第9話 一撃にして一殺と心せよ。
話は30分ほど時間をさかのぼる。
「じゃ、水撒くからね」
壁面についたハンドルを回して、ミリアは放水バルブを開く。
シューという音とともに、天井に張り巡らされたパイプから、霧状に水が吹きだして、ゆっくりと砂の地面を濡らしていく。
天井から水が降ってくる。
その贅沢極まりないシチュエーションに、一年を通して渇きを抱えたまま生活してきた、砂漠の民の少年は心を躍らせる。
ここは練兵場。
100ザール四方もある巨大な箱型の建物の中に、戦場となる砂漠が再現されている、いわゆる軍の兵員訓練施設だ。
このエスカリス・ミーミルにおいて、戦場といえば、国土の90%以上を占める砂漠に他ならない。当然、戦闘訓練も砂漠を想定したものとなるのだが、城砦の外で訓練をするために停泊することは、同時に砂洪水に巻き込まれる可能性を上昇させるということに他ならない。それゆえ、箱庭のような砂漠を作りそこで訓練を行っているのだ。
理屈では理解できるのだが、ずっと砂漠で生きてきた少年には、それが豪勢なパーティの席で、出される料理に目もくれず、持参の弁当を広げている。そんな滑稽さに思えた。
だからと言って、与えられた仕事をおろそかにするつもりはない。今日、少年に与えられた仕事は、この箱庭砂漠の清掃なのだ。
具体的には、T字型の器具を使って砂の凸凹を均し、最期には熊手で、風紋を再現するところまで行う。その作業の際、砂埃が立ちのぼるのを避けるためにまず、最初に水を撒くのだという。
箱庭砂漠の是非はさておき、精霊石の照明に、吹きだした霧状の水がきらめく風景は、少年を興奮させる。
「すごい! ミリアさん! ホントに水が降ってくる!」
少年のはしゃぐ姿に、ミリアはハンドルを掴んだまま、クスリと笑う。
この家政婦の少女にも、少年が楽しそうにはしゃぐ姿は、この仕事が、さも楽しいものであるかのように錯覚させた。
しかし、その時、異変が起こった。
突然、砂のフロアに青い光が走り、凄まじい速さで砂の上に図形を描いていく。
円、三角、逆三角、そして再び円。
光の軌跡は、いつしか魔法陣となり、その周囲の空間自体を震わせて、ピシピシと不吉な音を立てはじめる。
「な、なに!? なにが起こってるの?」
狼狽しながら、ミリアはナナシの腕にしがみ付く。
微かに黒い瘴気を漂わせる、青い光で描かれた魔法陣。
二人が呆然と見つめる中、魔法陣の中央から、植物が芽をだすように白い棒状のものがせり上がってくる。
それは人の腕。白い骨だけの腕だった。
その腕が、肘の部分から折れ曲がり、ビタンと地面に掌を押し当てると、それを支えに人骨が這い出してくるのが見えた。
「す、骸骨兵!?」
ありえない。ミリアはそう思った。
そもそも不死者になる死体がないのだ。
機動城砦には、慰霊碑があるだけで、墓地は存在しない。
死んだ者は流砂に流されて、ただ砂の海へと還るだけだ。
しかし、ミリアが如何に否定しようとも、現に目の前では、そのありえない光景が起こっていた。
魔法陣からは、留まることなく次々に骸骨兵が這い出し続けているのだ。
「どうしよう、ナナちゃん」
ミリアは、怯えた表情でナナシを見つめる。
ナナシは魔法陣を見つめたまま、唇を固く結んだ。
どうしようと言われても、出口は魔法陣のさらに向こう、すでに一群にまで数が増えた骸骨兵の群れの向こう側なのだ。
本来取るべき『逃げる』という選択肢が、すでに消滅してしまっている。
いや、この時点で決断すれば、ナナシ一人ならば、骸骨兵どもの脇をすり抜けて、表へと逃亡することも出来たかもしれない。
ナナシは砂漠の民。自分達を見下す貴種の、それもたかが家政婦一人を見殺しにしたところで、砂漠の民にナナシを責めるものなど、いるはずがないのだ。
しかし、ナナシの中にその選択肢は生まれてこなかった。
彼は、野蛮人と貶められる存在である。地虫と蔑まれる存在である。
しかし、卑怯者ではない。
「ミリアさん。僕の後ろ、壁際まで下がってください。」
どれぐらいの時間を耐えられるかはわからないが、とにかくやるしかない。それがナナシの出した結論であった。
「う、うん」
ミリアが手を離して、後ろの壁にもたれる様に背をつけると、ナナシは、その前に立ちふさがるように位置をとった。
その瞬間、すでにフロアを埋めつくすほどに増えた骸骨兵どもが、一斉に二人の方へと顔を向ける。
そして、空洞でしかない眼窩に二人の姿を捉えると、一斉にカタカタと歯を鳴らした。
笑っている……?
天井から滴り続けている水以上に冷たい戦慄が、ミリアの背中を走り抜ける。
突然、それまでゆらゆらと、覚束ない足取りでただ立っていただけの骸骨兵達が、二人にいる方に向かって、駆け出しはじめた。
中には、砂に足をとられて転倒する者もあったが、そんなものもお構いなし。われ先に互いを足蹴にしながら殺到してきたのだ。
「きゃあぁぁぁぁ!」
背後からミリアの悲鳴。迫りくる白骨の群れ。
「一の太刀を疑わず、一撃にして一殺と心せよ」
大きく息を吸うと、部族の年長者に散々唱えさせられた『心得』を唱えながら、細く吐き出す。絶望的な状況にも関わらず、ナナシの心は凪いでいた。
腰の刀に手を掛けると、前後に足を開き、腰を落とす。
先頭の骸骨兵は、既にナナシの眼前で剣を振り上げている。
「いやぁぁぁぁあ……」
惨劇を想像し、ミリアは涙声の悲鳴を上げて、顔を背けた。
次の瞬間。
骸骨兵の上半身が滑り落ちた。
思わず、目を見開くミリア。
ナナシは腰だめの姿勢のままで、動いた様子は見えなかった。
それにもかかわらず、ナナシの目の前にいた骸骨兵は胴体を真っ二つに切断されて文字通り、地面に骸をさらしたのだ。
ナナシは、確かに骸骨兵を切っていた。
ただ、ミリアにはそれが見えなかっただけなのだ。
それは、粉砕することを主眼に、重厚な剣を取回すこの世界の剣術とは、違う地平にある技術。
剣を収めた鞘をカタパルトのようにして剣速を増し、面相筆で弧を描くように『線』で断つ、砂漠の民が『ジゲン』と呼ぶ、神速の剣術であった。
ミリアが驚愕に目を見開いている間にも、迫りくる骸骨兵たちは、次々に胴を薙がれて、崩れ落ちていく。
ミリアの目には、それは魔法にしか見えなかった。
しかし、今ナナシが使っているのは、魔法でもなんでもない『技術』。
砂漠の民の男子であれば、誰もが年長者から指導される、ただの『技術』なのだ。
みるみる内に、ナナシを中心として、半円状に人骨の山が積み上がっていく。
しかし、圧倒的な数の差は埋めがたく、ナナシも無傷ではいられない。
致命的な傷はないものの、骸骨兵の剣がナナシの身体に、多くの傷をつけていく。
次第にナナシの顔にも疲れの色が見え、剣速にも翳りが見え始める。
それでもただ、ひたすらに剣戟の壁となって、ミリアを守り続けていた。
そうしている間にも骸骨兵は後から後から湧き出して、尽きる様子が無い。とうとうフロアからあふれ出た骸骨兵が、出口のドアをやぶり、外へと流れ出していくのが見えた。
すぐに、練兵場の外からも怒号や悲鳴が聞こえはじめ、すぐ外で骸骨兵の迎撃が始ったのがわかる。
すぐ外に、救援がいるのだ。
生き残れるかもしれない。
弱々しく、か細いながらも、命綱は繋がっている。
ナナシは、血の伝う頬を払い、その顔に凄絶な笑みを浮かべてつぶやく。
「わかりやすくていいですね」
唯一、生き残る方法は、剣を振るい続けること。
救援が来るのが先か、ナナシが力尽きるのが先か。