第49話 嘘つきマリー
天幕の支柱に縛り付けられて、少女はぐったりとしている。
多少乱れてはいるが、絹糸のような黒髪。一筆ですっと線を引いたかのような整った鼻梁。閉じられた瞼の下からのびる睫毛は長く、少女は上品な面立ちをしている。
しかし粗末な貫頭衣で覆われたやせ細った身体には、無数の痣が、縫製の荒い布地の隙間から見え隠れし、顔には傷一つ付いていないことと相まって、皮肉にも彼女が商品であることを明確に表していた。
奴隷商の男が少女の後頭部の髪を乱暴につかんで、頭を引き起こすと血交じりの唾が喉へとつまり、少女は、けほけほと弱弱しくむせる。
「この不良品が! 今日中に喉を焼いてやる」
奴隷商の男のその言葉に、少女の口から小さく嗚咽が洩れ、次第に大粒の涙として地面を濡らしていく。
罰として少女の首から下げられた、木片のプレートにはこう書いてあった。
『嘘つきマリー』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お、お、おおおおおお」
「落ち着け」
キスクが部屋に戻った途端、「お」を連呼するヘイザ。
別に雄叫びを上げているわけではない。
ただ、どもっただけ、おかえりの「か」までたどり着けなかっただけだ。
ここは、ゲルギオスの盛り場の隅にある宿屋の一室。奇しくもつい先日までナナシ達が滞在していた部屋に他ならない。
部屋を取った後、ファナサードの面倒を看るというヘイザを残して、キスクは情報を集めるために町へと出ていた。
「お、お、お帰りなさい。どうだ、った」
剣帯から剣を外しながら、キスクは肩を竦める。
「どうしたも、こうしたもあるかよ。お前の幼馴染、えーと、ナナシだっけか、何やらかしたんだよ」
「ナナシが、ど、どうかした?」
「賞金首。それもすんげえ金額懸かってるらしいぞ」
その言葉に驚いて、ヘイザは詰め寄るようにして身を乗り出す。
「な、なんで?」
「だから、こっちがそれを聞いてんだって! そのナナシってやつを匿ってるって理由で、もうすぐサラトガを攻撃するらしい。町中その噂で持ちきりだったぞ」
「な、ナナシはやっぱりサラトガにいるんだ……」
「みたいだな。ゲルギオスがサラトガを襲うタイミングで、俺らももう一回あそこに踏み込むしかねえ」
「い、いつ?」
「さあ、それはわからねえが、この距離だ。今晩にだって襲撃は可能だろう。となるとだな……俺らがサラトガに踏み込んでる間、アレの面倒を見る人間をとっとと都合しなきゃなんねえな」
そう言って、ベッドの上で小さな寝息を立てているファナサードに目をやる。
一度髪を纏めていたネットを外してしまうと、キスク達にはそれを再び、もとに戻す方法がわからず、今はベッドの上には金色の巨大なモップが横たわっているように見えた。
「とりあえず、奴隷市場を覘いてみるか」
「ぼ、僕も、い、行きます。お、女のひ、人についてはき、キスクさんに任せておくのは、し、心配なので」
「はっきり言ってくれるぜ……。あのガキ女は置いてっても大丈夫なのか?」
「は、ハヅキは良く寝てるか、から大丈夫」
「ハヅキ?」
「ほ、本当の名前がわかるまでは『ハヅキ』って呼ぶことにしたんだ。さ、砂漠のた、民でつ、次に生まれてくる女の子につ、つけられる名前」
「ふーん、まあいいけどよ。とりあえず、お前が砂漠の民だってことも隠した方が良いだろうな、フードすっぽり被っとけよ」
「わ、わかった」
二人が宿を出ると、傾いた陽が地面に、黒とオレンジのくっきりとした陰翳を描いている。すでに夕刻。急がなければ、市場も閉まってしまうだろう。
二人は足早に盛り場を通り抜け、テントが数多く張られた広場へと向かった。
たどり着くと、既にいくつもの店が幟を降ろして店じまいの準備を始めている。いくつかの店を物色した末に、ヘイザは、派手派手しい垂れ幕の架かった天幕を指さして、ここでさがそうと言った。
垂れ幕にはこう書かれている。
『長く使える年少の奴隷なら、ククアーロの店へ』
キスクは不満げに顔を顰める。
「ガキ専門の店ぇ。マジかよ」
「き、キスクさんの、こここ好みじゃない方が良いで、ですから」
そう言いながらテントをめくり上げて中へと入ると、店主らしい男が揉み手をしながら近寄ってきた。
「おう、もう店じまいか?」
「いいえ、大丈夫ですよ、どんな奴隷をお探しですか?」
「ちょっと、子守をさせようと思っているんだが……」
キスクが店主とやりとりしている間に、ヘイザの目は店主の向こう側に釘付けになっていた。
そこには、天幕の支柱に縛り付けられた少女が小さく嗚咽を洩らしている。
ヘイザの視線に気づくと店主が奥の方へと「おい、とっとと、そいつの処置しちまえよ」と声をかけ、大柄の男が現れると少女の縄を解いて、乱暴に肩に担ぐ。
ヘイザたちの前を横切って天幕の奥へと入っていく時、すれ違い様に少女は「助けて」と呟いた。
キスクの足元に少女が首から提げていたプレートが落ちる。
「嘘つきマリー?」
「ああ、兄さんそいつはね。折角売れたのに、一日で返品されてきた不良品でさあ。何にも出来ねえくせに、自分は皇家に連なる人間だとか、ヤベエ嘘ばっかり並べるもんでね。このまんまじゃ売りもんにならねえから、これから喉焼いちまおうと思ってるんですよ。売値は下がっちまうが、売れねえよりはマシですからね」
喉を焼く。その言葉を聞いた瞬間にヘイザは、我を忘れてテントの奥へと飛び込んだ。
「やべぇ!」
一瞬の出来事だったがキスクには何が起こったのか分かった。
あの団長の倅だ。目の前で弱い者が傷つけられようとしているならば、当然助けようとするに違いないのだ。
ヘイザが天幕の奥に転がりこんだ時には、木製の台に縛り付けられた少女は口に漏斗のようなものを突っ込まれて、今にも、真赤に灼熱した鉛を流し込まれようとしているところだった。
ヘイザの視界が怒りの余り、真っ赤に染まる。
次の瞬間、勇躍。ヘイザは男へ向かって飛び掛ると空中で踊り子のように身体を回転させて、体重をのせた蹴りを放った。
突然のことに男は、あっけに取られるような表情を浮かべたまま、首筋を蹴りつけられ、テント生地を突き破って外へと転がり出る。
男が手に持っていた鉄の柄杓は地面に転がり落ち、ぶちまけられた中身は、少女が横たわる台のすぐ横でジュッ!という音とともに激しく湯気を噴き上げて、一瞬にして部屋中に焦げ臭い空気を蔓延させた。
ヘイザは、小太り気味の体型と、どもりのせいで大人しく素直、悪く言えば気の弱い奴、そう見られがちではあるが、実は、キレた時の手の付けられなさで砂漠の民の間では『猪』と呼ばれていた。
遅れて、キスクとともに天幕を跳ね上げて入ってきた店主が、懐からナイフを引き抜きながら、ヘイザに詰め寄る。
「オマエ! こんなことをしてタダで済むと思ってんのか!」
ヘイザはボサボサの髪の間から睨み付けながら、店主に向かって構えをとる。悪びれる様子はこれっぽっちもない。
一触即発の空気。しかしそれを破ったのは、店主でも、ヘイザでもなかった。
「いくらだ?」
キスクが、二人の間に身体を入れながら、店主に尋ねたのだ。
「なんだと?」
「そのガキは幾らだって聞いてんだよ」
店主は警戒しながら、吐き捨てる様に答える。
「銀貨3枚」
「そりゃ高い」
キスクは肩を竦める。
平均的な奴隷の倍以上の値段だ。ましてや、ついさっき不良品だと言っていた奴隷だというのに。
キスクは、ヘイザをちらりと見て、
「じゃあ、迷惑料こみで銀貨4枚出そう。まあ、在庫処分が出来て良かったぐらいに思ってもらえないか?」
と溜息混じりに言った後、呆気にとられるヘイザの頭をがつんと殴った。
売れ残りの不良在庫が3倍以上の値段で売れるのだ。テントの修繕費をいれても大儲けだといえる。
店主は、にやけるのを抑えられないと言った様子ではあったが、キスクへと向き直り、偉そうな口調でこう言った。
「まあ、貰えるもんもらえりゃ、文句はねえさ」
店主に向かって頷くと、キスクは、漏斗を咥えたまま、唖然とした表情の少女に向かい、冗談めかしてこう言った。
「おめえは高けえ女だな。嘘つきマリー」
 




