第81話 ドン引きするぐらい往生際悪いな、お前。
ナナシが呆然としている内に、表彰式は恙無く終了した。
式典の最後には、ペリクレス伯が後日改めて正式な婚礼の式典を執り行うことを宣言し、盛大な拍手と共に6日間に渡って行われてきた消耗戦は幕を閉じたのだ。
そしてそこから数刻の時間を経て、今、ナナシは自分に割り当てられた部屋のソファーに腰を埋め、眉間に皺を寄せながら、厳しい表情で考え込んでいた。
考えろ、本当にこんな事で良いのか? まだ間に合う、考えるんだ僕。
剣姫もマレーネも、誰もが羨む様な美しい少女である。
それが何を好き好んでか、競うようにして、ナナシの妻になりたいと迫ってくる。
本来であれば『モテ期到来!』と飛びあがって喜んでも良さそうなものだが、今、ナナシは耐え難いほどの懊悩を抱えている。
何故なら、ナナシには今、救わなくてはならない人達がいる。
キサラギの魂は未だにゴーレムの中に囚われたまま。
サラトガは解体の危機にあり、ミオの命は風前の灯。
幾らなんでもそんな時に『嫁ゲットだぜ!』などと、浮かれていられる筈が無いのだ。
そうで無くとも、いつか家庭を持って、そこに子供が生まれたならば、その子には自分が背負っている秘密を背負わせなければならない。
畢竟、それはこの少女達にも、砂漠の民が数百年に渡って隠し続けてきた罪を背負わせることに他ならないのだ。
自分自身の幸せと引き換えに、愛する人に重荷を背負わせる。
果たしてそんなことが許されるのだろうか。
しかしこんなナナシの懊悩の深刻さに対して、現在この部屋の有様は、凄まじいミスマッチを起こしていた。
「ささっ、セルディス卿もご一献!」
「ぷはぁ、これおいしいですね~」
「よっ! お見事! いける口ですなあ」
正面のソファーに座っているペリクレス伯とナナシの右隣に座っている剣姫は、部屋へと到着して直ぐに酒盛りに突入。
剣姫は、既に良い感じに出来上がりつつある。
「旦那様」
「旦那様、次はオレンジです、はい、あーん。と、仰られています」
一方ナナシの左隣に座ったマレーネはナナシにしなだれかかりながら、無表情のまま、先ほどからノンストップで、フォークに突き刺した果実を口元へと突きつけてくる。
結果、ナナシは冬眠間近のリスの様に果実で頬を膨らませながら、難しい顔で懊悩しているという、深刻さが誰にも伝わらない残念な『考える人』と化していた。
もちろん、この二人との結婚がイヤな訳ではない。
そんな筈がある訳無い。
ただ、今現在の状況がそれを許してくれはしないのだ。
そう、義妹やミオ様が不幸になろうとしているというのに、自分だけが幸せになることなんて許される訳が無いではないか。
それで無くとも、二人も美しい花嫁を貰うことなど、ナナシの想像を超えている。
ナナシはそっと二人を盗み見る。
第一夫人が、自分の右隣で顔を赤くしてきゃははと馬鹿笑いしている剣姫様
第二夫人が、自分の左隣で永久機関の様に果実を突き出してくるマレーネ様
この二人が僕の奥さんに?
と、そこまで考えて、ナナシは気づく。
この二人の他にもあと一人、ナナシの妻になると宣言している少女がいた事を。
『王様になった後やったら、側室になってもええでぇ言うて、銀嶺のんが言うとってん』
紅蓮の剣姫ヘルトルードの『側室』宣言が頭の中にリピートされて、ナナシは更にずーんと肩を落とした。
しかし、この時ナナシの中で、何かが引っかかった。
側室?
そう考えた時に、ナナシは剣姫の発言に隠された『企み』の存在に気付く。
そして、とりあえずこの苦境(?)から脱出する方法に思い至った。
唯の先延ばしでしかないが、これで少なくともサラトガを、キサラギを、ミオを救うまでは、二人に待ってもらうことが出来るだろう。
それまでに二人の熱は醒めるかもしれないが、それはそれで仕方がない。
マレーネが突き付けてくる果物を頬張り、むぐ……パイナップルか。ながら、右隣の剣姫に目を向けて、ナナシは考える。
ずいぶんと気持ちよさそうに酔っぱらっているが、正常な判断が出来るかどうか、それが心配だ。いや、ちゃんと判断してもらわないと困る。
サラトガの大宴会での酔っぱらいっぷりを見ても、剣姫はそれほど酒に強い訳ではないのは分っている。というか、むしろ若干、酒乱疑惑さえ抱いている。
『鼻から牛乳』のインパクトは早々忘れられるものでは無い。
一応ナナシは見ていないと言う事にはなっているが。
マレーネが突き付けてくる果物を再び頬張り、むぐ…メロン? いやこれは真桑瓜だな。ナナシは剣姫に向き直ると突然その両手を取って言った。
「マリス、君は何があっても、僕の考えを尊重してくれるよね」
その言葉の直後に再びマレーネが突き付けてくる果物を頬張……マンゴスチン?
「って、マレーネさん、ちょ、ペース早い、早いです!」
「今のはドラゴンフルーツ」
「へー、ドラゴンフルーツっていうんですね。じゃなくて! ちょっと、剣姫様に話があるので、一旦ストップということでお願いします」
「わかった」
マレーネがフォークを置くのを見届けると、ナナシは気を取り直して、剣姫に向き直り、その瞳を真っ直ぐに見つめる。
直前のやり取りはともかく、突然、ナナシに真剣な表情で見つめられては、剣姫は冷静ではいられない。
唯でさえ、真っ赤に染まった顔色を、湯気でも立ち昇りそうなほどに赤く染めて、ただもじもじと身を捩っている。
あらためて、ナナシは剣姫に問いかける。
「マリス、君は何があっても、僕の考えを尊重してくれるよね」
「ひゃ、ひゃい! と、当然です」
「例えば。あくまで例えばの話だけど、約束を破ってマレーネさんが第一夫人になろうとしたら、マリスはどうする?」
ナナシがこの質問を投げかけた途端、それまでモジモジとしていた剣姫から一瞬にして表情が消える。
「……割ります」
「割る?」
「ペリクレスを、真っ二つに」
そう言いながら、剣姫がぐるんとマレーネを酔眼で見据えると、ペリクレス伯がぎょっと眼を剥き、マレーネはあわわとキョどり、トリシアは少し漏らした。
コホンと咳払いをして、ナナシは再び、剣姫の瞳を覗き込む。
「今、ミオ様とサラトガが大変なことになっている。仮に結婚するとしても、マリスは全てが片付くまで待っていてくれるよね」
剣姫は少し逡巡する様子を見せた後、絞り出すような声で応える。
「……それが、主様の望みであるのならば」
明らかに残念そうな様子ではあるが、自分の為に尽くそうとしてくれる剣姫がナナシにはとても愛おしく思えた。
「ありがとう、マリス」
「ひゃっ!」
ナナシが思わず抱きしめると、剣姫は(比喩では無く)フシューと頭から湯気を立ち昇らせて、ぐったりと力尽きた。
恐るべし! ナチュラルジゴロ。と、代弁家政婦トリシアがソファーの背後で拳を握り、ナナシは剣姫から手を離すとペリクレス伯に向き直る。
「というわけでペリクレス伯様。マレーネさんが僕と結婚するとしても、その後ということで良いですよね?」
「ムッ……」
ペリクレス伯は、返す言葉も無く黙り込む。
自分の企みがバレたことに気付いたのだ。
彼は、剣姫と交渉するにあたって、第一夫人は剣姫、第二夫人はマレーネという風に譲歩する様、マレーネに指示を出した。
第一夫人という表現、それが罠だ。
正妻とは言っていない。
領主の娘を嫁に出すのだ。
いくら剣帝の称号を得たとしても相手は、平民は平民。
更に言うならそれ以下の地虫だ。
唯でさえ、不釣り合いだというのに、その側室では体裁が悪すぎる。
第一、第二というのはあくまで順番の話。
第二婦人ではあるけど、正妻はマレーネという風に最終的には落ち着けるつもりだったのだろう。
だから、今日は、お披露目という形で終わらせて、あらためて婚礼の式典を行うと言ったのだ。
剣姫より先にマレーネが結婚するわけには、いかないのだから。
口惜しそうに顔を歪めながら、ペリクレス伯は言葉を絞り出す。
「ドン引きするぐらい往生際悪いな、お前……」
ペリクレス伯に、ニコリと微笑み返すと、ナナシはマレーネに向き直る。
「マレーネさんも、待ってくれるよね」
ナナシが、そう言うと、マレーネは少し残念そうな顔をした後、こくりと頷いた。しかし、その瞬間、ペリクレス伯が慌てて立ち上がりマレーネに向かって声を荒げる。
「お前、お腹の子は、どうす……」
ペリクレス伯がそこまで言ったところで、信じられない事が起こった。
「トリシア」とマレーネが呼びかけると代弁家政婦トリシアが動いた。
ナナシにも辛うじて見えるほどの速さで放たれたトリシアの右ストレートがペリクレス伯の顎先を掠めたのだ。
脳を揺らされたペリクレス伯は、そのままへなへなとソファーへと倒れこみ、泡を吹く。世界を狙える右ストレートであった。
「なっ、ええええ!?」
「父様酔いつぶれた」
「父様が酔いつぶれてしまいましたね。おほほほほ。と、仰られております」
誰がどう考えても誤魔化せるはずもない事を、マレーネ主従は目力だけで、誤魔化そうとナナシをめっちゃ見つめてくる。
「の、飲み過ぎは良く無いよね。ははっ」
ナナシは、全力で乗っかることにした。
ヘタレと言うなかれ。
ペリクレス伯が言おうとした事は気にかかるが、あの得体の知れないメイドと戦うのは御免蒙る。
さすがに地虫と結婚したいと言っても、後戻りができない様な既成事実でもなければ、ペリクレス伯も首を縦には振らない。
マレーネがペリクレス伯についた嘘までは、ナナシも考えが至っていなかった。
ともかくこれで一安心と、ナナシがホッと一息ついたところで、マレーネが何かを思い出した様にポンと手を叩く。
「そう。トリシア、キャンセルを」
「かしこまりました」
「キャンセル?」
首を傾げるナナシに、トリシアがマレーネの言葉を代弁する。
「マレーネ様は、剣姫様の式の準備をキャンセルして来るように。と仰られています」
ソファーの背に顔を埋めて、頭から湯気を立てていた剣姫が、突然ガバッと顔を上げる。
「私の式? 私の式って何?」
「はい。先に剣姫様に結婚してもらわないとマレーネ様が結婚できませんので、明日は剣姫様と、明後日はマレーネ様との結婚式を実施する予定になっておりました」
「え゛」
硬直するナナシ。
危ねぇ。まさかそんな勢いで話が進んでいたとは。
しかし、硬直どころでは済まない人物が一人。
もちろん銀嶺の剣姫。その人である。
「そ、それは、つつ、つまり、本当なら私は明日、主様と結婚出来ていたという事ですかぁ?!」
トリシアの元へと詰め寄る剣姫に対し、マレーネがこくんと頷く。
「そんにゃあ……」
半泣き状態でへなへなと床に座り込む剣姫。
しばらく放心した後、伏し目がちに恐る恐るナナシへと問いかける。
「あ、主様、先に結婚式をす、済ませて夫婦の二人三脚で、サラトガを救うという考え方もあったりしませんか?」
ナナシの視線が、ジトッとした物に変わる。
「……無いですよねー。そうですよねー」
しょんぼりと床にのの字を書く剣姫。
そんな剣姫を見下ろしながら、マレーネがボソリと呟く。
「剣姫は間抜け」
マレーネとしても剣姫のせいで結婚が延期になったという思いがあるのだろう。その声音はわりと辛辣であった。
じわっと涙を浮かべると剣姫は勢いよく立ち上がり、
「うぇええええん。主様のばかあ、でも愛してるぅー!」
と叫ぶと、荒っぽくドアを開いて、何処かへと走り去っていく。
「け、剣姫様!?」
ナナシが追おうとドアの方へと向かうと、出て行った剣姫と入れ替わる様に、家政婦が一人部屋へと入ってきて、こう言った。
「若様、ご友人がお見えです」




