第71話 剣姫を従えるほどの人物というものを、目を見開いてご覧なさい
「首輪」
「さあ、銀嶺の剣姫! 貴様にもこの首輪を嵌めてもらおうか! と、仰られています」
マレーネが口にした一言を超訳しながら、背の高い家政婦が、首輪を手に剣姫へと詰め寄ってくる。
剣姫は『銀嶺』に手を掛けたまま、奥歯をギリリと噛みしめた。
家政婦の背後ではマレーネがにんまりと笑い、その隣には、俯いたまま微動だにしないナナシの姿がある。
「傷つく」
「おっと! おかしな動きを見せてみろ、貴様の大切なご主人様が傷つくことになるぞ。と、仰られています」
そう言って家政婦は勝ち誇った様に胸を反らした。
剣姫は迷っていた。
マレーネと家政婦。この二人を屠るのは簡単だ。
それこそ花を手折るよりも容易い。
『銀嶺』を一振りすれば、二人の首はあっさりと床に転がることだろう。
しかし、状況はその単純な解決策をとることを許してはくれない。
これからペリクレス伯を説得しなくてはならないというのに、その娘を殺してしまっては、その望みは完全に断たれてしまう。
ところが、そこまで考えて剣姫は、はたと思いなおす。
待てよ?
いっそのこと、この二人を殺して、その勢いのままペリクレス伯も屠り、この機動城砦を占拠して、主様にペリクレス伯の地位を捧げれば、全部解決するのではないだろうか?
この程度の機動城砦、主様の偉大さを思えば、決して満足できるものではないが、いずれ王になるための足がかりだと思えば、決して悪くはない。
まさかの逆転の発想。
剣姫の思考は一足飛びに過激な方向へと飛躍した。
よし、殺ろう。
物騒。超物騒である。
しかし、ナナシに舌を噛ませるなどということが出来ない様、一瞬で即死させねばならないとなると、取れる手段は限られてくる。
『永遠の白』で時間ごと凍らせてしまおうか?
うーん、これはない。
効果範囲はこの部屋全体に及んでしまう。主様を巻き込んでしまっては元も子もない。
やはり『氷柱』で、一気に下から串刺しにするのが適切だろう。
まさか剣姫の思考が、そんな常識の埒外にまで到達していようとは誰が思うだろうか。
剣姫の逡巡するような様子を、打つ手が無くて困っている。そう受け取った家政婦は、より一層勢いづいて剣姫へと迫った。
「さあ」
「さあ、首輪をつけろ! と、仰られています」
剣姫の眼前に突きつけられる首輪。
「さあ! さあ! さあ!」
鼻息も荒く、さらに剣姫へと詰め寄る家政婦。
あまりのウザさに、剣姫の中で殺意が膨れ上がる。
『氷柱』の魔法を発動すべく、足を踏み鳴らそうとしたところで、なぜか剣姫の表情が強張った。
「さあ! さあ! さあ!」
尚も剣姫に詰め寄る家政婦、その肩を誰かが、ちょんちょんと指先でつつく。
「今、忙しいんだ! 後にしろ!」
煩わしげに自分の肩をつつくその手を振り払らい、家政婦は、剣姫へと尚も執拗に詰め寄ろうとする。
が、しかし、
「あのぅ、この首輪、試合直前までは外しててもいいですか? ちょっと息苦しくて……」
「あーもう、今忙しいと言ってるだろ! 好きにしろ!」
背後から聞こえた声に、脊髄反射的に応えてから家政婦は、硬直した。
ん? 首輪を外す?
剣姫へと首輪を押し付ける姿勢そのままに、家政婦が、油の切れた機械のようにぎこちなく振り返る。
そこには、あっさりと首輪を外すナナシの姿があった。
顎が落ちそうなほどに口を開いて、茫然とするマレーネ。
剣姫は呆けたような表情のまま身動き一つせず、家政婦はただ目を白黒させている。
「あ、あれ?」
周囲の反応のおかしさに、ナナシが間の抜けた声を出す。
その途端、
「「「ええぇぇぇぇぇっ?!」」」
敵味方の区別なく、三人分の驚愕の声が唱和した。
「あわわ」
「どどどどどど、どういうことです?!」
天変地異でも起こったかのように動揺するマレーネと家政婦。
「主様ぁ!」
狼狽する二人を気にも留めず、剣姫はナナシに飛びつくと、その胸に頬ずりしはじめる。
「ちょ! マリス。人目がありますから! 落ち着いて!」
傍目にはイチャついている様にしか見えないナナシと剣姫に向かって、握った拳を震わせながら、マレーネが声を上げる。
「なんで!」
「どうして呪いが効かない! と、お、仰っています」
代弁する家政婦の声も震えている。
胸元にしがみ付く剣姫を困った顔で見下ろしながら、ナナシは指先で頬を掻いた。
「迫真の演技だとは思うんですけど、剣姫様も充分驚いてたことですし、もう、そう言うの良いですから。話も進みませんし」
「え、演技だと?」
「え、演技だと? と、仰られています」
よっぽど混乱しているのだろう。
家政婦は代弁する必要のないことまで代弁する。
実際のところ、首輪を付けてもナナシには、特段、何の変化も無かった。
しかし、マレーネ達が勝手に話を進めていくものだから、これは剣姫に悪戯を仕掛けているのだ、そう判断して大人しくしていたのだ。
ナナシはミオのせいで、悪ふざけというものに慣れ過ぎていた。
ミオの学友だというならば尚更、この程度の悪戯は当然ヤルだろう。そう捉えていたのだ。
「主様? 本当に何とも無いのですか?」
「何がです?」
「首輪を付けて意識が遠退いたりとか……」
「うん、別に。ただあの首輪はちょっと小さいかも。ずっとつけてたら汗疹が出来そうな気はします」
あまりにも呑気なその答えに、剣姫は一瞬ナナシの言うように冗談だったのではないかとも思ったが、マレーネ達のあの驚きようは尋常ではない。
何故かナナシには呪いが効かなかった。
そう考えた方が辻褄があう。
このあたりの事をきっちり問いただそうと、剣姫がマレーネ達がいた方へと目を向けると、そこに二人の姿はなかった。
慌てて、ぐるりと室内を見渡すと、腰を落としてこっそり逃げ出そうとしている二人の姿が目に入る。
「氷柱!」
剣姫が聖句とともにドンと地面を強く踏むと、地面から氷柱が突き出してマレーネ達の行く手を阻んだ。
「ひいっ!」
氷柱が鼻先を掠めると、マレーネはしゃくりあげる様な声を出して、蛙のような姿勢で仰向けに倒れこんだ。
尚、余談ではあるが、その際めくれ上がったスカートから一瞬はみ出した物をナナシは見逃さなかった。男ならそこに目が行くのは当然。不可抗力だ。ちなみに白。
剣姫はつかつかとマレーネ達の方へと近づくと、あわあわともがく彼女を助け起こして、その肩に腕をまわす。
「さて、マレーネ殿」
「……は、はい」
「良く聞こえなかったのですが、先程は靴を舐めろと仰いましたか?」
マレーネはぶんぶんと、首をふりながら必死に家政婦を指差す。
「ええっ!」
驚愕する家政婦。
その様子に苦笑しながら、剣姫はマレーネの耳元で囁いた。
「あなた方には色々とお伺いしたいことがありますが、主様はあなた方がやったことを、唯の悪戯だと思っておられます」
マレーネは剣姫の言わんとするところを掴みかねて、目を白黒させる。
「私も主様に余計なご心配はお掛けしたくないのです。まずは、主様に最上級のお部屋をご提供くださいますよね?」
マレーネは首がもげるのではないかというほど、ブンブンと頷いた。
「主様、マレーネ殿が我々に全力でご協力くださるとお約束くださいました」
「本当ですか! 助かります!」
その報告にナナシは無邪気に喜ぶ様子を見せ、剣姫はにこやかに微笑むと、もう一つナナシへと告げる。
「主様、私はマレーネ殿とゆっくりとガールズトークを楽しませていただきたいと思いますので、先にお部屋でおくつろぎいただいてよろしいでしょうか?」
マレーネと家政婦は、一気に蒼褪めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
別の家政婦が呼びだされ、ナナシを案内して応接室を出て行った。
只ならぬ様子のマレーネから「く、くれぐれも粗相のない様に!」と強く言い含められたせいで、その家政婦は、自分が案内するみすぼらしい少年が、実はとてつもなく高貴な身分の人間ではないかと詮索してしまったらしく、ナナシの一挙手一投足に過敏にビクつきながら、部屋を出て行った。
ナナシが部屋を出て行ってしまうと剣姫は、にやりと笑って口を開く。
「それでは、尋問を始めましょうか」
ひっと小さく息を呑むマレーネと家政婦。
剣姫は、相変わらずマレーネの肩に腕を回したまま。
一見すると仲良さげに肩を組んでいるかのように見えるが、もちろん、逃がす気がないことのアピールである。
「さあ、座りましょう」
そう言って、マレーネと一緒にソファーへと腰を下ろす剣姫。
掴んでいる肩の小刻みな震えを感じながら、ソファーの脇に立っている家政婦へと目を向けると、家政婦は慌てて目を伏せる。
二人は、可哀想なほどに震え上がっていた。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。まあ、流石に逃げようとしたりすると串刺しにはしますけど」
「「串刺し……」」
唯でさえ蒼褪めていた二人の顔がより一層白くなった。
元々白いマレーネに至っては、透けて向こう側が見えそうな程である。
これ以上怯えられては真面に話も出来なくなってしまう。
剣姫は早速、尋問に移ることにした。
「早速、お伺いしますけど、主様に呪いが効かなかったことに心当たりは?」
「こ、こちらが聞きたい」
「心当たりはありません。こちらが聞きたいぐらいです。と、仰っています」
この二人には、この状況で嘘を言える程の胆力はないだろう。
どうやら本当に心当たりは無いらしい。
実は剣姫には、もしかしたら……。と思っていることが一つだけあるのだが、出来ればそれは認めたくない。
とりあえず、この件については『主様は偉大だから』ということで、剣姫の中で整理をつけることにした。
「では次の質問。マレーネ殿あなたの行動は少しちぐはぐな印象を受けました。
ミオ殿のことを伺った時に「大切」、そう即答したあなたが、なぜ私達を罠に嵌めてミオ殿を窮地に追い込むようなことをしたんです」
ナナシがここにいたならば、剣姫がこれほど鋭い質問をしたことを、意外に思ったことだろう。
確かに常日頃から天然ボケと言われ続けてきた剣姫ではあるが、頭の回転が悪いわけではない。ただ時々、おかしな方向に飛躍するだけなのだ。
マレーネはとても言いにくそうに口ごもり、救いを求める様に家政婦の方を見る。
しかし家政婦は諦め顔で小さく首を振った。
隠しても無駄。そういう意思表示だろう。
それでも散々逡巡した末に、マレーネは消え入りそうな声でこう言った。
「ミオの遺言」
穏やかではないその言葉に、剣姫は眉を顰める。
「遺言?」
「そう、ミオは死ぬ気」
マレーネが発した言葉に剣姫が声を上げようとしたところを遮って、家政婦が言葉を差し挟む。
「あなた方が此処を訪れる少し前、ミオと魔道通信で少し話をしました。ミオは父様が有罪に票を投じるであろうことも分っていましたし、死刑を免れる可能性は低い。そう考えている様でした。と、仰られています」
「そんな筈はない! そうでなければミオ殿が、主様を此処へとよこす理由がない!」
「本当に?」
「本当に理由がありませんか? と、仰られています」
先程までの怯えをどこかに置いて来たかのように、二人はじっと剣姫を見つめる。
「……何が言いたいんです」
マレーネはちらりと家政婦に視線を送り、重々しく言葉を紡いだ。
「逃がしたの」
「ミオは、たとえ自分が死ぬことになったとしても、あなた方二人を添い遂げさせてやりたい。そう言っていました。
ミオは私に最後の頼みとして、監禁でもなんでも構わないから、全てが終わるまで、あなた方二人をここに留めておいてほしい、そう言いました。と、仰られています」
「馬鹿な!」
思わず立ち上がる剣姫。
握った拳を震わせながら、マレーネを睨み付けた。
しかし、先ほどまでとは別人の様にマレーネは剣姫の目を真っ直ぐに見つめる。
「だから」
「だから、私は全てが終わるまで隷属の首輪であなた方を大人しくさせようとした。と、仰っています」
「いや、その割にはノリノリで、この国を征服とか何とか言ってた様な気がしますけど!」
「家政婦」
「あれは、家政婦が暴走しただけだ。と、仰って……ってええっ!マレーネ様、確かに最後のほうは私の暴走もありましたけど、途中までは……」
「シャラップ」
思わず取り乱す家政婦と明後日の方向を見つめるその主。
剣姫は、その光景に無意識にミオとキリエの姿を重ねて、思わず苦笑した。
剣姫は、なんとなく理解した。
ミオは確かにそう考えているのだろう。
二人を添い遂げさせたい。
そう考えてくれたのであれば、涙が出るほどありがたいことだ。
だが、あの家政婦兼軍師は、自分達がサラトガを出る時、何と言った?
大賛成。確かにそう言ったのだ。
主様を巡る最大の恋敵を添い遂げさせるために逃がす?
あのストーカー染みた少女が、それを良しとするはずがない。
つまり彼女は、ナナシと剣姫がペリクレスで何かを成し遂げることを期待しているのだ。
サラトガを、ミオの命を救うために。
マレーネと家政婦に、ミオとキリエの姿を重ねて、毒気を抜かれてしまった剣姫は、穏やかな口調で問いかける。
「ではどこまでが本当なんでしょうか? 剣闘のトーナメントに勝てばチャンスがあると言うのは作り話ですか?」
「他は全部、でも」
「他は全部本当です。でも、トーナメントに実際に出させるつもりはありませんでした。剣闘奴隷の上位ランカーは、言うなればこの国でも最強の戦士達です。貴女ならばともかく、あのひ弱そうな地虫では、勝てる望みなど万に一つもありません。と、仰られています」
「次に地虫って言ったら、寸刻みで削ぎ落とします」
折角抜かれた毒気が再注入。
鋭い眼光に射殺されそうになって、マレーネが震えあがるのを見た家政婦は我関せずと、明後日の方向へと目を向けた。
剣姫はコホンと小さく咳払いをすると、マレーネに優しく微笑みかける。
「マレーネ殿。あなたはミオ殿を救いたいですか?」
マレーネは口元を強く結んでコクリと頷く。
「では、主様のトーナメントへのエントリーをお願いします」
「いいの?」
不安そうな瞳で、剣姫を見つめ返すマレーネ。
「大丈夫です。主様が傷つくような事があれば、その前にここごと吹っ飛ばしますから」
「え”?!」
それはほぼ、ペリクレス終了のお知らせではないだろか?
あのほぼ、怪物と言っても良い上位ランカー達に勝てるわけがない。
思わず、ひ弱そうな地虫の姿を思い返して、マレーネと家政婦は絶望した。
その二人の様子にくすりと笑うと剣姫は、楽しそうに言う。
「冗談です。剣姫を従えるほどの人物というものを、目を見開いてご覧なさい」
 




