第60話 ものすごく理不尽な目にあった様な気がする
「しかしお主、なんでこのオネエがあそこへ来るとわかったのじゃ」
「あれ、ミオちん。わかんない?」
ミオが投げかけた疑問。それに対して、ミリアはさも意外そうに返事をする。
ミリアにしてみれば、それほどに単純なこと。
ピピンが牢獄フロアへと降りてくる、それは当然の帰結でしかなかった。
貴賓室で震えていたピピンはローダが後退するのを見て、こう考える。
このままローダが撤退してしまえば、直属兵という後ろ盾を失った自分はサラトガの連中に殺されてしまうのではないか? と。
そう考えているところに、ゲルギオスが現れれば、そこに保護を求めようとするのは当然のことだ。
しかし、ゲルギオスに辿り着くためには護衛がいる。
そして、ピピンに残された味方は牢獄フロアの見張りとして置いていった三名の直属兵しか残っていないのだから、当然そこに合流しようとするはずなのだ。
「誰もがお主の見えている物が、見えるわけではないぞ」
「うーん、そうなのか……何だか難しいな」
二人の後ろを簀巻き状態のピピンを担いで歩きながら、モルゲンは漏れ聞こえてくる二人の会話を訝しげに聞いていた。
やがて、一つの扉の前に辿り着くと、ミオはノックも無しにドアを開く。
そして、一気に室内へと踏み込むと大きな声をあげた。
「戦況を報告せよ!」
ミオ達がたどり着いたのは、サラトガの艦橋。
不意を突かれて、茫然とする艦橋クルー達の様子を気にも留めず、ミオは同じ言葉を、再度繰り返す。
「戦況を報告せよ!」
「ミ、ミオ様だ……」
艦橋クルーの一人が震える声で呟やいたその言葉が、瞬時に艦橋クルー全員の歓声に上書きされる。
「ミオ様ああああああ!」
「ご無事でしたか!」
「帰って来られると、信じておりましたぞ!」
「やっぱ、領主様はちんちくりんでないとー!」
「うぇええええええん、良かった! 良かったよおおお」
隅の方では女性の通信手が号泣しはじめ、同僚に肩を抱かれて慰められている。
「「「「ミオ様バンザーイ!」」」」
艦橋クルー達が狂喜する中、ミオの背後では、モルゲンが居心地悪そうに目を泳がせ、その肩に担がれたピピンは憮然と口を尖らせた。
「お嬢ちゃん、状況が良くわからんのだが……」
「たはは……。後で説明するよ、おじさん」
収まらぬ歓声の中、困惑するモルゲンに、そう言ってミリアは肩を竦める。
「お主たちの心根は正直嬉しいのじゃが、今はそれどころでは無いのじゃ。まずは戦況を報告せよ。あとちんちくりんって言った奴、後で娼の執務室まで来い」
「ご報告申し上げます!」
クルーの一人が、進み出る。
「現在、我がサラトガは左舷よりローダ、右舷よりゲルギオスの両機動城砦によって攻撃を受けております。
ローダ軍は、一時城壁まで押し返しましたが、その後、増援が加わって反抗。現在は、ペネル卿率いる第一軍が辛うじて侵攻を食い止めている状況です。
また、ゲルギオス側については、約1000名の兵士と共に、砂狼2体が侵攻。偶然、右舷にて整列しておりました第二軍と遭遇戦に突入。現在も戦闘は継続しておりますが、指揮官不在の状況から、かなりの劣勢でございます」
「ふむ、ではミリアよ。どう手を打つ?」
ミオが顎を指で触れながら、呟いたその言葉に、過剰に反応したものがいる。
「ぎゃん! 痛いい!」
声を上げたのはピピン。
ミオの言葉を聞いた瞬間、モルゲンが肩に担いだピピンを取り落したのだ。
クルー達の注目が集まる中、宙に浮かんだゴゴゴという書き文字が見えそうな程に不穏な空気を孕んで、モルゲンはゆっくりと顔を上げる。
「……お嬢ちゃん、どういうことだ」
そして、モルゲンは戦斧を構え、それをミリアに突き付けた。
ミオはその場で凍り付き、クルー達の間からは、ヒィ!と短い悲鳴が上がる。
しかしミリアは首筋に突き付けられる戦斧の刃を気にも留めず、モルゲンをじっと見つめて言った。
「おじさん。本当のことを言うね。ボクがおじさん達の言う、悪辣なるサラトガの軍師ミリアなんだよ」
「またワシを! ワシらを謀ったのか!」
モルゲンの身体が怒りのあまり小刻みに震え、ミリアの首筋数センチのところで戦斧の刃が小刻みに揺れる。
しかし、顔色一つ変えず、一瞬目を瞑った後、ミリアは言った。
「ごめんなさい。だからおじさんにはボクの命をあげるよ」
「ミリア! 何を!」
顔面を蒼白にして、ミオが声を上げる。
しかし、それに構うことなくモルゲンを見据えて、ミリアは言葉を続ける。
「でも、少し。ほんの少しで良いんだ。時間をボクにください。
サラトガのみんながこの状況を打破して、首都へたどり着ける方法をミオ様に、伝えるだけの時間をください」
「言いたいことはそれだけか……」
「そうだね。それだけだよ。おじさんが死んでいった仲間たちを大事に思うように、ボクもサラトガの皆が大事。それだけなんだよ」
そう言って、ミリアは透き通るような弱々しい微笑を浮かべた。
「だ、誰か、この者を取り押さえろ!」
ミオが声をあげ、艦橋クルー達が動こうとするのを、ミリアは手を振って制する。
「皆、動いちゃダメ。おじさん無茶苦茶強いから、無駄死にすることになっちゃうよ。あと10分だけ時間をもらえれば、後の事をミオ様に伝えられる。そうすればミオ様なら、この危機を乗り越えてくれるから」
相変わらず戦斧を突きつけ、ミリアを睨み付けながら、モルゲンは静かに口を開いた。
「サラトガ軍師ミリア。……お前は卑怯だ」
「うん、よく言われる」
「せめて醜く足掻いてくれれば! 惨めに命乞いしてくれれば! 躊躇なく殺せるのに……」
「そうだね」
「そんな覚悟をした人間を、ワシが殺せるはずが無い、そう高をくくっているのだろう!」
モルゲンの言葉。その最後の方は、ほぼ絶叫といってもいい。
しかし、ミリアはモルゲンに微笑みかけながら、無言で首を振った。
「そうじゃないよ、おじさん。
おじさんが死んでいった仲間のことを想う様に、ボクも仲間のことが大好きなんだよ。だから全力で戦った。戦う力の無いボクは知恵を振り絞って、アスモダイモスの攻撃を退けた。仲間を守れた。それを恥じる様なことを、それを後悔するようなことをしたくないだけなんだよ」
「お前は……戦士なのだな」
「ただの家政婦だよ」
モルゲンがゆっくりと戦斧を降ろす。
降ろした先、床に転がるピピンの鼻先を戦斧の刃が掠め、ひぃと小さな声をあげた。
「良かろう。首都に到着するまでは、待ってやる。この状況を切り抜ける様を、我が最大の仇敵の、その力をワシに見せてみろ」
そう言いながら、モルゲンはむっつりとした顔をして、そっぽを向く。
「ありがとう、おじさん」
その背に向かってミリアは小さくそう囁いた。
しかし、
その途端、ミオがつかつかとミリアに近づくと、突然、ミリアの鳩尾を力一杯殴りつける。
まさかの腹パン。
白目を剥くミリア、口からは「うげぇ」と乙女の口から、出てはいけない声が洩れる。
「お嬢ちゃん?!」
驚愕の声を上げるモルゲン。
あまりのことに呆気にとられる艦橋クルー達。
ミオは赤くなった拳を振りながら、前のめりに倒れこんだミリアを睥睨して声を荒げる。
「なーにが、命をあげるじゃ、たわけが!!
このサラトガの者は何から何まで、娼の物、勝手に人にやろうとするなんぞ言語道断じゃ!」
そして、ミオはモルゲンをギロリと睨み付ける。
「おい、其処の熊! ミリアに手を出そうと言うのなら、サラトガ全軍が地の果てまで追いかけてぶち殺してやるから、その覚悟でかかってくるのじゃ!」
しかし、ミオの啖呵は正直モルゲンの耳にはあまり入っていない。
白目を剥いてぐったりしてるミリアが、気になってしかたがないのだ。
「お、おい、お嬢ちゃん、だ、大丈夫か……」
尻だけを突き上げる様な形で、前のめりに倒れ伏したままのミリアが返事をする。
「だ、だいじょうぶ……れしゅ」
しかし、災厄はそれで終わらない。
ミリアが何とか返事をした、その途端、ブリッジの扉がバタンと乱暴な音を立てて開き、ひとりの人物が飛び込んでくる。
それはキリエ。
湯上りらしく顔を上気させたまま、濡れた髪を結びさえしていない。それどころか、身体にはバスタオルを巻きつけただけの煽情的な姿であった。
「ミオ様ああああ!」
キリエはミオの姿を見つけると、感極まって目を潤ませて走り寄る。
今のキリエの目にはミオの姿以外映ってはいない。
当然、足元に転がっているピピンなど、路傍の石も同然。
「き、キリエ、落ち着け!」
ミオが身の危険を感じて、そう声を上げた瞬間、キリエのつま先が意図せず、ピピンの鳩尾を蹴り上げ、ピピンは「ウゲっ!」と蛙が潰れた様な声をあげて、白目を剥く。
そして、キリエも体勢を崩してつんのめると、そのままミオの方へと向けて一直線に倒れこみ、ミオの腹部へと人間魚雷の体勢でツッコんでいく。
腹部にキリエの頭突きを喰らって「ギェ!」というこれまた乙女の口から出てはイケない短い悲鳴と共に、ミオは『くの字』どころか『クの字』に身体を折り曲げて、やはり白目を剥いて倒れこんだ。
大惨事。大惨事である。
2人の少女とオネエ1人が、口の端から白濁した液体を垂らしながら、白目を剥いて倒れこみ、バスタオル一丁の女が、少女の腹部に頭を突っ込んだまま横たわっている。
悪夢のような光景。地獄絵図であった。
茫然と立ち尽くしていたモルゲンは艦橋クルー達の視線を感じて何故か、
「わ、ワシのせいじゃないぞ!」
と言い訳した。
キリエのバスタオルが、はだけなかったことだけが唯一の救いであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんだか、ものすごく理不尽な目にあったような気がするのだけど……」
「まったくじゃ」
「……すいません」
なんとか回復したミリア、ミオ、キリエの三人。
キリエは、ミオに睨まれて、身体を縮こまらせた。
ちなみにこの三人を甲斐甲斐しく介抱したのはモルゲンである。
さらに付け加えると、ピピンは放置されて、未だに白目を剥いたまま、部屋の隅の方へと追いやられていた。
「ともかく、こんなことをしている場合ではないのじゃ。ミリア!」
そう言って、ミオがミリアに視線を向ける。
「うん、そうだね。えーと、まずはペネルさんに、ローダ軍に押し負けるフリして、サラトガ城の前までゆっくり後退、敵をそこまで引っ張り込んでって伝えて」
「聞こえたな! すぐに伝令を走らせよ!」
ミリアの言葉尻に被るようにしてミオは艦橋クルーに命じる。途端に彼らの一人が、部屋から飛び出して指示を伝えに向かった。
「次に左舷だけど、こっちも撤退戦だね。難しい戦いになると思うけど、誰か指揮官を付けて、同じように、城の前まで敵を引き込んでほしいんだけど……」
ミオは躊躇した。
キリエはすでに、散々戦場を駆け回って来た後であることが見てとれる。それだけにミオとしては非常に心苦しかった。しかし、撤退戦という難易度の高い場面に対応できるほど経験のある将兵は、ミオの手元には、もうキリエしか残っていなかったのである。
「キリエ、行けるか?」
「ハッ! お任せください」
高らかにそう答えると、キリエはバスタオルの下から、モゾモゾと何かを取り出す。
それは『ウサミミ』。
真新しい新品の『ウサミミ』であった。
その場で装着して『ウサミミ+バスタオル』という、更に意味の分からない状態に進化したキリエを、困惑の表情で見ながらミオは尋ねる。
「……気に入ったのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
キリエは恥らう様な表情で口ごもる。
「ですが……なんじゃ?」
「実はずっと悩んでおったのです」
「悩んでおった?」
「はい、私は今一つキャラが薄いのではないかと……」
場が静まり返る。
よく見れば、再びミオとミリアさらには艦橋クルーのほとんどが白目を剥いていた。
サラトガで最も濃い人物の口から飛び出した発言として、これはあまりにも衝撃的であった。
「なので、一目でわかる特徴をつくろうと思いまして……」
周りの様子に構わず話を続けるキリエ。
深刻に悩んでいる様子が見て取れるだけに手の施しようがない。
ミオは救いを求める様に、ミリアへと視線を向けると、こっちに振るなとばかりにふるふると首を振った。
「ま、まあ良い。では頼んだぞ」
「ハッ!」
そう言ってキリエが艦橋を出て行くと、全員が一斉に大きく息を吐いた。
なんという、破壊力。
我が姉ながら恐ろしい人だと、改めてミリアは恐怖した。
とりあえず、アクシデントはあったが、当面の手は打った。
ミリアは、部屋の片隅で転がったままのピピンに目を向けて、口を開く。
「さて、後は代官さんに働いてもらうだけだね」
「ローダ伯がサラトガを襲った理由を聞き出すのじゃな」
「うん、それともう一つ」
「もう一つ?」
「……ボクらと共犯になってもらおうかなって」




