第72話 イグゾースト
「今回の優勝は嵐のペリンで決まりだろう」
「いいや、ランキングなんて目安みたいなもんさ。実力は拷問のブルハーンの方が上だぜ」
機動城砦ペリクレスの後部。
その円形部の中央に位置する円筒状の建造物、剣闘場。
剣闘トーナメント開幕の朝、剣闘場を中心として放射状に伸びる道は、いずれも人波でごった返していた。
道の脇には旅の商人達が敷物の上に商品を並べ、食べ物の露店が軒を連ねる。
ずいぶんなお祭り騒ぎだ。
人々は口々に贔屓の剣闘奴隷の名を上げながら、トーナメントの行方を予想している。
とりわけ剣闘場の正面に掲げられた対戦表の前には、一際多くの人間が寄り集まって、ざわざわと騒いでいた。
「ところで、このナナシってのは、どんな奴だ?」
「いや、全く聞いたことねえな」
「それがだ。噂によるとマレーネ様が新たに手に入れた剣闘奴隷らしい」
「マレーネ様んとこの剣闘奴隷? ってことはランキング42位のウフルスポルを引っ込めて、コイツを出すってことか?」
「ありえねえ、黒のウフルより強い新人なんているわけねえだろ」
「だからさ、あのビビりのマレーネ様がこんな思い切ったことをするんだ、このナナシってのは、相当強いんじゃねえかって話だぜ」
「なるほどな、じゃあ、そいつも一口買っとくか」
6年に一度、遠く他の機動城砦からも多数の見物客が押し寄せるこの剣闘トーナメント。
通称「イグゾースト」
長ったらしい正式名称はあるのだが、それで呼ぶ者などほとんどいない。
「イグゾースト」という通称が、この大会の極限ともいえる大会形式にあまりにも似つかわしいからだ。
魔法は禁止、武器は自由。大会期間は6日間と短く、大会の間、不戦勝となった場合を除けば、インターバルは存在しない。
つまり出場する剣闘奴隷は、勝ち進んでいる限り、毎日1試合をこなすことになる。
たとえ前日の試合で大怪我を負っていようと、著しく疲労していようと、それに例外はない。
どれだけ強くとも、どこかの段階で一度でも苦戦してしまえば、一気に翌日の試合が厳しくなる。
最後まで勝ち抜けるのは、圧倒的な強さで決勝まで駆け抜けられる者だけ。
まさに消耗戦と呼ぶにふさわしい大会であった。
剣闘場の外の喧騒を他所に、二階の控え室で、マレーネは一人項垂れていた。
剣闘奴隷のセコンドに入れるのは、その所有者ただ一人。
いつも自分の傍に居てくれる家政婦のトリシアは、銀嶺の剣姫の付き添いとして、既に剣闘場の観客席に座っている。
「はあ……」
窓が無いために、昼尚暗い控室。
その石造りの床に、マレーネの深い溜息が転がり落ちた。
絶対無理だ。
昨日、彼女自身が引いた籤によって決まったナナシの対戦相手はランキング6位巨人のバガブッド。
優勝候補の一角と噂される、一種の化物だ。
つい先日のランキング戦で120位代の剣闘奴隷が一瞬で再起不能にされるのを、マレーネはこの目で見ている。
何をどう贔屓目に見たって、あのひ弱そうな少年が勝てる見込みなど、万に一つもない。
わざわざ、そんな弱い剣闘奴隷をエントリーしたことで、マレーネは笑いものになることだろう。
100歩譲ってそれは良いとしよう。自分が我慢すれば良いことだ。
もし、あの少年が死ぬようなことでもあったなら、銀嶺の剣姫は、まず間違いなくペリクレスを吹っ飛ばそうとするだろう。
どう考えても、ペリクレス存亡の危機であった。
出口の無い懊悩を抱えて身悶える、マレーネの耳にコンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「マレーネ様、お時間です。セコンド席へお向かいください」
返事もせずに立ち上がり、ドアの方へと向かうマレーネの足取りは鉛の様に重かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大会は早朝からスタートし、既に6試合を消化し終わっている。
ここまでは凡そ、番狂わせのない順当な結果。
比較的波乱の無いスタートを切っていると言って良い。
マレーネが、アリーナへと続く通路へ降りると、そこには既にナナシが立っていた。
マレーネの姿を見つけると、ナナシは気負う様子もなく柔らかく微笑む。
その様子は、自然体と言えば体は良いが、マレーネの目には『何も考えていない愚か者』そうとしか見えなかった。
「マレーネ様、おはようございます」
「おはよ……寝れた?」
「昨晩ですか? 家政婦さんにお願いして、いざという時の為に、ベッドの下にロープを用意しておいてもらったお陰で、ぐっすりです」
ロープのお陰でぐっすり? さっぱり意味がわからない。
やはり地虫にはマレーネ達、貴種とは違う生態があるのだろうか。
「二つ名は?」
「教えてくれないんです」
ナナシは大袈裟に肩を落とし、そして、昨日の一連のやり取りを思い浮かべた。
「二つ名」
「出場する剣闘奴隷は、二つ名も登録することになっている。と、仰られています」
「二つ名ですか?」
怪訝そうに聞き返すナナシに、マレーネがコクリと頷くと、ベッドに腰掛けるナナシの肩に、後ろから顎を乗せて、剣姫が話に割り込んでくる。
「私の『銀嶺の』とか、アージュ殿の『双刀の』とか、キリエ殿の『ポンコツの』とかみたいな感じですか?」
「最後のはただの悪口ですね」
ナナシは呆れ顔でそれに応えた。
「ショーアップ」
「大会のショーアップの一環として、期間中は基本的に二つ名で呼ばれます。と、仰られています」
「盛り上げるため。つまり、そういうことですね」
「そう」
ナナシは浮かない顔をした。
二つ名と言われても、正直、そんなこと考えたこともない。
『砂漠の民の』とかでもいいんだろうか?
しかし、そんなナナシとは対照的に、ウキウキした様子の剣姫は、あきらかに上機嫌ではしゃぐ様にして言う。
「主様にふさわしいと言えば『帝王の』とか『覇王の』とか『魔王の』とか!」
「そんな二つ名で呼び出されて、僕が出て行ったら、それ完全に出オチですから」
ナナシはそうツッコミを入れた後、付け加えるようにしてい言う。
「もっと地味で、事実とかけ離れていない、等身大のものにしてください」
ナナシのその一言に剣姫は一瞬つまらなさそうな表情をした後、何かを思いついたのだろう、ポンと手を打ち、満面の笑みを浮かべて一言。
「お任せください!」
そう言った。
結局、剣姫が二つ名を登録しに行って、ナナシは、未だに自分にどんな二つ名をつけられたのかを、教えてもらえていない。
幾ら尋ねても剣姫は「主様のご要望のとおりです」としか言ってくれない。
はっきり言おう。
嫌な予感しかしない。
思い出して、ナナシが溜息をつくと同時に、進行係のアナウンスが響く。
「1回戦、第7試合を開始します! 選手入場です。まずは左舷のゲートにご注目ください」
アリーナの方で大きな歓声があがり、太鼓の音が響き渡る。
「タネンベルク家の剣闘奴隷 ランキング第6位 巨人のバガブッドォ!!」
一際大きな歓声があがって、入場してくる選手の足取りに合わせたものだろう、テンポよく、手拍子が聞こえてくる。
「皆様、続きまして右舷のゲートにご注目ください」
「行く」
「はい」
マレーネとナナシは頷き合って、通路の向こう、アリーナの方へと向けて足を踏み出した。
「シャリス家の剣闘奴隷 ランキング無し……」
暗い通路から、陽の光溢れるアリーナへと一歩足を踏み出したその瞬間、ナナシの二つ名がコールされる。
「マリスのナナシッ!!」
ナナシは膝から崩れ落ちた。
まさかの所有格。
二つ名だと思ったら、ただの『私の物』アピールだったでござる。
大袈裟でさえ無ければ、少々おかしくても我慢できる、そう思っていた。
自分とお揃いとか言って『銀嶺の』とつけられるぐらいまでは、一応覚悟していた。
甘かった。
剣姫はナナシの予想の遥か上を、斜め方向に突き抜けたのである。
いきなり膝から崩れ落ちたナナシの姿にざわめく観客。
「マリス……?」
「マリスってなんだ?」
ナナシの耳にもそういう声が、聞こえてくる。
「大丈夫?」
マレーネがナナシの顔を覗き込む。が、その表情は、明らかに半笑いであった。
ともかく、なんとか気を取り直して起き上がり、ナナシはアリーナへ降り立った。
明順応に意外と時間がかかって、ナナシは差し込む陽光に目を細める。
歓声が円形の剣闘場に反響するのを聞いて、ナナシは、この時初めて気づいた様に、ぐるりと観客席を見回し、そして絶句した。
国中の人間が集合してるんじゃないでしょうか。
それがナナシの感想であった。
この時剣闘場の入場者は二万人に満たない程度ではあったが、ナナシは、ここまで人が群れているのを見たことが無い。
広大な砂漠に生きてきた少年にとっては衝撃の光景であった。
急に自分の周りに人が殺到してきているような気がして、思わず息苦しいような、そんな錯覚に囚われる。
青白い顔をした少年の姿を見て、観客席から落胆するような、嘲笑うような、そんな声が響いた。
「なんだ、あのひょろひょろは」
「まだ子供じゃねえか」
「今からでもまだ間に合うだろ! 黒のウフルを出せよ!」
観客席から飛び交う罵声。
まあ、予想どうりの反応だ。
遠目だからナナシが砂漠の民であることは、観客たちには分からないだろうが、これに気付かれれば、この罵声はもっと激しいものになるだろう。
そんな中、ナナシの精神力を一番消耗させたのは、
「主様ァ! キャー! カッコイー! 愛してるぅ!」
貴賓席で、すぐ隣りの貴族らしい、見知らぬ男性の肩をバンバン叩きながら、身を乗り出して騒ぐ剣姫の姿であった。
ちなみに隣に座っている家政婦は諦めて、すでに他人のフリをしている。
仕事しろ……家政婦。
剣姫の姿は、とにかく目立つ。
何も知らなければ、『絶世の美女』そう言っても過言ではない。
その剣姫が、アリーナに現れた場違いな少年に向かって、かっこいいだの、愛しているだのと、過剰なまでの声援を発するたびに、観客席の男性達の視線が嫉妬を含んだ、不穏な物へと変質していく。
そこら中から聞こえる舌打ちの音が、ナナシのメンタルを順調に削っていった。
試合が始まる前から、後方の味方にガンガン撃たれている。
ナナシは今、当にそういう状態であった。
心を『無』にするんだ。
自分にそう言い聞かせながら、ナナシはアリーナの中央まで歩いて、対戦相手と向かいあう。
「がははは、儲け、儲け。こんなちっこい小僧が相手とは」
頭の上の方から降り注いできた、その言葉にナナシは思わず顔を上げる。
見上げれば驚くほどの巨体。
黒筋肉や狼人間達よりも更に一回り大きい。
人間と言うよりも鬼に近い生き物のように思えた。
髪や、無精ひげが赤いところをみると、どうやらヘルトルードやニーノと同じネーデル人のようだ。
巨人のバガブッド。
人間離れした膂力を持つ、今大会優勝候補の一角であった。
「よろしくお願いします」
バガブッドと目があったナナシは、そう言って、ぺこりと頭を下げる。
セコンド席では、マレーネが、この先に待ち構えている一方的な虐殺ショーを想像して思わず目を伏せた。
試合開始を告げるブザー音が鳴り響く。
先に動いたのはバガブッド。
「よっこらせ」と、緊張感のない声とともに、無造作に戦斧を横なぎに振るう。
さすがに秒殺してしまっては、観客も甲斐がないというものだ。
弱者を弄る趣味はないが、長く剣闘奴隷として戦って来たバガブッドには、観客を楽しませるショーマンシップというものがある。
最初から届かせるつもりのない一撃ではあったが、少年は怯える様子もなく、目線で戦斧の刃の行方を追うだけで、特にビビった様子もない。
「生意気な」
これはバガブッドとしては、面白くない。
こんな子供が相手であれば、精々怯えて逃げ回ってくれなければ、観客を楽しませることなど、出来はしないのだ。
イグゾーストの勝敗は、相手を戦闘不能にする。もしくは降参させることで決まる。
極端な話、即死さえさせなければ、どんな目に合せても良い。
手足を切り落としたところで、試合後、魔法による治癒が施されるのだ。
なかなか胆の据わった小僧だが、さすがに腕の一本も落とせば泣き喚いて、許しを請うだろう。
「恨むなよ小僧」
そう口走ってバガブッドは、戦斧を大上段に振り上げると、ナナシの肩口目掛けて一気に振り下ろした。
相手を侮っていなければ、絶対やらないであろう無防備な一撃。
ナナシが真っ二つにされるところを想像して、マレーネはセコンド席で目を覆い、観客席では、剣姫に付き添う家政婦が顔を背けた。
ガッ!という鈍い音がして、アリーナの土の地面が穿たれる。
恐るおそる指の間から覗き込んだマレーネの目に映ったのは、地面を穿つ戦斧とその直ぐ脇に、変わらぬ様子で佇むナナシ。そしてバガブッドの大きく見開いた目であった。
観客のほとんどにはバガブッドが手元を誤った。そう見えていることだろう。
しかし、剣姫は見ていた。
ナナシが剣筋を読み取って、最小限の動きで戦斧の一撃を躱したことを。
慌てた様子でバガブッドは再び、戦斧を上段へと振りかぶる。
同時に、ナナシが愛刀の柄に指先を伸ばし、少し腰を落とした。
一撃にして一殺と心せよ
じっとナナシを見つめている剣姫には、ナナシの唇がそう動いたのがわかった。
剣姫は、隣で顔を背けている家政婦の頭を引っ掴むと、無理やり顔をナナシの方へと向ける。
「ちゃんと目を見開いてご覧なさい。あれが私のご主人様です」
ナナシに動いた様子はない。
いや正確にはナナシの神速の抜刀が見えたものは、ほとんどいなかった。そう言うべきだろう。
次の瞬間、振り上げた戦斧をバガブットが後ろへと取り落とし、観客席で「あっ!」という声が唱和する。
その声に導かれるように、バガブッドの腰から右肩まで赤い線が浮かび上がると、、一気に血煙が噴き出した。
「なんだ!」
「なにが起こった!」
観客たちの驚愕の声が響く中、バガブットの巨体が激しい音と土煙を立てて、アリーナに横たわる。
静まり返る剣闘場。
マレーネは指の隙間から、返り血を浴びるナナシを見た。
剣姫はさも当然の様に鼻を鳴らし、家政婦は剣姫に頭を掴まれながら、目の前で起こっている出来事を咀嚼できずに、呆けていた。
「しょ、勝者! マリスのナナシっ!」
その声と共に、まるで思い出したかの様に、一斉に歓声が上がる。
地面に倒れこんだバガブッドへと深々と頭を下げるナナシ。
顔を上げた瞬間に背後から、剣姫の黄色い声援が飛ぶ。
「キャー! 主様ァー! ステキー! 愛してるゥー!」
ところが、今度はそれに舌打ちする音は聞こえてこない。
皆、それどころではないのだ。
自分の目の前で起こったことの全容を把握しきれず、口々に周りの人間へと何が起こったのかそう問いかけている。
しかし、『マリスのナナシ』、観客の間からその二つ名が洩れ聞こえてくるたびに、ナナシは溜息を吐かざるをえない。
ナナシは、ものすごい勢いで外堀を埋められている、そんな気がしていた。




