第85話 はい、ココでボケて!
「反逆者ミオ・レフォー・ジャハン。
皇王陛下の命により、これより貴様を連行する。
尚、貴様の領主たる資格及び権利は、これを全て剥奪。
裁判の終了までは、一罪人として、肉体的安全のみを保障する」
ひっくり返してみれば、精神的にはドえらい目に合せてやるぞ。そういう暗い意気込みが透けて見える宣言であった。
機動城砦サラトガが、首都カルロンを含む砂洪水の発生しないエリアーー不可侵領域の最東端に設置された常設橋に接舷、停泊すると同時に常設橋の上で待ち構えていた皇家直属の兵が乗り込んで来る。
皇家直属兵の中でも、上位にあると思しき兵が、城門の内側に整列していたサラトガの乗員達の目の前で書状を広げ、それをミオの眼前へと突きつけた。
ざわめくサラトガの乗員達を手で制し、ミオは動じる様子も無く、無言で両手を胸の前へと差し出す。
その兵が背後の部下へと顎をしゃくると、部下は進み出て、ミオの両手に重々しい鉄の手枷をはめる。
ガチャリと重厚な音がして兵士が手枷から手を離すと、あまりの重さにミオは前のめりに倒れそうになるのを辛うじて踏みとどまった。
手をだらりと下へと垂らして、ミオは苦しそうに息を吐く。
思わず飛び出しかけるキリエを、アージュが押し止める。
ミオがアージュに与えた役割はキリエの暴発を防ぐことだ。その指示が無かったならば、もしかするとアージュの方が先に飛び出していたかもしれない。
殺気立つサラトガの乗員達をぐるりと見回して、皇家直属兵は更に高圧的に告げる。
「サラトガの乗員は全て我らの監視下に置かれる。後ほど乗員名簿と照会の上、点呼を行う。それまで各員自室にて待機せよ」
「あのぅ……。私達下働きの者も乗員という扱いでございますでしょうか?」
手を挙げて、おずおずと尋ねたのはグスターボ専属の家政婦メアリであった。
「貴様ら使用人なんぞ、一々相手にしておれるか、馬鹿者!」
「ひぃ、す、すいませぇん!」
兵士に怒鳴りつけられて、メアリは頭を抱えるようにして後ずさる。
「使用人共は、民間人同様に難民キャンプに一時収容となる。とっとと、この城砦を出る準備を始めて、民間人の集合場所へ移動せよ!」
メアリに向かってそう言い捨てると、兵士は再び居並ぶサラトガ乗員を威嚇する様に見回して、部下へと指示を下す。
「連れて行け!」
ミオの両脇を兵が抱えるとそのまま引きずる様にして、サラトガの城門から常設橋の方へとミオは連れ出されていく。
ここは皇王のお膝元、エスカリス・ミーミルの首都である。
それぞれの機動城砦に比べても、首都の住人の皇家への信奉は深く、崇拝と言っても良い領域にまで至っている。
ミオはそんな民衆が待ち受ける街中を、皇家の姫を殺害した反逆者として、曳き回された上に、裁判の日まで牢へと繋がれるのである。
たとえ肉体的な安全を保障されたとしても、どれだけの殺意に満ちた視線と心無い罵りが、この小さな少女の身に投げかけられるのかと思うと、キリエは胸が張り裂けそうになる。
「ミオさまああああぁぁぁ!」
喉も張り裂けよとキリエは声を上げ、アージュとペネルはただ俯き、その後ろで、セファルはぐずぐずと鼻を鳴らす。
その時、ミオは突然振り向いて、乗員達へ向けて何かを喋った。
残念ながら、キリエにはミオが何を言おうとしたのかは、分からなかった。
しかし唇の動きで、ミオが何を言ったのかを理解したアージュはミオの、そのハードすぎる指示に戦慄した。
ミオは確かにこういったのだ。
「はい、ココでボケて!」
城門の向こうに消えていくミオの背を見送りながらアージュは、この小さな領主がどこへ向かおうとしているのか、今一つわからなくなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「皇王陛下は民草には罪は無いとの、慈悲深いお言葉を賜っておる。
貴様ら一般市民は一時、難民キャンプへと収容される。もし機動城砦サラトガが解体される場合には、それぞれの機動城砦への移住を斡旋される」
広場へと集められた民間人たちに、皇家直属の白い鎧を来た兵士が大声でそう告げる。ざわめきながらも民衆は兵士の指示に諾々と従って、城門から外へと向けて歩き出した。
「おい、ちょっと良いか?」
移動するサラトガの住民達の列の中から、皇家の兵に向かって声を掛ける者がいる。
兵士が声のした方に目を向けると、焦げ茶色の革鎧を着た一団、その中でもとりわけ大柄な男が手を上げているのが見えた。
「我々は、アスモダイモス軍属の者だ。オアシス間を移動するにあたって、偶々、このサラトガに乗り合わせたのだが、我々はアスモダイモスへ戻っても構わないのだろうな!」
大柄な男のその言葉に兵士は 訝しげにその一団を見回したうえで、少し待てと、上官へと指示を仰ぎに走っていく。
しばらくしてその兵が戻ってくるとこう言った。
「私がアスモダイモスまで貴君らに同行し、アスモダイモス軍属の人間であることを確認することを条件に許可する」
「よかろう」
大柄な男ーー『酒樽』モルゲンは鷹揚に頷いた。
「貴君らアスモダイモス軍属の者は何名おられる」
「うむ、ワシを含めて9名だ」
皇家直属の兵は、その言葉に従ってアスモダイモス兵だと主張する一団を声を出さずに数える。
目の前の大柄な男の他に、確かにアスモダイモス軍支給品と思しき革鎧を纏っている人間は8人であった。
見る限り半数は負傷兵の様で、足を引き摺っている者も居れば、腕を吊っている物もいる。
とりわけ少年兵らしい小柄な男は、顔の大部分を包帯に覆われており、傷の酷さを想像させた。
サラトガの停泊している東端の12番常設橋から、アスモダイモスの停泊している首都にほど近い7番の常設橋までは、同じ不可侵領域の中といっても4ファルサング(約24キロメートル)の距離がある。
そこを歩いている内に、いかにも体力の無さそうな少年兵がふらつきはじめると、それを見ていた周りの兵達は異常なほどそれを気にして、「大丈夫か?」「荷物をもってやろうか?」と声を掛ける。
同行する皇家直属の兵は不審に思って、モルゲンへと尋ねる。
「あの少年兵は、えらく人気があるようですな」
「がははは! そう見えるか?」
「ええ」
機嫌よさげにモルゲンは応える。
「そうだな。我々を憎しみと愛情の渦巻く坩堝に叩き込みながら、結局、愛情を上回らせてしまう程、可愛らしいワシらのアイドルだからな」
「…………」
皇家の兵はそれ以上聞くのを止めた。
確かに長期の遠征では、同性愛に目覚めてしまう者も少なく無いと聞く。
あまり触れない方が良いだろう、そう思ったのだ。
アスモダイモスへと到着すると、この男達が本物のアスモダイモス兵であることは直ぐに分かった。
モルゲンの姿を見止めた時の、門兵の反応があまりにも劇的であったからだ。
一瞬声を失ったその兵士は、慌てふためきながらモルゲンに敬礼すると、城門の内側に向かって叫んだ。
「おぉい! 皆、モルゲン様が帰られたぞ!」
城門の内側から、歓喜の表情を浮かべて飛びつかんばかりに兵士達が飛び出してくるのを見て、皇王直属の兵は苦笑しながらモルゲンへと告げる。
「確認は充分に取れました。私はこれで失礼します」
「おおそうか、ご苦労であった」
『酒樽』モルゲンは豪放磊落な性格から、元より兵士達に人気の高い将軍ではあったが、これ程に兵士達が喜んでいるのには訳がある。
『鉄髭』ズボニミル、『酒樽』モルゲン、『傭兵』キスクと3人もの将軍が、サラトガ軍との戦いで行方不明となっていた。
唯でさえ領主サネトーネは傍に怪しい占い師達を侍らせて、その占い師達が専横を欲しいままにしているような状況で、それを掣肘し得る将軍達が誰一人として帰ってこないということに兵士達は、著しく不安を抱いていたのだ。
手近な兵にモルゲンは尋ねる。
「サネトーネ様はいずこに?」
「ハッ! サネトーネ様は首都到着後すぐに、千年宮に入られました」
「裁判の終了までそちらに滞在されるということか?」
「ハッ! そう伺っております!」
「マフムード殿も一緒か?」
「ハッ! ご一緒であります!」
モルゲンは、背後を振り向き包帯の少年兵と頷きあうと、出迎えの兵達に告げる。
「皆が喜んでくれるのは嬉しいが、まずは休ませてもらおうと思う。
ワシは自室に戻るが、後ろの者達はワシに付き従ってここまで転戦してきた勇士達である。
階級の区別無く、まずは彼らに部屋を用意して休ませてやってくれ。煩雑な手続きなどは明日以降に頼む」
そこに居合わせた兵達は流石は『酒樽』モルゲンだと頷きあい、自分だけでは無く部下の兵達の事も深く考えてくれる素晴らしい将軍だと褒め称えた。




