第62話 ミオ様の三寸の舌
キリエは走っていた。
軍隊としての体裁など既に無く、サラトガ城へと続く大通りを、息も絶え絶えに走る負傷者の群れ。
その最後尾を、兵士達を励ましながら、キリエは走っていた。
振り返れば、数百ザール後方には陽炎の向こうに、敵軍の姿が揺らめいている。
サラトガ軍とは対照的な整然とした兵士達の列。
それが号令の元、ザッザッと規則正しい足音を立てて、行軍してくるのだ。
キリエ達にとって幸いであったのは、ゲルギオス軍の方に本気で追撃する気が無かったことである。
それは何故か。
追い詰められた者と戦うことほど、割りに合わないことはない。
ここで死を覚悟した兵士達と戦闘することで、兵力の損耗を招くよりは、戦力を維持したままサラトガ城まで進軍できる方が好ましいからだ。
すでにサラトガ、ローダ両軍の兵力は相当に落ちていると推測され、ゲルギオスとしては、その両軍の疲弊に付け込めるだけの戦力を保持したいという意図があった。
「もう少しだ! 貴様らが一人でも多く生き残ること。それが、サラトガの為になるのだぞ!」
キリエは最後尾から、兵士達に向かって声を枯らす。
やっぱりイイ女だ。
キリエの隣を併走しながら、キスクは胸の内でつぶやいた。
容姿のことではない。心根の話だ。
想い人がすぐ隣にいるせいで、今、キスクの行動は若干、挙動不審である。
いかにも落ち着かないと言った風に、口元をモゴモゴさせながら、しきりに前髪を気にしている。
そんなキスクを横目に睨みながらキリエは、思う。
不気味な奴。
無理もなかった。
キスクはつい先日死闘を演じた敵。
それが何を思ったのか、戦闘に割り込んできたかと思えば、今はキリエと一緒になって敗走同然に逃げるサラトガ軍の殿を務めている。
しかも、ちらちらとキリエの様子を窺っては、視線がかち合うと、二ヘラと気色の悪い笑顔を浮かべるのだ。
不気味としか言いようがない。
それに……。
と、キリエはキスクのすぐ脇を走っている白いフードマントをすっぽりかぶった少年へと視線を移す。
出会った頃のナナシ同様の砂漠の民の民族衣装。体型が違うのでナナシでは無いだろうが、気にはなる。
「おい、おっぱいソムリエ、貴様……」
「頼むから、その呼び方はやめてくれ」
頭痛を堪える様に人差し指でこめかみを抑えながら、キスクは懇願する。
しかし、もう遅い。キスク達のすぐ前を走っている兵士達の間からザワザワと、動揺気味の囁きが聞こえてくる。
「おっぱいソムリエ?」
「ソムリえるのか? おっぱいを?」
「キリエ様におっぱいって言わせるとか……天才か」
「おっぱいとは、また、破廉恥な……」
破廉恥なのはお前らだ!
お前らおっぱい言いたいだけだろうが!
キスクは心の中で叫びをあげる。
「き、キスクさ、さん、お……ソムリエって?」
「こいつらのタチの悪い冗談だ。気にするな」
キリエの耳に、白いフードマントの少年がおどおどした様子で尋ねる声が届いた。やはり、ナナシの声とは違う、もっと自信なさげな声。蚊の鳴くような声というのはこういう声の事を言うのだろう。
「おい、ぱいソム」
「略してもダメ!」
喰い気味にキスクが言葉を重ね、即座に否定されて憮然とするキリエの姿にキスクが少し慌てたような表情をみせる。
しかしキスクの様子など知ったこっちゃないとキリエは不満を口にする。
「ちっとも話が進まんではないか」
誰のせいだよ!
キスクは胸の奥でツッコんだ。
声に出さなかったのは、それこそ惚れた弱みというところだろう。
「ともかく、貴様は何であそこで人質を解放したのだ。サラトガからの撤退ぐらい要求しても良かったのではないか?」
キスクはゲルギオス軍の部隊長を人質に取った後、サラトガ軍を撤退させるための時間を稼ぎ、サラトガ軍がゲルギオス軍から数百ザールの距離を取ったところで、敵の部隊長を解放したのだ。
結果として今、サラトガ軍はゲルギオス軍に追走される形で、城へ向かって走っている。
図らずも、ミリアの指示通りゲルギオス軍を、サラトガ城の前まで引っ張り込むことに成功した形ではあるが、キリエとしては、みすみす敵をサラトガから追い出すチャンスを逃した様な、そんな思いが先に立ってどうにも釈然としない。
「人質取るってのはな、意外と難しいんだ。
欲をかいて人質の値打ち以上の要求を突きつけりゃ、人質を切り捨てるっていう方向に天秤が傾く。それ以前に時間を掛ければ、あの部隊長より上の立場のヤツから、人質を切り捨てろっていう指示が来ちまう。そうなったら人質の価値なんてゼロだぞ」
「部下を切り捨てるなど、ミオ様ならば有り得んぞ」
「だ・か・ら、お前らは自分達の異常さに気付けよ。
これは戦争だぞ、軍隊だぞ。命なんて数字でしか表現されないところにいるんだぞ。あの部隊長が死んだところで、上の方の人間からしてみれば、ただの戦死者+1だ」
キリエは未だ納得いかないという表情のまま、更にキスクに問いかける。
「まあ、それは良い。お前の目的はなんだ。何を企んでいる。次に我々に捕えられれば、殺されるかもしれないとは考えなかったのか?」
キタァーーーーーーー!!
キスクが心の中で快哉を上げる。
そう、このやりとりを待っていたのだ。
この問いかけに対して、キスクは答えを用意しておいたのだ。
思いっ切りスカしたとっておきのフレーズを!
『可愛いお前に会いたかっただけさ』 コレである。
良し、い、言うぞ。と胸の内で自身を励まし、震える手で髪を掻き上げ、流し目。飛びっきりの低音の声を意識して口を開く。
しかし……
「きゃ……」
残念。一文字目で噛んだ。
図らずも、ひゅーと一陣の風が吹き抜け、なにやら乾いた沈黙がこの場に舞い降りる。
「きゃ?」
眉根を寄せて、不思議そうな顔で首を傾げるキリエ。
ずーんという書き文字を背負って、俯いたまま両手で顔を覆うキスクの代わりに、ヘイザが答えた。
「き、キスクさ、さんは、ぼ、僕が幼馴染、をさが、探すのをててて、手伝ってくれてるんです」
「幼馴染?」
「な、ナナシと言う名の、ささ、砂漠の民を、知りませんか?」
その言葉に、キリエは大きく目を見開いてヘイザを見た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「第二軍の収容完了しました! 城門を閉じます!」
艦橋クルーが声を上げ、精霊石板は、迫りくるゲルギオス軍の眼前で、間一髪、城門が閉じられていくところを捉えていた。
サラトガ城の周囲を取り囲む内部城壁。
城砦全体を取り囲む外部城壁に比べれば、たかだか5ザール程度しかないちゃちな代物ではあるが、サラトガ内に敵が攻城兵器を持ち込めるわけでは無く、取り急ぎの侵入を防ぐことはできる。
「ふむ、ペネルとセファルも上手く撤退してくれたが、さすがはお主の姉じゃ。普段は少々アレじゃが、イザとなったらあの難しい局面でも、見事に兵をまとめて撤退してきおる」
精霊石板に目を向けたまま、ミオはすぐ傍に控えているミリアへと言葉を掛ける。
そして再び精霊石板へと視線を戻すと「俯瞰映像を出せ!」と指示を出した。
ミオの指示に応えて精霊石板は城の直上から見下ろす角度の映像を映し出す。
そこには、ゲルギオス軍に続いて、ローダ軍が城門のすぐ傍まで到達する様子が捉えられていた。
ローダ軍の到達に伴って、ゲルギオス兵は後退。やや距離をとって隊列を整えはじめ、最終的には、城門の前にローダ、ゲルギオスの両軍が睨み合う様に布陣。共にサラトガ城を横目に睨みながら互いを牽制しあっている様に見えた。
「観客は皆、席についた様じゃの」
ミオがそう呟くと同時に、ブリッジのドアが開き、キリエが姿を見せる。
「おお、キリエ! 良くやってくれた、見事な撤退戦じゃったぞ」
入室してくるキリエを見るなりミオはそう声を掛ける。
しかし、キリエの表情は冴えない。
いつもであれば、即座に「ありがたき幸せ」と返ってくるはずなのだが。
「それが実は、あれは私の手腕ではないのです……」
キリエの後についてアージュ、ニーノと入室。
そしてその後に続いて入ってきた人間の姿に、ミオは目を大きく見開いて声を上げた。
「貴様は! おっぱいソムリエ?!」
ミオのその驚愕の叫びに、艦橋クルー達が一斉にキスクに注目。
一瞬の沈黙の後、ヒソヒソ声が艦橋に響きはじめる。
「おっぱいソムリエ?」
「ソムリえるのか? おっぱいを?」
「ミオ様におっぱいと言わせるとは…天才か」
「おっぱいとは、なんと破廉恥な……」
に、二度も同じパターンを……。
キスクは、苛立たしげに拳を握る。
だからイヤなんだ、このお笑い機動城砦の連中は!!
予想もしない人物の登場に茫然としていたミオではあったが、はたと我に返りキリエに向かって声をあげる。
「キリエ! 何をしておる。なぜ確保せんのじゃ!」
しかし、キリエは冴えない表情のまま言葉を返した。
「実は、玉砕覚悟で敵陣に突っ込んだところを、此奴が割り込んで参り、結果的に救われた形でございまして……」
「なんじゃと?」
キリエのその言葉に、ミオはキスクへと訝しげな眼を向ける。そしてミオが問い詰めるべく言葉を紡ごうと息を吸ったその瞬間。
「若造! 若造ではないか!」
ブリッジの隅から大声を上げながらキスクへと近寄って来る者がいた。
「ゲッ! 酒樽のおっさん?! なんでこんなところに……」
それは『酒樽』モルゲン。
考えてみれば、共にアスモダイモスの将軍格。
お互いのことを知っていて当然であった。
それどころか、キスクにとって、自分のことをひよっ子呼ばわりする『酒樽』モルゲンは最も苦手な人間と言っても良かった。
「がはははは! なんだ生きておったのか。なかなかしぶといではないか!」
バンバンとキスクの肩を叩いて、豪快に笑うモルゲン。
対照的にキスクの表情はみるみる苦いものへと変わっていく。
「『酒樽』殿、積もる話はあろうが、後にしてもらって良いかのう。それほど時間がないのでな」
ミオが面倒くさそうにそう言うと、モルゲンは「おおそうか」と素直に口を噤んだ。
モルゲンから解放されて、キスクは気を取り直して口を開く。
「お団子。おっさんには悪いが、後でゆっくりってわけにはいかねえんだわ。俺達はこの後、隙を見てゲルギオスに戻る。あっちに連れを残して来てるんでな」
「俺たち?」
そこで初めて、ミオはキスクの背後にいる白いフードマントの少年に気付いた。
「ナナシ? ……ではない様じゃの」
「ああ、コイツはヘイザ。そのナナシって奴の幼馴染だ」
ミオとミリアが顔を見合わせる。
そこへ、キリエが説明するように口を挟んだ。
「ヘイザ殿は、戻ってこない我が弟を心配して、探しに来たのだそうです。既に彼には、我が弟は任務で出かけていることを伝えました。流石にどこへ出かけたかは伏せさせてもらいましたが……」
ミオはキリエの説明を聞き流しながら、ツカツカとヘイザの方へと近づくと、不躾にフードマントの中のヘイザの顔を覗きこむ。
「は、は、はじ、はじめまして、ヘイザで、す」
そう言いながら慌てて後ずさるヘイザ。
「ふむ、確かに砂漠の民のようじゃの。ナナシのことなら案ずるな、元気にやっておる」
「は、はい」
ヘイザに笑顔でそう告げると、続いてミオはキスクへと言い放った。
「で、おっぱいソムリエ。お主らはゲルギオスへ行くと申すが、一度逃げられた捕虜を娼が、はいそうですかと逃がすとでも思うておるのか?」
「そうだったら良いな。とは思っているな」
そう言いながら、キスクは口の端を歪めて不敵に笑い、腰の剣へと手をかける。
同時にミオの背後では、キリエが剣砕刀を握りなおした。
一瞬にして張りつめる空気。
しかし、それはミオがキリエを制することで終わりを告げる。
「やめておこう。じゃが例の魔法のことは、必ず吐かせてやるからそう思え」
「できるもんならやってみろ」
そう言ってキスクは、にやりと笑った。
そして、ミオはあらためてミリアへと声をかける。
「此奴らをゲルギオスに帰らせるタイミングは作れそうか?」
「作れそうどころか好都合だよ。勝手に足りないピースが集まってくる感じ。誰かがどこかで糸を引いてるんじゃないかと思うぐらいさ」
ミリアは満面の笑みを浮かべてそう言うと、全員の顔を見回す。
「まあ、時間もないから、掻い摘んでここからの段取りを話すよ」
そして、ミリアは、彼女の頭の中で練り上げられた策を披露した。
「そ、それはなんというか……」
「さ、さ、さ、詐欺です」
「確かに、誰か一人忘れている様な気がしてはおったのだが……」
「お前らホント悪魔だな。片方は既に詰んでるとか外道のやり口だぞ」
「やはり、お嬢ちゃんは倒しておくべきであった…か?」
アージュ、ヘイザ、キリエ、キスク、モルゲンと雁首そろえて、一気にドン引きである。
暫くして気を取り直すとキスクは不満げに口を尖らす。
「しかし結局、俺とヘイザは、力づくで脱出しろってことじゃねえか」
「まあ、そこは我慢してよ。急遽作戦変更したんだから、強引な部分が出てくるのは仕方ないよ。そこは確実に逃げられる様にシュメルヴィさん謹製の魔道具を使わせてあげるからさ」
そしてミリアはミオへと向き直り微笑む。
「あとは、ミオ様の三寸の舌が頼みさ」
ミオはミリアに微笑み返し、精霊石板の向こうの敵の姿を見据えて声を上げる。
「では、幕を上げるとしようかの」




