第6話 ああ見えて中身は乙女なんだから。
「痛い、キリエさん痛いです」
「うるさいクソ虫、とっとと入れ!」
尖塔をその頂点に戴くサラトガ中央の城。その二階の回廊の奥、洗濯部屋のプレートが架かった扉の前にナナシ達はいた。
キリエは乱暴に扉を開け放つと、ナナシの襟首を掴んで室内へと放り込む。
部屋の中は意外にも広く、その広い空間に白い大きな布が、大量にぶら下がっていた。
部屋の奥には、水を張った洗濯槽。窓は無いが、暖かい風が部屋の中をゆっくりと巡っている。どうやら壁面に風を宿した精霊石を複数、埋め込んでいるらしい。
放り込まれた勢いのままに、床に突っ伏すナナシ。文句の一つも言ってやろうと体を起こしかけた途端、キリエに背中を踏みつけられて、むぎゅと口から情けない声を上げる。そしてナナシの背中を足蹴にしたまま、キリエは大きな声を上げた。
「おい、ミリア! ミオ様のご命令だ。このクソ虫の面倒を見てやれ」
「もう!お姉ちゃん。またそんな男の人みたいな言い方してって……何? その子?」
キリエの呼ぶ声に応えて、奥からシーツをめくりあげて出てきたのは、女の子。おそらくナナシと同年代のやさしげな雰囲気のある少女だった。
「お姉ちゃん?」
ナナシの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
言われてみれば、確かに似ている。ショートカットとポニーテールの髪型の違いはあるが、釣り目がちのキリエの目尻を掴んで、グイッと下にさげおろすとこういう優しそうな印象になるような気がする。
その女の子は、頭には白のヘッドレスト。黒地に白のエプロンをつけたようなデザインの服を着ていた。たった今まで、洗濯をしていたのだろう。腕まくりをして、指先からは水が滴っていた。
ナナシは背中を踏まれた状態のまま、首をもたげて、彼女を見上げる。
そんなつもりは無かったのだが、下から見上げる角度は、女の子の布地を押し上げる胸の部分を、いやがおうにも強調する。
それは、先程見たシュメルヴィのモノとは比べるべくもないが、相当に大きく見えた。イヤらしいと言うなかれ。彼も健康的な年頃の男子である。そこに目が行ってしまうのは仕方がないことなのだ。
ただ、思わず自分の背を踏むキリエのモノを確認するように、見上げてしまったことは、痛恨の失敗であった。
下から見あげるこの角度でさえ、存在を疑いたくなる幻の丘。
風のない平坦な砂漠が頭に浮かぶ。
これ以上、考えてはいけないと思えば思うほどに、頭の中を危険なワードが埋め尽くしていく。そして、もちろん、彼の考えていることが、キリエに伝わらぬ道理は無かった。
「ほほぅ、貴様。クソ虫の分際でなにか言いたいことでもあるようだな。」
底冷えするような低い声が、背中の方から聞こえてくる。
「えっ…あ、あの、その。」
ナナシは、自分の頬をダラダラと汗が流れるのを感じていた。
「はっきり言ってみろ。ほぉら、早く。」
頭をフル回転させて、穏便に済む回答を探す。無い!そんなものは無い!答えは見つからない。もうタイムリミットだ。これ以上は耐えられない。そして、ついに口に出した言葉。それは…。
「キリエさん……お父さん似なんですね。」
キリエのこめかみのあたりで、ビキッ!と人体から出してはいけない音がした。
「だぁれの胸がぁ! お父さん似だぁ! ゴラァ!」
「ぎゃああああああ」
鬼の形相で足を振り上げ、全体重を乗せた連続ストンピング。
力いっぱい踏みつけられ、ナナシは穴と言う穴から、いろんなものが出そうになった。
そんなバイオレンスな風景を、なぜか微笑ましい目で見ていたミリアが、姉に問いかける。
「お姉ちゃん。で、結局その子なんなの?」
妹の問いかけに、キリエは、肩で息をしながら答えた。
「ああ、スマン。この地虫の面倒を見てやってくれ、力仕事でもなんでもやらせてかまわんぞ。存分にこきつかってやれ」
「地虫って砂漠にすんでるっていう……。」
「そうだ。」
「へぇ……初めてみたよ。見た目はボク達と変わんないね。言われなきゃわかんないかも。」
そういうと、ミリアは少年をまじまじと観察する。
「今は白目を剥いてるからわからんかもしれんが、目の色は黒い。」
「ふーん。でも手伝ってくれるんだったら助かるよ。今から洗ったシーツを配って回るところだったんだ。意外と重いんだよねー」
「私はこれから軍議があるから、もう行くが、好きなように使えばいい。」
そう言うとキリエは踵を返して、部屋を出て行った。
ミリアはあらためてナナシの顔を覗き込む。
「ねえ、キミ、大丈夫?」
「は、はい……なんとか。なんとか生きてます」
「さっきのは君が悪いよ。お姉ちゃん、ああ見えて、中身は乙女なんだから」
「鬼闘女?」
自分の背中についた足型を確認しながら、ナナシはつい聞き返してしまう。
「なんか、違うニュアンスに聞こえたけど……。ま、いいや。ボクはミリア。ミリア=アルサード。幹部フロアづきの家政婦だよ。」
「あ、はい。僕はナナシと言います」
「じゃ、早速なんだけど、シーツ畳むの手伝ってよ。ナナちゃん。」
「ナナちゃん?!」
「ナナシだから、ナナちゃん。かわいいでしょ」
そう言うとミリアは部屋にかかっているシーツを手早くたたみはじめる。ナナシも起き上がると見よう見まねで、手近なシーツを手に取り畳み始めた。
数十分で全て畳み終えると、ミリアは木製の台車を持ってきて、ナナシにシーツを全て積みこませた。
「じゃ、今から配りに行くから。台車押してついて来てね」
ナナシは言われるままに、ミリアの後ろを台車を押してついていく。
廊下を歩いては、扉を開き、部屋の中へとシーツを放り込んでいく、そんな作業を繰り返しながら、ミリアに問われるままに、今までの経緯を話した。
「大変だったんだねぇ。ゲルギオスに追いつくまでここにいるんなら、あと3日ぐらいは手伝ってもらえるってことだね 。」
「3日?」
「うん、たぶん、それぐらいはかかるよ。ゲルギオス意外と足速いんだよね。妹ちゃんのこと心配だろうけど、砂洪水の発生がわかるってのが、攫われた理由ならたぶん、そんな酷いことはされてないと思うよ」
「そう…そうですよね! 大丈夫ですよね!」
自分に言い聞かせるようにナナシは言う。
そして、これ以上妹の話をしていると、どんどん心配になってくるような気がしたので、ずっと気になっていたことを、聞いてみることにした。
「あの銀色の髪の人も、この城にいるんですか?」
「セルディス様? うん、いらっしゃるよ。強くてぇ綺麗でぇ、憧れちゃうよねー。セルディス様が来てから、メイドたちの間で美白ブームが起こるぐらい、憧れの的なんだから。まあボク達の肌の色じゃ無理だけどね」
「へー、どんな人なんですか?」
「え、なに、ナナちゃん、気になるの?」
ミリアは楽しそうに、笑いを含んだ顔でナナシを見る。
「い、いえ、そんなつもりはないんですけど。異国の人は珍しいので、つい」
「いやー気持ちはわかるけど、高嶺の花すぎだよぉ。ウチの男たちもみんな、こっぴどく振られてるんだから。グスターボ様は、まだ諦めてないっぽいけど…。」
「いや、だから、そんなつもりはありませんって」
「うん、うん。じゃ、そういうことにしとくよ。あ、でもセルディス様じゃなくて、ウチのお姉ちゃんなんかどう? 仕事一筋で今まで来たけど、そろそろ恋人の一人も居てもいいと、ボクは思うんだよねー」
最後のシーツを手に取って、部屋の中に放りこみながらミリアは言った。
「いや、僕は砂漠の民ですから、貴種の人からは嫌われることはあっても好かれることはありませんよ……。」
「えー。そうかな。ボク、キミの事、けっこう好きだけどなー」
「なっ……。」
「冗談。冗談だよ」
「からかわないで下さいよ」
からからと笑うミリアから目を逸らし、ナナシは自分の頬がもった熱を冷まそうと軽く頭をふる。
「あ、噂をすれば……だね」
ミリアの視線を追うと、廊下の向こうからキリエが、こちらに歩いてくるのが見えた。
「そういえばナナちゃんは、どこに泊まるの?」
「いえ、特になにも聞いていないですけど……」
ナナシの言葉を聞いて、ミリアは、キリエに向かって手をふる。
「おねえちゃーん。丁度いいところに来てくれたよぉ」
キリエは直ぐそばまで来ると、まずナナシを一睨みする。
もはや条件反射の様だ。
「どうした。クソ虫が何かやらかしたか? やらかしたらスグに言え、ぶち殺してやるから。いや、やらかしてなくてもかまわん、やらかしたと言え」
「やらかしてませんよ……」
どんだけ殺したいんだと、ナナシは肩を竦める。
そんな二人のやりとりを完全に無視して、ミリアはキリエに問いかけた。
「ねえ、お姉ちゃん。ナナちゃんはどこに住ませるの?」
「ん? 部屋なんかないぞ。こいつはそもそも地虫だからな。庭にでも放りだしとけばよかろう」
妹の問いかけにキリエは不思議そうな顔で答える。
「お姉ちゃん! ダメだよそんなの。可哀相じゃない」
「僕はべつにそれでいいですけど……」
「ナナちゃんは黙ってて!」
「はぁ」
「そうは言うが、ミリア。兵士どもの屯所に放りこみでもしたら、一発でいびり殺されるぞ、コイツ。だからと言って、部屋なんぞ与えようもんなら、一斉に不満があがるだろうが、俺たちより地虫を優遇するのかとな。」
「わかったよ! じゃ、ナナちゃん。今晩はボクの部屋においでよ」
言い難い沈黙がその場を包む。
ナナシがミリアの言葉の意味を理解するまでにたっぷりと時間がかかり、その間に、キリエはわなわなと震えはじめていた。
「な、なにを言っている! ダメだ!ミリア、コイツは人畜無害そうに見えるが地虫だぞ、野蛮人なんだぞ!」
慌てすぎて目を泳がせたまま、ナナシを指さして、キリエが声を上げる。しかし、ミリアは、全く退く気はないようだ。
「こんな大人しい子を、外に放り出す方がよっぽど野蛮人だよ! ナナちゃん、遠慮しなくていいからね。今晩はボクと一緒に寝ようね」
「いや、そ、それはさすがにマズイと思います」
さすがに、ナナシも慌てはじめる。
そのナナシの慌てる感じに、キリエはさらにカチンときたようだ。
「何を赤くなってる! クソ虫! ダメだ! ダメだ! ダメだ!」
最後の方は駄々っ子のようにダメを繰り返す姉。
その様子に、ミリアがニヤっと笑った。
「じゃ、お姉ちゃんの部屋に住まわせてあげてよ」
「へ?」
ナナシの口から間抜けな声が零れる。そして次の瞬間、キリエの激昂する声が、廊下に響き渡った。
「ミリア! この私に男と一緒の部屋で過ごせというのか!」
首を竦めるナナシとは対照的に、ミリアは笑顔でナナシの方を見た。
「ナナちゃん、お姉ちゃんってば、やっぱりキミのこと一人の男性として見てるみたいだよ。」
「なっ?!」
キリエがこぶしを握り、何かに耐えるようにぷるぷると震える。
爆発寸前――ナナシの頭の中にそんな言葉がよぎる。
「……上等だ。おいクソ虫! 私の部屋の隅を貸してやる。ミリア。仕事が終わったら、私の部屋までコイツを連れてこい!」
「ありがとーお姉ちゃん!だーい好き!」
「うるさい! 勝手にしろ!」
そう吐き捨てると、キリエは不機嫌そうに、大股で廊下をズカズカと歩いていく。
その背中を見送った後、ミリアはくるりと振り返ると、ペロっと舌を出してナナシに微笑んだ。
「確信犯ですか……」
「んー、なんかねー。ナナちゃんと話してる時、お姉ちゃんイキイキしてるんだもん。あんなお姉ちゃん見るの久しぶりで嬉しくってさ。」
イキイキしたキリエに、ボコボコにされる自分の姿を想像して、ナナシはぶんぶんと頭を振る。
今夜、キリエと同じ部屋で過ごすという事実に、ナナシは生命の危機を感じずには居られなかった。