第53話 ミオ様の苦しみに比べれば、こんなもの大したこと無いんだぴょん。
「ガアアアアアアアッッ!」
薄闇の中で光る、鋭い牙。
間一髪で急停止、一気にスピードを落として、肩口に食いつこうとする咢をギリギリでやりすごす。
なんとか躱したまでは良かったが、無茶な急制動のせいで砂を裂くものの前部が跳ねあがり、それはまるで嘶く暴れ馬のように、上に乗っている二人を跳ね除けようとした。
掴まる剣姫は振り落とされまいと、より一層強くナナシの背にしがみつき、ナナシは剣姫を気遣う余裕もなく、必死で体重移動を繰り返して、体勢を整える。
サラトガを出発して4日目の夜、ナナシ達は正体不明の獣の襲撃を受けていた。
地平線の向こう側で太陽が、腐ったマンダリンの様な色のグラデーションを描く黄昏時。そいつらは突然に現れた。
二人を乗せて、砂漠を疾走する鈍色の流線型。
「そろそろ、野宿する場所を探しましょうか。」
ナナシが、そう言って振り向いた時、いつのまにか数十ザール後ろの左右から獣の黒い影が追い縋ってくることに気がついた。
「剣姫様! しっかり掴まっていてください! 何かが追ってきます」
「マリスです。主様」
「そんなことを言ってる場合じゃ……」
こんな状況でも剣姫はブレない。しかし、状況を把握していないわけではない。
「振り切れますか?」
「やってみます!」
そう答えるや否や、ナナシは指先が流線型の先端に触れようかというほど、前のめりに体重をかけ、砂を裂くものを一気に加速させる。
鳥のような速さで疾走する鈍色の流線型。
しかし、引き離すどころか黒い獣は、その左右を追い抜かんばかりのスピードで追いすがってくる。
必死で体を前へと倒しながら、眼の端で捉えた獣の姿は、薄闇に溶け込む様な真っ黒な体躯。しなやかな筋肉が浮かび上がるその身体はほとんど毛の生えていない猟犬種のように見える。
ハッハッと短い呼吸を繰り返す口元から、だらしなく垂れ下がった長い舌だけが赤く滑っていた。
「砂狼?」
砂漠で襲い掛かってくる犬型の化物といえば、誰もがまずそれを連想する。しかし、これほど巨大な体躯の砂狼など見たことがない。
ナナシの耳元で 風に靡く髪を手で押さえながら、剣姫は化物の正体を告げる。
「主様、あれは黒犬。煉獄の入口で、死者を捕食するというこの世ならざる化物です」
煉獄に住まう化物。それはつまり、ここにいるはずのない者達。
「ということは、これは唯の偶発的接敵では無いという事ですか?」
「ええ、私達がペリクレスにたどり着くことを妨害しようとしていると、考えた方が自然です」
剣姫が、その言葉を言い終わるかどうかというタイミングで、黒犬が飛びかかってくる気配を感じる。
ナナシは、急激にブレーキを掛けて速度を落とし、その黒犬の一撃を躱すことに成功したが、崩れたバランスを取り戻すために必死に体重移動を繰り返す。
牙を躱された黒犬達は後ろ足で砂を蹴って方向を転換。前方からナナシ達の方へと向かってくるのが見えた。しかし、黒犬達はそのままナナシ達を襲うことはせず、再びナナシ達の背後へと回る。
「くそっ、狩りをしているつもりですか!」
ナナシの口調が苛立ちを帯びる。
高速移動する砂を裂くものにとって、斜め後方からの攻撃は、ほぼ死角だといってもいい。
この化物どもはそれが分かっているのだ。
「主様、止まって迎え撃ちましょう」
ナナシにだって、その方が良いことはわかっている。しかし、追われている状況でただ止まるということ、それが難しい。
先程のような急制動ならばともかく、単純に速度を落とせば、恰好の標的となることは火を見るより明らかだ。
耳を澄ませば、左右から、タッタッという接地時間の短い、走る獣特有の足音が聞こえる。神経を集中して、それを追い続けている内に、右後ろの獣の足音が消えた。
来る!
右側から飛び掛かってくる一撃を左への体重移動で躱すと、つい先ほどまでナナシの首があった位置で噛みつき損ねた上下の牙がガチンと金属のような音を立てる。
よし、躱した!
しかし、ナナシがそう思った瞬間、左に躱したナナシ達を待っていたのは、もう一匹が振り上げた前足。
時間差攻撃! 避けられない。
そう判断したナナシは、クルリと身体を一回転させると、剣姫の身体を抱えて砂を裂くものの上から転げ落ちる。
高速で走る移動体からの落下。如何に柔らかい砂の上とは言っても、ダメージは小さくない。
二人は縺れる様にしてずいぶんと後方へと転がっていく。
そして、なんとか止まった時には、大の字に寝るナナシの上に剣姫が馬乗りになる様な体勢になっていた。
荒い呼吸を整えながら、ナナシが剣姫に問いかける。
「剣姫様、お怪我はありませんか?」
一瞬きょとんとした後、剣姫はナナシのその言葉に苦笑する。
「なんです?」
「いえ、主様、あの時と全く同じ言葉です。あれから、ずいぶん経つのに、まだ私に歩み寄って下さらないのだなと……」
あの時、それは砂洪水から剣姫がナナシに救われた時のことだ。
砂洪水から脱出する時、当に今と同じ様に、ナナシは剣姫を抱きかかえたまま砂の上へと転がり落ちたことがあった。
今度はナナシが苦笑する番であった。
「ゴメンね。マリス」
その言葉を聞いた瞬間、耳から湯気でも出るのではないかと思うほど、一気に剣姫の顔が紅潮する。
だって、名前で呼ぶとこうなりますから……。
誰がどう見てもイチャついている様にしか見えない二人ではあったが、別段、状況が変わったわけではない。
ナナシの目は、恥ずかしげに頬を押さえる剣姫の向こうに、無人の砂を裂くものを追っていった二頭の黒犬が、砂煙を上げて、こちらに戻ってくるのを捉えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お姉ちゃん、今日はやめときなよ、休んだ方がいいよ。ひどい顔してる」
ミリアは、横を並んで歩きながら、痛ましげに姉の顔を覗き込む。
「大丈夫だぴょん。ミオ様の苦しみに比べれば、こんなもの大したこと無いんだぴょん」
今、キリエの頭の上では、ウサミミがふよふよと揺れている。
そして、ウサミミだけではない。
キリエの今の恰好はというと、蝶ネクタイに燕尾のジャケット。長い脚は網タイツに包まれ、股間の切れ込みも際どい、ぴったりとしたボディースーツを着ている。
要はバニーガールである。
唯でさえツリ目がちな瞳、眼の下には色濃い隈、やつれた表情。
それはもう、鬼気迫る空気を纏う不穏なバニーガールであった。
元々多少アレではあるが、キリエの頭がおかしくなったわけではない。
ミオが牢獄に放りこまれてから既に3日、キリエは幾度もピピンのもとを訪ねては、ミオとの面談を嘆願している。
しかし、その願いが聞き入れられることは無く、その度に難癖を付けられては、ミオに酷い事をされたくなければと、ピピンによって強制的に面白おかしい属性を付与されていった結果がこのバニーガールである。
一言で言えば完全に遊ばれているわけだが、キリエとしてはどんな形であれ、ミオさえ救いだせば、それでよいのだ。
ミオ自身がそれを望んでいないことは分かっているが、ミオを奉じて皇国に反旗を翻す。キリエの単純な頭では、それのみがミオを処刑から救う唯一の方法なのだ。第一軍、第二軍を束ねるペネルも既に巻き込んである。
そしてもちろん、その時には、ピピン以下このサラトガに入り込んだバカどもを細切れにしてやるつもりである。
ミリアは姉の様子を伺って溜息をつくと、再び姉に向かって口を開く。
「お姉ちゃん、今日はやめときなよ、休んだ方がいいよ。ひどい恰好してる」
いやそれは休んでも変わらんだろう。どうやったってバニーだもの。
「とにかく、もう一度ピピン殿に頼んでみるぴょん」
そう言ってキリエは、ふらふらと貴賓室の方へと歩いて行く。
途中、すれ違った文官がキリエを見るなり、ビクッと身体を硬直させた。
「お姉ちゃんはホントに……もう……」
不器用で一途な姉の背を見送りながら、ミリアは小さな溜息をつく。
その瞬間、誰かが背後からミリアを羽交い絞めにして、その口を押えた。
ミリアは驚き、混乱のあまり声をあげようとするが、その瞬間、首筋にチクリと痛みが走り、そのままミリアの意識は遠のいて行く。
キリエが、角の曲がり際にミリアの方を振り返った時には、既に妹の姿はそこには無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まぁた来たの、アンタ……もういい加減にしてよね」
ノックして扉を開けたキリエにぶつけられたのは、ピピンの呆れ声であった。
「何回来たってダメなものはダメ! ダーメ―なーの!」
キリエが何かを言うより前に、ピピンは畳み掛ける。
貴賓室のソファーに寝そべるように腰かけるピピン。その背後には5名の白い鎧を着た重騎士が控え、ピピンの正面には、観賞用にと徴用された黒筋肉二名がオブジェの様にポーズを取っている。
キリエは、何かを言うよりまず、無言で跪き、頭を地面にこすり付ける。
「お願いしますぴょん。ミオ様を…ミオ様をせめて治療だけでもさせてほしいぴょん」
「しつこいわねぇ、どーせ首都についたら死刑になんのよ、あの団子娘は」
さて、次はどんな面白おかしい恰好をさせてやろうかと内心ほくそ笑みながら、ピピンは呆れたように肩を竦める。
その時、貴賓室のドアをけたたましくノックする音が響き、ずいぶん慌てた様子で、兵士が一人、部屋の中へと飛び込んできた。
「ご報告申し上げます! 機動城砦ローダより魔導通信。当城砦は、現在、貴城砦の4ファルサング北東にあり。代官殿にご挨拶申し上げたく、接舷の許可を請う。とのことでございます」
「まあまあ、ローダ伯と言えばダンディで有名なお方。丁重に! そして迅速に! 許可を出して」
浮かれる様子のピピンを見ながら、キリエは不審に思った。
今はミオ様の裁判のために全機動城砦に首都への召集がかかっているはず、なのにたかが代官への挨拶のために真逆の方へと移動してくるはずがない、と。
「ピピン様、もう少し慎重になさられた方が良いぴょん」
「馬鹿じゃないの。アタシは首都からの正使よん。危害を加えられるわけなんてないじゃないの」
忠告するキリエを蔑むように見下ろしてピピンは言い放つ。
「し、しかし、万が一ということがあるぴょん。せめて民間人を避難フロアに収容させてほしいぴょん」
キリエが必死になればなるほど、ピピンはそれを呆れた様な表情で見下した。
「これだから、臆病な連中はやーね。良いこと、あなた達臆病なサラトガ兵はローダ伯がお帰りになるまで、目につかないところにすっこんでなさい。お出迎えは私と皇家直属の兵達で対応するから」
そう言うとピピンは、既にキリエの存在など忘れてしまったかの様に、鼻歌まじりに貴賓室から出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サラトガから、付かずはなれずの距離を保ちながら、ゲルギオスは砂漠を走っている。
オアシスから移動し始めて、既に3日、ゲルギオスの兵達はいつサラトガへ向けて出兵がはじまるのかとやきもきしている。
それは、ゲルギオスの歓楽街の一角にある宿屋、その一室にいる人物たちにとっても同様であった。
「きょ、今日あたり、サラトガに攻撃、んは、はじまるかなぁ」
「さあな、わからねえが、戦闘が始ったら、とにかく俺とヘイザでサラトガへ突入する。で、マリーはハヅキを守って俺達が帰ってくるまで、この部屋でじっとしてろ」
マリーが珍しく真剣な表情をキスクに向けて尋ねる。
「旦那様、戦火がゲルギオス側に広がることはあるんでしょうか?」
「いや、恐らくサラトガが戦場になるだろうから、こちらはたぶん大丈夫だと思うが、どうした怖いのか?」
戦火に巻き込まれないかと怯えているのか? カワイイところもあるじゃねえか。キスクがそう思った次の瞬間、マリーは言った。
「いえ、こっちまで戦場になったらいいなと。こう、火事場泥棒的に……」
マリーはゲス乙女。
火の手が上がれば、レッツ、ボーナスチャンス!




