第48話 これでアンタの王様ルートは確定やで。
ナナシは緊張した面持ちで、扉の前に立っている。
今日こそ真剣に剣姫様と話をするんだ。そう心の中で繰り返しながら、扉をノックする直前で硬直したまま、既に数分が経過している。
本来、ここはナナシに割り当てられた部屋なのだが、まさか自分の部屋に入るのにこんなに緊張する羽目になろうとは。
深く息を吸って、ゆっくりと吐く。
ついに意を決して、ナナシがノックしようとしたその時、扉がガチャリと音を立てて開き、剣姫と一緒にいた紅い髪の少女が扉の隙間から顔を覗かせる。
びくりとして固まったままのナナシと目が合うと、少女は部屋の中へと振り返り、大きな声で呼びかけた。
「おーい! 銀嶺のー! オマエんとこの主はんのお帰りやでえー」
「えっ! ちょっと、そ、いきなり、えっ!キャー!」
扉の奥から剣姫の慌てる様な声とともに、どんがらがっしゃんと何かが派手に倒れる音がした。
「あちゃー……」
嘆息するようなつぶやきとともに、少女は掌で顔を覆う。
「だ、大丈夫でしょうか?」
「うん、まあ、大丈夫やろうけど、ごめんやで主はん、もう半刻ほど、どっかで時間つぶしてきてくれへんか?」
「わ、わかりました」
紅い髪の少女に手を振って見送られながら、ナナシは幹部フロアから離れて、行くあてもなくぶらつきはじめる。そして、少し頭を冷やそうと思い立って、中庭に出ることにした。
中庭につくと、ほんの少しだけ欠けた月を水面に浮べている池へと手を差し入れ、その水でばしゃばしゃと顔を洗う。
うん、少し落ち着いた様な気がする。
そして、池のそばに設置されたベンチに腰かけると、空を見上げて呟いた。
「今日こそ、ちゃんと話をしないと……」
主従関係どころか、自分の与り知らないところで、婚約関係にまで発展してしまった剣姫と自分の関係について、ナナシはもう剣姫を拒絶するつもりはなかった。
しかし、今は時間がほしい。
ミオと、サラトガの命脈が尽きようとしているのだ。
同時に剣姫には自分のことをちゃんと知ってもらって、その上で判断してもらいたいという気持ちもある。それで離れていくならば仕方がない。ナナシはそう思っていた。
昨晩は、ナナシは剣姫のいる部屋には戻っていない。
ニーノも一緒だったので、ミオに頼んで空き部屋を都合してもらったということもあるが、実際は剣姫と向き合うことから逃げたのだと、今のナナシは自覚している。
ナナシの表情が無意識の内に苦いものになった
。
そこへ突然、背後からナナシに向かって、大声で呼びかける者があった。
「貴様! こんなところで何をしている!」
振り向くと衛兵がひとり、こちらに向かって歩いてくるのが見える。
「いや、あの少し散歩をしていただけなんですが……」
「怪しいヤツだな」
剣姫を救った人間として、ナナシのことはサラトガ兵の間でも少しは話題に昇ったのだろうが、皆がナナシのことを知っているわけではない。
ナナシは出来るだけ刺激しない様に、笑顔をつくりながら対応する。幸いにも、辺りは薄暗く、恐らく相手にはナナシの瞳の色はわからないだろう。
「一応、ミオ様に城内を自由に歩いても良いと御許可いただいていますから」
「サラトガ伯様に? そうか、それはすまなかった」
あまりにもあっさり引き下がる衛兵に、若干の違和感を感じたが、騒ぎになるよりはずっといい。
実はミオのことをサラトガ伯様などという呼び方をする人間は城内にはいないのだが、ナナシはそれには気付かなかった。
「ところで軍師様はどちらにいらっしゃるか、知らないか?」
「ミリアさんですか?」
衛兵は一瞬目を細める。
「そうだミリア様だ」
様?
「たぶん、部屋じゃないかと思うんですけど、呼んできましょうか?」
「呼ぶ? いや、警護を命じられてるんでな。私の方から幹部フロアへお伺いする」
そう言うと衛兵は足早に中庭を出て行った。
「ミリアさん、正式に軍師の役職についたのかな……」
衛兵のあの様子からすると、たぶんそうなのだろうと、ナナシは深く考えなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
半刻が過ぎ、再び幹部フロアへと訪れると、剣姫達がいる部屋の前には、例の紅い髪の少女が立っていて、ナナシの姿を見つけるとすぐに、部屋の中へと声を掛けるのが見えた。
「おーい、主はん来はったでー」
再び、部屋の中からは、ドタドタという足音が響いた後、ビタンと地面に何かを叩きつける様な音がした。
「あちゃー」
ドアの隙間から部屋の中を覗きこんでいた紅い髪の少女が再び、掌で顔を覆い、そして、歩みよってくるナナシに掌を向けて制止を促す。
「主はん、ストップ! ストップや。ウチがええ言うまで、そこから動いたらアカンで」
「は、はあ」
ナナシの気の抜けた返事に頷くと少女は部屋の中へと入っていった。
手持無沙汰にその場に立っているとナナシの耳には想像以上にはっきりと、剣姫と紅い髪の少女の会話が聞こえてくる。
サラトガ……意外と壁薄いんだな。
「ホンマ自分何してんねん。ほら、また血ぃでてるがな」
「ううっ、ぐす、ふえぇぇ」
「泣きいな、ほら…上向いて首の後ろ叩いとくんやで」
「うん、ごべんでぇ」
「ええから。ウチが、ちょっと時間稼いでくるよってに」
しばらくすると、ちょっと引き攣った笑顔を浮かべて、紅い髪の少女が出て来た。
「主はん、もうちょっと待ってな」
そして思いついたとでも言う風に、ぱんと一つ手を叩く。
「せや! 暇つぶしにウチとお話ししようやないの」
「はあ」
「自己紹介がまだやったな、ウチはヘルトルードいうねん。紅蓮の剣姫っちゅう呼ばれ方しとるけど、主はんやったら『ヘル』言うて、呼んでくれてもかまへんで」
「は、はい。僕はナナシと言います。あの一つ聞いて良いですか?」
紅蓮の剣姫と聞いて、ナナシは一つ思い出したことがあった。
「お、イキナリやな。3サイズは非公表やで」
「最初の質問でそれを聞いたら、僕はたぶんド変態ですね」
こういう軽口には、キリエやシュメルヴィの相手をしているうちに、ナナシは、ずいぶんと慣れた。
「ド変態ちゃうんか?」
「違います!!」
しかし、2つめのボケを被せて来られると、まださらりと流せるレベルには至ってはいなかった。
ナナシはコホンと小さく咳払いをして、ヘルトルードへと質問を投げかける。
「僕と一緒にいた赤毛の子、ニーノっていうんですが、あの子を売り飛ばしたのはアナタですか?」
自分でも意識しない内に、ナナシの目つきが鋭くなる。しかし、
「ちゃうで」
と、ヘルトルードは、さらっと否定した。
「ウチ、子供は苦手やさかいな。出来るだけ近寄らんようにしとるんや。多分他の剣姫やろな」
「他のって、そんなに何人もいるんですか?」
「霊剣手に入れて、名乗ったもん勝ちみたいなとこあるからなぁ。実力に見合ってるんはそんなにおれへんけどな」
「霊剣?」
「せや、ウチの『紅蓮』とかあいつの『銀嶺』とかやな。剣姫言うても霊剣なかったらわりと唯の人なんやで。あと、ウチが知ってる剣姫言うたら、漆黒のんと真紅のんぐらいやな。真紅のんは、赤同士で紛らわしいからやめろ言うてんねんけどな、そしたらあのボケ、ウチの方が元祖赤の剣姫やいいよんねん。ホンマ腹立つやろ」
「はあ」
まさか剣姫にも元祖や本家と言った争いが存在しようとは……。
ナナシはあらためて、世の中は驚きに満ちている。そう思った。
ヘルトルードはナナシの困惑を顧みることもなく、あらためて、ドアの隙間から中の様子を確認して頷いた。
「うん、準備できたみたいやな。ほな主はん。どーぞ」
そう言って開かれた扉の中を覗いて、ナナシは、
「……うわぁ」
ドン引きした。
ミオから、剣姫がナナシからの求婚に浮かれているとは聞かされてはいたが、まさかここまでとは思っていなかったのだ。
敵兵を追っている時に、大規模な伏兵に襲われた時の感覚がきっとこういう感じなのだろう。
部屋の中を見回すと、まず目に付くのが、『祝婚約! おかえりなさい、主様!』と丸みがかった文字で書かれた横断幕。
そしてそれを中心に、カラフルな紙テープで派手派手しく飾り付けられた室内。
ゲルギオスに出発する前には無かったテーブルセットには料理とお酒がセットされていて、その上には、大きな『くすだま』がぶら下がっている。
まさかくすだまのあの紐を牽かされるのだろうか? 僕が?
そして、ナナシを最も絶望の淵へと追いやったのは、ベッドの向こうのスペースにちらりとのぞくベビーベッドの存在である。
今や、ナナシは最上級の重力魔法にかけられているかのような、これまで感じたことの無い重さを感じていた。そして、そんなナナシの様子を伺いながら、ヘルトルードは「ウチ、一応止めたんやで」と明後日の方向へと視線を泳がせた。
しかし、ナナシの絶望はこれで終わらなかった。
それは、そんな光景を背景にして、三つ指をついて額を地面につけた剣姫の存在。
「おかえりなさいませ! 私の主様」
そういって顔を上げて微笑んだ剣姫の右の鼻には赤く染まったティッシュが詰まっていた。
想定外だったのだろう、慌てるヘルトルード。
思わず噴き出しそうになって、顔を背けるナナシ。
気付いていない剣姫。
ナナシが顔を背けるのを見て、剣姫が不安そうな顔でナナシの顔を覗き込む。
「お気に召しませんでしたか?」
剣姫のその言葉も意識の上を上滑りするほどに、ナナシの目は鼻ティッシュに釘付けである。
「い、いえ、そ、そんなことは」
「ならば、ちゃんと私のことを見てください」
そう言うと、剣姫はナナシの頭を両手ではさみこみ、自分の顔と向き合わせる。
そして小さく首を振りながら言った。
「私、怒っています。私を置いて一人で出て行ってしまうなんて」
首を振る度に鼻ティッシュの先が、ふるふると風にそよいで揺れる。
「ふぐっ」
ナナシは思わず吹き出しそうになって、再び口元を抑える。
「どうかなさいましたか?」
ナナシのその反応に剣姫は不思議そうな顔をする。
しかし、がっしりと頭を挟み込まれてしまっては、ナナシは顔を背けたくとも背けられず、ただプルプルとふるえるばかりで答えることなど出来はしない。
「主様! 私は真剣なんです。ふざけないで聞いてください!」
そう言って剣姫は少し頬を膨らませて、さらにずいっと顔を近づける
ふざけてるのはオマエだああぁぁぁぁぁぁあ!
もちろん、口には出せないが、ナナシ、心の叫びであった。
そして……
「もう!」
剣姫が憤慨するようにそう言った瞬間、すぽんとティッシュが鼻から抜け、ぱさっと小さな音を立てて、地面に転がった。
その瞬間、時が止まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ナナシとヘルトルードは今、幹部フロアの廊下にいる。
この世の終わりのような表情で、剣姫が二人を部屋から閉め出して、閉じこもってしまったのだ。
「あーあ、アイツまた凹んでもうた。いっぺん凹んだら長いねん」
「……なんかスイマセン」
疲れ切った表情で呟くナナシ。
「あー主はんのせいやないからな。まあ、主はんを助けるのは嫁のつとめやさかい」
……この人今、なんかものすごく不穏なことを言ったような気がする。
「あ、あの……」
恐るおそる問いただそうとするナナシ。
そのナナシへと、とてもいい笑顔を向けながらヘルトルードは言い放った。
「あれ? 銀嶺のんから聞いてへんか? 主はんは王様になるお人や言う話やから、王様になった後やったら、側室になってもええでぇ言うて銀嶺のんが言うとってん。まあ側室いうても平民出のウチからしたら玉の輿やからな」
「ちょっとお!?」
まさかの追い打ちにナナシも流石に驚く。
婚約どころか、いつのまにか側室まで決まってるだと!
「なんやねんな」
「ぼ、僕の意志とか、そういうものは?」
「細かいやっちゃな」
「細かくないです。全っ然! 細かくないですから!」
これを細かいで済ませることができる人間がいるならば、そいつは大物を通り越して何にも考えていない人間に違いない。
しかし、ヘルトルードは詰め寄って、ナナシの鼻先に指を突きつけてこう言った。
「ええか、最悪、このままサラトガがあかんようになっても、ウチと銀嶺のんと二人居ったら、この国ぐらい攻め取れるやろ。そしたら、それで主はんが王様や。これであんたの王様ルートは確定やで!」




