第77話 愛するということは、信じるということ(前編)
まずお詫びを申し上げます。
活動報告には次回でイグゾースト完結と書かせていただいておりましたが、あまりにも長くなりすぎたため、前後編という形で2話にわけることにしました。
本当にすいません。
「へーざ、はづち、ねむねむよー」
とろんとした目を擦るハヅキ。
ヘイザは彼女の頭を優しく撫でた。
「ご、ごめんね、ハヅキ。も、もうちょっとだけ、が、頑張って」
比較的、上品な店が軒を連ねるペリクレスの繁華街。その半ばにある饐えた臭いのする路地を入ってしばらく歩くと、労働者向けのうらぶれた飲み屋街へと行き当たる。
てっとり早く酔っ払えることだけがウリの模造酒を、ちょっとしたツマミと一緒に出すだけの小汚い店。その一番奥のテーブルに今、ヘイザ達四人は陣取っている。
「もうちょっとってぇ、なんちょっと?」
ハヅキが少し考えた末に、放ったその言葉に、マリーがクスっと笑った。
幼児の瑞々しい感覚で紡がれる言語というのは、時々言語であることをやめる。
ある時は突拍子も無く、またある時はあまりにも愉快で、それはただ人を優しい気持ちにさせる魔法を帯びた何かへと変わるのだ。
ただこの場合は、舌足らずな口調で、その言葉を紡いだハヅキは頭の中身は幼児でも、外見的にはすらりと美しい少女なのだから違和感が半端ない。
「ハヅキは、ね、寝ててもいい、いいよ」
そう言ってヘイザが再びハヅキの髪を優しく撫でると、我慢できないとばかりに大きな欠伸をして、ヘイザの肩に寄りかかる。
何も事情を知らない人間が見たならば、恋人同士ぐらいには見えるかもしれない。
あと数刻もすれば陽が昇るというのに、店内は大いに賑わっている。とは言ってもこの店が特別に繁盛しているというわけでは無い。
通りに出れば、人波は途切れることなく、威勢のいい呼び込みの声と酔っ払いの調子外れの歌声が軒を連ねるどの店からも聞こえてくる。
どこへ行っても大騒ぎ。
この機動城砦全体が夜を通してのお祭り騒ぎであった。
ヘイザに寄り掛かる様にして、うつらうつらと舟を漕ぐハヅキの姿に目を細めながら、マリーはキスクへと話しかける。
「どこの宿屋も満室だなんて、ツイてないですね」
「ああ、消耗戦の真っ最中だったとはな。そりゃ空部屋なんてあるわけねえわ」
「ホントツイてないですよね。旦那様が」
「ほう、俺のせいだと言うわけだな。この自称転落女」
サボテンの果肉フライを咥えながら、マリーに向かって、キスクは顎を突き出す。
「自称じゃありませーん。以前ならペリクレス城の貴賓室に招かれてもおかしくない身分だったんですぅ。ご令嬢ですよ、ご令嬢」
対抗するようにわざわざ自分もフライを咥えて、キスクへと顎を突きつけるマリー。
一応これでも、キスクに買われた奴隷のはずなのだが、本人の自覚は薄い。
「よく言うぜ。どこの世界に、干し肉大量にツケで買って踏み倒すご令嬢がいるんだか」
「ほーそんなこと言いますか旦那様。お腹が空いても、あげませんからね。干し肉」
口に咥えたフライでお互いの頬をしばきあう二人を、また始まったと苦笑しながらヘイザはただ眺めている。
ヘイザの目には、なんだかんだ言ってもこの二人は相性が良い様に思えるのだが、それを口にすると攻撃のターゲットがヘイザへ移るので、絶対に言わない。
しばらくマリーと互いを貶めあった後、フライの油に塗れた頬を拭いながらキスクが、とりあえずの方針を告げる。
「消耗戦は明日で終わりらしいし、朝になったら、ここを出て、もう一度宿を探そうぜ」
この機動城砦は、キスク達にとって首都へ向かうための中継点でしかない。
四人はゲルギオスを脱出した後、徒歩で砂漠を歩いてこのペリクレスへと辿りついた。
最初は城壁を登って侵入するつもりでいたのだが、いざ近づいてみれば、夜中にも係わらず城門は入城しようという人間でごった返している。
この状況はキスク達にとっては福音の様に思えた。
マリーとハヅキに城壁を登攀させる方法については、正直頭を痛めていたのだ。
こんな状況であれば、一人ひとりを詳細に調べはしないだろうと考えて、アスモダイモス発行の通行証を持つキスクが奴隷商人、あとの3人は商品だと言う事にして城門を通過することにした。
入城を希望する列に並ぶと、キスク達の前の荷物を満載した荷馬車が、荷物検めに酷く時間がかかっていた。
「ほう、魚か珍しいな」
積載されている箱を覗き込んだ門兵が感心するように、御者台の男に言った。
「へえ、南方から運んで来やした」
「なら良い事を教えてやろう。メフメト卿は魚には目が無いそうだ。きっと高く買ってくださると思うぞ」
「へえ、ありがとうございやす」
門兵はそのまま「行け」と顎をしゃくると、ゆっくりと荷馬車は城門の中へと進んで行く。
キスクがぼんやり荷馬車の後部を見ているとそこから、ひょっこりと少女が顔を出した。
少女はきょろきょろと周りを見回した後、キスク達を見つけると何故か少し驚いた顔をした。
その後、キスク達もなんとか城門を通過することが出来た。
問題が発生しなかったわけではない。
マリーを気に入った門兵が、どうしても売って欲しいとしつこく頼み込んで来たのだ。
結局、さる貴族からの注文品だと言い張って何とか通過することが出来たものの、その後「美しさは罪ですわー」と高笑いするマリーのうっとおしさに、売っちまえば良かったとキスクは真剣に後悔した。
ペリクレスに入城すると、日付も変わろうかという時刻にも関わらず、街中は精霊石の淡い灯りだけでは無く、煌々と松明が焚かれ、今まで見たこともない賑わいを見せている。
道行く人の話に耳を傾ければ、明日は6年に一度の剣闘トーナメントの決勝戦。今日はその前夜祭なのだという。
キスク達も何となく燥いだ空気にあてられて、楽しい気分になっていたが、数分後にはそんな気分も吹っ飛ぶことになる。
来訪者が多すぎて、何処の宿も満室なのだ。
それどころか宿屋の店主が言うには、宿が足りずに大会期間中は、広場にテントを張って貸し出しているがそれも満室。他は広場だろうが公園だろうが、どこもかしこも野宿する連中で一杯だ。
さすがに、『見た目は美少女、中身は幼女』のハヅキと『見た目は美少女、中身はゲス女』のマリーを連れての野宿は危険すぎる。
そして、散々街中を彷徨った末に、何とか安飲み屋のテーブルを占拠して、身体を休めているというわけである。
周りのテーブルはいかにも荒くたい男ばかりで、話題の中心は当然、剣闘トーナメントであった。
先程から周りのテーブルで飛び交う話の中に、看過しがたい名前が何度も登場しては、その度にヘイザと顔を見合わせている。
今も直ぐ隣りのテーブルで、当にその名前が挙がった。
「おめえ、どっちが勝つと思う。ナナシとゴードン」
「さすがにゴードンには勝てねえだろ」
如何にも日雇い人夫だという男たちが安酒を片手に、大声で話しているのをちらりと見て、マリーが声を潜める。
「旦那様、ナナシって確か、ヘイザ様の……」
マリーの囁きを手で遮ると、キスクは席を立って男達のテーブルに向かった。
「ちょっと、兄さん方、今聞こえてきたんだけど、ナナシってのはどんな奴だい?」
「なんだ、おめえ、ナナシを知らねえってのか?」
酒臭い息を吐きながら、男の一人が怪訝そうに酔眼をキスクに向ける。
「いや、ついさっきここへ着いたばっかりでさ」
「今ここじゃあ、ナナシを知らねえっていやあ、笑われんぜ」
「そうなのかい?」
男は大袈裟に頷く。
「ああ、そうさ、明日の決勝まで進んだ剣闘奴隷で、おかしな剣技をつかう小僧さ、すげえ女っ誑しでさ。外人の綺麗な姉ちゃん侍らせて、領主様んとこのお嬢も誑しこんでるってもっぱらの噂だぜ」
「なるほどねえ、あんがとよ」
そう言って男達のテーブルを離れて、戻ってくるとそのままヘイザへと尋ねる。
「どうだ? お前の幼馴染だと思うか?」
「わ、わからない。ナナシって言う名前は、さ、砂漠の民の名前だけど、ナナシは全然女たらしじゃない。ど、どちらかというと、おおお女の人は苦手だったと思う」
「可能性はあるってぐらいか、なら決勝戦の会場まで行ってみる価値はあるってことだな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
観客席へと続く階段をヘイザは駆け上がっている。
夜が明けてから、何とか決勝戦のチケットを手に入れようと、そこら中を駆けずりまわったのだが、公式の販売所は既に閉まっていて、剣闘場の周りをダフ屋を探して走り回った結果、なんとか一枚手に入れることが出来た。
一番安い席、それでもダフ屋に足元を見られ、手持ちの現金の大半を支払う羽目になったのだが。
観客席の方からは、先程から引っ切り無しに歓声とも罵声ともつかない声が上がっているのが聞こえる。
「ナナシ……なのかな?」
ヘイザの中では、女っ誑しという言葉とナナシとは、何をどうやっても結びつかない。
尤も、集落にいた時は、キサラギが他の女の子から鉄壁のブロックで隔離してたので、本当のところはわからないのだけど。
階段を登りきると視界に広がったのは、円形の剣闘場の内側。
そこにいるのは信じられないほどの数の人間であった。
観客席には自分と同じようなフードマントを羽織った人間が数多くいるが、どれも砂漠の民ではない。
そして、剣闘場の中央へと視線を映してヘイザは息を呑む。
そこには今、まさにゴードンの放った『ジゲン』の一撃に飛びのく、幼馴染の姿があった。




