第59話 まさか、こんなに都合のいい展開が待っているとは。
「「「「お嬢ちゃん、大丈夫か?」」」」
男達から一斉に声を掛けられて、遠退きそうになった意識が引き戻される。
その声はいずれも、ミリアの背中の方から聞こえてきた。
ゆっくりと首を回して背後に目を向けると、モルゲンをはじめとするアスモダイモス兵達が折り重なるようにして、ミリアの下敷きになっている。
強烈な衝撃に吹っ飛ばされ、壁へと激突しようとしていたミリアを、彼らが身を挺して守ってくれたのだ。
「ご! ごめんなさい!」
状況を把握すると、ミリアは慌てて男達の上から飛び退く。幾らミリアが軽いとは言っても、あの衝撃が乗った人間の重みである。男達に相当なダメージを与えたであろうことは想像に難くない。
「み、みなさんは、だ、大丈夫なんですか?」
ミリアの心配そうな声に8人全員が、一斉にニカッと笑って親指を立てる。
「よかったぁ……」
思わず胸を撫で下ろすミリア。
彼らが下敷きになってくれたおかげで、あれだけの衝撃の中、ところどころ痛みはするものの、傷一つ負わずに済んだのだ。
この時ばかりは、頭の中の権謀術数は鳴りを潜め、ミリアは本心から、男達の無事に安堵した。
「大丈夫! ピンピンしてるぜ」
歯の抜けた剽軽な顔をした男が、どこか痛むのか少し顔を顰めながらも、やけに高い声でそう答えると、ミリアがあらためて深々と頭を下げる。
「お陰で助かりました。皆さんとっても優しいんですね」
そう言われて照れくさくなったのか、男達は互いに顔を見合わせると口ぐちにいらぬことを言い始めた。
「しかし、どうせ下敷きになるなら、おりゃあ尻のあたりが良かったなぁ」
「俺もー!」
「おれは正面から突っ込んで来て欲しかったけどな」
「言えてる。お嬢ちゃん、割とパイオツカイデーだからな」
「しかしよーお前ら。お嬢ちゃん、見た目よりも重くなかったか?」
「がははは、思っても言っちゃいかんだろ、それは」
照れ隠しだということはミリアにも分かっているが、さすがに好き放題言いすぎではなかろうか。
「台無しですよ、もー!」
そう言ってミリアが頬を膨らませると、男たちは一斉に笑った。
そして、ひとしきり笑い終わるとモルゲンは、急に表情を引き締めて口を開く。
「しかし今の衝撃じゃあ、牢獄ん中の妹さんのことが心配だな。お嬢ちゃん、先に行きな」
「おじさん達は?」
「俺たちはここで、休憩しながら待っている」
「うん、わかった!」
元気良くそう返事をすると、ミリアは踵を返して監獄フロアの奥へと走っていく。
男たちは、壁面に折り重なる様な体勢のまま、その背を見送った。
「良い娘ですよね」
「ああ、嫁に貰うなら、おりゃあ、ああいう娘がいい」
「何が嫁だよ。おめえさんだったら自分の娘くらいの歳じゃねえか」
「そこまで歳は離れてねえぞ」
「おいおい、お前ら情を移し過ぎんなよ。またサラトガと戦闘することもあるかもしれねえんだぞ」
「お前だって、こうやってお嬢ちゃんのクッションになってんだから、人の事いえねえだろうが」
「ちげえねえ」
男達の与太話に口を挟まず、目を瞑って聞いていたモルゲンが、ゆっくり立ち上がりながら、誰とは無しに問いかける。
「で、ホントのとこ、どうなんだ?」
再び、男たちは顔を見合わせて互いの顔色を確認すると、口ぐちに答えた。
「いけますよ。俺は」
「俺もこんぐらいなら我慢出来ます」
「隊長、おりゃあ厳しいわ。足が折れちまってる」
「俺も、ちょっとムリだ。たぶん腸が中でどうにかなっちまってる」
結局、モルゲンを除けば、4人が重傷。大丈夫だという3人にしても、戦闘にはとても耐えられる状態ではなかった。
あらためてモルゲンは男達をぐるりと見回して、指示を出す。
「お前ら、動ける奴は動けないもん担いで、先に脱出しろ」
「隊長は?」
「お嬢ちゃんを置いて行けるわけもあるまい、ワシはここでお嬢ちゃんが妹を連れて出てくるのを待つ」
◇ ◇ ◇ ◇
「ミオちーん、どこー?」
ミリアは通路の両側に並ぶ鉄格子を順番に覗き込みながら、声を潜めて呼びかける。いや、特に声を潜める必要はないのだが、周りがあんまり静かだと、大きな声を出してはいけない様な気になってしまうのだ。
薄暗い通路を奥へ奥へと歩を進めながら、ミリアは考える。
それにしても、さっきのあの衝撃は何だったんだろう……と。
そう疑問を呈したが最後、ミリアの怜悧な思考はひとりでに回転しはじめ、もうミリア自身にもそれを止めることはできない。
あの轟音は、何かがサラトガに衝突したのだとしか思えない。
何がぶつかった?
こんな砂漠の真ん中で、機動城砦にあれだけの衝撃を与えてぶつかることが出来るものはなんだろう?
オアシス周辺の村でも轢いた?
いや、それではあんな衝撃にはならない。たとえ実際に突っ込んだとしても、それは、サラトガがその村をただ踏みつぶしてお仕舞だ。
ミリアの生まれた村はそうやって無くなってしまったのだ。
機動城砦に衝突できるもの、結局のところ、それは機動城砦だけなのだ。
では、どの機動城砦がサラトガに衝突したのだろう?
一度接舷したローダが、一旦離れて突っ込んできた?
可能性が無いわけではないが、それは限りなく低い。
自軍の領主が内部にいるのに、そんな攻撃をするとは考えにくいのだ。
となれば、未だにこのエリアにいる可能性のある機動城砦といえば、2つ。
アスモダイモスかゲルギオス。
この両者しかいないのであれば、考えるまでもない。
…………ゲルギオスだ。
アスモダイモスは魔晶炉を入れ替えてまで、その存在を隠蔽しながらサラトガを襲ってきた。サラトガを反逆者に仕立て上げると言う目的を達した今、リスクを背負ってまで、あらためてサラトガを襲う理由はない。
「ふふっ」
ミリアはこみ上げてくる笑いを堪えられなかった。
まさか、こんなに都合のいい展開が待っているとは。
ローダという手駒を奪われ、絶体絶命のピンチの中、ミリアが描いた逆転への道筋。
その中で最も難易度の高いステップ『ゲルギオスを探し出すこと』が手を下す間もなく勝手に解決したのだ。
先程まで、アスモダイモスの兵士達に向けていた純朴な表情はどこへやら、今、ミリアはとても目付きの悪い何かを企むような表情になっていた。
「ふふふふふふふ」
神が味方しているとしか思えないほどの偶然。
テンションが上がらないわけがない。
「ふふふふふふふふふふふふふふ」
全く笑いがとまらない。とその時、
「怖いわ!」
鉄格子の奥からツッコみが入った。
「あれ、ミオちん? いるのー?」
「いるのーではないのじゃ! 薄暗い通路で「ふふふふ」と気色の悪い笑い声が聞こえてきたら、怖いじゃろうが!」
ミリアは声がした方に向かって目を細め、薄暗い監獄の中にミオを探す。
そして見つけた。
床の上にどっかと胡坐をかいて座るミオの姿。しかし、その姿に、ミリアは思わず息を呑む。
ミオは瞼が大きく腫れ上がったボロボロの姿、つまりこの牢獄に放りこまれた時、そのままの状態であったのだ。
「み、ミオちん! 大丈夫なの?」
慌てるミリアの様子を不思議そうに見つめ返して、ミオは答える。
「さっきの揺れなら、ベッドにしがみ付いてやり過ごせたから、大丈夫じゃ」
「い、いやそうじゃなくて……」
ミリアの青ざめた顔色を見て、ミオはポンと手を打った。
「おお、忘れておったわ。お主が今見ておる娼の姿は幻影じゃ。シュメルヴィに魔法を掛けておいてもらったのじゃ」
「シュメルヴィさん? シュメルヴィさんって出奔したんじゃなかったの?」
「そうか、お主にも言っておらんかったか。シュメルヴィにはストラスブルで色々と調べてもらっておったのじゃ」
ミオのその言葉に、ミリアはホッと息をつく。
「ミオちんも人が悪いよ。教えといてよーもう」
「すまんのじゃ」
「じゃ、とりあえず、ここから出よう。ボクは牢獄の鍵を探してくるよ」
「わかったのじゃ、娼も一緒に探してやろう」
そう言うとミオは鉄格子の扉を開けて、外へでてくる。
「…………」
二人の間に重い沈黙が横たわった。
普通であれば、「開いてんのかよ!」とツッコみを入れる場面であろう。
しかし、ミリアは、スルーすることにした。
ミオのツッコみ待ちの期待に満ちた表情にイラッとしたからだ。
クルリと踵を返して、監獄フロアの入口に向けて歩きはじめるミリアを、慌ててミオが追いかける。
「ミ、ミリア、ボケタラツッコム、コレダイジ。ダイジヨー」
なぜか異国人の様にたどたどしくツッコみを要求するミオ。
しかしミリアはミオを振りかえりさえせずに、それを軽くあしらう。
「はいはい。まあそれは今度ツッコんであげるから、まず聞いて、時間ないからね。ボクの推測では、今サラトガはローダとゲルギオスに挟まれる形で攻撃されているわけだけど……」
「今度ツッコむって……。ボケは生ものなのじゃが……」
ミオのその嘆きを完璧に聞き流して、ミリアは話を続ける。
「この状況を徹底的に利用してやろうと思ってるんだよ。でもねミオちん。情報が圧倒的に足りないの。だから、心当たりがあれば、教えてほしいんだよ。
ローダとゲルギオス、それぞれに首都から反逆者と呼ばれるようになってでも、サラトガを襲うことで果たしたい目的があるはずなんだ」
その問いかけに、ミオは真剣な表情で考え込み、そして口を開いた。
「ローダの方は全くわからんが、ゲルギオスならば、目的は『ナナシ』じゃろうな。ゲルギオスから戻ってきた時に、ナナシの持っておる『砂漠の民の秘密』がゲルギオスの新領主に狙われておると言っておったからのう。
ローダの襲撃で弱っているところを襲って、ナナシを拉致。その『砂漠の民の秘密』を手に入れるつもりなんじゃろう」
「ミオちん、それは最高の情報だよ」
「なにがじゃ?」
「敵はボクの戦略を読んで上回るほどの奴だ。なのに、ここでゲルギオスがサラトガを襲う必然性がどこにも見えなかったんだよ。
だからボクは向こうが仕掛けてきた罠を見抜けずにいるんじゃないかと疑ってたんだ。
でも、今の話で分かった。このゲルギオスの襲撃は、ゲルギオスの新領主ってやつの独断専行の可能性が極めて高い」
「アスモダイモスの連中は関与しておらぬ。つまりそういうことじゃな」
ミリアはこくんと頷く。
「そうなれば、あと足りていない情報は、ローダ伯がサラトガを襲った理由。たぶん何か要求があったとしたら、最初に接舷した時にそういう話になってると思うんだけど……」
「交渉が行われたとすれば、受けたのは代官殿であろうな」
「まあ、そうだろうね」
「ならば、まずは代官殿の身柄を確保することが優先じゃな。死んでなければ良いが……」
「そうだね。死んでいなかったらだけど……どこにいるかは想像がつくよ」
「そうなのか?」
「うん、外でローダ軍と戦ってたのはサラトガ軍だった。こんな短時間に中央大通りまで侵攻されているってことは、城壁で迎え撃ったわけではなく、ローダ軍を迎え入れた後、戦闘になったことが推測できる。つまり最初から戦闘になっていたわけじゃないと思うよ」
「そうじゃろうな」
「ローダ伯が訪れて、それを出迎えるのであれば、代官さんが出向いているはず、そしてそこでローダ伯になんらかの交渉を持ちかけられたと考えるのが自然だね」
「で交渉が決裂して、ローダが牙をむいたというわけじゃな」
「ローダ軍と直属兵達が戦闘している間に代官さんが逃げた場合、行ったこともないところへ逃げると思う? ましてや、ミオちんにあれだけの事をしたんだもの、直属兵という後ろ盾がなくなった今、万一ウチのお姉ちゃんにでも出くわしたら一発で殺されかねないのは代官さんにもわかっているはずだよ」
「うむ」
「あの代官さん、オネエなだけでそう無能というわけではなさそうだしね。一般兵がまず入ってくる心配がなくて、代官さんが良く知っている場所といえば……」
「貴賓室か」
「そう、逃げ込むとしたら其処しかない」
「なるほど、では逃げられる前に貴賓室へむかうのじゃ」
ミオのその言葉にミリアはニヤリと笑う。
「大丈夫。そんなことしなくても、代官さんならもうすぐここに来るよ。生きていればだけどね」
「なに、どういうことじゃ?」
そこまで言ったところで、ミリア達は監獄フロアの入口に辿り着いた。
他の男達の姿は見当たらなかったが、モルゲンが一人そこに残り、ミリアの姿を見つけると人懐こい笑顔を浮かべた。
「お嬢ちゃん 妹は無事だったのだな」
ミリアは、ミオに向かって「話をあわせて」と小さな声で囁き、モルゲンに微笑かえす。
ミオはモルゲンの姿をいぶかしげに見つめた後、ミリアに向かって片目をつぶって見せた。
さすがミオちん、理解が早くて助かる。そうミリアがホッとしたところで、ミオが口を開いた。
「で、この熊は何者じゃ?」
分かったんじゃなかったのー!?
「がははは、熊ときたか。口の悪い娘だな。ワシはモルゲン。『酒樽』モルゲンと呼ばれておる」
「酒樽? 体型がか?」
モルゲンが一瞬ムッとしたのがミリアにはわかった。
「ワシが酒樽と呼ばれるようになったのはだなあ、あれはワシが二十歳の頃……」
モルゲンが酒樽の由来を説明しはじめたその時、監獄フロアから上層階へと続く階段の上から、微かな足音とともに、おどおどとした擦れるような声が聞こえてきた。
「おーい、聞こえぬかー。忠実なる我が兵よぉ…。皇王陛下の忠実なる代理人たるアタシを守れぇ…って、ねぇ! 返事してよぉー」
「ホントに来たのじゃ!」
それは紛れもなくピピンの声。
ミオが驚いてミリアへと顔を向け、モルゲンがそんな二人の様子を不思議そうな顔で見つめる。そしてミリアはニコリと微笑んでこう言った。
「おじさん、お願い。今からここに降りてくる人を捕まえて。でも殺さないでね」




