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第86話 轟雷の牝牛

「モルゲン様もああ(おっしゃ)ってるんだ。お前らは今日はゆっくり休むといいさ。サネトーネ様が戻られるまでは、どうせ何もありゃしねえしな」


「違えねえ、ま、ありがとうよ」


 部屋へと案内してくれた気の良い兵士にそう返して、剽軽(ひょうきん)な顔をした男が扉を閉める。


 モルゲンと共にアスモダイモスへ戻ってきた兵士達は、通常の兵舎ではなく城内の来客用の客室に通された。

 その内の一つがこの三人部屋だ。


「お嬢ちゃん、もう大丈夫だぜ」


「うん、おじさん、ありがとう」


 剽軽(ひょうきん)な顔をした男が、振り返ってそう言うと、寝台に腰を下ろしていた少年兵は礼を言いながら、顔に巻いていた包帯をシュルリとほどく。

 包帯の下から現れたのは、傷一つ無い優しげな少女の顔。


 少女の名はミリア。

 家政婦(メイド)でありながら、同時にサラトガの軍師でもあるこの少女が、変装してまでアスモダイモスに潜入したのには、当然理由がある。


「で、本当にやんのかい?」


「うん、やるよ。そのために来たんだもの」


 ミリアの言葉の終わりを待たずに、それまで寝台に大の字に横たわっていた男が、跳ね起きると、ミリアの鼻先へと指を突きつける。

 他の兵達から『若造』と呼ばれていた男だ。


「お嬢さん、これだけは言っておくぞ! 僕らはね、アスモダイモス軍を裏切るつもりは無いんだ。ただサネトーネ様の仇を討つ、その一点のためだけに協力するんだからな! 誤解しないでくれよ!」


 少し興奮気味に捲し立てる『若造』の姿に、剽軽な顔をした男は呆れる様に肩を竦める。


「まあだ、そんな事に(こだわ)ってんのかよ」


「そんな事? そんな事だって!」


「そんな事だろうが! 

 お嬢ちゃんに協力するってのは、モルゲンの親方が決めたんだよ!

 俺らは親方を信じて従うだけなんだよ!

 おめえ、そんなことも分かんねえのか!」


「いや、そうだけどさ……」


 口ごもる『若造』を尻目に『剽軽(ひょうきん)』がミリアに微笑みかける。

 微笑むと言っても元々の顔が愉快なものだから、少しばかり目尻が下がった程度のものではあったが。


「悪かったな、お嬢ちゃん」


「ううん、それはそうだよね。

 ボクだってサラトガは大事だもん。おじさん達もアスモダイモスが大事だよね。

 だからこそ、アスモダイモス伯に成り済ましてるゴーレムの正体を確認しておかないと。

 おじさん達のアスモダイモスとは戦わず済む様にしながら、アスモダイモス伯に化けたゴーレムを倒さなきゃいけない訳だし」


 ミリアの言葉にハッと顔を上げる『若造』。

 その様子に満足げに頷いて『剽軽』はあらためて口を開く。


「じゃあ、善は急げだな。

 親方が動くと目立ちすぎるから、俺と『若造』でお嬢ちゃんを護衛する様に言われてる。

 目指すサネトーネ様の自室は4階。

 サネトーネ様がご不在ってことになら、4階まで上がっちまえば、巡回の兵もほとんど周っちゃいない。

 ただ、サネトーネ様の自室の鍵は、流石にサネトーネ様しか持ってないってのは問題だな」


「それなら大丈夫。セファルさんに『開錠(アプリレキア)』の魔法を精霊石に籠めてもらってきたから」


「おほっ! そんなのがあんのかよ、空き巣し放題だな、そりゃ」


「もう! おじさん、物騒な事言わないの」


 3人は身支度を整えると、()えて堂々と部屋を出た。

 ミリアも再び顔に包帯を巻きつけ、腰には使えもしない剣を()いている。


 階段を上がる途中で出くわした巡回兵は、3階幹部フロアのモルゲンの部屋へ報告に向かうのだと言えば、特に怪しまれることも無く通してくれた。


 実際に『剽軽』にしろ、『若造』にしろ(まご)う事無き、本物のアスモダイモスの兵だ。

 途中で出くわした巡回兵が顔見知りで、互いの無事を祝う、そんな場面すらあった。


 そうして3階をやり過ごし、4階へと到達。

 4階に上がってからは、より慎重に行動する。

 巡回時を除けば一般兵の立ち入りが禁止されている領主の占有領域(プライベートエリア)なのだ。

 流石にここで見つかったら、どんな言い訳も通用しない。


 4階の1フロアが丸々、領主の占有領域(プライベートエリア)

 ミオがサラトガの幹部スペース。その特に大きくもない一室を自室として使用していることを思えば、相当に贅沢な様に思えるが、これが領主本来の姿であろう。

 どちらかと言えばミオの方がおかしいのだ。


 見通しの良い長い廊下、その中央にサネトーネの自室の扉がある。

『剽軽』と『若造』の二人がそれぞれに廊下の両側に目を向けて警戒する中、ミリアはサネトーネの自室の扉に耳を当てる。


 中からは、ごおっという空気の音の他には、何の音も聞こえてこない。

 ミリアは、腰につけた皮袋から握りこぶし大の精霊石を取り出すと、鍵穴に押し当てて、セファルに教えられたとおりに『聖句』を唱える。


開錠(アプリレキア)


 精霊石が小さく明滅すると、カチャリと鍵が開く音がした。


『剽軽』と『若造』二人に目配せして頷きあい、そっとノブを引いて小さく扉を開くと、まずはミリアが部屋の中へと入る。

 続いて『若造』、最後に『剽軽』が部屋の中へと滑り込んだ。


 呆然と立ち尽くすミリアに対して、背後から『剽軽』が困惑気味に尋ねる。


「なあ、お嬢ちゃん、(おり)ゃあよう、領主様の部屋なんざ初めて入ったが、こういうものなのかい?」


「ううん、少なくとも普通では無いと思うよ」


 アスモダイモス城の4階をほぼ占有する広大な部屋。

 3人の視界に入ったのは、寝台と脇棚(サイドチェスト)

 それが広い海の真ん中に浮かぶ無人島の様に、ただ、ぽつんと置かれているだけで、この部屋には、あとは何一つ無い。


 あまりにも生活の臭いの希薄なその部屋の有様に戸惑いながら、ミリア達は部屋の中央に置かれた寝台の方へと歩み寄る。


 ミリアは、寝台の方へと向かう途中で、床の赤絨毯に所々、家具の脚の跡がついていることに気付く。

 それは、この部屋が元々はこんな閑散としたものではなかった事を示している。 理由は想像がつかないが、わざわざ場所を開けたという事なのだろうか?


 ともかくも、これから室内を(あさ)ろうという現状においては、探すところが極めて少ないこの状況は歓迎すべき事ではある。


 まずは脇棚(サイドチェスト)

 そこに見当たらなければベッドのシーツを剥いでと、そう考えながら脇棚(サイドチェスト)の引き出しを下から順に開けていく。

 ほとんど何も入っていない引き出し。

 そして最後に一番上の引き出しを開けた時に、机の中でごろりと何かが転がった。

 それは指輪。

 手入れもされずに、表面の銀が酸化してくすんだ古い指輪。

 それが一つ、無造作に放り込まれていた。


「……ビンゴ」


 指輪をつまみあげて、目の前で細かく観察しながらミリアは呟いた。


 間違いない。

 これはサラトガ領主の印である指輪。

 三年前、サラトガ伯の地位を簒奪(さんだつ)しようとしたミオの叔父、フロデと共に流砂に呑まれて、失われた筈の指輪であった。


 ボズムスらの旧来から仕えていた家臣たちは、どうあってもあの指輪を探すべきだと主張したが、ミオは取り合わなかった。

 領主の資格の有無は民にこそ問うべきものであり、指輪一つに左右されるようなものであってはならないと。


 前サラトガ伯の死に乗じて、ミオを追放しサラトガを乗っ取ろうとした男。

 銀嶺の剣姫の力を借りたミオとミリアによって、砂漠へと放逐された男が息絶えた後でこんな形で復讐して来ようとは。

 半ば予想していた事とは言えど、ミリアは背筋が寒くなる思いであった。


 そっと指輪を元の位置に戻し、『剽軽』へと振り返る。


「おじさん、アスモダイモス伯に成りすましている奴の正体が掴めたよ」


「そうなのかい?」


「うん、ボクはこのままここを脱出してストラスブルに行くよ。

 そこで味方と合流して手を打つから、あとはボクにまかせて」


 ミリアの言葉の終わりとともに、扉が乱暴な音を立てて開く。

 扉を振り返るミリア達の視界に、ドアの向こうからフードを目深に被ったローブ姿の男が部屋へと入ってくるのが見えた。


「それは、少し困るな」


 口元に薄笑いを浮かべるローブの男。

『剽軽』と『若造』は剣を抜き放ち、ミリアを背に隠す様に男の前に立ちはだかる。

 ミリアは二人の背後から、ローブの男を冷静に観察しながら、問いかける。


「誰?」


「名乗ったところでお主は知らぬよ」


「俺は見覚えがあるぞ。貴様、マフムードの子飼いの占い師だな」


『若造』が指を突きつけてそう言うと、ローブの男はフッと鼻を鳴らした。


「子飼い。そう子飼いだな。マフムード様の忠実なる(しもべ)だ。

 残念ながら、私はここのところ失敗続きでな。罰を受けることを覚悟して戻ってみれば、こんなところに挽回のチャンスが転がっていたのだから、貴様らには礼の一つも言わねばなるまい」


 そう言い放つとローブの男は(ひざまず)き、掌を地面へと押し当てる。


方陣スインボロ!」


 男の叫びと共に地面に閃光が走ると、それが丸、三角形そして逆三角形と次々に図形を描きはじめ、その周囲を取り囲むように神代文字が現れては消える。


魔獣召喚(レボカ・デイ・デモニ)


 中央の円形が幾重にもブレたかと思うと魔法陣の外周から黒い煙が立ち上り、中央の円形、そこから耳を塞ぎたくなるほどの大きな唸り声とともに、黒い獣の(あぎと)が飛び出す。


 呆然と立ち尽くす『剽軽』と『若造』の目の前に、唸り声を上げながら巨大な魔獣が這い出してくる。

 

 黒犬(ブラックドッグ)


「あ、ああっ、あ」


 あまりのことに『若造』は酸欠の金魚の様に口をパクパクと動かしながら力なくそれを指さし、『剽軽』は、ミリアへと力なく微笑んで頭を掻いた。


「食い散らせ! 黒犬(ブラックドッグ)!」


 ローブの男が手を振りかざすと同時に、魔獣は三人に向けて飛び掛かる。

 迫る牙。

 男達は自分の無力さに歯噛みしながらも、ミリアを守るべく覆いかぶさる。

 ギュッと目を閉じて、『剽軽』は唯その瞬間の訪れを待つ。

 しかし覚悟した痛みはいつまで経ってもやってこなかった。


 頬に当たる、獣の生臭くも熱い息。

 激しい唸り声。

 少なくとも、自分達の眼前に魔獣がいることは間違いない。


 ゆっくりと目を開けると目の前には魔獣の巨大な口内が広がっている。


「ヒッ!」


 思わず喉の奥からなさけない声が洩れる。


 しかし獣はもがくばかりで、それ以上先に進むことが出来ずにいる。

 目を凝らしてみると獣と『剽軽』達の間には透明な壁が立ちはだかっていた。


「煉獄のぉ魔物を召喚するなんてぇ、珍しいものを見せてもらったわぁ」


 背後から、鼻にかかるような甘ったるいトーンの女の声が聞こえて、ミリア達は思わず振り返る。


「シュメルヴィ様!」


「はぁーい」


 それは、出奔を装ってストラスブルで調査をしている筈のサラトガの筆頭魔術師、シュメルヴィであった。


「どうしてここへ?」


「どうしてもぉ何もぉ、ずっとぉいたんだよぉ。認識はぁ阻害してたけどねぇ」


 何故か腰を屈めて胸を強調する様なポーズをとるシュメルヴィ。

 たぶん、もう何かこういうポーズが、癖になっているのだろう。


「じゃぁ、そこのぉ愉快な顔の人ぉ」


「愉快な顔?!」


 シュメルヴィに指さされて『剽軽』は絶句する。

 さすがに初対面の人間に愉快な顔などと言われるとは思ってもみなかった。


「ミリアちゃんを連れてぇ逃げてくれるかしらぁ」


 そう言うとシュメルヴィは、目の前でもがいている黒犬(ブラックドック)を指さして、小さく呟く。


魔槍(ジャベリン)


 その瞬間、シュメルヴィの指先から(ほとばし)った稲妻が槍の形を取ると、もがく黒犬(ブラックドック)の眉間を貫いた。


 哀しげな声を上げながら、塵になって消滅していく魔獣。

 あまりに呆気ない出来事に『剽軽』と『若造』の二人はただ狼狽(うろた)える。


「早くぅ」


 必要もなく胸を揺らしながら、『剽軽』を急かすシュメルヴィ。

 ともかくも『剽軽』と『若造』はそれぞれにミリアの手を取ると、引き摺る様にしてドアに向かって突進する。


「逃がすか!」


 脇をすり抜けようとするミリア達へと、ローブの男が手を翳す。

 その瞬間、シュメルヴィの手元から飛び出した火球がローブの男の足元へと着弾し、男はその衝撃で後ろへと弾き飛ばされる。


「無詠唱だと?!」


 男は身体を起こしながら、シュメルヴィへと目を向ける。

 ミリア達は既に扉を出て、廊下を走っていく足音も既に遠い。


「え? こんなことでぇ驚いちゃうのぉ? 底の浅さがぁ知れちゃうわよぉ」


「シュメルヴィと言ったか……なるほど、思い出したよ。

 貴様がかの有名な『轟雷の牝牛(めうし)』か、お会いできて光栄だ」


『轟雷の牝牛(めうし)


 ローブの男の口からその二つ名が出た途端、シュメルヴィの表情が消える。


 俯いたままツカツカと男の方へ歩み寄り、顔を上げるとそこにあるのは極太の血管を額中に浮かばせた鬼の形相。

 ビクッと身体を震わせた男の胸倉を掴んで捻りあげると、シュメルヴィは抑揚(よくよう)の無い口調でただ一言。


「コロスゾ」


 それまでの甘ったるい喋り方はなんだったのか。


「な、なんか、あの、その……スイマセン」


 ローブの男は、あまりの剣幕に小さくなって目を逸らした。

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新作始めました!舞台はサラトガから数百年後、エスカリス・ミーミルの北、フロインベール。 『落ちこぼれ衛士見習いの少年。(実は)最強最悪の暗殺者。』 も、どうぞ、よろしくお願いいたします!
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