第50話 いえ、ボクは大賛成ですけど?
結論から言うと「嘘つきマリー」は本当に嘘つきだった。
しかもゲスい。
人間として、間違いなくクズの範疇に含まれる。
キスクはあらためて思う。
あそこで銀貨4枚も出した、過去の自分をぶん殴ってやりたい。
高貴な身分の女性が奴隷に落とされて……なーんていう展開を一瞬たりとも想像した自分が馬鹿だった、と。
思い出してみれば、最初の会話からして、おかしかったのだ。
傷だらけの身体を力なくヘイザに預けたまま、マリーはキスクが奴隷商に銀貨4枚を支払うところを見ていた。
自分が金で買われるところなど、見ていて気分の良いものではないだろう。そう思いながらマリーの方へと目をやると、マリーはじっとキスクの様子を窺っている。
どんな人間ともわからない男二人に買われていくのだ。不安に思うのも当然だ。キスクは、緊張を和らげてやろうと出来るだけ優しい表情を作って、マリーに話しかけた。
「一人で歩けるか?」
しかし、マリーはその問いかけを、さらりと流して、こう問い返した。
「旦那様はお金持ちなんですね」
「いいや、この4枚が虎の子さ。もうそれほど、持ち合わせはねえよ」
キスクが正直にそう答えた途端、マリーは明らかにテンションを下げた。
さらには舌打ちまで聞こえたような気もしたが、まさかそんなわけがあるまいとキスクは、自分の耳の方を疑った。
この時点ではまだ、キスクはマリーのことを、か弱く可憐な少女だと思い込んでいたのだ。しかし、今、目の前にある光景はというと……。
「ハヅキ様、喉が渇いてるみたいだわ。飲物持って来てくださらないかしら、ついでに私のも」
「わ、わかった」
「ハヅキ様、何が飲みたい?」
「うー?」
「わかった。ハヅキ様は、たぶん蜜柑水が飲みたい気分なんだと思うわ」
「う、うん、か、買ってくる」
ベッドの上に、まるで主の様に座って、膝の上に載せたハヅキの頭を撫でながら、ヘイザを顎で使うマリーの姿があった。
たった一晩でこの変貌……いくらなんでも、正体表すの早すぎだろう。
キスクは、今、この女を本気で奴隷商へと返品することを考えていた。
しかし、それを未だに実行に踏み切っていないのはマリーへの憐憫の情などではない。あれだけ騒ぎを起こしておきながら、「やっぱりコイツいらない」とは、流石に言い難いのだ。
マリーがしおらしかったのは、宿の部屋に着くまでだった。
宿に着いた途端、身体が痛いと訴えて、ベッドで寝ていたハヅキを脇へと追いやると、そのまま一つしかないベッドの大部分を占拠。
そして、気だるそうに寝ころびながら、キスクとヘイザの自己紹介をつまらなさそうに聞き流して生返事。出自を尋ねれば、昨晩はストラスブル伯家の落胤で、今朝は磁器の国のお姫様と来たものだ。どうみてもエスカリス・ミーミル人なのにだ。
辻褄をあわせる気もさらさら無い様で、高貴な女の転落物語を昨日の晩と今朝で2パターン聞かされたのである。まあ、あと何パターンあるのかは、気にはなる。
今朝だって、飯を食えば、目を離した隙にハヅキのおかずをしれっと奪い、使いに行かせれば、釣銭をちょろまかす。
キスクが叱ろうとしたならば、適当な嘘を並べたて、もう誤魔化し切れないと悟るや否や、ヘイザの背中に隠れて泣き落とす。
「ま、まあまあ、お、おんなの、子のややや、やることだから」
ヘイザのこの台詞も午前中だけで3度目だ。あまりのチョロさに不憫にすらなる。
この男は未だに、女の子は『何か素敵なものとスパイス』で出来ていると思っているくちに違いない。
将来、悪い女に騙されない様に俺が何とかしないと、とキスクの胸の内に、謎の庇護欲求が湧き上がる。
まあ、現在進行形でマリーに騙されまくっているわけだが……。
もしかしたら、夜にもゲルギオスがサラトガを襲撃するかもしれないと、慌ててハヅキの面倒を看させるための奴隷を買いに行ったわけだが、とんでもないヤツを掴まされて、しかも結局、昨晩はゲルギオスが動くことは無かった。
「か、買ってきた……よ」
両手にコップを持ち、身体でドアを押し開ける様にして、ヘイザが部屋へと戻ってきた。
「ヘイザ様、今、手が離せませんの。テーブルの上に置いといてくださらない」
「う、うん」
そう言いながら、マリーは今、ベッドの上で、ハヅキの髪を梳かしている。その表情は母親の様にやさしい。まあ、演技だろうが……。
しかし、気持ちよさそうにしているハヅキの様子を、両手にコップを掴んだまま、これまた嬉しそうな表情で見ているヘイザがいた。
この一瞬を切り取れば、しばらく見なかった平和な風景ではある。
「しかたねえ、もう少し様子をみるか……」
一応、ハヅキの面倒は見ているみたいだしな……。
そう自分に言い訳しながら、キスクはもうしばらく返品は待ってやることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それでは軍議をはじめるのじゃ」
ミオの執務室の長テーブル。そこに座る顔ぶれは少し前と比べると随分と様変わりしている。
ボズムス、シュメルヴィ、メシュメンディ、キルトハイム、グスターボ。彼らはすでにここには居ない。
ぐるりと見回しても、ナナシが最初にこの部屋に連れて来られて時にいた顔ぶれで残っているのは、ミオとキリエの二人だけだ。
今、最上席に座るミオの左隣にはキリエ。その隣には特務部隊の隊長に就任したアージュが座り、更にその隣ではニーノが足をぷらぷらと振って、楽しげに身体を揺すっている。
そこから更に、第二部隊の副官ペネル、魔術師隊副官のセファルと続き、ミオと向かい合わせとなる下座には、家政婦のミリアが目を伏せて静かに座っていた。
一方、ミオの右隣はというと、ナナシを間に挟むようにして『銀嶺の剣姫』マスマリシスと『紅蓮の剣姫』ヘルトルードが座っている。
昨晩、盛大にやらかした銀嶺の剣姫も、その後のナナシの全力のフォローの甲斐あって、今は何事も無かったかの様に、これまでどうり皆の憧れの剣姫様らしい、凛とした雰囲気を漂わせている。
そんな一同をゆっくりと見回した後、ミオは重々しく口を開いた。
「サラトガに残ってくれたお主達には、感謝する以外の言葉が見当たらぬ」
ミオが深々と頭を下げ、職業軍人然としたペネルが慌てて、腰を浮かしておやめ下さいと声をあげる。
「サラトガを取り巻く状況は決して良くはない。しかし、サラトガを救う目が潰えた訳ではないのじゃ。お主らの力を貸してほしい。
しかし矛盾するように聞こえるかもしれんが、サラトガを救うための策、その全容はここでは言えぬ。お主らのことを信じてはおるが、ボズムスの例もあるのでな。じゃから必要なことは都度、指示を出す。
明日以降は、娼は身動きが取れなくなる、指示はミリアを通して行うことになるので、そのつもりで居ってくれ」
ミオのその言葉に皆が一様に頷く。
「明日、代官殿の着任を待って、サラトガはストラスブルを曳航しつつ首都へと進発する。ペネル、城壁の修繕の状況はどうじゃ?」
「ハッ! 現在、6割ほどの進捗ではありますが、戦闘ならばともかく移動には問題ないところまではきております」
「うむ、ごくろう。引き続きよろしく頼む。それとペネルよ、暫定ではあるが、第一軍、第二軍を統合して、そちが面倒を看てやってくれ」
「ハッ! ありがたき幸せ!」
「一応、娼は自主的に首都に出頭することになっておる。つまり、これを攻撃して妨害することは皇家への反逆という扱いになるわけじゃから、攻撃を受けることはまず有りえないが、念のためじゃ、いつでも動ける様にしておいてくれ」
「ハッ!」
まず有りえない。ミオが今、そう口にしたことが、起ころうとしていることに、この場にいるものは誰も気が付いてはいない。
北東からは機動城砦ローダが真っ直ぐにサラトガへと向かっており、南東からは、ゲルギオスが虎視眈々とサラトガへ襲い掛かるタイミングを見計らっていることを。
「それと、そこの紅いの」
「紅いのって……感じ悪いな自分」
ミオのぞんざいな物言いに、ヘルトルードが少しムッとする。
「まあ、そう言うな。よく考えれば、そちの名をちゃんと聞いておらんかったでな。とりあえず、そちの剣を返却しておくのじゃ」
「ああ、それは助かるわ。やっぱりそれが無いと落ち着かへんかってん」
キリエが立ち上がって、ヘルトルードへ彼女の愛剣『紅蓮』を引き渡すと、ヘルトルードはすりすりとその鞘に愛しそうに頬ずりしはじめる。
「あとは……ナナシ」
「はい」
「お主には、機動城砦ペリクレスへと向かってもらいたい」
「ペリクレスですか?」
「そうじゃ、おそらく敵が次に狙ってくるのはペリクレス伯。それを阻止するのがお主に与える使命じゃ」
「わかりました」
ミオがナナシにペリクレスに行けと言った途端、剣姫の表情が一瞬にして凍り付く。またナナシに置いて行かれる、そう思ったのだ。
剣姫のその表情にミオは苦笑する。
「セルディス卿」
「……なんでしょう」
剣姫の声のトーンは異常に低い。
「お主には、ナナシの護衛を依頼したい」
その言葉を聞いた途端、先程までの表情から一変。剣姫の表情が、ぱああと明るいものへと変わっていく。
ミオは、剣姫の背後に花が咲き乱れていく幻影を見た。
ついでに言うと、その上で踊り狂う妖精の姿まで見えた様な気がする。
「ミオ殿、一応確認しておきますが、それは私と主様二人でペリクレスに向かって旅をするという意味でよろしいですよ……ね?」
「ああ、二人きりじゃ」
その瞬間、剣姫の顔が一気に紅潮する。
「ふ、ふ、ふたりきり。ふ、ふふっ。ふふふふふ」
「「「異議あり!」」」
舞い上がる剣姫をよそに、三方から一斉に抗議の声が上がった。
「ミオ様! ナナシと同行するというのであれば、既に砂を裂くものでゲルギオスまでの往復を経験している、このアージュが適任です!」
「銀嶺のんが行くんやったら、ウチかて行くで!」
「弟の面倒をみるのは姉の特権です! みんなお姉ちゃんを蔑ろにしすぎなんです!」
アージュ、ヘルトルード、キリエの三人である。
しかし、ミオはこの状況は予想してたとばかりに、慌てる様子もみせず3人に向かって言い放つ。
「アージュは隊長に就任したばっかりじゃろうが、まずは、自分の部隊をどうにかせよ。それと赤いの。セルディス卿にお主までつけてしまったら、はっきり言って戦力の過剰投下じゃ。そんなアホなことできるわけないじゃろうが。キリエは……なんか、もういいや」
「ミオ様?!」
愕然とするキリエ、それをみながら如何にもめんどくさそうにミオは口を開く
「娼は最近ちょっと疑っておる。お主は『お姉ちゃん』って言いたいだけなんじゃないかと」
「いや、ミオ様、そこはあきらめちゃダメです!」
論点がズレていくキリエ、それをわき目で見ながらヘルトルードが主張する。
「戦力の過剰投下やっていうねんやったら、銀嶺のんに留守番させて、ウチが付いていくいうのは…………」
そこまで言った瞬間、銀嶺の剣姫が、とてもお見せできないほど凶悪な表情で、ヘルトルードを凝視しているのが見えた。
「……あかんよねー。そりゃそうやねーあかん、あかん」
ヘルトルードだって命は惜しい。たぶん連続殺人者だってあそこまでの顔はしないと思う。
「そう言えば、隊長の妹君。あなたも当然、反対なんでしょう?」
ミオの発言の時点で、既にぐうの音も出ないアージュがなんとか糸口を見つけようと、さっきから話に入ってきていない家政婦へと呼びかける。敵の敵は味方ということだ。
しかし、ミリアの発言は全く予想外であった。
「いえ、ボクは大賛成ですけど?」
「ええっ!!」
声を出したのは、アージュではなく剣姫。その様子は驚愕という表現が相応しい。
「何です? その反応は」
ミリアが、自分以上にナナシに執着していることを知っている剣姫としては、この状況に陰謀の臭いを感じずにはいられない。
ナナシと剣姫の間を裂くような策謀を、この智謀の家政婦が巡らせているのではないか剣姫はそう疑った。
それは、作戦上、ナナシと剣姫を送り出さねばならないという状況にあって、少しでもナナシと剣姫の親密さが増すことを、妨害するためのミリアの小さな抵抗であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の午後、少年と少女を乗せて、鈍色の流線型がサラトガを飛び出した。そしてそれは、一直線に東を目指して走り去っていく。
「あーあ、ええなぁ。婚前旅行やん、あんなん」
城壁の上で肘をついて、ヘルトルードはいかにも羨ましげに言う。
「バカなことを言うな。我が弟はミオ様からの崇高な使命を与えられているのだぞ。ミリアが文句も言わずに行かせるぐらいだ。これは絶対に必要なことなのだ」
「必要とかはどうでもええねん。意識しあってる男女がずっとしがみついて移動しとんねんで、間違いが起これへんわけないやん。ウチやったら、サラトガから見えへんようになった途端、なんか過ちる自信あるわ」
「過ちるって……」
「我が弟を凡百の男どもと一緒にするんじゃない。そうだ、アージュお前も往復で2週間も我が弟と一緒に旅をしたのだったな。それでも何も無かったはずだ。そうだろう?」
キリエに突然、問いかけられて、アージュは硬直する。
アージュの脳裏に描き出されたのは、ゲルギオスの下層フロアでの出来事。思い出した瞬間に耳から湯気が出そうなほどに顔が熱くなる。
「……アージュ? おい、なにか言え」
アージュは無言で逃亡した。




