第66話 空から落ちてくるのは、いつも少女
『否、王道に驕る者の虚を突くこと。それが詭道の本質じゃ』
無理やり持たされた魔道通信用の精霊石から洩れ聞こえてくるミオの声を聞きながら、紅蓮の剣姫ヘルトルードは気だるそうに呟いた。
「……えっらいイキっとるなぁ。ちびっ子領主」
ローダ軍がサラトガ城を包囲する中、ミオは今、単身、言葉を武器に戦っている。
手元の精霊石では、さすがに話をしている相手の声までは拾わないが、ミオの言葉の調子からも相当な舌戦が繰り広げられているのは、なんとなく分かった。
軽いノイズとともに再びミオの息遣いが洩れ聞こえてきた後、次に聞こえた言葉は大声が過ぎて、精霊石から洩れる音も割れている。
『見よ!』
音だけを聞いているので、ミオが何を指して見ろといっているのかはわからない。
しかし次の瞬間、相手には聞こえない程度の小声で、ミオがボソッと呟くのが聞こえた。
『……ハイ、ここで飛び降りる』
ええ……。マジか。
これ、こんなタイミングなん?
ウチまだ心の準備出来てへんねんけど……
そうやってヘルトルードが逡巡していると精霊石から再び聞き取れるかどうかギリギリの小声で、
『早よせんか…おーい……聞こえとるんじゃろが』
と急かす声が聞こえてきた。
紅蓮の剣姫は肩を竦めて、大きく溜息をつく。
……しゃーない。行くか。
心の中でそう呟いて、ベッドの端から地上を見下ろす。
ここから見る限り、サラトガも、ローダも、小指の先ほどの大きさでしかない。
彼女が纏っているのは、いつもの黒のフリルを惜しげも無く用いた赤いドレス。
ベッドの端で立ち上がると、その三段スカートの端が下から吹き上げる風でバタバタと靡いた。
「何でこんな事になってしもたんやろなぁ」
最後にそう呟くと、彼女は地上5000ザールの上空。そこに浮かんだベッドの上から宙空にその身を躍らせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
なんで、そんなことになってしまったのか。
話は2刻ほど過去に遡る。
タイミングとしては、キリエ達がゲルギオス軍との戦闘が続いている右舷城壁の方へと狼人間に背負われて、走っている頃のことである。
「これ、起きろ! 起きるのじゃ!」
ゆさゆさと頻りに身体を揺り動かされて、ヘルトルードはとろんとした目を擦りながら、ベッドの上で身体を起こす。
「もう……なんやねんな」
目の前にいるのはサラトガのちびっ子領主……未だ覚め切らないぼんやりした頭で、なんとかそれだけは認識した。
「なんやねん。ではないわ! 人が苦労しておるというのに、グースカ惰眠を貪りおって! 聞いたところによるとお主、ワシがボッコボコにされておる間も、ひたすらダラダラしておったらしいではないか」
「だって毎日暑いやん」
「暑いって……お主それ、紅蓮の剣姫としては一番言うてはならぬ台詞じゃとおもうぞ」
「それだけやあれへん。ウチがサラトガの為に戦こうたる言うたんは、銀嶺のんを観察させてくれるなら、いう条件やった筈やで」
「ま、まあそうじゃの」
「それがなんやねん。銀嶺のんはラブラブ婚前旅行やいうのに、ウチは留守番って有得へんやん! そんなんもう、ふて寝するしか無いやん!」
「子供か!」
「ええわい、子供で!」
売り言葉に買い言葉。
そのまま再び毛布に包まろうとした時に、ヘルトルードは周囲の風景が明らかにおかしいことに気づく。
ん、花壇? 池? 噴水? 植え込み? ベンチ?
「な、なんやこれ……ウチ、主はんの部屋で寝てたはずやで?!」
そう、彼女が寝ていたベッドは、どういう訳か今、サラトガ城の中庭のど真ん中にあった。
「うむ、良く寝ておったのでな。とりあえず負傷して戦場に出られぬ黒筋肉共に運ばせたのじゃ。ベッドごと」
「何でやねん!」
思わず、ツッコんでは見たものの、困惑するヘルトルード。
はっきり言ってミオが何をしたいのかさっぱりわからない。
「まあ、お主が困惑するのも仕方ないが、これには深い訳があるのじゃ」
「深い訳?」
「うむ、お主にはこれから上空5000ザールの高さからダイブしてもらう」
訪れる静寂。
ヘルトルードが思わず間抜けな表情になったまま、次の言葉を発するまでにたっぷり10秒は経過した。
「は?」
「じゃから、空から飛び降りろと言っておる。具体的には上空5000ザールぐらいから」
「イヤイヤイヤ、ウチの扱いおかしいやろソレ!」
何言い出しとんねん、このちびっ子は。
ヘルトルードも自分はボケには耐性がある方だと思っていたが、いくらなんでもこのボケはダイナミック過ぎる。
「最初は目が覚めたらすでに5000ザール上空にいた、とかやってやろうかと思っておったんじゃが、さすがにミリアに止められてのう」
「そりゃ止めるやろ! なんやねん、そのエクストリーム寝起きドッキリは!」
「大丈夫じゃ」
「どこが大丈夫やねん!」
「セルディス卿は10000ザール上空からの急降下攻撃を成功させておるぞ」
その言葉に再び、二人の間に静寂が舞い降りた。
「……マジで?」
ヘルトルードが震える声でそう呟くと、ミオは腕組みをしながらコクリと頷く。
「マジ。大マジじゃ。じゃから同じく剣姫を名乗るお主に出来ぬ道理はない」
「いや、でもアレは人外やから、同列に考えたらアカンのちゃうか」
ヘルトルードが震える声でそう言いかえすと、ミオは過剰なほど驚いた表情を浮かべ声を上げる。
「なんと! 紅蓮の剣姫殿は、銀嶺の剣姫より格段に弱いとそう言いたいのじゃな! 実質の敗北宣言じゃ!」
「そんなわけあるかいな! 魔力の量を除いたらアレに劣ることなんか何にもあらへんで!」
ヘルトルードの言葉にミオがニヤリと笑った。
「ほほう」
やってもうた!
ヘルトルードがそう思った時にもう遅い。
ミオはニヤニヤと笑いながらヘルトルードへと顔を近づけて言った。
「では、やってくれるのじゃな」
「うっ……でもウチ起き抜けやし、寝間着やし」
「寝間着? 何を言うとる、いつもの剣姫スタイルではないか」
言われて自分の服装を確認すると、たしかにいつもの赤いドレスだ。ご丁寧に布団の下には愛剣『紅蓮』まである。
「え? な、なんで?」
困惑するヘルトルードに、大したことでも無いかのような口ぶりでミオが言い放った。
「うむ、服なら寝てる間に着替えさせておいた。黒筋肉どもに」
「ちょ?!」
「あー心配するな、あ奴らは女の身体になんぞ興味はないわ。むしろ終わった途端必死に手を洗っておったぞ」
「それはそれで傷つくわ!!」
あとであの筋肉ダルマどもは全滅させる。ヘルトルードは心に決めた。
「あと、お主が寝間着と称する紫のスケスケは青少年の健全育成上よろしくないので燃やしておいたぞ」
「ちょおおおおお! 高かったんやでアレ! 何してくれんねん」
「どうせ、とりあえずビッチ気取って買っては見たものの、いざとなると恥ずかしくなって着れないけど、もったいないので誰も居ない今の内に着てみたという程度のもんじゃろが。この似非ビッチが」
「ぐっ……」
ヘルトルードは悔しそうに歯噛みする。
どうやら図星であったらしい。
「まあ落ち着け、とりあえずコレを渡しておく」
そう言ってミオは精霊石を一つ、ヘルトルードに握らせた。
「魔導通信用の精霊石じゃ、詳しい内容はこれで示すゆえ、落とすでないぞ」
「だ・か・ら、まだやるともなんとも言うてへんて言うてるやん!」
「案ずるな。すでにお主のベッドの下に「上昇」の精霊石を30個ばっかし取り付け済みじゃ」
「え”っ?!」
「娼がふさわしいワードを唱えれば即時に発動するようになっておる」
「ふさわしい?」
「行くぞ!」
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
慌てて、ベッドの上から逃げようとするヘルトルード。しかしもう遅い。
ミオがワードを口にする方が断然早かった。
「布団が吹っ飛んだ」
まさかの親父ギャグ。
ミオの口から出たのは、使い古された駄洒落であった。
しかし、その言葉とともにベッドの下から煌びやかな光が洩れ出したかと思うと、次の瞬間、上空に向かって猛烈な勢いでベッドが射出される。
「コレ布団やない、ベッドやああああぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・」
精霊石の光と律儀なツッコミの余韻を残して、空の彼方へと消えていくベッドを見送りながら、ミオが満足げに頷いた。
「うむ、良いツッコミじゃ」
ミオが紅蓮の剣姫への罰ゲーム……もとい出撃の余韻に浸っていると、背後から近づいてくる者がいた。ミリアである。
ミオがヘルトルードを説得するのに邪魔になるからと、植え込みに隠れて様子を伺っていたのだ。
しかし、ミリアの目から見ても、さすがにこれは不憫すぎる。
こんな駄洒落で射出されて死んだ日には死んでも死にきれない。
「大分強引だったけど、大丈夫かな?」
苦笑しつつミリアは口を開く。
「ま、大丈夫じゃろ。お約束じゃからな」
「お約束?」
「うむ、空から落ちてくるのは、いつも少女じゃと相場が決まっておる」
「ふーん」
一体、どこの相場なのだろうと、ミリアは首を傾げた。




