第64話 逆転する方法は一つ
「じゃあ、排出口開いて!」
ミリアの声が反響して幾重にも響き渡る。
その直後、薄暗い中に一条の光の線が真一文字に現れたかと思うと、一呼吸おいて、ゴウンゴウンと腹の底に響くような重い音とともに壁面がゆっくりと上を向いて跳ね上がり、トカゲが這いよる様に滑り込んでくるオレンジの斜光が、床の上にその領域を広げていく。
口を開けた壁面の外。フロアの切れ目の向こうは、高速で後方へと流れていく砂の波。
正面を見れば、数十ザール向こうに何十本もの極太の鋼線で曳航されるストラスブルの姿があった。
魔晶炉が停止した哀れな機動城砦は、文字通りに引きずられ、その巨体から絶え間なく砂を打ち付ける音を響かせながら、砂の波濤を高くまき上げている。
ここはサラトガの最下層にして最後尾。
所謂、ゴミの集積所だ。
再利用できるものを取り除かれたゴミはここに山積みにされ、最後は砂の海へと押し出される。
大地にゴミを撒き散らす。
その行為については、無作法だと言うなかれ。
それらのゴミはいつかは流砂に浚われて、砂の一部へと返っていくのだ。
開いた壁面から差し込む夕陽によって、このゴミ集積場の壁面に映し出される長く伸びた影。その数は3つ。
そのうちの一つが流線型の物体を重そうに引き摺りだすと、乱暴に床の上へと倒し、バタンと大きな音を立てた。
「これが砂を裂くものだよ」
流線型という優美な形の割には、何の塗装もされていない剥き出しの金属板。
えらく雑な魔道具だな、それがキスクの第一印象であった。
「とは言っても、ナナちゃんの使っているのの試作品だから、調整がちゃんと出来てるわけじゃないけどね」
「試作品? 大丈夫なんかよ、そんなんで」
唯でさえ、この頼りない板切れ一枚で高速走行するなんて信じられないのに、『試作品』でしかも『調整できてない』と言われてしまってはキスクの不安は膨らむ一方だ。
「大丈夫だよ、たぶん。今回の目的は逃げ切ることじゃ無くて、ゲルギオスを出来るだけサラトガから引き離して掴まることだからね」
「で、奴さんはちゃんと追ってくんのか?」
「さっき話したとおり。ミオ様に任せとけば問題ないよ」
不安を隠せないといった様子のキスクを軽くあしらいながら、ミリアは、砂を裂くものをじっと見つめているヘイザに視線を移す。
「どう? ヘイちゃん、行けそう?」
突然、話しかけられてビクッと体を硬直させた後、ヘイザはおずおずと親指を立ててミリアに向ける。
「い、いけま、す。な、ナナシより、ぼぼぼ、僕の方が波、乗りはう、うまいし」
「ふーん」
ナナシを引き合いに出したことにミリアの声音は少し不快そうな響きを帯びたが、ヘイザは特に気にした様子もなかった。
「ローダが追ってくることはまず無いとは思うけど、万が一そんな状況になったら、ゲルギオスに飛び込めばいいから。
アージュさんの話だとゲルギオスの城壁はちょっと傾斜がついてるから、砂を裂くものならそのまま駆け上がることができるって」
「わ、わかりました」
ミリアとヘイザのやり取りを横目に、キスクは用意された白いフードマントを被りながらぼやく。
「なんで俺らがこんな損な役回りを……」
「いつまでも、ブツブツ言わないの! ちゃんとゲルギオスに掴まった後の脱出用に、とっておきの魔道具も貸してあげるんだから」
「だがなぁ……」
やはり波乗り未体験のキスクには、こんな板切れ一枚に身を任せるということが不安で仕方ない様だ。
ミリアは胸の内で『しかたないなぁ、もう』とため息混じりにつぶやいて、キスクの前に人参をぶら下げることにした。
「愛する女の為だと思ってさ。ね、キスクさん、お姉ちゃんのこと好きなんでしょ」
ミリアはにんまり笑いながら、そう言って、キスクの方へと顔を近づける。
「ちょ! おま、な、何でそんな!」
「見てればわかるよ。だってキスクさん、お姉ちゃんのことチラチラ見すぎ」
「ちっ!」
慌てるキスクの様子に、ミリアは楽しくして仕方ないといった風ににやにやと笑い、キスクはそっぽを向いて舌打ちする。
そして、そんなキスクの肩を撫で回しながら、ミリアは耳元で囁いた。
「応援するよ。私、キスクさんみたいなお義兄さんが欲しいなぁ」
その言葉に、目を見開いて振り向くキスク。
近づけた顔の距離もそのままにミリアは艶かしく笑って、更に餌を撒く。
「うまく行けば次は首都でお姉ちゃんに会えると思うから、その時は私がデートの段取りをつけてあげるからさ」
「で、で、デート?! ってあのデートか?」
「そう、そのデート」
鼻息も荒くさらに顔を突きつけてくるキスクにミリアは笑顔で頷く。
「マジか?! お、お前良いヤツだな」
「頑張って、私のお義兄さんになってね」
「まかせろ! 行くぞヘイザ!」
意気揚々とヘイザの首根っこを掴んで、砂を裂くものへと向かうキスク。そのキスクの背中を見ながら、ミリアは胸の内で呟いた。
んふ、たーんじゅん。
とはいえ、キスクとキリエの仲を取り持つという言葉に嘘はない。
キスクがキリエを口説きおとしてくれれば、単純にライバルが一人減るのだ。
あの追えば逃げる小動物のような男の子が、このサラトガで一番心を開いている人間といえば、まずはミオ、その次に来るのは、なんだかんだと言いながらキリエであろう。
ミリアは自分が、アージュ、剣姫、ヘルトルードらとの三番手争いの渦中にいると認識しているのだ。
「ミオちんは本人にその気がないから心配ないけど、お姉ちゃんのいう姉弟愛は正直ありえないよね」
誰に言うでもなく、ミリアの口からそんな呟きが零れ落ちる。
そんなミリアを他所に、ヘイザの腰にしがみ付くようにして、キスクは砂を裂くものの上に立った。
「ちゃ、ちゃんとつかまって、てください」
「おう」
「いきま、す!」
その言葉と同時にヘイザが前へと体重を掛けると、ひゃああというキスクの情けない声だけを後に残して、砂を裂くものは砂の海へと飛び出し、眼前のストラスブルの城壁を掠る様にして、西の方へと消えて行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ヘイザ達はそろそろ発った頃かの?」
「はい、予定通りであれば」
ミオの問いかけに答えたのはアージュ。
ミオの自室の奥、壁に開いた大穴から一番遠いところに、椅子に腰かけるミオとその左右に立っているキリエとアージュの姿があった。
ここからであれば、大穴の向こうに見えるのは空のみ。
下層にコバルトを残したオレンジの夕焼け空、そこに一条の雲がたなびいている。
時刻は先程、ミオが宣言した半刻まで、あと5分というところであった。
「出て来たところを捕まえようというのは、普通に考える事じゃからのう。例え5分前でも、出てきたら追わざるをえまいて」
最初からヘイザ達には5分前に出発するように指示していたのだ。
まるでミオの言葉を聞いていたかのように、突如、左舷の方から軋む様な大きな音とともに小刻みな振動が伝わってきた。
「ゲルギオスが動きだした様じゃの」
ここまでは作戦どうり。そう胸の内で呟きながら、ミオは先程、艦橋でミリアが披露した作戦を思い出していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ゲルギオスの目的はナナちゃん、ローダの目的はストラスブル伯。それぞれ違う人間を目的にサラトガを攻撃しているわけだけど……」
ミリアは、そう言いながら一同の顔を見回して、ミオのところで視線を止める。
「まず、ミオ様」
「なんじゃ?」
「ゲルギオスとローダ。その両方に相手が同じ目的でサラトガを襲っていると誤解させてください」
「ん、良かろう」
ミオは事も無げに返事をし、キスクが慌てて声を上げる。
「ちょちょちょ! ちょっと待てよ。そんなあっさりと。出来んのかよ、そんなこと。ローダとゲルギオスが連携していないって保障もねえだろうが」
「なんじゃ、娼に言葉で縛られたことのある貴様から、そんな疑問が出るとは、娼も見くびられたもんじゃのう」
「見くびったつもりはねえが、あいつらが協力し合っていねえという保証もねえだろうが」
キスクの懸念は至極真っ当なものである。右舷と左舷の両側から二つの機動城砦が襲い掛かって来たのだ。むしろ、この二つの機動城砦が連携していないと考える方が難しい。しかし、ミリアはキスクに向かって首を振る。
「ううん、それは有りえないんだよ。なぜならローダの後ろで糸を引いている人物にとって、ゲルギオスの登場は裏切り以外の何物でもないんだから」
「裏で糸を引いてる奴?」
「そう、キスクさん達はたぶん知っている人物だよ」
ミリアがそう言うと間髪入れずにミオがその人物の名を告げる
「マフムードという名の死霊術師じゃな」
「マフムード? あのインチキ占い師の事か?」
そう言って話に割り込んで来たのは、モルゲンである。
「ふむ、やはり知っておるか」
「おう、知らいでか。いつの間にかサネトーネ様に取り入って、お傍に侍っている胡散臭い男だ」
「ローダ伯はそいつに操られておるのじゃ。サラトガにストラスブル伯が囚われておるとな」
「ちょっと待てよ。全然話が見えねえぞ、なんでアイツがそんなことをするんだよ」
「頭の巡りの悪いヤツじゃな」
声を荒げるキスクに、ミオが少しイラつきはじめ、その様子を見たミリアが苦笑しながら、口を開いた。
「まあまあミオ様、ボクが一から説明するよ」
「頼む」
「全ての元凶はね、そのマフムードって人なんだよ。その人は今わかっている限り、ゲルギオス、アスモダイモス2つの領主を殺害して、自身が作ったゴーレムに成り変わらせてる」
「なんだと?! お嬢ちゃん今、お前は聞き捨てならんことを言ったぞ。サネトーネ様が既に殺害されて、今いるのは偽物だと?」
モルゲンが声を荒げて詰め寄るが、ミリアは目を反らすことなくモルゲンを見据えて問いかける。
「おじさん達も考えてみたら、思い当たるところあるんじゃない? マフムードが来てから、アスモダイモス伯の様子がおかしい事とかあったでしょう?」
そう言われた時のモルゲンとキスクの表情を見れば誰もが分かっただろう。
思い当たることがあるのだと。
さらにアスモダイモス伯のことについて問い詰めようとするモルゲンを制して、ミリアは話を戻す。
「そのマフムードが、ローダ伯にサラトガを襲わせるように仕向けたのは、ミオ様の裁判でローダ伯の票を失わせるためなんだ。
ボクは裁判における領主の多数決で4対4のイーブンに持ち込むことはできると踏んでたんだけど、こちらに票を入れる様に説得できる人物の一人。それがローダ伯なんだよ。でもそのローダ伯がサラトガを襲ったらどうなる?」
「反逆者として投票権を失うわけじゃな」
「そう、結果3対4でミオ様の死刑が確定しちゃうというわけ。で、ボクは考えたんだ。この状況において逆転する方法は一つ。それは相手の票を減らすことだってね」
「そんなことが可能なのですか?」
アージュがキリエに気を使ってか、やけに丁寧にミリアに尋ねる。
「うん、荒っぽい手段だけど、近くにいる敵方の機動城砦といえばゲルギオスしかないから、ゲルギオスを探し出して、サラトガをぶつけて攻撃されたと言い張るんだよ」
「当り屋じゃねえか」
キスクが呆れたと言う風に肩を竦めてツッコむ。
「ところが、都合の良いことにゲルギオスの方から襲いに来てくれたわけ、さすがにこんな都合のいい展開があると思ってなかったから、ビックリしたけどね」
襲いに来てくれた。その表現にキリエが若干眉を顰める。
ゲルギオスとの撤退戦で命を落した兵士達のことが頭を過ぎったのだ。
一瞬の気まずい沈黙に、ミオはキリエへと視線を送りながら、話を促した。
「で、互いに目的が同じだと誤解させて、それからどうするんじゃ」
「あ、そうそう。うん、ミオ様は、『どっちかにくれてやるから、他で奪い合え』そう言ってくれればいいよ」
「ゲルギオスとローダで争わせるんじゃな」
その言葉を聞いた途端、キスクは顎をしゃくる様にして呆れ混じりの声を上げる。
「ハッ! 馬鹿馬鹿しい。そんな子供だましの手に引っかかる奴なんていんのかよ。そもそもこの三竦みの状態になった時点で、誰がどう見たってサラトガの狙いがそれだってわかんだろうが」
しかしミリアは動じることなく、むしろニコリと微笑んで、キスクへと言葉を返す。
「確かに、最初はもう2つぐらいステップを踏んで、相争わせようと思ってたんだけど、ヘイちゃんっていう、最適な人材が現れたことだし、このチャンスは生かさないとダメかなと思ってさ」
「チャンスだと?」
「そう、裁判の多数決を4対3で上回ることができるチャンス」
「何だって?!」
キスクが片眉を跳ね上げて、驚きと不信の両方が入り混じった表情を見せると、ミリアは、真剣にその顔を見据えて無言で頷き、そして、ヘイザに尋ねる。
「ヘイちゃん。砂漠の民だったら、『波乗り』できるよね」
「で、できま、す」
ナナシの時同様のいきなりの『ちゃん付け』は気になったが、特に誰も指摘はしなかった。そしてミリアはミオの方へと顔を向けるとこう言った。
「ミオ様、『お前らの欲しいものは波乗りで外に射出する』ってローダ伯とゲルギオス伯に言ったらどうなると思う」
ミオは顎に指を当て一瞬考える様な素振りを見せる。
しかし、すぐにその表情には理解の色が広がっていった。
「なるほど、そういうことか」
「わかるように説明してくれ」
「うむ、現時点で『波乗り』が出来るのは砂漠の民のみ。サラトガにいる砂漠の民はナナシだと思っているわけじゃから、砂漠の民の記憶を持つゲルギオス伯ならば、ヘイザが『波乗り』で出れば、ナナシだと思って追うだろうというわけじゃな」
「さ、砂漠の民の、き、記憶って?」
ヘイザのその問いかけは、声の小ささもあったろうが、ミリアによって完全に無視された。ただでさえ脱線気味なのに、キサラギのことを説明している余裕はどこにもないのだ。
「後はヘイちゃんができるだけゲルギオスを、サラトガから引き離してくれれば、首都に着くまでにゲルギオスが再度追いつくことは出来なくなる」
「ローダは? ローダの方はどうすんだよ」
「うん、ローダ伯だけをサラトガに残したいんだけど、ローダ伯はまず『波乗り』なんて知らないから、波乗りは操縦が難しいとでも言っておけば、どんなものかは判らなくても、領主自らがそんなものを操縦するわけがないと思ってくれると思うよ。なんだかんだ言ってもストラスブル伯は箱入り娘なわけだからね。
それにもし射出されたものが本物のストラスブル伯だとしてもサラトガを打倒した後、ゲルギオスを倒せばいいぐらいは考えるかな。あれだけの数を率いて攻めてくるわけだからね」
キスクにそう答えてミリアは、再び全員の顔を見回して、表情を確認する。
大体、みんな納得したと言う表情ではあるが、唯ひとりモルゲンが心ここにあらずと言う顔をしているのは、アスモダイモス伯のことが余程ショックだったのだろう。そして再び仕切りなおす様にミリアは口を開いた。
「ここまでが、第一段階。で次のステップはね……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
全く、恐ろしい智謀じゃ。ミオはミリアのことを思いながら胸の内で呟く。
「あやつはいつまで家政婦でいるつもりなんじゃろうか。娼としては、正式に軍師の地位についてもらいたいんじゃがのう」
「妹には、妹の考えがあるのだと思います」
キリエがそう答えた。
後に、ミオとキリエが、強引にでもミリアを軍師の地位につけておかなかったことを激しく後悔することになろうとは、この時点では全く想像もしていなかったのである。
「では、次の段階に取り掛かるかのう」
自室の奥の椅子から立ち上がり、ミオは再び壁面に開いた大穴から外を見回した。




