第47話 妹にしたいタイプナンバー1
「やー!やーの!やー!」
これでは、まるで赤ん坊だ。
砂の上に座り込んでジタバタと駄々を捏ねる女の子を見下ろしながら、ヘイザは今日、何度目かの溜息をついた。
「俺は絶対ヤだからな。お前が面倒みろよ」
「わわわ、わかっ、てます」
キスクがジトッとした目でヘイザを見ながら、係わり合いになることを拒絶する。その目は『ほらみろ、お節介を焼くから厄介ごとを背負い込むことになった』明らかにそう言っていた。
砂漠で助けた球根頭の女の子は、見た目はヘイザよりも年上ではあったが、中身はまるっきり赤ん坊だった。いわゆる幼児退行という奴だろうか、そうなってしまうほどの、恐ろしい目にでもあったのかもしれない。
とりあえず、手を牽くと素直に歩いてくれたので、何とかここまで連れてきたが、頭の中身が赤ん坊であるならば、堪え性などある訳もなく、突然座り込んだかと思うと、ヘイザが手を取ろうとしても、その手をはたく様にして、歩くことを拒み始めた。
恐らく単純に、疲れてしまったのだろう。
冷静に考えれば当然とも言える。手を牽かれながらとは言え、男の足に合わせて歩くのは女の子にとってはとても大変なことに違いない。
だからと言って、いつまでもこの場に座り込んでいる訳にもいかない。
本来なら、今日の午後にもオアシスにたどり着いていたはずなのに、未だオアシスの影を見ることも出来ないまま、既に陽が傾き始めている。
「し、しかたな、ない」
「うー?」
ヘイザは背中に背負った背嚢を身体の前面へと回し、背中に女の子を背負う。
思ったよりも軽いが、人を一人背負うわけだから、歩き続けて疲労した身体に、これはさすがにキツい。
女の子は大人しく背負われると、しばらく不思議そうな顔をしていたが、歩きはじめてしばらくすると「きゃっきゃ」と楽しそうに、はしゃぎ始めた。
「あ、こ、こらあんまり、ううご、動かないで」
その様子を見ながら、キスクは眉間に皺をよせる。
「なあ、ヘイザ。とりあえずオアシスまで連れて行くのは良いとして、その先はどうするんだよ、そいつ」
「た、たぶん、ずっとこ、このま、まじゃないと思いますから、治るま、まではめんど、面倒みようとお、思ってます」
「かーっ、マジかよ……」
キスクは思わず天を仰ぐ。
本当に、砂漠の民の連中はどうかしている。お人よしで片づけられるレベルじゃない。自己犠牲精神に溢れすぎている。
「お前なぁ、面倒見るのはいいとして、出来んのかよ。例えば、そいつ風呂に一人で入れねえぞ、多分」
「あ……」
キスクに言われて初めて思い至ったのか、ヘイザは俯いて顔を真っ赤にする。
たとえ頭の中は赤ん坊でも、身体の方は年頃の女の子なのだ。
顔を真赤に染めたままうろたえるヘイザの様子を見て、キスクはやれやれと肩を竦めるとふたたび歩き始めながら、口を開いた。
「まあいいさ。奴隷制度の残ってる機動城砦に入れたら、そいつの面倒を看させるための女奴隷ぐらい買えるだろう」
ヘイザは足早に追いつくと、並んで歩きながらキスクを見上げる。
「お、女奴隷って、き、キスクさん、いやらしいこと考えて、るでしょう」
「ばっか、お前。考えてねーよ。俺は惚れた女に一途なんだぜ」
見るからに女にだらしそうな男から出た予想だにしない言葉に、ヘイザは一瞬目を丸くする。
「へえ、キスクさ、ん、好きな人いるんですね。ど、どんなひ、ひとですか?」
ニヤニヤしながらヘイザが尋ねると、キスクはそれを振り払うように足を速める。しかしヘイザも同じように足を速めて隣を歩きながら「ねえねえ」とねだり続けた。
はっきり言ってウザい。
「わーった。わーったよ。ちょっと釣り目がちの気の強い女でな、すっげえ美人なんだ」
「ほほう、それから? それから?」
なぜか急にどもらなくなるヘイザ。うん不思議。っていうかキモい。
「胸と頭は残念だが、あれは妹にしたいタイプナンバー1だな」
そう言うとぼんやりと宙空を見つめるキスク。
胸はともかく、頭が残念? ヘイザは聞き間違えだと思うことにした。
「恋人なんですか?」
「まだ違うけどな。次に会うときには絶対モノにしてみせる。勝算はあるんだ。アイツも、俺のことが絶対気になってると思う」
まあ、ある意味気にはなっているだろう。『おっぱいソムリエ』呼ばわりする程度には。
そんな他愛も無い話をしながら、二人(と背負われた一人)がしばらく歩き続けてしばらく経った頃、キスクが突然、ヘイザの肩を叩いて笑い始めた。
「はは、俺達はツイてるぜ。オアシスでしばらく足止め食らうと思ってたんだがな……」
そう言いながら、キスクが顎をしゃくって示した先。そこには微かなオアシスの灯り。そして、その向こう側、少し欠けた月の下には巨大な正方形の影が鎮座しているのが見えた。
「あれ、は、きど、機動城砦?」
「ゲルギオスだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あらあら、すごいですわねー」
皇姫ファティマは目の前の黒犬を見上げながら、そう言った。
その口調は小さな子供の他愛も無い自慢につきあう母親の様ではあったが、目の前にいるのは、ファティマをも丸呑みに出来そうなサイズの巨大な黒犬である。
最初の方は死ぬほど怯えたものだったが、襲撃もこれで5度目ともなるとファティマの方にも多少なりとも余裕ができる。それも自分が絶対に安全だという確信があればこそだが。
「マーネちゃん。このぐらいの子でも大丈夫?」
「楽勝。黒犬ぐらいなら、まだ問題無いよ。おねいちゃん」
ファティマの問いかけに黄色身がかった髪をした幼女がグッと親指を立てる。
この幼女が言うには追手は、おそらく召喚術士。
これまで襲撃してきた魔物のラインナップを考えても、悪魔召喚寄りの随分と道を踏み外した人間のようだ。現にいま、目の前にいる黒犬も煉獄の入口に住まう魔物だと聞いたことがある。
黒犬は今にも飛び掛からんと、前後の足に力をみなぎらせて、姿勢を低くする。
「でもね。おねいちゃん。そろそろめんどくさいから、どっかの機動城砦に入って隠れちゃわない?」
「ええ、そうしましょう。私もお風呂に入りたいですわ」
「うん、じゃ一緒にはい……」
幼女がそこまで言ったところで黒犬は、ファティマに向かって、猛烈な勢いで飛び掛かる。
そして、鋭利な爪が彼女に届こうとしたその瞬間、ぎゃんという悲鳴をあげて、黒犬は腹をみせるような体勢で吹っ飛んでいく。
ファティマと黒犬の間に飛び込んだのは、黄色身がかった髪の幼女。
マーネが黒犬の顎を素手で殴り飛ばしたのだ。
たった一撃。
それだけで黒犬は横たわったまま動かなくなり、じわじわと細かな塵へと分解されて風に吹かれて消えていく。
「じゃ、早く行こうよ。おねいちゃん」
「はいはい、行きましょうね」
何事も無かったかのように二人は微笑み合う。
二人が歩きはじめたその先には、正方形の巨大な影が横たわっている。
機動城砦ゲルギオス
空には満月を過ぎて欠けはじめた月が、煌々と輝いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
窓の外を見上げれば、一口齧ったかのように欠けた月が浮かんでいる。
豪奢な寝台に横たわりながら、少女は……いや、キサラギ。そういう名前の少女の形をした『何か』は呟いた。
「手を出すなだなんて、馬鹿馬鹿しい。目の前にあれだけのエサをぶら下げられて我慢できるわけないじゃないの」
彼女が領主を務める機動城砦ゲルギオスは、今、ターゲットのいるサラトガから人の足で一日半程の距離にいる。
この機動城砦が全力で駆け抜けたならば、今夜のうちにも彼らに襲い掛かることができるだろう。
しかし、今はまだそのタイミングではない。
目的はただ一つ。ナナシという少年の持つ古代の最終兵器の鍵だ。
キサラギの記憶にある砂漠の民の伝承は、信じられないほど荒唐無稽なものだった。恐らく、彼女と記憶を共有していなかったら、全く信じようともしなかっただろう。しかし、それが真実だということは、キサラギと記憶を共有する、今の彼女にはわかっている。
このことについては、自分の主たる死霊術師にも報告はしていない。
伝承どうりのモノがあるのならば、世界を統べることも、そう難しいことではないだろう。それを手に入れるチャンスが今、目の前にあるのだ。自分以外の者にそれを譲る馬鹿はいない。たとえ、それが主であったとしてもだ。
「最高のタイミングで、全てかっ攫ってやる」
作り物のような、表情のない顔。
その口元だけが歪に歪んで赤い三日月を形作った。
 




