第58.5話 トップとアンダー
この話は本編の続きではなく、第3章の幕間のお話です。
第58話でキリエとアージュが風呂へと向かった後の出来事を書いた幕間話です。
こらっ! ニーノちゃん、泳いじゃダメだってば」
アージュが、水飛沫を立てて燥ぐニーノを叱った。
叱られたことにしゅんとする1/4狼少女を横目に、耳と尻尾が出てない時でも、やっぱり犬掻きなのだなと、キリエはちょっとした発見をしたような、そんな気分になった。
ここは近衛隊隊舎に設置されている大浴場。
建前上は、男女の時間帯別の交代制なのだが、そもそも近衛隊には、女性はキリエとアージュしかいない。
風呂付の自室を持つ幹部である彼女たちは、平常時、ここで入浴することは、まず無い。
というか黒筋肉共が入浴した後は、どういうわけか薔薇の花びらが大量に浮かべてあったりするので、とてもでは無いが入る気がしない。
毎日毎日、あの大量の薔薇の花びらは何処から入手してくるのか、それは近衛隊七不思議の一つであった。
今日に限って言えば、さすがにローダとの戦闘の真っ最中ともなれば、黒筋肉共も入浴どころでは無く、薔薇の花びらも浮いていない。
ポニーテールを解いて、頭にタオルを巻いたキリエは「極楽、極楽」と年寄りじみたことを言いながら、湯船の中で伸びをする。
そのまま浴槽の縁に頭を乗せ、寝そべるような体勢を取ると、長時間に渡る戦闘で強張った脹脛の筋肉を、ゆっくりと揉み解す。
外では未だにペネル率いる重装歩兵隊が、ローダ軍を追撃し続けているが、一時的とはいえ休養の機会を持てた事は、本当に有り難かった。
「このままローダが引き上げてくれると、良いんですけどね」
アヒルの玩具を湯船に浮かべて燥ぐニーノを抱きかかえながら、アージュが溜息混じりに言う。
「そもそも何の為に襲い掛かってきたのかすら、良くわからんからな。
奴らの狙いが単純に賊の様なものなら、あれだけ手痛くダメージを食らわせれば、退かぬ方がおかしいとは思うが……」
キリエはそう口に出して言ってはみたものの、ローダ兵達はそんな浮ついた理由で攻めてきている様には見えなかった。
あれは何か大義名分を背負って戦っている。そんな強い意志を感じさせる連中であった。
キリエはお湯を一掬いすると、バシャッと顔を洗って、気分を切り替える。
さあ、ここからは女の闘いだ。
「ではアージュ、勝負だ!」
「望むところです!」
二人はおもむろに湯船から上がると、洗い場の方へと歩いて行く。
ニーノが、湯船の中から二人の様子を、キョロキョロと窺っているうちに、立ち込める湯気で二人の姿は、ほとんど見えなくなった。
狼の聴力を持つニーノの耳に、ごくりと緊張で喉を鳴らすような音が聞こえた後、濛々とけぶる湯気の向こうで、キリエとアージュが、順番に互いの身体に何か紐のような物を巻きつけている様に見えた。
そして一瞬の静寂のあと、二人の言い争う様な声が聞こえてくる。
「ふはははは! 勝利!」
「いやいやいや、あれは違います。隊長が太っただけなんじゃないですか?」
「ふと?! 太ってなんかないぞ!」
「じゃあ、訓練のし過ぎで胸板が厚くなったんですよ。たぶん」
「乙女に向かって、胸板とかいうな!」
「わかった! 胸板じゃないとしたら、隊長は乳首が長いんですよ、きっと!」
「ビックリ人間か! アージュ……往生際が悪いぞ」
「だ・か・ら、ちゃんとトップとアンダーの差で勝負しましょうよ。それだったら、隊長の寸胴と私のくびれた女らしい体でも公平に勝負できるんですから」
「アージュ……貴様、言う様になったな。しかしそれでも、どう考えても私の勝ちだろう。3ミリだぞ、圧勝ではないか。我が乳は!」
「そんなに自信があるなら、素直にトップとアンダーの差で勝負をしましょうよ」
「よし、いいだろう。ほえ面書かせてやるわ」
再び静寂が訪れる。
「ほらみろ、やっぱり私の方が巨乳ではないか」
「1ミリですよ? そんなの誤差みたいなもんじゃないですか」
「愚かな。戦場では紙一重で決まる勝負がどれだけ有ると思っておるのだ」
「それにですよ、私の方が若いんですから、年齢差を考えたら、むしろ私の圧勝でしょう、これは」
「私だってまだ十代だぞ」
「ギリギリですけどね」
「ぐぬぬ」
ニーノはアヒルの玩具で遊ぶのに飽きて、「うんしょ」と湯船からあがると、二人の声がする方へ、テトテトと近づいていく。
アージュを見つけて、その腰へとしがみ付くと、ニーノはアージュの手の中にある紐を指さして言った。
「ニーノも、するます!」
キリエがニーノへと、顔を近づけて笑いかける。
「なんだニーノ、お前も計りたいのか?」
ニーノがコクコクと頷くと、アージュがニーノの頭を撫でながら苦笑した。
「ははは、さすがにニーノちゃんには早いんじゃないかな」
「まあ、いいじゃないか、背伸びしたい年頃なんだ。計ってやれ」
「そうですね」
そう言うと、アージュはしゃがみ込んで、ニーノの身体に白い紐をしゅるりと巻きつけた。
「・・・・・・」
キリエとアージュは硬直した。
「おい、アージュ。貴様がトップとアンダーの差とか言い出すから、こんな事になってしまったんだろうが」
「た、た、隊長、これは何かの間違いですよ……きっと」
「ちょ、調子に乗るなよ、このワンコが! たった1ミリ、1ミリだ。誤差の範囲だ、そんなの!」
「隊長?! さっきと言ってたことが違いませんか?」
「うるさい! 私は『我が弟』に勝負を挑んでくるぞ」
「お、落ち着いてください。ナナシは今、サラトガにいないですから」
「確実に勝てる相手と戦って自信を取り戻すのも一つの作戦だぞ」
「勝てなかったら、再起不能ですよ、隊長!」
再び、静寂が訪れる。
「あ、アージュ……今思い出したのだが」
「……なんです?」
「揉むと大きくなるんだよな」
「……隊長、洒落にならない目つきになってます。ダメですっていうか、嫌です」
ニーノは、そんな二人をおきざりにして、再び湯船に飛び込むと、アヒルの玩具と戯れはじめるのであった。




