見えた。もしかして目が見えないから、棘のことを忘れて俺を傷つけたと気に病んでいるのだろうか。
カリマ いいんだ。
ナレ 所在なさげにふらふらしていたキオの両手を、絆創膏だらけの手で捕まえた。
キオ あっ。
ナレ 色を失っていたキオの顔が、ほんのりと色づく。
キオ ウヘヘヘヘ。
ナレ キオのぬくもりを確かめるように、ゆっくりとキオの手をなでた。
キオ ふふっ。カリマの手って指細くて、わりかしセクシーだよね。
ナレ キオの顔の輪郭が目に見えて緩んだ。キオの表情は猫の目のようにめまぐるしい。
キオ バラに棘があるのって忘れてたなー。バラを持ったことはあるんだよ?でもそのときのバラは棘抜かれてたんだね。
ナレ キオが触れる現実は大人に刺をぬかれてた。みんなキオに優しくしようとして、世界が持つ危険を根こそぎ取っ払う。
カリマ 棘も触ってみるか?
キオ トゲって触れるの?
カリマ ゆっくりさわれば痛くない。大丈夫。キオには、俺がいる。
ナレ おれは右手をキオの右手に重ねて、ゆっくり、ゆっくり、左手に持ったラブリーブルーに近づけ、キオの右手に棘を触れさせた。
キオ ん。コレが刺だねー。ちっちゃくってもちゃんと刺さると痛そうな刺だー!
ナレ 刺を教えるために、あえて刺の側面を触らせてやったら、刺の先をツンツンとさわりはじめた。刺さることはないだろうが、キオのやることはこっちがハラハラしてしまう。
キオ もしかして心配してくれてる?
カリマ 当たり前だ。
キオ でもこの子は刺もちゃんと可愛いよー。
カリマ いくら可愛くても刺さると血が出るんだよ。
ナレ でも、キオは危険だったり、優しくなかったりする世界をじかに触れたがっていた。
キオ 大丈夫だよ、このくらい。それにカリマもおんなじじゃん。
カリマ 何が?
キオ カリマとラブリーブルーは似てる。涼しくて、甘くって、つんつんしてて、それが全部可愛いの!
カリマ ・・・俺は、かわいくない・・・
キオ 可愛いのがいやなの?
カリマ やめろ!
キオ うん?
ナレ 可愛いと呼ばれることに、俺は激しく抵抗した。
キオ カリマ、そういうのいわれんのヤなんだ。なんか難しいね、カリマ。
キオ でも、私はカリマのそういうとこ、いいと思う。ラブリーブルーみたいなところが。
ナレ 俺とキオの目と目は、10センチも離れてなかった。俺はその時、どんな顔をキオに向けていたんだろう。
キオ 私はカリマがラブリーブルーみたく見えるよ!
カリマ ぜってー違う!俺はそんなんじゃねえよ!
キオ 残念、私にはそう見えるのです!
カリマ ちがうちがう!俺の姿が見えないからそういうこと言うんだろ!
キオ カリマだって、私が何見えてるかわかんないんでしょ?私はラブリーブルーとカリマは似てると思う。
ナレ そういってキオはすーっとラブリーブルーを嗅いだ。
キオ やっぱりカリマはラブリーブルと似てる。私はラブリーブルーの匂いだいすき。ちょっと痛い刺もだいすき。私はラブリーブルーで青が見えて幸せ。そして、ラブリーブルーを私にくれたキオに会えて幸せ。
ナレ 俺はラブリーブルーはキオにこそ似合う花だと思っていた。涼やかで可憐で純真で、神秘をたたえているようなあの香りと色合いが、彼女に重なったからだ。でもその青が、俺と同じとキオに言われて、たとえようもない嫌悪感を感じた。
ナレ 俺はその時、まだ「青」を受け入れられていなかった。そのとき、「青」が見えなかったのはキオではなく、俺の方だった。