第55話 ワインボトルの中のコークスクリュー
「うぅん……」
身体がだるい。
そう思いながら、やけに重い瞼をゆっくりと開く。
「あれ? なに……ここどこ?」
ボロボロの壁、穴の開いた天井から差し込む陽光。
それに照らされて、きらきらと宙を舞う埃。
ミリアの目に映ったのは、見知らぬ景色。
どこかの廃屋の様だ。
耳を澄ませば、遠くの方で、明らかに戦闘中と思われる怒号と剣戟の音がかすかに響いている。
どうしてこんなところにいるのか?
ミリアは醒め切っていない頭で考える。
お姉ちゃんを見送って、それから……。
「起きたか? お嬢ちゃん」
目の前に、ぬっと髭面のおっさんが顔を出した。
「ひゃああああああ!」
驚きのあまり、ミリアは宙を掻くようにして逃げ出そうとするが、起き抜けの身体はちゃんと動いてくれず、心臓だけがバクバクと激しく鼓動する。
「隊長! ダメですよ。突然隊長に顔出されたら、俺達でも心臓止まりそうになりますって」
そう言いながら、隣の部屋から、若い男が一人現れた。
「ナンだと!」
「まあ怒らないでくださいよ、事実なんスから」
軽口を叩きながら、若い男はミリアの方へと向き直って話しかける。
「大丈夫だから、お嬢ちゃん」
「は、はい」
とりあえず、頷いてはみるものの、何がどう大丈夫なのかすら、わからない。
「何が起こってるかわからないって顔してるぜ」
「は、はい」
そう、その通りだ。
若い男は腕を組んで、考えるそぶりを見せた後、口を開く。
「俺達が君を攫った、以上」
「ええっ!」
いや、この状況を考えれば、それはそうなのだろうが、攫われた側としては、それで、はいそうですかと納得するわけにはいかない。
「んー、なんでそんなことを? って顔してるなあ」
便利な人だな。表情だけで大体言いたいことを察してくれる。
ナナちゃんにもぜひ見習ってほしい。ミリアはそう思った。
「俺達は君に教えてほしいことがあるんだ」
「な、なんでしょう」
「えっとね、ミリアって奴のことについて、洗いざらい」
ミリアは口をぽかんと開けて、呆けた表情を見せる。
正直、この男が何を言っているのか、わからない。
どう反応して良いものかわからず、ただ口ごもっていると隊長と呼ばれていた髭面のおっさんが口を差し挟んでくる。
「お嬢ちゃん。ワシの名はモルゲン。『酒樽』モルゲンと呼ばれている。この間、サラトガへ攻め込んだアスモダイモス兵の生き残りだ」
「はあ……」
アスモダイモス兵の生き残り。
ミリアはそれは既に把握していた。このモルゲンというおっさんの着ている鎧はアスモダイモス軍の物だ。
「ワシらは、このサラトガの軍師に復讐したいんだよ」
「復讐…ですか?」
「ああ、そうだ。ヤツの悪辣な作戦のせいで、同胞が虫けらのように死んでいったんだ。戦場で命を落とすのは仕方のねえことだが、剣の一つも交えられないで、ただ機動城砦から振り落とされて死ぬなんてのは、あまりにも酷い。だから、死んでいった連中のかわりに、卑怯なサラトガ軍師に復讐してやりてえんだ」
そう言うとモルゲンは、グッと拳を握る。しかしすぐに力なく肩を落とした。
「ところがだ。どれだけ街中で聞き込みしても、誰も軍師のことを知らねえ。しかたなく何人かをサラトガ兵に変装させて、城に潜り込ませてみても、やっぱり状況は同じ……。サラトガの軍師ってやつはどんだけ警戒心が強いんだと諦めかけたんだが、ついに軍師が『ミリア』という名前であることだけはわかった」
ミリアの背中を冷たい汗が伝う。
「ど、どうしてわかったんですか?」
それに応えたのは、若い男の方だった。
「軍師の居所をしらないか? ってカマかけてみたら『ミリアさんなら……』って即答した少年がいたんだよ」
『ミリアさん』なんて呼ぶ少年とくれば、それは一人しかいない。
……帰ってきたらお説教してやる。
「おそらく、そのミリアという奴が軍師だということを皆、知らされておらんのだろうな。これ以上時間をかけているわけにもいかん。そこでだ。再び城内に潜入して、手っ取り早くミリアのことを聞き出すために、家政婦を攫ってきた。と、まあ、そう言うわけだ。」
それで攫ってきた家政婦がミリア本人だと知ったらこの男どもはどんな顔をするだろうか。ミリアは、なんともやりきれない表情になる。
「というわけで、お嬢ちゃん。洗いざらい軍師ミリアのことをしゃべってくれれば、ミリアをぶち殺した後、お嬢ちゃんを無傷で解放することを約束しよう」
そう言って、モルゲンは意外に人懐こい笑顔を見せた。
ボクをぶち殺せたら、ボクを無事に返すって、それワインボトルの中のコルク抜きじゃないか……。
ミリアは、心の中で溜息をつく。
遠くから、相変わらず怒号と剣戟の音が聞こえてくる。
「外で暴れているのも、おじさん達の仲間?」
「いーや違う。さっき偵察に行ったんだが、ありゃ、ローダの魔法兵団だ」
「ローダ?!」
ミリアは思わず驚愕の声をあげる。
そして、悔しげにその可愛らしい顔を歪めた。
また、ボクの戦略を上回られた……。
ミオを救う。そのための作戦の上で実はローダ伯は重要な位置を占めていたのだ。
ミオの裁判において、最終判決は多数決に委ねられる。
サラトガと領主不在のストラスブルを除く、残り7つの機動城砦と皇王陛下がその権利を持っている。
つまり全8票の内、最低4票を獲得できれば、イーブンに持ち込むことができるのだ。
ミリアは首都到着後の工作で、確実に票のとれる相手として、ローダ伯をピックアップしていたのである。
そのローダ伯が、サラトガが首都へたどり着くことを妨害してしまったら、投票権どころか、ローダ伯自身が反逆者扱いとなってしまう。
あとは、考え得る票を束ねても、3対4での敗北は必至だ。
偶然では有りえない。
おそらくローダ伯がサラトガを襲っているのも、敵の工作だろう。
最悪、ローダ伯も既にゴーレムに成り変わられているかもしれない。
「まあ、ローダごときが、我々を打倒したサラトガをどうこう出来るはずもない。
サラトガの軍師が、どういう手を使って、このローダを撃退すんのかお手並み拝見ってところだな」
モルゲンのサラトガ軍師への変な信頼の言葉を耳にしながら、ミリアは思考を高速で回転させる。
ともかく、ここから脱出しなければ、打つべき手も打てない。
そして、一つの考えがまとまるとミリアは、『酒樽』モルゲンを上目使いに見つめてこう言った。
「……おじさん、お願い事があるんです」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「鞭乱打!」
目の前のローダ兵を鞭で打ち倒し、ヒールでその後頭部を力一杯踏みつけて気絶させる。
「なんと厄介な連中なのだ……」
キリエは息を荒げながら、誰に言うともなく、そう呟いた。
分かっていたことだが、まず数が違いすぎる。
こちらは約50人。それに対して、眼前の敵は視界一杯に雲霞のごとく犇めきあっている。おそらく1000人程はいるだろうか。
そして、キリエはセオリー通り、まず魔術師から打ち倒すつもりでいたのだが、一人の魔術師の前には二人の戦士が立ちはだかり、キリエの攻撃は魔術師にはなかなか届かない。
そして魔術師は、眼前の二人の戦士を強化すべく、補助魔法を続けざまにかけつづけ、時間を追うごとに戦士達は強さを増していく。
このまま真正面からぶつかリ続ければ、ただでさえ1000対50、時間を稼ぐどころではなく、すぐに押しつぶされてしまうことだろう。
キリエは鞭をたすき掛けに身体に巻きつけると、腰に巻いたベルトから二本の短剣を抜き放つ。
歯の一部に櫛のような凹凸をもつ。防御に特化した短剣剣砕刀。
乱戦になれば、それはもう鞭を使える間合いではないのだ。
「足を止めるな! 囲まれれば死ぬぞ!」
キリエは、部下達に大音声でそう告げると、自らも雄叫びを上げながら、敵兵の真っただ中へ飛び込んでいく。
その頭の中では艦橋で先程、魔術師隊の副官セファルと交わした会話がリピートされていた。
「相手は補助魔法中心の魔法使いですから、弱点は直接攻撃魔法だと推測されます」
「距離をとって戦うということか?」
「いえ、むしろ積極的に乱戦に持ち込んでください。その方が相手は油断しますから」
キリエは敵兵の只中に飛び込むと、切りかかってくる剣を剣砕刀で受けては次々に断ち折り、剣が折れた反動で、相手が仰け反った瞬間に首筋をすかさず断った。
次々に倒れる味方の姿に慌てた兵達が、数人でキリエを取り囲み、一斉に切りつけるが、キリエはそのまま反転するように宙を舞い、着地と同時に足払いで二人の男をなぎ倒すと倒れた相手の胸に剣砕刀を突き立てた。
キリエは敵の雲霞のただ中を死を撒き散らしながら、駆け抜ける。
その姿は、鬼神の姿を思わせた。
しかし、それもいつまでも続きはしない。
周囲では黒筋肉達も、金属製の手甲を振るいながら奮戦してはいるが、それはどちらかといえば力押し。敵を打倒しもするが、自らも傷を受けている者も多い。
多勢に無勢とはまさにこのことだ。
肩で息をしながら、キリエは一向に減る気配の見えない敵を見据える。
既に全身返り血に塗れた、赤ウサギは心の中で呟いた。
まだか……
その瞬間、戦場となったこの一画を取り囲むように次々と狼の遠吠えが響く。
そして、民家の屋根の上に、狼頭の大男たちが次々に姿を現した。
その中にはアージュとニーノの姿もある。
「隊長、お待たせいたしました!」
「遅い! アージュ遅いぞ!」
「すいません! 屋根の上に登るのに手間取ってしまいまして……」
「なんで登ったの!? 登んなくていいじゃん! その間に私がやられちゃったら気まずいだろうが!」
気まずいで済む問題なんだ……。
そのやりとりを聞いていたローダ兵の誰もがそう思った。




