第73話 鉄球のザジ
「ミオ様、お茶が入りました」
「おお、では休憩にするかのう。ミリア、お主も少し座っていくが良い」
ティーセットを載せたワゴンを押して、ミリアが作戦テーブルの脇まで来る。
艦橋に常設されている作戦テーブル。
今、それを囲んでいるのは、ミオとキリエそしてアージュの三人である。
領主と隊長格の二人が、顔を突きつけて何をしているかと思えば、何のことはない暇つぶしの双六であった。
ちなみに成績はと言えば、キリエの一人負けである。
ローダとゲルギオスの襲撃以来、サラトガは順調に東へと進んでいる。
傍目には、あまりにも呑気に過ぎるように見えることだろう。
確かに、ミオを巡る状況は、何一つ好転してはいない。
首都に到着したならば、反逆者としての裁判が待っているのだ。
しかし、だからといって、深刻になったところで、何か良いことがあるわけでは無し、散々暇を持て余した結果、キリエとアージュを呼び出して、暇つぶしの相手をさせているというのが現状である。
尚、ちゃんと働いている艦橋クルー達としては、他でやってほしいというのが本音であった。まあ、言える訳はないが。
ミリアが、並べたカップに順番に紅茶を注いでいくのを眺めながら、アージュが何気なく言う。
「そう言えば、バタバタしててすっかり忘れていましたが、今年は『消耗戦』が開催される年でしたよね」
「ああそうじゃ、マレーがチケットを手に入れてくれておるから、本来であれば今頃、現地で観戦しておるはずだったのじゃがのう」
「残念ですよね。さすがにこの状況では、そういうわけにはいきませんから」
本当に残念そうに肩を落とすミオとアージュ。
その姿に苦笑しながら、ミリアが紅茶を注ぐ手を止めて、話に割り込む。
「中継とかありませんでしたっけ?」
「今の魔導通信の技術では、中継状態で音声が送れんからのう。前回は大会3日目終了時点で、音声解説を追加したダイジェストが配信されておったが……」
ミオのその言葉を受けて、キリエは目線を上に向けて、考える様な素振りを見せる。
「たしか、今日が大会4日目だった様な……?」
「なんじゃと?」
そう言って、ミオは淹れたての紅茶を口へと含み、キリエが艦橋クルーへと問いかける。
「精霊石板に出せるか?」
「はい、出せます」
それまで、サラトガの進路前方を映し出していた精霊石板の映像が切り替わり、一瞬、黒一色になった後、映像が映し出された。
その瞬間。
「ぶふぅぅぅぅう!!」
ミオが口に含んだ紅茶を、キリエの顔面へと噴き出した。
「ほわちゃあああああ!」
「隊長?!」
あまりの熱さに、極東の武闘家が出す怪鳥音の様な声を上げながら、キリエは椅子から転げ落ちて身悶え、アージュが慌ててそれに駆け寄る。
ミリアはティーポットから注ぎ込んでいる紅茶が、カップから溢れていることにも気づかず、唖然とした表情で精霊石板を見つめ、ミオは震える指でモニターを指しながら呻くように呟いた。
「な、な、ナナシ?!」
そう、この時精霊石板に、どアップで映し出されたのは、ナナシの顔面であった。
困惑するサラトガの面々を他所に画面は、あらゆる角度からナナシを映し出し続け、そこに解説音声が入ってくる。
『突如、彗星の様に現れた謎の新人。1回戦で優勝候補の一角、巨人のバガブッドを目にも留まらぬ早業で、いともたやすく瞬殺。続く2回戦では、第26位神槍のジグムンドを、第3回戦では、第19位神速のムスタディオを次々と撃破。今大会の台風の目として、消耗戦を盛り上げています』
「な、ナナシが消耗戦に出場しておるじゃと?!」
「そ、そのようですな」
赤くなった鼻先を撫でながら、少し涙目でキリエが答える。
そして、ミオは拳を震わせて叫んだ。
「アホかああああああああ! 折角行き先を隠したのに、これではゲルギオスの連中にも筒抜けではないか!」
「「「あ」」」
言われてみればそうだと、ミリア、アージュ、キリエの3人が間抜けな声を出した。
その直後に、タイミングよく解説音声が話を締めくくる。
『この驚異の新人、マリスのナナシから今後も目が離せません!」
「マリスの?」
「ナナシ?」
アージュとミリアが、魂の抜けたような声で復唱し、一瞬の沈黙の後、二人の叫びが唱和する。
「「やりやがったな! あの女ァ!」」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
消耗戦もすでに大会4日目。
残る選手は全部で7名というところまで絞られている。
本日の試合数は全部で3試合。
数が少ないため、以降は大会そのものが、午後からの開始となっている。
初戦で優勝候補の一角を瞬殺したことで、ナナシを巡る周囲の状況は大きく変化した。
まず、マレーネや代弁家政婦トリシアの、ナナシに対する扱いがとても丁寧なものになった。
あとは部屋付きの家政婦や、衛兵達から時折、サインを求められるようになった。
マレーネ曰く、機動城砦ペリクレスにおいては、剣闘奴隷は奴隷という立場ではあっても、上位ランカーともなれば、ある種の崇拝の対象になるらしい。
蔑まれることには慣れているが、ちやほやされることに縁遠いナナシとしては、ここ数日、異常なまでに腰の据わりの悪い思いをしている。
城内を歩いていると家政婦や貴族の子女がナナシの姿を見つけては、黄色い声を上げたりするので、心の底から逃げ出したい思いに駆られる。
ついでに言うと、それらの女性を威嚇する剣姫を宥めるのも非常に骨が折れた。
そんなことを考えながら、ナナシがアリーナへと続く通路でセコンドについてくれるマレーネを待っていると、外から悲鳴にも似た大きなどよめきが聞こえた。
しばらくすると、持ち場を離れて試合を覗きに行っていた兵士達がアリーナから引き揚げながら興奮気味に話をする声が聞こえてくる。
「大番狂わせだ! まさか嵐のペリンが準決勝以前に消えるなんて」
「今日のペリンは調子が悪かったんだよ。動きも精彩を欠いていたし」
「そんなことはどうだっていいんだ。ペリンに掛けてた金、どうしてくれるんだよ」
どうやら優勝候補の本命が敗れたらしい。昨日、ナナシもペリンの試合を見たが、アージュと同じ双刀使いであった。但し、アージュには悪いが実力は数段ペリンの方が上である。
そうこうするうちに、階段をゆっくりと降りてくるマレーネらしき人物の姿が目に入る。らしきと言うのは、頭をすっぽりと黒のヴェールで覆っているために顔が見えないからだ。
「マレーネ様? どうしたんです。その恰好」
「……日差しの強い午後は、これ無しでは外に出られない」
マレーネは先天的に色素が極端に少ないために、日光から肌を守る働きが極めて弱い。そのため、午後ともなると、肌と言う肌を隠さなければ表へ出ることもできないのだった。
「今日は鉄球のザジ」
「対戦相手ですか?」
「そう、あなたとの相性は、たぶん良くない」
「どういうことです?」
「遠くから仕掛けてくる」
ここまでのナナシの闘い方は、言うなれば全てカウンターである。
相手が仕掛けてきた攻撃を見切って、至近距離で『ジゲン』の一撃で勝負を決めているのだ。
マレーネが相性が悪い。そう考えるのも当然であった、
「どのぐらい遠くから攻撃してくるんですか?」
「10ザール」
なるほど、仮に躱すことが出来たとしても、一瞬で懐に飛び込める距離ではない。
ナナシは、顎に拳をあてる様にして考え込む。
そして、あんまり得意ではないんですけど……と一人呟いて、それを聞いたマレーネが首を傾げた。
『4回戦、第3試合を開始します! 選手入場です。まずは左舷のゲートにご注目ください』
このアナウンスを聞くのも今日で4回目。
いつもの様に、アリーナの方で大きな歓声があがり、太鼓の音が響き渡る。
『プルミエ家の剣闘奴隷ランキング33位、鉄球のザジッ!!』
アナウンスに続いて、いつもの様に歓声が起こるものの、これまで聞いて来たものに比べて、それはあまりにも小さい。
もしかしたら、このザジという選手はあまり人気が無いのかもしれない。
『皆様、続きまして右舷のゲートにご注目ください』
「期待している」
ナナシの目には、ヴェールの向こうで、マレーネが微笑んだように見えた。
「はい」
マレーネとナナシは、いつもの様に頷き合って、通路の向こうアリーナの方へと向けて足を踏み出した。
「シャリス家の剣闘奴隷、ランキング無し、マリスのナナシッ!!」
ゲートの奥からナナシが姿を現すと、今日も、剣姫は叫ぶように声を上げる。
「キャー! 主さ……」
しかし、剣姫の声援はナナシへは届かなかった。
より大きな声援に飲み込まれて、掻き消されてしまったからだ。
見れば、剣姫が座る貴賓席の正面の一画から、無数の甲高い女性の声が響いている。
「キャー! ナナシくーん! がんばってー!」
「ファイトっ! ナナシくーん!」
「かわいいっ! ナナシくん 私が付いてるよー!」
剣姫がいまいましげにその一画へと目を向けると、そこには似顔絵付のナナシLOVE!と書かれた横断幕が掲げられている。
さらには女性ばかりのグループがナナシと一文字ずつ書かれた旗を振っていたりと、完全にナナシの応援団席と化していた。
そこには、男性の姿はほとんどない。若い女性ばかりである。
少しおどおどした様子のかわいらしい少年が、筋骨隆々たる大男たちを、ばったばったとなぎ倒す姿が、観客たちに非常にウケた。
固定ファンがつくのには何も不思議なことはないのだが、剣姫のあの声援のせいで、ナナシは男性客の嫉妬を買い、気が付けば女性ファンばかりになってしまっているというのが実情であった。
こうなると、おもしろくないのは剣姫である。
主様に色目をつかう悪い虫が、剣闘場の一画に群れているのだ。
今も、下唇を噛みしめて、悔しげにそちらを睨らんでいる。
まるで、中毒患者が禁断症状に耐えるかのように、『蹂躙の吹雪』の一発も打ち込んでやりたいという衝動を必死で押さえ込んでいた。
ナナシが女性ファン達の声援にどう反応していいのかわからず、おろおろしながら、その一画に向けてぺこりとお辞儀をすると、より一層の歓声が剣闘場に木霊する。
「主様ったら、何をデレデレされておられるんでしょう。これから試合だというのに弛んでおられます!」
剣姫が忌々しげに、そう呟くと、直ぐ隣りに座っている家政婦のトリシアは震えあがった。
ナナシはアリーナの中央へと歩みを進め、相手へと向かい合う。
対戦相手のザジの姿は、物語に登場するドワーフを思わせた。
ひとことで言えば、バランスの悪い体型。
背は低いのだが、不格好に肩幅が広く四肢が太い。
「しゃしゃしゃ。人気もんはええのう。うらひゃまひいわ」
ザジの嘲弄するようなその言葉は、歯並びがぐちゃぐちゃな上に、前歯が抜けているせいで、何を言っているのか酷く聞き取りにくい。
人気者。自分には一番縁遠い言葉のはずなんですけどね。
ナナシはそう苦笑しながら「よろしくお願いします」と頭を下げた。
試合開始を告げるブザー音が鳴り響く。
ブザー音が鳴り止むその前に、ザジ、ナナシ共に背後へと飛び退いて、互いに距離を取る。その距離10ザール。
馬鹿め。
ザジは内心ほくそ笑んだ。
その距離ならば、確かに避けることはできるかも知れないが、ナナシから攻撃する手段はない。
ザジは、鎖に繋がれた鉄球を頭上で振り回し始める。
鎖つきの鉄球と聞いて、ナナシが事前に想像していたものに比べて、鉄球部分の直径は10センチほどと、ずいぶん小さい。
おそらく、破壊力よりも取り回しの速さを重視しているのだろう。
しかし、いくら小さいとは言っても、身体のどこかに当たれば骨を砕くには充分。むしろ1対1の剣闘には適切だと言える。
突然、観客がどよめいた。
ザジの挙動について、ではない。
ナナシが刀を抜いたのだ。
これまでの三試合、ナナシが刀を抜いた姿を見た者はいなかった。
鞘に収まった状態のまま、気が付けば、相手は切り伏せられていたのだ。
ゆっくりとナナシは腕を交差するようにして、刀身を反り返らせ、腰をおとして半身を後ろに引く。そうすることで、ナナシの顎の下あたりに、刀身が逆刃になって横たわる恰好となった。
突きに特化した型。霞の構えである。
こういうのは僕よりもヘイザの方が上手いんですけどね。
頭の片隅で、長らく会っていない幼馴染の事を思い浮かべる。
その刹那
「来る」
鉄球が飛んでくるのが見えて、思わず口走る。
想像以上に速い。
ナナシは横っ飛びに地面へと飛び込んで、辛うじてそれを避ける。
つい先程までいた場所の直ぐ後ろ。そこの地面を穿つや否や、ザジは、鉄球を引いて手元へと引き戻した。
「しゃしゃ。すばひっこい餓鬼だぬぁ」
再び頭上で鉄球を回しながら、ザジは勝利を確信する。
やはりこの小僧には、自分を攻撃する術はない。
少々避けられたところで、これを繰り返せばいつかは力尽きるだろう。
「ふぅ」
小さく息を吐くと、再びナナシは霞の構えを取る。
やはり、避けてから踏み込んだところで、ザジには届かない、ならば。
再び、ザジはナナシへと狙いをつけて鉄球を投擲する。
ザジの頭上で回転していた鉄球。それをナナシの方へと飛ばすべくザジが手首を返したその瞬間、一瞬鎖が小さく撓んだのをナナシは見逃さなかった。
タイミングさえ図ることができれば、たとえゼロ距離であったとしても避けてみせる。ナナシにはその自信があった。
鉄球がナナシへと飛来する、その瞬間に呼吸を合わせて一気に前のめりに飛び込むと、小さくサイドステップを踏んで、紙一重で鉄球を躱し、ザジの懐へと到達。そのままザジの肩口へと、体重を載せた突きを繰り出した。
ザジの手を離れた鉄球はすっぽ抜ける様にして地面を穿ち、縺れる様に倒れた二人の周囲に土煙があがる。
息を呑む観客。
剣姫でさえ、口元を手で覆って心配そうな表情を浮かべている。
次の瞬間、立ち上がるナナシの姿と、肩口を貫通する刀によって地面へと縫い付けられて泣き叫ぶ、ザジの姿が土煙の中に浮かび上がった。
「しょ、勝者! マリスのナナシっ!」
その瞬間、一際大きな歓声が剣闘場に響き渡る。
「キャー! 主さ……」
剣姫の声は、やはり大きな歓声に飲み込まれて掻き消されたが、ナナシはまるで、それが聞こえたかのように、剣姫に向かって優しく微笑んだ。




