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第69話 はんなま?!

「なんだテメエ。久しぶりに顔出したかと思ったら、そんなつまんねぇこと言いにわざわざ来たってのか?」


 呆れたと言わんばかりに、そう吐き捨てる少女。

 構造上必要も無さそうな円柱が立ち並び、毛足の長い赤絨毯が敷き詰められた『謁見の間』。


 少女はそこで、派手派手しく飾り立てられた椅子に腰を(うず)めて、自らの足元に拝跪(はいき)する男をつまらないものを見る様な目で見つめていた。


 少女の年の頃は14~15。

 一般的なエスカリス・ミーミル人よりも、さらに深い色をした褐色の肌に、一部を編み込んだ長い黒髪。

 いかにも気の強そうな口元と尊大そのものの態度が、身に纏う蓬色(よもぎいろ)軽装鎧(ライトアーマー)相俟(あいま)って、見る者に軍人然とした印象を与える。


サネトーネの野郎(アスモダイモス伯)が白だと言うなら、オレの答えは黒。有罪だと抜かすなら、オレは無罪に入れるに決まってる! わかってんだろうが!」


「はい、言うまでもないことだとは私も思っていたのですがね。我が軍の軍師殿は、慎重なのですよ。念には念を入れろとね。義妹(いもうと)殿」


 足元に(ひざまず)く男は、声音こそ慇懃(いんぎん)ではあったが、良く聞けば内容も口調も砕けた調子。

 少女の事を恐れている様子もなく、その拝跪礼(はいきれい)も儀礼的なものでしかなかった。


「ケッ! テメェに義妹(いもうと)呼ばわりされたくねぇな」


 不機嫌に吐き捨てる彼女に苦笑しつつ、頭を下げたまま器用に肩を(すく)めるこの男はサラトガの一等書記官。

 名をキルヒハイムという。


 彼がミリアの指示のもと、出奔(しゅっぽん)を装って訪れたのはここ、機動城砦メルクリウスであった。


『好戦的』『餓狼のような』と悪名の高いこの機動城砦は、領主の代が変わる度にその軍事色を強め、現在では他の機動城砦とは戦闘以外の接触を一切断ち、独立独歩の道を歩んでいる。

 とりわけアスモダイモスを不倶戴天(ふぐたいてん)の仇として、常に狙い続けていた。


 この機動城砦はキルヒハイムの生まれ故郷ではあったが、この軍事傾向と比較的リベラルな彼の性格傾向が融和(ゆうわ)することはまず有り得ず、サラトガへと移り住むことになったのも、(まさ)に当然の帰結と言ってよかった。


 いくら縁があるとはいえ、堅苦しい皮肉屋の彼が、使者として他の機動城砦へと派遣されることは、通常、まず無い。

 なぜなら大抵の場合、相手を怒らせて交渉以前に決裂させてしまうことは目に見えているからだ。


「こういう『謁見の間』のような時代錯誤な無駄な設備は廃止した方がいいと思いますよ。ハッキリ言って維持費の無駄遣いです。

 ただでさえ貴方の代になって、このメルクリウスは他の機動城砦よりも戦費ばかり(かさ)んでると聞きますからね。

 貴方の代で破綻してしまっては、亡くなられたお義父上(ちちうえ)にも顔向けできないでしょう? 

 なんでしたら、コスト削減案を作成してさしあげましょうか?」


 このように思いつくままに皮肉交じりの指摘をぶつけては、交渉相手であるはずの、少女の眉間に皺を刻んでいく。

 はっきり言って、使者としては最悪の人選と言って良かった。

 にもかかわらず、今回、彼が使者としてメルクリウスへと送り込まれたのには理由がある。


「うるっせい事務屋! 姉さんも何を()(この)んでこんな堅苦しいのと結婚しちまったんだか……」


 そう言って眉間を押さえる少女。

 戦争狂(ウォーモンガー)の異名を持つ機動城砦メルクリウスの領主クルル・フォン・シュレヒター。

 彼女が敬愛してやまない姉。その唯一の過ちは、この男を伴侶として選んだことだと、彼女はあらためて確信した。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「迎え撃ちます!」


 ナナシは近づきつつある二つの黒い塊を視界に捉えながら、身体の上に覆いかぶさったまま恥らっている銀嶺の剣姫に告げる。


 恥ずかしげに頬を押さえていた剣姫は、一瞬我に返った様な表情を見せた後、ナナシの焦りを気にも留めず、それはもう緩慢(かんまん)な動作で、名残惜しげにナナシの身体から離れて立ち上がる。


 焦る気持ちをぐっと(こら)えて、ナナシは剣姫が立ち上がるのを待っていたが、すぐそこまで来ている黒犬(ブラックドッグ)の姿に気が気ではない。


 ナナシは剣姫が離れるや否や、一気に跳ね起きると前後に足を開いて構えをとり、愛刀の鯉口(こいくち)を切った。


 つい先ほどのこと、砂を裂くもの(サンド・スプレッダー)で機動城砦ペリクレスへと向かっていたナナシ達を煉獄に住まう魔物、黒犬(ブラックドッグ)が襲った。


 辛うじてその一撃を(かわ)しはしたものの、二人は砂を裂くもの(サンド・スプレッダー)から落下。


 無人の砂を裂くもの(サンド・スプレッダー)を追っていった黒犬(ブラックドッグ)が取って返して、今、再び二人へと襲い掛かろうとしていた。


「剣姫様! 来ます!」


「マリスとお呼びくださいと……」


 二匹の黒犬(ブラックドッグ)はナナシと剣姫、それぞれに狙いを付けて跳躍。

 タッタッと獣特有の接地時間の短い足音を残して、一斉に飛び掛かってくる。


 接近する(あぎと)

 そこから目を逸らさずに、宙を舞う黒犬(ブラックドッグ)目掛けて、ナナシは(さや)を走らせる。

 (さや)をカタパルトのようにして放たれる神速の(やいば)

 それは、砂漠の民に伝わる剣術「ジゲン」による一撃であった。


 宙を舞う黒犬(ブラックドッグ)には、避けようもない完璧なタイミング。

 頭を真一文字に裂く必殺の一撃である。


 しかし、あろうことか黒犬(ブラックドッグ)は、何もないはずの空中でステップを踏み、更に一段高く飛び上がる。


 予想外の出来事に、ナナシは目を見開いた。

 頭を狙ったナナシの一撃は、黒犬(ブラックドッグ)の後ろ足を辛うじて(かす)めたものの手ごたえは薄い。

 恐らく、皮一枚のかすり傷といったところでしかないだろう。


「浅い!」


 相手は煉獄に住まうと言う魔獣である。砂狼(サンドヴォルフ)のような唯の獣とは訳が違うのだ。


 最初の一撃に全てを掛ける「ジゲン」という剣術においては、避けられた後の対処ということは、完全に捨て置かれている。


 つまり一言で言えば、(つたな)いのだ。


 一撃で仕留められなければ、逍遥(しょうよう)と死ね。

「ジゲン」とはそういう思想のもとに、必殺の初撃だけを磨き続ける極端、極まりない剣術であった。


 黒犬(ブラックドック)はナナシの頭上を大きく飛び越えると、着地と同時にターンして、再び飛び掛からんと前足に力を込める。


 切り裂かれた後ろ足から、ダラダラと血を流してはいるものの、その動きの淀みなさを見る限り、動きを阻害する程の傷を与えられてはいないようだ。


 黒犬(ブラックドック)はナナシが体勢を整えるより早く、地を蹴って飛び上がった。


 ナナシは慌てて構えようとするが、時すでに遅し、黒犬(ブラックドック)の牙が、いまにもナナシの肩口へと突き立てられようとしている。


 その刹那、


凍土の洗礼(ブライニクル)!」


 薄闇の砂漠に甲高く響く聖句。

 ナナシの周囲を氷の粒を巻き上げながら竜巻が取り囲み、今にも喰いつかんばかりに近づいていた黒犬(ブラックドック)の鼻先を切り裂いて、その巨体を激しく大地へと叩きつける。


 それは剣姫の魔法。

 ヒュンヒュンと音を立てて、自分の周りを取り囲む竜巻を眺めながら、ナナシはふぅと大きく息を吐き出した。


「助かりました、剣姫さ……ま?」


 振り返ったナナシが見たものは、地面から逆さまに伸びた巨大な氷柱(つらら)に貫かれているもう一匹の黒犬(ブラックドック)の姿。


 大量の血を流しながら、声もなくピクピクと痙攣する巨体はすでに塵となって消え始めていた。


 声を失うナナシに剣姫は平然と告げる。


「マリスとお呼びください。主様」


 どうやら、剣姫の方は魔法の一撃で、あっさりと勝負が決まっていたらしい。

 あいかわらず出鱈目(でたらめ)な強さである。


 やっぱり、僕は主の器ではないですよね……。

 ナナシは一撃を(かわ)されて、逆襲を受けた自分が恥ずかしくなった。


 あらためて目を向けると「凍土の洗礼(ブライニクル)」によって弾き飛ばされた黒犬(ブラックドッグ)は、足掻いてはいるものの、凍り付いた前足を思うように動かせないらしく、立ち上がろうとしては、へたり込むという動作を繰り返している。


「主様、トドメを」


 静かにそう告げる剣姫に無言で頷くと、ナナシは再び鞘から剣を抜き放ち、黒犬の頭を真っ二つに叩き割った。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 陽が落ちてしまえば、放射冷却で砂漠の気温は、徐々に下がり始める。

 日中は40度を超える気温が、深夜には氷点下まで下がる日さえあるのだ。


 吐く息が白く凍りはじめるのを感じながら、ナナシと剣姫は砂の大地に二組の足跡を残して歩いていた。


 黒犬(ブラックドッグ)の襲撃で、肝心の移動手段である砂を裂くもの(サンド・スプレッダー)が二人を残して、無人で先へと飛んで行ってしまったのだ。

 どこかで停止して落ちてはいると思うのだが、あの勢いでは、それも相当先の方だろう。


 かれこれ二刻ほども無言で歩き続けていた二人。

 ナナシの三歩程後ろを、黙って歩いていた剣姫が突然、口を開いた。


「主様、ずっと考えていたんですが……」


「はい?」


砂を裂くもの(サンド・スプレッダー)に乗っている間、主様の背中に私の胸が当たっていますよね」


 ビクゥウ!! 

 あまりにも不意打ちじみた発言にナナシは硬直する。

 ぎこちなく振り向くと、ナナシは早口で弁解じみたコメントを捲し立てた。


「い、いやでも、あの、剣姫様は胸甲(ブレストプレート)を着用されていますから、鉄の感触しかしません。大丈夫です! 大丈夫ですよ!」


「…………」


 慌てふためいたコメント。

 その直後に訪れる沈黙の居心地の悪さは尋常ではない。

 しかし、ナナシの慌てっぷりとは対照的に、剣姫は表情一つ変えることなくナナシを見据え続けている。


「では、アージュ殿とゲルギオスまで行った時はどうだったのです?」


 ナナシはこの時点で既にKO寸前である。

 しかし、何を言いだすんだと思いながらも、思考は勝手にアージュとの旅路のことを思い起こしはじめる。


 考えてみれば、なんだかんだと言いながらもアージュは、往路では随分警戒して、出来るだけナナシに身体が触れないように気をつけていたような気がする。しかしサラトガへの帰り道では、間にニーノを挟んでいたせいもあるだろう。がっちりとしがみ付かれていたような記憶がある。


「ま、まあ出来るだけ触れない様に気をつけていたとは思いますけど……」


 ずいぶんと下がった筈の気温とは裏腹に、ナナシの額に汗が(にじ)む。

 いわゆるイヤな汗である。


 出来るだけ無難な回答をしたつもりではあったが、その回答に剣姫は、明確に不満の表情を浮かべた。

 一言で言えば『納得していない』そういう表情だ。


「ゲルギオスへの旅の時、アージュ殿は胸甲(ブレストプレート)は着用されておられませんでしたよね」


 そう。直前にナナシが真っ二つに破壊してしまったので、ゲルギオスへの旅路の際にアージュが身に纏っていたのはチューブトップ風のチュニックだった。

 しかし、ナナシはどう回答して良いかわからず、曖昧に笑う。


「では、あの泥棒ね…アージュ殿は、幾日にも渡って主様に生乳(なまちち)(こす)りつけていたと、そういうわけなのですね」


生乳(なまちち)?!」


 突拍子もない発言にナナシは声を上げる。

 しかし、剣姫の表情は真剣そのもの。

 急に周囲の気温が下がり始めた様な気がして、額の汗とは裏腹に、ナナシは身震いした。


「いやいやいや、服着てますからね。生じゃありませんよ! 僕もフードマントとか着てますから感触とか、そういうのは全くありませんでしたから!」


「では服の分を考えて、半生(はんなま)乳と呼称しましょう」


半生(はんなま)?!」


 ナナシが衝撃の余り口を開いて硬直すると、剣姫はつかつかと3歩分の距離を詰めて、ナナシの胸へと自分の額を押し当てる。

 そして(ささや)く様に言った。


「私は不安なんです。あれだけ情熱的な求婚の手紙を残こしていかれたのに戻ってこられてからは、主様はずっとよそよそしい態度。むしろ距離を取ろうとなされておいでです」


「ソ、ソンナコトハ、ナイデスヨ……」


 その情熱的な手紙とやらが、皇姫ファティマの捏造だったなどとは、口が裂けても言えない。


「ですので、手紙を書かれてからお戻りになられるまでの間に、何か心変わりされる様なことがあったのではないかと考えております」


 そう言われてしまうとナナシの頭を()ぎる出来事は幾つかある。

 正直に告白してしまえば、ナナシの心の最も深いところに触れた女性として、アージュのことが気にならないと言えば嘘になる。

 ただ、それはナナシとしては友情に限りなく近いものだと、思ってはいるが。


「そこで、あの泥棒ね……アージュ殿の半生(はんなま)で主様は誘惑されてしまったのではないかと……」


 でもそれは、断じて乳が理由ではない。

 口に出して言う事は絶対にないが、そこで選ぶならもっと他に……げふんげふん。


 しかし、剣姫は思いつめた顔で、あらためてナナシを見つめる。


 真剣にナナシを見つめる吸い込まれそうな程に澄んだ蒼い瞳。

 流星を束ねたような銀の髪と白磁の肌が月の光に照らされて、深い闇の中に白く浮かび上がっている。

 あらためて、剣姫の、その美しさに気付いてナナシは息を呑む。


 触れることさえ躊躇(ためら)われる程に、神聖な雰囲気を纏いながら、剣姫は意を決したように口を開いた。


「ならば私は(なま)に踏み切らねばならないのではないかと!」


「踏み切っちゃダメ!」


 神速のツッコミであった。

 雲散霧消する神聖な雰囲気。

 いや、もしかしたら最初からそんなものは無かったのかもしれない。

 しかし、ナナシの言葉に、剣姫はさも意外そうに目を丸くした。


「ダメなのですか?! 殿方なのに?!」


 男と言う生き物に対して激しい誤解を感じる。


「まさか、ホ……」


「違います!」


 それだけは絶対に言わせない。言わせてはならない。

 まかり間違って、そんな噂が立ってしまったら一瞬にして、黒薔薇隊の餌食になることは目に見えている。


 どうしてこうなった。

 そう思わざるを得ない不毛なやりとりに、ナナシは、思わずため息をつく。

 相変わらず、じっとナナシを見つめる剣姫の視線を感じながら、項垂れると、そこに足元から一直線に、何かが砂をえぐったような跡が見えた。


 その線を追っていけばきっとそこに砂を裂くもの(サンド・スプレッダー)が転がっていることだろう。

 そうは思いながらも疲れ切ったナナシの身体は、とても重かった。

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新作始めました!舞台はサラトガから数百年後、エスカリス・ミーミルの北、フロインベール。 『落ちこぼれ衛士見習いの少年。(実は)最強最悪の暗殺者。』 も、どうぞ、よろしくお願いいたします!
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