第45話 おっぱいソムリエが脱獄しました。
「なあ、銀嶺の……」
「なぁに、紅蓮の」
工兵達が資材を担いで、行ったり来たりしながら、ちらちらと二人の方を盗み見ている。
「ウチ、何にも悪くないと思うんやけど……」
足の痛みに顔を顰めながら、紅蓮の剣姫が、直ぐ隣に座っている銀嶺の剣姫へと囁いた。
二人が正座しているのは、サラトガ城の三階、幹部フロアの一番奥、ミオの居室の正面である。
紅と蒼。鮮やかなドレスを着た剣姫二人が、その艶やかさにふさわしくもない廊下に、並んで正座させられてから既に3刻が経過しようとしている。
「誤解を招くような髪の色してるのが悪いんです」
「あん? オマエ今、世の中のネーデル人、全員にケンカ売ったで」
涼しげな顔で言い放つ銀嶺の剣姫に対して、頬に噛み付かんばかりに顔を寄せて威嚇した紅蓮の剣姫は、興奮のままに、銀嶺の剣姫を怒鳴りつける。
「そもそも、どこの世界に屋内で衝撃波出す奴がおんねん! この色ボケ剣姫!」
※普通の人は屋外でも衝撃波は出しません。
その大声が廊下に響きわたると、工兵達に作業指示を出していたミオが、ギロリと剣姫たちを睨み付けた。
そして、つかつかと二人に歩み寄り、履いていたサンダルを手につかむと、
「やかましい! このアホ剣姫ども!」
と罵りながら、紅蓮の剣姫の頭をスパァン!と叩いた。
「痛い、ミオはん、痛いて」
「そりゃそうじゃ、痛いように叩いておるからのう」
頭をさすりながら、涙目で蹲る紅蓮の剣姫を見下ろして、ミオはフンと鼻を鳴らす。
今日未明、サラトガを去っていく者達に想いを馳せながら、キリエと二人しんみりとしていたところを突然、部屋ごと吹っ飛ばされたのだ。
普段から周囲の大人たちが大人気ないこともあって、12歳にして、老成した大人であることを強いられてきたミオであっても、さすがにこれは怒る。
ましてや、危うく壁にあいた穴から外へと落下するところだったのだ。
キリエが伸ばした鞭が、間一髪ミオの腕に巻きついたから、何とか命拾いしたものの領主の居室を吹っ飛ばしたのだ。
本来ならば、テロリストとして処刑するのが妥当というものだ。
「そもそもアレだけのことをされて、正座ぐらいで許してやろうという娼の、このエスカリス・ミーミル全土を駆け巡るほどの心の広さがわからんか、お主ら」
「そうですよ、紅蓮の。たかが正座ぐらいでみっともない」
溜息混じりにそういうミオに、涼しげな顔で銀嶺の剣姫が同調する。
「せやかて、ウチもどっちかというと被害者や……ん?」
そう言いながら、銀嶺の剣姫に目を向けた瞬間、紅蓮の剣姫は、凄まじい違和感を覚える。そして少し首を捻った後、ミオに向かって小さく囁いた。
「なあ、ミオはん……」
「なんじゃ? アホ剣姫」
「今、気付いてんけどな……。ウチの隣で涼しい顔してる青いのん。ドレスのスカートでわかりにくいねんけどな。正座してる割には、座高低ないか?」
その言葉が終わるか否かというところで、銀嶺の剣姫がびくんと体を跳ねさせて、スッと座高が高くなる。
「ほう? ほほう。なんと剣姫様はただの正座では物足りぬか?」
「は? な、何をおっしゃってるんでしょう?」
焦る銀嶺の剣姫の耳元に、ミオが顔を近づけて囁いた。
「選ばせてやるのじゃ。膝の上に10キロの重りか……」
「10キロ?! そんなの無理です」
「……ならばナナシの前でM字開『10キロでお願いします!!』
ミオが言い終わるより早く銀嶺の剣姫は、まさかの五体投地。
額を床につけて指先をぴんと伸ばした、それはもう綺麗な五体投地であった。
ミオがそれを満足そうに見下ろし、紅蓮の剣姫がちょっとひいたその時、このどうにも取り返しのつかない空気の中、パタパタと誰かが階段を駆けあがってくる音が響いた。
「ミオ様っ! 大変です!」
足音のする方へ一斉に目を向けると必死の形相のキリエが走ってくるのが見えた。
「何事じゃ!」
「おっぱいソムリエが! おっぱいソムリエが脱獄しました!」
「なんじゃと! 我らの希望が逃げたじゃと!」
驚愕するミオ。意味が分からず剣姫二人は顔を見合わせる。
おっぱいソムリエ。
それは、豊胸魔法を知る男。
転じて胸を識る男、つまりおっぱいソムリエだと、捕獲したアスモダイモスの将兵であるキスクに対して、ミオが命名した渾名である。
まあ、一言で言えば、タチの悪い嫌がらせだ。
◇ ◇ ◇ ◇
その頃、件の『おっぱいソムリエ』こと、キスクはサラトガを脱出し、南へと向かって砂漠を歩いていた。
振り向けば、ゆらゆらとゆれる陽炎の向こうに、2つの機動城砦が見える。
食糧や水、ある程度の装備品は奪取してきたものの、そう何日も砂漠を彷徨えるほどの余裕はない。
「驢馬でも奪ってくるんだったな」
額から滝のように流れ出る汗を拭いながら、キスクは今日、出来たばかりの相棒へと話しかけた。
「そ、そうだね。で、でもい一番ちか、近くのオアシスになら、あ、あしたのご、午後には、つ、つける」
その相棒、ヘイザは生来の吃音である上に、引っ込み思案で声が小さく聞き取りにくい。
ベラベラとよく喋って、ノリの軽いヘイザの父親を知っているだけに、キスクは、この親子の会話を想像すると可笑しさがこみ上げてくるのだった。
二人は、その後、ほぼ無言でひたすら南へ向けて歩いていく。
どこかの機動城砦に潜入したまま戻ってこない、幼馴染のナナシを探すことがヘイザの目的である。そのためには、まずはどこかのオアシスで、そこに立ち寄る機動城砦を待つのが賢明だ。
徒歩で砂漠を渡ることは、死と隣り合わせだと言っても過言ではない。日中の砂漠の気温は50度にも迫るのだ、現に今も、比較的平気そうなヘイザに比べると、キスクには、早くも疲労の色がありありと見えている。
この辺りは慣れの問題と言っていいだろう。砂漠の民であるヘイザにとっては砂漠こそがホームなのだから。
言葉少なく、ひたすら歩き続けていた二人ではあったが、しばらくしてヘイザがボソリと呟いた。
「あ、あそこにだ、誰か倒れてる」
ヘイザが駆け寄ってみると、それは一人の女性であった。
タイトな下袴に、淡い桃色の短衣。腰に下げた細剣は一目でわかる細工も見事な業物だ。見た目にも身分の高い人間であることがわかった。
顔立ちは整っていて、大半が砂の中に埋もれている髪は金色。エスカリス・ミーミルの人間としては異色だが、恐らく染めているのだろう。肌の色を見る限り貴種であることは間違いなさそうだ。
少なくとも砂漠を渡るような服装ではないところを見ると、機動城砦から落ちた。いや、身体中に走っている細かい傷を見るかぎり、落されたと見た方が良いだろう。
ヘイザが、女の鼻先に指を当てると、微かに息遣いを感じた。
「き、キスクさ、ん。ここここの人、生きてる!」
ヘイザが顔を上げてそう叫ぶと、ゆっくりと後から歩いてきたキスクは、小さく肩を竦める。
ほっときゃいいのに。
キスクの感覚としてはそう言いたいところだが、口には出さない。
ヘイザがこの女を放っておくはずが無いのは分かっている。なぜならヘイザの父親がそうだったからだ。
「それを見捨てちまったら、お天道様の下を歩けなくなるぜ」
ヘイザの父親のその言葉を、何度耳にしたことだろうか。
どうにも砂漠の民という連中は、困っている人間を見捨ててはおけないらしい。
やれやれ。キスクがそう思っているうちに、ヘイザは背負っていた背嚢を降ろして、水筒を取り出し、女の上半身を起こそうと背中の方へと手を差し入れる。
しかし、そこで、ヘイザの動きがピタリと止まった。
どうやら、女の長い髪が砂の中に深く埋もれてしまっているらしく、それ以上、頭が上がらない。
ヘイザは、しかたなく一旦女の身体から手を離すと、抜けてしまわない様に女の髪の根本を掴んで、地面から一気に髪を引き抜く。
その瞬間予想だにしない出来事が起こった。
ズボッ!という音がして、大玉キャベツ大の丸い物体が地面から引き抜かれたのである。
「「きゅ、球根?!」」
あまりのことに度肝を抜かれる二人。
あわあわと狼狽しながら、ヘイザがキスクを振り返って言った。
「この女の人、地面からはえてた……」
ヘイザの手元でぷらんぷらんと揺れる丸い物体。
よくみれば、その球体はネットで纏められたあまりにも総やかすぎる髪であることがわかるのだが、この時点では二人は、地面から逆さまにはえている女そっくりの植物を想像してしまっていた。
このように、ストラスブル伯ファナサードと彼ら二人の出会いは、あまりにも衝撃的であった。
後の世では、この日が男性から女性へと、花の球根を送って求婚する記念日になるのだが、現時点ではそれを知るものはいない。




