第58話 それぞれの半刻が経過し、遂にその時が訪れる。
機動城砦ゲルギオスがサラトガへと特攻を仕掛ける、その半刻ほど前のこと。
鉄格子の奥、埃っぽいベッドの上で身悶える少女の姿があった。
この機動城砦の元領主、サラトガ伯ミオである。
ミオは、腕を曲げたり伸ばしたり、身体をぐにゃりと捩じってみたり、更には、二つ折りになって自分の両足を首に回そうとしてみたりと、なにやらムキになってドタンバタンと蠢いていた。
そして、最後にバタンと大の字に転がって、苔むした天井を眺めながら、溜息混じりにつぶやいた。
「……ヒマじゃ」
しばらく牢獄から出ないと決めたのは、確かに自分ではあるが、あまりにもやることがない。
仕方がないので、どうにかして自分の肘で顎に触れることが出来はしないかと、いろいろと体勢を変えて、試ていたという次第であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鉄格子の内側でミオが人体の構造に挑んでいる頃、サラトガ城へと伸びる中央大通りでは、ローダ軍が城壁近くまで後退し、ペネル率いる重装歩兵隊が追撃し始めるところであった。
「ぺ…ペネル殿、戦況は、戦況はどうなっている」
『魔術師殺しの槍』が雨あられと降り注ぐ中、重装歩兵隊の後方、サラトガ軍本陣まで撤退してきたキリエは、荒い息もそのままに、指揮をとっているペネルに背後から声を掛けた。
「ローダ軍は左舷城壁の前で布陣を立て直そうとしています。これから第一軍を前進させて、戦線を押し上げま…………って、うわあああ!」
背後からの声に反射的に答えながら振り向いたペネルは、キリエの姿に思わず声を上げる。
それはあまりにも壮絶な姿であった。
ポニーテールは解けて、髪は乱れに乱れ、頭からぴょこんと飛び出していたはずのウサミミは両耳とも、途中から千切れて既に無い。
全身を染める返り血は既に乾いてどす黒く、肌の上でパリパリとひび割れて、まるで鱗の様であった。
そしてペネルを見据える両の目は、血に酔っている様で、虚ろな中に怪しい光を宿し、その身体のしなやかな筋肉には、未だ緊張感が迸っているのがわかる。
その一つ一つの有様が、先程までキリエがいた戦場の過酷さを物語っていた。
まるで狂戦士じゃないか。
そう口走りかけるのをグッと飲み込んで、ペネルは何とか言葉を紡ぎ出す。
「ローダ軍は立て直しの最中です。これから追撃を掛けるとしても、戦闘が本格化するのは1刻以上も先のことでしょう。キリエ殿は一度城に戻られて、風呂にでも入って少しお休みになられては?」
「何を甘いことを。私はまだまだやれる」
「……では無くてですね。キリエ殿のその出で立ちでは、その……兵が怯えますから……」
ペネルのその言葉に、キリエはぎろりと周囲を見回す。
睨んだつもりは無いのだが、つい先刻まで、殺し合いの只中にいた人間の目つきである。殺意をたっぷりと孕んだ眼光に、キリエに注目していた兵達は一斉に目を伏せた。
「なるほど……。それではお言葉に甘えさせて貰おう。少しの間頼む」
「ええ、任せてください」
頬に冷や汗を垂らしながら、ペネルがにこやかにそう答えると、キリエは背後のアージュを振り返る。
「では、久しぶりに勝負するか!」
「アレですか……望むところです」
アージュは、いつの間にか合流していたニーノに纏わりつかれながらも、不敵な笑みを浮かべる。
「フフフ……貴様は、まだまだ私には及ばぬということを思い知らせてやる」
「フフフ……隊長の方こそ、私の成長に膝を屈する日が来たことを、教えてさしあげます」
「「フハハハハハハハハ……!!」」
睨み合いながら哄笑する不気味な二人に兵士達がドン引きする中、キリエはコツコツとヒールの音を高く響かせながら、アージュはニーノを引き連れて、それぞれに城の方へと歩いて行く。
あとに残されたペネルは「まだ戦うのかあの二人は……」とただ戦慄していた。
キリエとアージュの勝負。
それは近衛隊の大浴場(時間区切り/男女交代制)で永きに渡って続いて来た女の闘い。
大きさ比べ。何の大きさかは敢えて伏せる。
あるものは「ミクロの決死圏」とさえ呼ぶ、過酷なまでのミリ単位の争いであった。
尚、シュメルヴィに言わせると『ドングリの背比べ』であり、持つものと持たざるものではなく、持たざる者同士のプライドを掛けた争いであることを付け加えておく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、その頃ゲルギオスでは、兵士達が慌ただしく戦闘の準備に追われていた。
「城壁には登るな! 地面に臥せて衝撃に備えろ!」
兵士達の間に、そんな指示が飛び交い、手の空いたものから順に地面に匍匐体勢を取っていくのが見える。
キスクとヘイザは、ゲルギオスの城壁の傍、家屋の裏手に隠れて、城壁の内縁部へと集結しているゲルギオス兵達の様子を窺っていた。
「衝撃に備える? 何をするつもりだ」
「わ、わからないけ、ど、ボ、ボクらも臥せた方がよ、よさ、そうだね」
キスクの視線の先では、多くの兵士が地に臥せる中、部隊長と思われる男がひとり立ち上がり、堅苦しい態度で声を張り上げた。
「これより我が軍は、サラトガに向かって、機動城砦による体当たり攻撃を仕掛ける!」
「なっ!」
思わず声を上げそうになって、キスクは慌てて口を押え、建物の影に頭を引っ込める。
体当たり攻撃だと? ぶつけた方もタダじゃ済まないぞ!
サラトガの連中も頭がおかしいとは思ったが、ここも頭がおかしい連中ばっかりなのかよ……。
キスクはおもわず天を仰ぐ。
部隊長と思われる男は、更に兵士たちへ向けて詳細を告げる。
「状況は非常に複雑である。しっかり頭に叩き込め!
現在、機動城砦サラトガは、その左舷に接舷している機動城砦ローダと抗戦状態にある。
戦況は判明していないが、我々はこの両者の争いに乗じて、サラトガへと侵攻し、相争っている両者の横っ面を殴りつけてやるのだ。
そして誤解するな、我々の目的はサラトガを陥落させることではない。
このサラトガに匿われている一匹の地虫を確保することである。『ナナシ』という名前の少年だ。
この少年は古代の最終兵器の在処を握っていると言われている。
この最終兵器を手に入れれば、我がゲルギオスが首都となることなど造作もない。領主様はそうおっしゃっておられる。必ず、この少年を生け捕りにするのだ!」
部隊長の言葉を聞き終わると同時に、キスクはヘイザを睨み付ける。
「最終兵器って何だよ。聞いてねえぞ、そんなの!」
「だ、だって、アレは、め、目覚めさせちゃ、ダメなもの、だ。何であ、あいつら、が知っているのかが、わ、わからない」
キスクは思わず顔を顰めて、親指でこめかみを押さえた。
「マジであんのかよ……最終兵器」
内心、与太話だと思っていたのに、今のヘイザの慌てぶりで、図らずもその存在が証明されてしまった。
「んで、最終兵器って何なんだよ」
ヘイザは、固く口を噤む。
「言えないってか…………」
「ご、ごめんなさい」
キスクは一つ溜息をつくと、シュンとするヘイザの頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でて髪の毛を乱すと、驚き顔で見上げるヘイザに向かって、ニカッと笑いかけた。
「まあ、俺は恩人の息子が、ダチを探す手伝いをしてるだけだしな、関係ねえか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キスクとヘイザがまた一つ友情を深めた頃、マリーはハヅキの手を牽いて、ゲルギオスの繁華街を抜け、商店街の方へと歩いていた。
「ハヅキ様、もう少しですからねー」
「うー?」
戦闘も間近に迫っているというのに、マリーはある店へと急いでいた。
民間人の避難誘導が始まれば、当然店は閉まってしまう。その前になんとか辿り着かなくては。
キスクは出発する直前に、マリーに二粒の大きめのサファイアを渡して、こう言った。
「コレは俺が傭兵やってた時に手に入れた、とっておきだ。万が一、俺達が2日経っても帰って来なかったら、コレを金に換えてゲルギオスから脱出しろ。いいな」
なんだかんだと言っても、旦那様は、思いやりのある良い人なのだなと、マリーはあらためて、キスクのことを見直した。
そしてキスク達が部屋から出て、通りの向こうへと消えていくのを、窓から見送ると、マリーは換金するために宝石商へと向かうべく、速攻、部屋を出たのである。
「万一、帰ってきちゃったら、それはその時のことですよねー」
キスクのことは確かに見直した。でもソレはソレ、コレはコレである。
マリーはゲス乙女。
彼女に金目のモノを渡すという事がどういう事なのか、キスクにはまだ分かっていなかったようだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あら?」
皇姫ファティマは、首を傾げ、そして振り返る。
目深に被った薄いピンクのフードの下から、今すれ違った少女達を目で追う。彼女たちに、どこか見覚えがあったのだ。
年下らしい黒髪の少女に手を曳かれて、たどたどしい足取りで歩いている少女。彼女は、余りにも特徴的な髪型をしていた。
金色の髪を後ろで一つに編みこんでいるものの、髪の量が多すぎて縄飾りにしか見えないのである。一言で言うなら『ごんぶと』いう表現が相応しい。
あんな髪を持つ人間をファティマは一人しか知らない。
思わず駆け寄ろうとするファティマ。
しかしその瞬間、隣を歩いていた幼女がファティマの手を強く引っ張る。
その力は万力の様で、押そうが引こうが、振り払うことができない。
「マーネちゃん、痛いよ。離して」
「ダメだよ。おねいちゃん。まだ舞台は整ってないんだから」
ファティマは腕を幼女に掴まれたまま、通りの向こうへと消えていく少女達の背に向かって声を限りに叫ぶ。
「ファナ! マリールー! あなたなんでしょ? 気付いて!」
しかし、その声が少女達に届くことは無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
かくて、それぞれの半刻が経過し、遂にその時が訪れる。
「突っ込んでくるぞおおおお!」
城壁で見張りをしていた兵士が、大声でわめきながら階段を駆け降りてくる。
突然の見張り兵の叫び声に、何事かと顔を見合わせる兵士達。
城壁の傍の広場には、避難誘導を終えたサラトガ第二軍の兵達が、この後の追撃戦に備えて、乱戦仕様のハンマーを装備し、整列し始めているところであった。
「どうしたァ?」
兵士の一人がそう尋ね、息も絶え絶えの見張り兵が城壁の方を指さした瞬間、激しい衝撃がサラトガを襲った。
目の前の全てがブレて見えるほどの衝撃。
そしてそれを追うように轟音が響き渡り、兵士達の耳を裂いた。
何が起こったのかすらわからない内に、城壁に向かって立っていた兵士達は、仰向けに投げ出され、整列していた兵士の一部は、不幸にも味方とハンマーの重みにつぶされて息絶えた。
そして振動が収まり、一瞬の静寂。
その直後にメリメリと軋む音を立てて、城壁が内側に向かって膨れ上がり、やがて破裂するような音を立てて崩れ落ちた。
ゲルギオスがその城壁の角の部分を鋭く突き立てるようにして、サラトガに突入してきたのである。
ゲルギオスはさらに城壁の崩れた部分から、まるで機動城砦ごとサラトガに入り込もうとしているかのように、ぎりぎりとその城壁の角をねじ込むようにして、サラトガの城壁を抉っていく。
その光景をサラトガ軍の本陣から遠目に見ていたペネルはある光景を思い浮かべていた。
左舷にはローダが接舷し、右舷にはゲルギオスが喰いついている。
さらに、後部にストラスブルを曳航したサラトガのその姿は、2匹の貪狼に喰らいつかれて、息絶える直前の子連れ鹿の様に思えたのである。




