第57話 ボクならもっとスマートにやれるのに
「お嬢ちゃん、こっちで良いんだな」
先頭を走る若い男が、振り向いて少女へと尋ねる。
「はい、このまま真っ直ぐ行けば、城の裏門の方に出ます。そっちならボクの持っている鍵でも開きますから」
サラトガの中央を走る大通りを2ブロックほど左舷寄りに移動すると、小規模な商店街がある。
その裏通り、飲食店の勝手口が連なる路地を、慌しく走る男女の姿があった。
総勢9名。
8人の男達の中央に、守られるようにして少女が1人。
少女の出で立ちは、黒地に白いブラウスの所謂、家政婦服。一方、その可憐な少女を取り囲む男たちの出で立ちはというと、全員が全員、先日サラトガを襲撃したアスモダイモス軍支給品の皮鎧である。
こんな誰が見ても怪しい一団が、人の目に留まらぬわけがない。
しかし幸いにも、このエリアの避難誘導はすでに完了している様で、人っ子一人いない真っ直ぐな路地を、この珍妙な一団は、息を切らして駆け抜けていた。
少女と男たちが出発する直前から、中央大通りに響き始めた破裂音は今も間断なく続いていて、細い路地の間、建物に切り取られた長方形の空を見上げれば、時々ピカピカと空が光るのが見える。
どうやら中央大通りの方では、とんでもない量の魔法が飛び交っている様だ。
響き続ける破裂音に、少女の右側を走っている前歯の抜けた剽軽な顔をした男が「うひゃー! スゲエな」とやけに高い声を上げると、最後尾の髭面のおっさんが楽しそうに笑った。
「がはははは、流石は我らの不倶戴天の敵よ。あそこまで馬鹿げた魔法攻撃なんぞ聞いたことがないわ。あれではローダの連中は手も足も出んだろうな」
その言葉を意図的に聞き流しながら、少女はこう思う。
ボクならもっとスマートにやれるのに。
少女の心中は、色々と複雑である。
呵呵大笑しているこの髭面のおっさん。不倶戴天の敵と言いながら、ずっと敵の軍師のことを褒めちぎっている。
……なんか、もう好き過ぎだろう。
そして最大の問題は、その敵の軍師というのが自分自身だ。という事実である。
一行が向かっているのはサラトガ城。
彼らの目的は二つ。
一つは、下層フロアに閉じ込められた少女を救い出すこと。
そして、もう一つはサラトガ軍師ミリアをぶっ殺すことだ。
つまり少女は、自分自身をぶっ殺すという目的の為に走っていることになる。
もちろん、殺されてやるつもりは、これっぽっちもないが。
拉致されたはずの少女が、どうして男たちと行動を共にすることになったのか?
話は半刻ほど遡る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……おじさん、お願い事があるんです」
ミリアは、上目使いに『酒樽』モルゲンを見つめて言った。
昼、尚薄暗い廃屋の片隅。破れた天井から洩れる陽光が丸く石畳の床を照らしている。
「お願い事ォ?」
言葉に、呆れたという響きを載せたのは、モルゲンでは無く、その隣にいる若い男。それをモルゲンが手で制して、言った。
「言ってみな」
「妹を助けてほしいんです 」
「妹? ……それは筋が違う話ではないのか? お嬢ちゃん」
「そうでも無いですよ。実はボク達は……」
そこから始まる嘘八百。
曰く、少女は某領主の娘で、父親は娘を人質にとられて、サラトガに様々な協力をさせられている。
更には、妹は地下牢に閉じ込められ、少女は家政婦としてこき使われる地獄の日々、そこに現れたモルゲン達は、少女にとっては白馬の王子様も同然。
遂には、妹を救ってくれるのであればモルゲン達に同行して、悪辣なる策士、冷酷な悪鬼であるサラトガの軍師ミリアの居所を教えましょう。
と、来たものだ。
少女は、それはもう情感たっぷりに、ある時は目に涙を溜め、ある時は怒りを露にし、妹が牢に放りこまれるシーンなどは嗚咽を交えながら、男たちに訴えた。
自分の語りに酔いしれて、うっとりとした表情で少女が周囲を見回すと、実にしらっとした空気が流れていることに気づく。
「あ、あれ……?」
ここに嘘八百の女帝、サラトガ伯ミオがいたならば、恐らくこう言ったことだろう。
『30点じゃ』
困惑する少女の肩を若い男が、溜息交じりにポンポンと叩く。
「お嬢ちゃん、さすがにこの髭面のおっさんつかまえて、白馬の王子様は無いよなあ、ねえ隊長……って、ええっ?!」
振り向いた彼が見たものは、男泣きに泣く『酒樽』モルゲンの姿であった。
若い男にとっては、信じがたい出来事である。
先ほどの話のどこに泣ける要素があったというのか。
しかしモルゲンのその様子に、作戦の成功を確信したミリアは、胸の内でガッツポーズを取る
「妹を救ってほしい」
この妹とは、ミオのことである。年齢で言えばミリアより3つ年下なのだから、充分に妹と言い張ることができるだろう。
ローダ伯という手駒を奪われ、敵に一度上回られた戦略を再度ひっくり返すには、どうしてもペテンに掛けなければならない人物がいる。
だからこそ言葉縛りとまで、呼ばれるほどの詐術を持つミオを、最優先で救い出す必要があるのだ。
だが、ミリアはここで少し調子に乗った。
ミオちんには悪いけど、ボクでいけるのならミオちん救出の優先順位を下げてもいいかもしれない。そう思ったのだ。
そんなミリアの胸の内を知る由もなく、『酒樽』モルゲンは、両手でがっしりとミリアの肩を掴み、こう言った。
「お嬢ちゃんの妹は、ワシが必ず救ってやる!」
「ちょ、ちょっと隊長?!」
若い男は慌てて制止しようとするが、モルゲンは、逆に男の鼻先に指を突き付けて声を荒げる。
「ここで見捨てたら男が廃るぞ! 見ろ! バレたら、酷い目にあうかもしれないのに、こんな下手な嘘をついてまで、妹を救いたいとは見上げた娘じゃないか!」
モルゲンの権幕に若い男は肩を竦め、ミリアの方を振り返ってこう言った
「だとよ、良かったな。お嬢ちゃん」
「ソウデスネ、ハハハ……」
死んだ魚の様な目をしたミリアの口から、乾いた笑いが零れ落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミリアの案内でサラトガ城へと侵入した一行は、『酒樽』モルゲンを先頭に下層フロアに向かって、階段を駆け下りていく。
「牢獄の入口には、衛兵がいます!」
「任せておけ」
少女の警告に、モルゲンが気安く応えた。
階段の下からは楽しそうに談笑する男達の声が聞こえてくる。
談笑する余裕があるということは、見張りに着いている兵達は、外の戦況を全く知らないのだろう。
そして遂にミリアたちが、牢獄フロアの入口に辿り着くと、白い鎧を纏った兵士が三人、突然現れた男達の姿に、談笑を中断して、慌てて剣を掴んだ。
「貴様らァ! ここから先は立ち入り禁止だ! とっとと引き返……」
そう声をあげた男は「引き返せ」と最後まで言い切る前に、息絶えた。
「ピーチクパーチクやかましいわ!」
『酒樽』モルゲンの巨大な戦斧によって一瞬にして、真っ二つにされたのだ。
蒼褪める残り二人の兵士とミリア。
此処には、つい先ほどまでの気の良いおっさんの姿は無かった。
「あーあ、やっちゃった。お嬢ちゃん、あんまりビビんないでやってくれよ。戦場に立ったら『酒樽』モルゲンは鬼だからな」
すぐ脇で、剽軽な顔をした男が溜息をつく。
「次はァ! どいつだァ!」
モルゲンは眦を吊り上げて、残り二人の皇家直属兵を威嚇する。
「イヤアアアアアア!」
睨み合いに我慢できなくなったのか、二人の内一人が、奇声をあげながら無謀にもモルゲンに向かって切りかかってくる。
モルゲンがその剣を、戦斧で弾き飛ばすと同時に、
「お嬢ちゃん、巻き込まれるぞ!」
そう言って若い男が、ミリアの身体を後ろの方へと引き倒した。
次の瞬間、モルゲンは力任せに戦斧を振るい、相手の上半身を跳ね飛ばすと、慣性に任せてもう一回転。
戦斧の刃が壁面を掠めて火花が飛び散り、後ろでビビって硬直していた最後の一人を打ち倒した。
瞬殺。
流石にミリアもこれには頭を抱える。
モルゲンがここまで強いなどとは、全くの計算外だったのだ。
この男達については、目的を遂げた後、可能ならばそのまま逃がしてやりたいところではあるが、最悪のケースとしては殺してしまうことも視野には入れていた。
しかし、この強さである。
モルゲンの息の根を止めるために、何人の兵士が犠牲になるか分かったものでは無い。
フシューと大きく息を吐くとモルゲンはミリアの方へ、人懐こい笑顔を向けて声をかける。
「お嬢ちゃん。呆けている場合じゃないぞ、この奥に妹がおるのだろう?」
「は、はい」
ミリアがそう、うわずった声を出した途端、誰も予想だにしていない出来事が起こる。
それはあまりにも突然の出来事。
耳を劈くような激しい衝突音が響くと同時に、サラトガ全体が大きく揺れる。
続いて圧潰音とともに、遅れて衝撃が伝わっていく。
それは右から左へのベクトルを持った激しい衝撃。
目の前のものが全て、ぶれて見えるほどの大振動であった。
天井から剥がれ落ちた石壁の破片がパラパラと降り注ぎ、悲鳴をあげる余裕もなく、全力で殴りつけられた様に吹っ飛んで、ミリアと男達は一斉に壁に向かって叩きつけられた。
ミリア達には知る術もない事ではあるが、この時、サラトガの右舷に向かって、機動城砦ゲルギオスが特攻を仕掛けていたのだ。




