第90話 首都到着
『ゲート』とは名ばかりの城壁の切れ目を通過して、機動城砦ペリクレスは不可侵領域へと入った。
不可侵領域は砂洪水が起こらないエリアだとは言うが、ゲートを通過した後も相変わらず砂漠が続く。
しかし艦橋の窓から見える景色は、それまで変わることなく続いていた空の青と砂の白の二色から大きく変わる。
正面には不可侵領域の巨大な壁に囲まれた砂漠。その中にぽっかりと浮かぶ島の様な『首都』の姿がナナシ達の視界一杯に広がっている。
遠目にはその首都の姿は巨大な港といった趣を持って見えた。
砂漠との境界の部分には、延々と石垣が積まれ、そこから幾本もの突堤が砂漠に向かって伸びている。そしてその幾つかには機動城砦が接舷し、停泊しているのが見えた。
マレーネの話によると、この突堤――常設橋というらしい。は西端を1番として東端の15番まで全部で15本。
その一つ一つが、3000ザール級の機動城砦が停泊できるサイズであることを考えれば、如何に首都が巨大であるかが分かるだろう。
現に今も呆然と窓の外を眺めているナナシの眼には、首都のその両端は、霞んで見えない。
砂漠との境界である石垣の向こうには延々と市街地が広がり、更にその向こうには、首都を横断するかの様に白く長大な建造物が横たわっているのが見える。
その高さはサラトガ城やペリクレス城と大差無い様に見えるが、何しろ幅が長大に過ぎる。少なくとも今ナナシの視界に入っている範囲では切れ目無く延々と続いていた。
実際にこの建物が『首都』というエリアの横幅一杯に続いているとすれば、20ファルサング(120キロメートル)もある建造物ということになる。
「あの白いのは?」
「千年宮」
「あれは皇王陛下の御住いになられている千年宮です。嘘か真かはわかりませんが、建造に千年かかったと言われています。と、仰られています」
誰に尋ねるでもなく、唯呟いたという体のナナシの疑問に、マレーネがボソリと答え、トリシアがそれに言葉をつなぐ。
建造に千年かかった。
その言葉にナナシは怪訝そうに眉根を寄せる。
それは有り得ない。この国の建国からは、未だ300年も経ってはいないのだから。
砂漠の民に伝わる口伝と大いに食い違う内容に、ナナシは胸の内でそう呟いたが、わざわざ口に出すことはしない。
おそらく皇家の権威を高めるために誇大に吹聴されているだけなのだろう。そう結論づけた。
しかし、ナナシが一瞬怪訝そうな顔をした事を不審に思った者がいる。マレーネだ。不思議そうにナナシを見つめる彼女と目があうと、ナナシは取り繕う様に冗談めかして言った。
「ははっ、あんなに大きいとあの中で、迷子になりそうですね」
「そう。だから分からない」
「そうです。あの大きさですから、皇王陛下が千年宮のどこにいらっしゃるのかは誰にもわからないのです。
側近の者との連絡も魔導通信で行われると言います。と、仰られています」
「そうなんですか?」
マレーネは無言でこくりと頷く。
「ええ、前回皇王陛下が臣民の前に直接お出ましになったのは、19年も前、皇姫ファティマ様ご誕生の祝典であったと聞いております。と、仰られています」
その時、トリシアの言葉の後半に重なる様なタイミングで、艦橋の窓から、常設橋の一つに赤々とした灯りが灯るのが見えた。
すぐに艦橋乗員の一人が報告の声を上げる。
「誘導あり! 接舷指示9番常設橋!」
どうやら、あの灯りの灯っている常設橋に接舷せよという指示らしい。
その左隣には二つの機動城砦が並んで停泊しているのが見える。
7番には漆黒の機動城砦が、8番には全体にドーム状の屋根が架かった機動城砦が、それぞれ首都の方へと頭を向ける形で停泊している。
「主様、あの黒い機動城砦はアスモダイモスです」
それまでナナシの脇で静かに控えていた剣姫が耳打ちする。
あれがサラトガを陥れたという機動城砦アスモダイモス。
サラトガがアスモダイモスの襲撃を受けている時、ゲルギオスからの帰路にあったナナシはアスモダイモスについて、話には聞きこそすれ、実際に見たのはこれが初めてであった。
「サラトガはどこでしょう?」
キョロキョロと窓の外を見回しても、ナナシの目に見える範囲にはこの二つの機動城砦しか見当たらない。
「たぶん14番か15番」
「恐らくサラトガは、反逆者として遠ざけられていると思われますので、ここからでは遠すぎて見えない14番か15番の常設橋に停泊しているのではないでしょうか? と、仰られています」
7番8番のあたりが、首都の中央付近ならば、東の端の方ということだろう。
ナナシは東の方角へと目を凝らす。
霞の向こう側に薄らと影の様なものが見えた、そんな気がしたが、それがサラトガなのかどうかは流石に判断がつかない。
ナナシのその様子を他所に、トリシアが代弁した内容に応える様にキスクが話に割り込んでくる。
「ま、反逆者扱いなら、そうなるわな。あと確か1番から3番までは修復ドックを兼ねてるはずだから、ストラスブルとローダはそのどこかに入ってるんだろうよ。こっちはサラトガとは真逆の西の端だな」
そう言って、キスクがヘイザの方へと振り向くと、ヘイザは無言で頷いた。
「さて、ということはだ。
首都のカルロンは千年宮の奥まで入ってるから見えねえのは当然として、ストラスブルとローダ、それとサラトガはそれぞれ両端に停泊。
目の前に泊まってんのがアスモダイモスと……あれはヴェルギリウスだな。
んでもって、ゲルギオスは反逆者になったわけだから、来れる訳がねえ。
ってことはまだ到着してねぇのは?」
そう言って8本目まで指を折ったキスクを見ながら、マレーネがボソリと呟いた。
「……メルクリウス」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
機動城砦ペリクレスの城門の位置は、他の機動城砦とは異なり、後部の円形の部分に設置されている。
そのためペリクレスは、一度常設橋まで近づいたものの接舷するために大きく旋回する必要があり、最後部を首都の方向へと突き付けるようにして接舷を完了するまでに、更に二刻程を費やした。
太陽は既に中天に近く、城門の前には既に首都へと出かけようという民衆が群れて、むせ返るような熱気が城壁の内側に籠っている。
人々の後方には、おそらく商人達だろう。荷物をたくさん載せた荷車が次から次へと集まってきて、かなりの混雑が起こっている様に見えた。
ナナシ達は、その群衆から少し離れたところに集まっていた。
「僕と剣姫様は砂漠側を砂を裂くもので移動しますけど、キスクさんはどうします?」
「ああ、俺はマレーネ嬢ちゃんから驢馬を借りた。15番までなら4ファルサング(約24キロメートル)程だろう。全力で走れば、お前らに少し遅れる程度でサラトガにたどり着けるはずだ」
「ぼ、僕らも、驢馬と荷車をか、か、借りたから、ハヅキとマリーさんをの、の載せてのんびりススススストラスブルにむ、向かうよ」
城門の方から聞こえるざわめきで、互いの声が聞き取りにくく、ナナシ達は顔を寄せ合って、ここからの互いの行動を確認しあう。
そうこうするうちに、地面がバウンドする様な軽い衝撃があった後、城門がゆっくりと開きはじめた。
「じゃあ、また後でな」
そう言ってキスクが、厩舎の方へ足を向けるのを皮切りに、ヘイザも荷車の上で待つマリーとハヅキの方へ走りはじめ、ナナシと剣姫も互いに顔を向け合って頷くと、城門の外へと歩きはじめた。
城門を通過して、常設橋へと降りると他の人間達が街の方へと向かうのとは反対にナナシと剣姫は砂漠側へと石垣の突堤を歩いていく。
突堤の先端まで来ると、ナナシは背負っていた鋼の板を砂漠の砂の上へと放り投げる。
そして、その上に飛び乗ると、振り向いて剣姫へと手を差し伸べた。
「行きましょう。剣姫様」
「はいっ!」
剣姫はニコリと微笑んでナナシの手を取ると、そのまま砂を裂くものの上へと飛び移り、背後からナナシの腰に手をまわす。
ナナシはきょろきょろと辺りを見回した後、「ここなら言っても怒られませんよね」と前置きすると、剣姫に微笑み返して、こう言った。
「サラトガに帰りましょう」




