第82話 あの子はストラスブル伯
「若様、ご友人がお見えです」
剣姫が部屋を飛び出すのと入れ替わる様にして入ってきた、家政婦がそれを告げるのと同時に、後ろからひょっこりとヘイザが顔を出した。
「な、なんか凄い勢いで、と、飛び出、しし、して行ったけ、けど?」
「あ、あははは……。だ、大丈夫、うん、気にしないでください」
少し引き攣り気味ではあったが、ナナシは笑って誤魔化した。
久しぶりにあった幼馴染に『剣姫様は自分との結婚を延期された結果、悲しみのあまり飛び出して行った』などとは、流石に言いづらい。
しかし、それだけでは終わらない。
室内を覗き込んだヘイザの視線が、ソファーで泡を吹いているペリクレス伯のところでピタリと止まるのに気付いて、ナナシは大慌てで自分の身体でヘイザの視線を遮りながら、代弁家政婦のトリシアへと声をかけた。
「あーペリクレス伯様も酔いつぶれてしまったなぁー。このままでは風邪をひいてしまうなぁー。トリシアさん、寝室へお連れしてもらえませんかぁー?」
しかしトリシアの返事は、
「嫌です」
まさかの拒絶。
お願いします。 空気を読んでください。
「プリーズ!」
「ノー!」
再度お願いするも、何故か頑なに嫌がるトリシア。
それを見かねて、マレーネがトリシアに指を突きつけて言い放つ。
「旦那様を困らせちゃダメ」
流石にトリシアも自分の主に言われては従わざるを得ないのか、一瞬口元をへの字に曲げて、ナナシを睨み付けた後、口を尖らせながら首を縦に振る。
「かしこまりました」
渋々。心の底からイヤだけど渋々。
そんな様子でトリシアはペリクレス伯の首根っこを乱暴に掴むと、ずるずると引き摺って部屋を出て行く。
ペリクレス伯の姿さえ見えなければ、誰がどう見ても粗大ゴミを捨てに行く、そんな風にしか見えない態度であった。
さっきの右ストレートといい、トリシアのペリクレス伯への扱いは少なくとも領主とそれに仕える家政婦のそれではない。
もしかしたら尻でも触られたのかもしれない。エロそうだしあの人。
「と、とりあえず、そんなところじゃなんですから、入ってください」
ナナシは、ずるずると廊下を引き摺られていくペリクレス伯を呆然と見送っているヘイザ達を部屋へ入るように促した。
おずおず。
そういった様子で、まずヘイザが部屋へと足を踏み入れると、その後をついて三人の男女が入ってくる。
一人は、細身で若干軽そうな雰囲気はあるが、戦士風の男。ナナシの目にはかなり腕が立ちそうに思える。
そして次が、楚々とした黒髪の少女。
黄色系統の色が交じり合った絞り染めのワンピースを着ている。この色彩でも、不思議と派手に見えないのは、この少女の持つ上品な雰囲気のせいなのだろう。
あとの一人はヘイザの背中にぺったりとくっついて隠れているので、良くわからないが、ヘイザの後ろからちらちらと覗く髪は毛先だけが黄色で、随分個性的な人物の様だ。
ヘイザの同行者と聞いた時には、砂漠の民の誰かが一緒に来ているのかと思っていたので、かなり意外な気がした。
「そちらは?」
「たたた、旅のと、途中で知り合った、た大切な、なな仲間」
「仲間ですか……」
あの引っ込み思案のヘイザが、これだけ堂々と仲間だと言えるというのは、ここへ来るまでの間に色々なことがあったのであろうことを想像させた。
成長したのは、ナナシだけでは無い。つまり、そういうことだ。
感慨深げにヘイザを見るナナシへと、戦士風の男がスッと手を伸ばす。
「キスクだ」
ナナシがその手を握り返すと、キスクはニカッと白い歯を見せて、おどける様に言う。
「まさか、探してた奴が今代の剣帝になってるとはなぁ。流石に驚いたぜ」
キスクがそう言った途端、その頬を掌で押しのけるようにして黒髪の少女が話に割り込んでくる。
「本当ですよ。賞金が金貨500枚ですよ。
旦那様もこれぐらい出世してくれたら生活も楽になるんですけどね。
っていうか、ねえねえ、ナナシさん! 金貨400枚で私を買い取りません?」
「ってーな、テメェ! 銀貨4枚で俺に買われた癖に、どんだけ価格高騰起こしてんだよ」
楚々とした見た目に反してグイグイと話に割り込んでくる少女に戸惑いながら、ナナシは尋ねる。
「あのぉ、あなたは?」
「マリーと申します、この甲斐性無しダメ旦那様の奴隷でーす、一応。主に夜のご奉仕を担当してますぅ」
「え゛?」
マリーの言葉にナナシが硬直すると、キスクが即座に声を荒げる。
「嘘つけ! 信じんなよ! テメェ、そういう貶め方はヤメろよな。ホント、人聞き悪すぎるぞ」
「はいはい。でも奴隷というのはホントですよ。今ならお買い得。金貨300枚でどうです?」
キスクの抗議もどこ吹く風。
マリーは飄々とそう言って、ナナシにしなだれかかる。
しかし、その途端、とてとてとマレーネが駆け寄ってきてナナシにしがみ付くと、マリーを見据えながら小さな声で呟く。
「あげない」
マリーは一瞬、不思議なモノを見る様な顔になった後、プッと噴き出した。
「ああ、そうでした。剣帝さんは新婚さんでしたね」
「いや、それは……」
ナナシが否定しようと口を開いた途端、外から突然、ズーンと重い爆発音のような音が響いた。
「襲撃か?!」
キスクは窓辺へと駆け寄って、壁に背をつけながら慎重に窓の外を覗き込む。
そうする間にも再びズーンと重い音が響いて、ヘイザの後ろに隠れていた人物を、ヘイザとマリーが庇うようにしてソファーの影に隠れた。
窓の外、キスクの目には爆発音がするたびに、城壁の向こう側で高く砂が舞い上がるのが見えた。
「あの威力、魔術砲の砲撃じゃないのか? 停泊状態のままじゃ狙い打ちだぞ」
「父様起こしてくる」
マレーネが慌てて部屋を飛び出そうとするのをナナシが制止する。
「ま、待ってください。大丈夫です。あれは襲撃じゃありません」
「なんか心当たりがあんのか?」
一斉に注目が集まる中、ナナシはコクリと頷いて言った。
「強いていうなら、あれは乙女の嘆き」
「乙女の嘆き?」
「そうです、あれはやり場のない怒りと悲しみが何もない砂漠へと解放される瞬間に放たれる魂の叫び声……」
ナナシの言わんとすることがさっぱり理解できず、全員微妙な顔になっている。
「平たく言えば、剣姫様がストレス解消に衝撃波を放っている音です」
ナナシがそう言った途端、中空に稲妻の様に光が走る。
「訂正、衝撃波やビームを放っている音です」
全員が唖然とする中、ナナシは小さく溜息をついて目を伏せる。
「そっとしておいてあげてください」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後しばらくズーン、ズーンと響き続ける音と、時々明るくなる空の様子に街の方でも結構な騒ぎになっている様なザワついた音が聞こえてくる。
一向に収まる様子の無い剣姫の衝撃波の音にナナシは冷や汗をかきながらも、何事も無かったかの様に話題を変えようとする。
「あと、そちらの、そう、ヘイザの後ろにいる方は?」
しかし、
「乙女の嘆きのくだりはいらなかった」
と、マレーネはダメだしを忘れなかった。
うっと何かを喉につめた様な顔をするナナシを見て、ヘイザは助け舟を出す。
この辺りは流石、親友と呼ばれるだけの事はある。
「ハヅキ、ちゃんとご、ご挨拶しよう、ね」
ヘイザは肩越しに自分の背中にピタリとくっついて隠れている人物に声を掛ける。
子供に言い聞かせる様な物言いにナナシは不思議そうな顔をした。
「ハヅキ? 砂漠の民の名前ですけど……」
「さ、砂漠の民じゃないんだけど、な、名前が無いんで、とと、とりあえずハヅキって呼んでる、んだ」
「名前が無い?」
「何が起こったのか知らねえが、幼児退行って奴だな。頭の中はちっちゃな子供だ」
ヘイザの説明では埒が明かないと思ったのか、キスクが説明を付け加える。
しかし、ハヅキはぐずってしまって中々出てこない。
ヘイザ達以外の人間に会う事自体がほとんど無かった訳だから、人見知りするのも仕方がないことであった。
「さあ、ハヅキ様。頑張ってご挨拶しましょうね」
マリーがハヅキの頭を撫でながら優しく促すと、ようやくハヅキがおずおずと顔を出す。
「うー、はづちれす、こんにぃわ」
舌足らずな挨拶と共に、ヘイザの背中からその少女が顔を出した瞬間、マレーネが硬直した。
すぐ隣で小刻みに震えながら、口をパクパクとさせるマレーネにナナシは怪訝そうに尋ねる。
「マレーネさん?」
自分が挨拶したのに挨拶が返ってこない。
幼い思考でも、ハヅキは不思議に思ったのだろう。
ふにゅ?とハヅキが首を傾げた途端、ヘイザを押しのけて、マレーネがハヅキへと抱きついた。
「ファナ、無事でよかった!」
全員が驚いて見守る中、マレーネが涙を溜めてそう語りかけると、ハヅキは不思議そうに自分に抱きつくマレーネを見つめる。
その直後、ハヅキは不機嫌そうな顔に変わると「やー!」という叫びとともに、マレーネの顔面に張り手を食らわした。
「ふべっ?!」
頬を歪ませて吹っ飛ぶマレーネ
「マレーネさん!?」
ナナシが驚愕の声を上げ、ヘイザとキスク、それにマリーが「あちゃー」という声とともに一斉に額を押さえる。
「最近、コイツがやたらにしがみつくもんだから、跳ね除け方覚えちゃったみたいでな……」
「そうなんですよ。身体が大人で手加減が無い分めっちゃ痛いんですよね。あれ」
ナナシは床に突っ伏して目を回しているマレーネの元に慌てて駆け寄る。
「マレーネさん大丈夫ですか?」
「だ、だひ、大丈夫」
「突然、どうしたんです。あの子はお知り合いなんですか?」
床に蹲ったまま、マレーネはコクコクと首を振る。
「私の大切な友達」
「お友達なんですか?」
再びコクリと頷くと、マレーネは顔を上げて言った。
「あの子はストラスブル伯」
その瞬間、静寂が部屋の中へ舞い降りる。
放たれた言葉が耳から入り、脳の中で意味を形作るまでに異常なほど時間を必要とする。世の中にはそんなタイミングが存在する。
「「「「えええええええええええ!?」」」」
一斉に驚愕の声を上げる大人達を見回して、ハヅキは「ふにゅ?」と首を傾げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃、メフメト卿の屋敷では、不満げに頬を膨らませるキサラギの姿があった。
「なんでアンちゃんとこ、行っちゃダメなのよぉ」
木箱の上に腰掛けたキサラギは、足をぶらぶらさせながら強硬に主張する。
「全てを見切る眼を手に入れたアタシはもう無敵よ。アンちゃんのジゲンだって躱せるし、マフムードだって怖く無いもん!」
ゴードンの魂を喰い終わって、眼の調子を確かめ終わった途端、早速ナナシの元へと向かおうとするキサラギを、その側近の魔術師シュルツが諌めたのだ。
「今、少年は銀嶺の剣姫と共に行動しております。少年一人ならともかく、以前ゲルギオスで対峙したときには、あれよりも数段劣る双刀の剣士にすら苦戦されたのでしょう?」
「苦戦なんかしてないもん。逃げ足が早かっただけよ。
アタシの中のキサラギちゃんも言ってるわ。あのビッチ、アンちゃんに色目使いやがって、次にあったら1cm角のサイコロステーキに成るまで切り刻んでやるってね」
シュルツは溜息をつく。
「あの少年は貴女の兄ではありませんよ、マリールー」
シュルツは、あえてゴーレムの本体となっている魂の名を呼ぶ。
「貴女には、あの爆発音が聞こえませんか? あれは銀嶺の剣姫です。
我々の存在に気づいて威嚇しているのか、誘い出そうとしているに違いありません。今、のこのこと出て行ったら相手の思うつぼです」
確かに先程から、頻繁にズーン、ズーンと重い爆発音のような音が聞こえている。
確かに対峙するとなったら厄介だなぁとキサラギは口を尖らせる。
「それに、私の目には砂漠の民の少女との同化がずいぶん進んでしまっている様に思えます。
唯で済むとは思いませんが、今からでもマフムードに投降して、調整してもらいませんか?
このままでは、その砂漠の民の少女に飲まれて、貴女が失われてしまうかもしれません」
マフムードに投降する?
今から投降したところで、あの冷酷な男が自分を裏切ったゴーレムを解体しない訳が無いではないか。
キサラギに飲み込まれる?
だからこそ早く、ナナシを喰って最終兵器とやらを手に入れなければならないのだ。
「アンちゃんと一緒になって、最終兵器さえ手に入れてしまえば、何でも手に入るわよ。マフムードだって脅せば一発で言う事を聞かせることが出来る様になる」
シュルツは再び溜息を吐く
「貴女は何も手に入れようとは思っていないのでしょう?
全てを燃やし尽くしたいだけではありませんか? 貴方がそうされた様に」
 




