第83話 誰の上にも等しく陽は昇る。
東の空が白みはじめ、砂丘の稜線に沿って、一条の光の線が浮かび上がる。
オアシスの湖面に反射した光がキラキラと揺らめいて、ペリクレス外周の城壁の上、ヘイザは膝を抱えながら、ぼんやりとそれを眺めていた。
城壁のすぐ下へと目を向ければ、オアシス中央の通りを水汲み桶を抱えた女子供が、湖の方へと三々五々と歩いていき、道の脇では日の出とともに、慌ただしく露天商達が商品を並べはじめている。
自分の胸の内で千々に乱れる、この想いは一体何だろう。
ヘイザはただ戸惑っている。
昨夜、ハヅキの正体が行方不明のストラスブル伯その人だと発覚して以来、どうにも胸が苦しい。
キスクの大鼾を聞きながら、まんじりとも出来ずに夜明けを迎え、そして行く当ても無く彷徨う様に部屋を出た。
オアシスを見下ろしながら、ヘイザはぼんやりとハヅキの事を考えている。
もうしばらくすれば、この機動城砦ペリクレスは首都へと向けて進発する。
首都へ着けば、そこには機動城砦ストラスブルが停泊しているはずだ。
そして、そこでハヅキとはお別れ。
考えてみれば、キスク達に出会ってから、まだ一月程度の時間しか経っていない。
しかし、それでもヘイザ達は家族の様だった。
キスクが父でマリーが母、ヘイザが兄でハヅキが妹。
こんなことを言えば、キスクは顔を顰めるに違いないが、ヘイザはヘイザなりにその関係を愛おしいと思っている。
しかし、それはあくまでヘイザの想いだ。
ハヅキに本当の家族がいるならば、そこへ返してやらなければならない。
なるほど、妹を失うというのはこういう気持ちなのか。
今なら、キサラギを攫った機動城砦を探して、わき目もふらず駈け出したナナシの気持ちが、少しは理解できる様な気がした。
ヘイザは思わず苦笑いして、抱えた膝に自らの顔を埋める。
「しけた面してんじゃねえよ」
その瞬間、背後からキスクの声がした。
「お前まさかハヅキのこと、ストラスブルまで連れてって、はいサヨナラで済むと思ってんじゃないだろうな?」
「え、だ、だって」
キスクは、ヘイザの直ぐ隣りにドカッと座ると、城壁の外へと足を投げ出す。
「ばっか。むしろ守ってやらねえとなんねえのは、ストラスブルに着いた後だ」
「どどど、どういうこと」
「今のハヅキに領主なんてもんが務まるわけねえだろう。大方都合よく利用されるだけだな。
ストラスブルに信用できる奴がいるなら良いが、そうでなけりゃ、ハヅキを連れて四人でまた逃げるだけさ」
キスクのその言葉に頷くように、ペリクレス全体が小さく震えた。
引き続いて、微かな振動が座り込んだ身体の下、城壁を伝って登ってくる。
城壁の脇を、小さく砂が波立つのが見えた。
「うん、そ、そうだね」
ゆっくりとオアシスが離れていく。
オアシスの子供たちが手を振りながら、ペリクレスを追って走る。
「拾ったのはお前だぜ。最後まで責任持てよ」
そう言って、ヘイザの髪をくしゃくしゃと掻き撫でると、キスクは歯をみせて笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で、これはどういう状況なんでしょう」
ペリクレスが進発する緩やかな揺れで目を覚ましたナナシは、自分のベッドの隣に寝ているものを見て、戦慄した。
慌てて飛び退いてあらためて、ベッドの上に目を向ける。
そこには、薄い夜着を纏ったマレーネと剣姫が、互いに剥き出しの脚を絡ませながら、がっちりと抱き合って寝息を立てていた。
「うふぅん」
まるでナナシの目を意識したかの様に、剣姫の口から悩ましい声が零れ、薄い夜着の向こうに透けて見える背骨が描く背徳的なライン、その美しさに思わずナナシはごくりと喉を鳴らす。
「ご説明します」
「うわっ!?」
背後から突然声を掛けられて、ナナシは思わず飛び上がった。
慌てて振り向くと、そこには代弁家政婦トリシアが立っている。
「ト、トリシアさん?」
いつもと変わらぬ様子で佇んでいるトリシアではあるが、元々女性にしては相当に身長が高いので、二人で向かい合うと見下ろされているという威圧感が凄い。
「昨晩、若様がお休みになった後、マレーネ様が極々普通に夜這いに伺ったんですが」
「極々、普通に夜這い!?」
衝撃の発言である。
「いざ、参ってみると、丁度、剣姫様が若様のベッドに入ろうとしているところでございまして」
「……ちょっと、待って」
何かおかしなコメントが聞こえた様に思えたのだが?
夜、部屋に戻ってすぐナナシは鍵をかけた。間違いなくかけた。念には念を入れて自分で予備の鍵も取り付けた。窓だってきっちり施錠したはずだ。
なのに、鍵がどうという話も無しに、なんで、いきなりベッドに入ろうとしてんの?
思わずドアの方へと目を向けると、床には石化した状態で砕けた鍵の残骸らしき石片が転がっている。
「マジか……」
流石に剣姫も鍵を破壊してまで侵入してくることは無かった、少なくともこれまでは。
どうやら、昨日の出来事は、彼女に何らか一線を越えさせるほどのものだったらしい。
「そこで慌ててマレーネ様は若様をお守りすべく、いいですか? もう一回言いますよ、若様をお守りすべく、剣姫様と若様の間に身体を投げ入れました」
「うん、何で二回言ったのかは分かりたくは無いですが、わかりました」
「そして若様を取られまいとお互いの身体を押さえて、くんずほぐれつ牽制している内に、二人で抱き合った状態で眠ってしまったというわけです」
僕が寝ている間にそんなことが……って良く起きなかったな僕。
「えーっと、というわけです。というのは良いんですけど、トリシアさんはその間、何をされておられたんですか?」
「私はマレーネ様の家政婦ですので」
「ですので?」
「応援しておりました。それはもう一心不乱に!」
そう言ってグッと拳を握るトリシアへナナシは一言。
「止めろよ」
そう言って、じとっとした目で、目を逸らすトリシアを見た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
機動城砦ペリクレスがオアシスを離れ、首都へ向けて出航した頃、機動城砦サラトガは、既に明日の昼には到着するというところまで、首都へと接近していた。
いつもならば早番のクルーがぽつりぽつりとしかいない艦橋。
それが今朝に限っては、こんな早朝にも係わらずミオ、キリエ、アージュ、ミリアそしてヘルトルードと、主だった人間が集まっている。
しかもこの一団は、作戦テーブルを囲んで一様に頭を抱えて唸っていた。
そもそもこの面子が、こんなに朝早くに艦橋に集まっているのは、今朝配信されたばかりの『消耗戦』のダイジェストを見るためだ。
ここに居る誰もが、ナナシの試合の行方が気になっていたのである。
そして放映終了と共にこの有様であった。
何が起こったか。
まずアージュとミリアが、ナナシに飛びついた白い少女の存在に嫉妬した。
次にヘルトルードは、自分が見たことも無かった剣姫の技に嫉妬した。
最後に、ミオが鯖ネタというボケの大ネタを繰り出したゴードンに激しく嫉妬したのである。
ただキリエだけは、嫉妬では無かった。
ヘイザたちがペリクレスにいることを知り、あの男が愛する弟にお兄ちゃんと呼ぶことを強要する姿を想像し、怒りに肩を震わせていたのだ。
一つ言えることは。表彰式の様子が映像に含まれて居なかったのが、せめてもの救いであった。
彼女達を包むどんよりとした空気に艦橋クルー達が他でやってくれという想いを隠しながら、見なかったふりを決め込んで、はや一刻。
折角、集まっているのだからと、ミリアが明日の首都到着後の段取りについて話を始めたことで艦橋クルー達はホッと胸を撫で下ろした。
全く持って、迷惑な話である。
「というわけで一応、状況を整理しておくね」
「頼むのじゃ」
「首都への到着は明日のお昼頃。到着次第、まずはローダとストラスブルをドック入りさせて、それから首都側の指定位置。たぶん、首都から一番遠いところになると思うけど、そこにサラトガを停泊させることになると思う」
「なんでわざわざ遠い位置なのだ」
キリエが片方の眉を跳ね上げる様にして疑問を呈する。
「一応従順に従っているけど、サラトガは反逆者だからね。牙を剥く可能性のあるものを流石に懐には追いとけないよ」
「なるほど」
「到着後、ミオ様は首都の兵によって連行されることになる。
これはたぶんヒドイ扱いを受けることになると思うけど、ボクらは、何も手を打てない。
何か仕掛けると逆手にとられて反逆の意志の表れとか言われかねないからね」
ミリアが感情を交えずそう言うと、キリエとアージュが息を呑んで沈痛な表情を浮かべる。それを見たミオが呵呵と笑って、二人に微笑みかけた。
「まあ、裁判が終わるまでは殺されることはなかろうて。心配するな」
「で、裁判が終わるまでクルーは全員サラトガ内に武装解除の上、軟禁ってところかな。サラトガが解体される前提で、民間人は首都郊外の難民キャンプに収容されるかもしれないね」
そこまで言うと、ミリアは思い出した様にヘルトルードに向き直る。
「そうそう、サラトガの正規クルーじゃないヘルちゃんはストラスブルに今日中に移っといてね。そしたら、首都でも自由に動けるから」
「そら、ありがたいな。ウチ、首都は来たこと無かったから楽しみにしとってん、見物ぐらい出かけてもかまへんやろ?」
そういって楽しげに笑うヘルトルードをキリエが睨み付ける。
「貴様、こんなときに不謹慎ではないか!」
「まあまあ、お姉ちゃん。ヘルちゃんにはボクからお願いしたい事があるから、それさえやってくれたら、あとは見物でもなんでもご自由にって感じだよ」
苦笑気味にそう言った後、ミリアは声のトーンを下げる。
「さて、問題の裁判の行方だけど、この領主を裁く裁判っていうのは、本来であれば、被告を除く8人の領主と皇王陛下の全部で9票。
でも今回は最初から投票権の無いサラトガだけじゃなくて、領主不在のストラスブル、それと反逆者扱いのゲルギオスには投票権がない。つまり全7票なんだよね」
「ふむ、ファナが生きていてくれれば、無罪には入れてくれたじゃろうにな」
「まあ、それは言っても仕方ないね。
まず、アスモダイモスは当然有罪に票を投じる。それと皇王陛下も当然有罪に票を投じるだろうから、何も工作していないカルロン伯とヴェルギリウス伯も当然有罪に投じるだろうね。皇王陛下に盾つく理由なんて無いからね。
で、無罪は、ローダ伯とナナちゃんが頑張ってくれたおかげでペリクレスが無罪に転じて、アスモダイモスとは逆にしか投票しないというメルクリウスも無罪」
「ちょっと待ってください、隊長の妹君、それでは……」
指折り数えていたアージュが、言葉を失う。
「そう、現時点では3対4で有罪確定という状況だね」
「ちょっと待て、ミリア。4対3で逆転できる。そう言っておったじゃないか!」
思わず声を荒げるキリエの鼻先に、ミリアが指を突きつける。
「お姉ちゃん。慌てないの」
ミリアはミオと頷きあうとこう言った。
「最後のピースは裁判の当日にならないと、はまってくれないんだよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「右舷35度、敵機動城砦発見。機動城砦ゲルギオスです!」
首都から約2日の位置で機動城砦メルクリウスの管制員は、機動城砦ゲルギオスを発見。艦橋へとつながっている伝声管に向かって声を上げた。
発見即殲滅がこの軍事城砦の基本行動。
戦争狂の異名を持つクルルを領主に戴くこの機動城砦は、ゲルギオス発見と同時に、まるで獲物を見つけた肉食獣の様に、領主の指示を仰ぐまでもなく戦闘態勢へと移行する。
その後、朝の目覚めと共にゲルギオス発見の報を聞いたクルルは、飛び上がって喜んだ。
身支度もそこそこに、蓬色の革鎧の留め金を留めながら、足早に兵士達が整列しているであろう広場へと向かう。
渡り廊下の途中で、キルヒハイムが待ち受けているのを見て、思わずクルルは舌打ちした。
「一刻も早く首都へとたどり着かねばならないというのに、こんなところで道草を食っている場合ではないでしょう。義妹殿」
案の定、いけ好かないこの義兄はクルルを諌めようとしてくる。しかし、クルルは足を止めることなくキルヒハイムの前を素通りする。
キルヒハイムもそうなることは分かっていたとばかりに、慌てることなくクルルに並んで歩きながら再び、口を開く。
「全領主が到着するまでは裁判は始められないのです。遅れれば遅れるほど、我が主サラトガ伯が首都で不当な扱いを受ける時間が長引きます」
しかし、その訴えはクルルには何の感慨も与えなかった。
「ゲルギオスは皇王陛下に対して反逆したと連絡が来ておったよなぁ」
「それは確かにそうです」
「大義名分を背負って、何一つ気兼ねすることなく戦争が出来るこんな機会を、この私に見過ごせと?」
「時と場合というものがあるでしょう」
「馬鹿野郎! シュレヒター家の女が獲物を前に沸騰する血を抑えられるもんかよ!」
キルヒハイムは思わず天を仰いで、足を止める。
そうだった。ここの連中はみんなこうだ。
広場へと到着するや否やクルルは、副官と思しき、年配の兵士に声を掛ける。
「私の迎撃装甲を準備させろ、今日は私自ら出陣する」
そして足を止めることなく、居並ぶ兵士達の前へと出ると、クルルはとても楽しげに言い放った。
「さて、同士諸君! 誰の上にも等しく陽は昇ると言うが、我々の前に立ちはだかる愚か者には、明日昇る太陽を見せてやる必要は無い。
思う存分 戮せよ! 誅せよ! 楽しい、楽しい、闘争の始まりである」




