第74話 あの太陽を撃て!
黒いヴェールの向こう側。
自分を見つめる黒い瞳を見つめ返しながら、マレーネは言った。
「人気者になった気分はどう?」
その言葉に黒い瞳が、わずかに翳りを帯びる。
「どうと言われても……」
もうすぐ準決勝が始まろうかという、大会5日目の午後。
アリーナへと続く薄暗い通路の途中、そこには今、重苦しい空気が立ち込めている。
元々、好かれているとは思ってはいなかったが、ナナシに対するマレーネの態度は、いつもにも増して刺々しい。
昨日、鉄球のザジとの試合が終わった直後には相好を崩して、喜ぶ表情を見せてくれていただけに、マレーネのその態度の変化は、ナナシを大いに困惑させた。
確かにマレーネは苛立っている。
裏切られた。
今、彼女の胸にはそういう思いが渦巻いていた。
しかし具体的に何を裏切られたのかと問われると、彼女にもそれをはっきりと言葉にすることは出来そうに無い。
実際、ナナシは何も悪くない。
それはマレーネにも良くわかっている。
マレーネが控室を後にして、此処へと辿り着いた時、ナナシは衛兵達と楽しげに談笑していた。
ただそれだけだ。
しかし、ただそれだけの事が、仄暗い炎となって彼女の胸を焼いた。
あまりにも白い肌、あまりにも白い髪。
マレーネは色素をほとんど持たずに、産まれついた。
違いは恐れを呼び、恐れは忌避を生む。
本来であれば、捨てられてもおかしくはない異形の少女。
ただ幸いにも領主の娘であったが為に、これまで表立って彼女を蔑む者は居なかった。
しかし、彼女の姿を目にした者達の多くが、等しく一瞬目を見開いた後、取り繕うように、張り付いたような笑顔を浮かべるのを、これまで幾度となく見てきたのだ。
幼い頃の彼女が、自分が他の人間に忌まれる存在であるという事に気づくまで、さして時間は掛からなかった。
そしてつい先日、彼女は自分と同じように姿形を理由に蔑まれる少年に出会った。
人の良さそうな少年ではあったが、瞳の色が黒い、蔑まれて当然の異形の者である。
そして、マレーネは自分でも気づかない内に期待してしまっていたのだ。
瞳が黒い、ただそれだけの理由で、世界から爪はじきにされながら生きているこの少年が、自分と同じように生まれの理不尽を呪う、くだらない存在であることを。
しかし、その期待は今、あっさりと裏切られた。
少年はたった数回の剣闘試合で世の中と言うものに受け入れられることを示したのだ。
この少年も、私とは違う。
談笑という何気ない光景が、マレーネにその現実を突きつけた。
「このまま剣闘奴隷を続ければ、誰にも蔑まれずにすむ。お前は幸せになれる」
いつに無く饒舌なマレーネ。
ヴェールに妨げられて、その向こうにある表情を読み取ることはできないものの、発する言葉に絡み付く棘は隠れることなくチクリとナナシの胸を刺す。
「それはどうでしょう?」
未だマレーネの言わんとすることを掴みかねて、ナナシは当たり障りのない答えを返した。
そもそも剣闘奴隷を続けるつもりなど、欠片も無いのだから、答えにも困ろうというものだ。
しかし、ナナシのその回答はマレーネを更に不機嫌にさせる。
表情は分らなくとも、その声音がより硬質なものになっていくのを感じた。
「蔑まれることが無くなれば、目が黒くとも我慢できる」
何に怒っているのかは理解できないまでも、マレーネが発した言葉の意味はナナシにも理解できた。
ただ、理解することと同意することは別の話である。
「僕はこの黒い目を嫌いではありませんけど?」
ナナシがそう言った瞬間、マレーネは心の中で声を限りに叫んだ。
嘘つき!
理不尽に蔑まれてきた人間が、その元凶を恨まぬはずがないではないか。
胸の内で、渦巻いた激しい思いが、収まり切らずにマレーネの口から堰を切って溢れ出す。
「そんな筈無い! 私はこの髪の色が、肌の色が嫌い。大嫌い!」
言ってしまってから、マレーネは、自分自身の口から零れ出たその言葉に驚き、絶望し、そして項垂れた。
自分自身の心の中に蟠る澱。余りにも醜悪な剥き出しな感情。それをこの少年に見られてしまったのだ。
「そうなんですか?」
しかし、ナナシはいかにも意外だという顔をして問い返す。
「だ、だって、私は神様が色を塗り忘れた不良品だもの」
私は何を言っているんだろう。
頭の片隅でそう考えながらも零れ落ちる言葉を止められない。
「皆とは違う」
最後に零れ落ちたその言葉は、マレーネには特段の重さを持って、この暗い通路に響いた様に思えた。
二人の間に鉛のような沈黙が横たわる。
それは長い、とても長い沈黙。
そして、その沈黙の長さに、マレーネが押しつぶされそうになった頃、
「いいじゃありませんか」
沈黙の帳を、やさしく掻き分けるようにナナシの声が響いた。
俯いたままのマレーネの耳に、それは不思議に心地よく響いた。
「でも……」
「白は天使の色ですから。もしかしたらマレーネ様は世界で一番、天使に近い人なのかもしれませんね」
そう言って微笑む少年を、ヴェール越しに見つめるマレーネの目は驚きの余り大きく見開かれていた。
「あ、あり……」
マレーネが何とか言葉を紡ぎ出そうとしたその時、アナウンスが響き渡たる。
『準決勝、第1試合を開始します! 選手入場です。まずは左舷のゲートにご注目ください』
「あ、始まりますね」
ナナシがそう呟いた瞬間、マレーネは少年の尻を力いっぱい蹴り上げた。
「とっとと行け!」
ぶっきら棒にナナシを追い立てる少女の、ヴェールの下に隠れた頬は、ずいぶんと熱っぽかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
準決勝の対戦相手は、ランキング50位。
この消耗戦に参加できるランカーとしては最下位の剣闘奴隷であった。
その剣闘奴隷の名は可哀相なインゴ。
姿を見れば即座に、その二つ名の意味を理解できる。
坊主頭の下にぶら下がっているその面貌は、どう見ても泣き顔にしか見えない。
そういう造形なのだ。
このインゴは、昨日の試合で優勝候補の筆頭嵐のペリンを倒した剣闘奴隷だと聞いている。
砂漠に住まう生物にも、弱ったフリをして、襲い掛かってきたものを逆に捕食する、そういった類のものも少なからず存在する。
見た目で判断しては、足元を掬われかねない。
しかし、ナナシは実際にインゴと向かい合ってみて、はっきり言って、拍子抜けした。
あまりにも見た目通りなのだ、強い気も感じなければ、立ち振る舞いもそれほどスムーズとは言い難い。
獲物は棍。
有体に言ってしまえば、ただの長い木の棒だ。
50位とは言っても上位ランカー、流石に隙だらけとは言わないが、普通に打ち合っても、2、3合も打ち合えば、ガードを抉じ開けることができるだろう。
いくら調子が悪かったとはいっても、仮にもランキング1位の剣闘奴隷を倒せるほどの腕には、とてもではないが思えない。
ナナシのその感想は、遠く観客席で見ている剣姫の目からも変わらない。
突きを放ってきたインゴをナナシが『ジゲン』で切り裂いて試合終了。
そういう試合展開以外は、想像することすら難しかった。
「よろしくお願いします」
ナナシがぺこりと頭をさげると、インゴは泣き笑いの様な顔になって、「こちらこそ」と返し、その瞬間、試合開始のブザーが鳴り響いた。
ブザーと同時にインゴは、後方に跳躍して得物の棍を構える。
ナナシは、これまで通り特段構えを取る訳でもなく、その場に立ったままインゴを見つめている。
しばらく両者ともに動かないままに時間が経過し、痺れを切らしたのか、インゴは威嚇する様に棍を振り回しはじめる。
「キエエエエエッ!」
奇妙な叫び声を上げながら、ナナシに襲い掛かるでもなく棍を振り回し続けるインゴの姿に、観客席からは失笑が漏れる。
それは、あまりにも意味の無いパフォーマンスであった。
「真面目にやれー!」
「とっとと終わらせろよ!」
失笑混じりに放り込まれる罵声。それに慌てたインゴが手を止めて額の汗を拭う。
どうやらメンタルが強いというわけでもないらしい。
「主様も早く終わらせてあげれば良いのに」
剣姫が、隣に座っている家政婦へと苦笑気味にそう話しかけたとき、遂にインゴが動いた。
「キエエエエエッ!」
インゴは一本調子の怪鳥音を上げて、ナナシへと突きを繰り出した。
あまりにも凡庸な突き 。
観客席の剣姫の目にもそう映った。
「はい、試合終了」
剣姫が物足りなげにそう言って、ナナシへと声援を送るべく椅子から腰を浮かせたその瞬間、
「えっ?」
剣姫の目に映ったのは、棍で胸を突きあげられて、倒れていくナナシの姿であった。
「主様?!」
目の前の安全柵に手を掛けながら、驚愕の表情とともに立ち上がる剣姫。
失笑も罵声もとうに消え去って、息を呑む音だけが剣闘場に響く。
仰向けに倒れたナナシが、起き上がろうとする姿が見えて、剣姫はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、それも一瞬のこと、インゴは間髪いれずにナナシの傍へと詰め寄り、次々に突きを繰り出す。
ナナシは地面を転がるようにして起き上がると、なんとかインゴの連撃を躱す。
剣姫の目には、ナナシの身のこなしはあまりにも鈍重で、何気ない突きでさえ、必死になって躱している様に見えた。
明らかに何かがおかしい。
ナナシの様子がおかしいことは、セコンド席にいるマレーネの目にもあきらかだった。むしろ剣姫よりも距離が近いだけに、昨日までのナナシの動きと比べると、今現在のスピードがいかに鈍いのかが、はっきりとわかる。
「が、頑張って」
思わずマレーネの口を突いて飛び出した声援も虚しく、再びナナシが胸を突かれて地に転がる。その時、マレーネはおかしな事に気がついた。
ヴェールごと両手で目を覆いながら、マレーネは今起きた異常な出来事を反芻する。
繰り出された突きに反応してナナシが身を翻そうとした途端、一瞬ナナシの動きが止まって、不自然にナナシの膝が沈みこんだのだ。
それはまるで重い荷物でも背負った時のような反応。
重さに耐えるように足を踏ん張ったその瞬間、ナナシは胸を突かれたのだ。
そんなはずはない。でもそうとしか考えられない。
あれは……重力魔法だ。
剣闘場の内側には、魔法の発動を阻害する精霊石が無数に埋め込まれている。
剣闘場の中にいる限り、魔法を発動させることは不可能だ。
だが、剣闘場の外で魔法を発動し、剣闘場の内側を狙うとすればそれは、不可能ではない。
精霊石が阻害するのはあくまで魔法の発動であって魔法そのものでは無いのだ。
確かに重力魔法は遠距離から行使することが出来る数少ない魔法の一つではあるが、通常、剣闘場の外から、動き回る剣闘奴隷の正確な位置を確認しながら魔法を放つことは不可能と言っても良い。
マレーネはキョロキョロと周囲を見回す。
可能性が有りそうなところはどこだ? どこからナナシを狙っている?
マレーネの頬を一筋の汗が伝う。
観客席の屋上部分が一番可能性がありそうに見えたが、そこに人影はない。
焦るマレーネ。
ナナシは未だ、決定的な打撃を受けては居ないが、このままではそれも時間の問題だ。
その時、貴賓席の剣姫の姿がマレーネの視界に入った。
剣姫の視線は上の方を向いている。
空を見上げて、何かを探している様に見えた。
そうか! 空だ。
剣姫もナナシに対して魔法が使われていることに気付いているようだ。
屋根のない剣闘場。
何らかの手段で上空に留まることが出来るのであれば、ナナシを狙い撃つことができる。
しかし剣姫の様子を見る限り、上空に何も見つけられずにいる様だ。
空もハズレということだろうか。
しかし、空を見上げたその瞬間、マレーネは「あっ!」と声を上げた。
黒のヴェール越し、中空に黒い人影を見つけたのだ。
マレーネと剣姫が空を見上げている間にも、ナナシの動きはさらに鈍重さを増していく、幾度となく打たれ、踏みとどまるのがやっとという有様である。
もう一刻の猶予もない。
顔が熱い。マレーネはヴェールをかなぐり捨てると、セコンド席の椅子を蹴って、アリーナの外周を駆けだした。
そして警備兵の制止を振り切りながら、息を切らせて剣姫のいる貴賓席の前までくると、いつものマレーネを知るものならば、信じられない様な大声を上げた。
「剣姫! あの太陽を撃て!」
敵は太陽を背にして、宙空にいるのだ。
直接、太陽を目視できない以上、そこは絶対に見つからない場所。
唯一、誤算だったのは、マレーネがヴェール越しに太陽を見ることができたことだ。
剣姫は、警備兵に取り押さえられるマレーネに一つ頷くと、アリーナに背を向けて一気に駆けだす。
時間が無い。一刻も早く、主様に仇なす卑怯者に報いを与えてやらなければならない。
気持ちは三歩先を行くのに、脚はその速さでは動いてくれない。
自らの脚の鈍重さを、思う程に動かない自分の筋肉を、呪いながら剣闘場の外周に取り付けられた階段を駆け上がり、観客席の屋上へと到達する。
直接、太陽に目を向けようとして、剣姫は目を眩ませた。
目視で敵を見ることは、やはり叶わない。
ならば、マレーネを信じて太陽を撃つだけだ。
中空の敵を撃つ。
紅蓮の剣姫ヘルトルードであれば、迷いなく火球を打ち込んでいることだろう。
しかし銀嶺の剣姫の魔法の中で、最も長射程の『蹂躙の吹雪』は地を這うようにして放たれる衝撃波だ。この場面では使えない。
「あれしかないか……」
剣姫を追って、荒い息を吐きながら、代弁家政婦のトリシアが遅れて屋上に到達した。
そのまま、よろよろと近づいてくるトリシアに剣姫は言い放つ。
「少しみっともない破れ方をしてしまうので、着替えの用意をお願いします!」
突然、そう声を掛けられてもトリシアには意味がわからない。
怪訝そうな表情のトリシアの目の前で、俄かには信じがたい出来事が起こった。
「邪眼の瞬き・改」
剣姫が胸を反らして腰に手を当てると、腹部から激しい閃光とともに発射された一条の光が、太陽へと吸い込まれていったのだ。
「ええええええ!」
目を丸くする家政婦トリシア。
その瞬間、空中で激しい爆発が起こった。
「撃墜完了っと!」
剣姫はそう言ってトリシアに向かってニッと笑いかける。
ドレスの腹部には、丸く穴が開いて、剣姫の臍が覗いているのが見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ヒャハハ! 倒れろ! 倒れろ!」
防戦一方のナナシへと、調子づいて突きを繰り出すインゴ。
「これでトドメだ! この地虫野郎!」
もうナナシは抵抗することも出来ない。そう踏んだインゴは、ナナシの頭を目掛けて力いっぱい棍を振り下ろした。
その瞬間棍の先が、突然霞のように消える。
ナナシが切り飛ばしたのだ。
「僕はちょっと怒ってます」
口の端に滲む血を腕で擦りながら、ナナシは大上段に刀を構える。
身体は既に重力魔法から解放されて、軽さを取り戻している。
「手加減は出来そうにありませんけど、まだやりますか?」
ナナシの胴はがら空き。しかし、インゴは踏み込むこともできず、目を泳がせる。
「来ないなら、こっちから行きますよ」
ナナシが凄絶な笑みを浮かべた。
その瞬間、
「こ、降参する」
インゴはへなへなと腰砕けに地面にすわりこむと、弱弱しくそう言った。
「勝者! マリスのナナシッ!!」
勝者がアナウンスされた途端、駆け寄ったマレーネがナナシの首筋に飛びついて、縺れる様にそのまま地面へと倒れこむ。
屋上からその様子を見ていた剣姫が「ああっ?!」と声を上げると、興奮のせいか臍からビームがちょっと洩れて、家政婦の足元を溶かした。
「邪眼の瞬き」については、第11.5話 それもう邪眼じゃないですよね?をご参照ください。




