第44話 お主は行かぬのか?
剣姫が奇声を上げて逃走し、その後5番手として登場したキリエが『お姉ちゃんあるあるネタ』を披露して、少しの共感を得ることも出来ず、場を白けさせている頃。
どんちゃん騒ぎが続いている大ホールから、立体的にわずか18ザールほど下へと下ったサラトガの下層フロア第3層。そこに足音を忍ばせて、移動する影があった。
直上では、酒に酔った男女が、手を叩いて笑いあい、肩を組んで歌っているというのに、陰鬱なこのフロアでは、数多く並んだ鉄格子の奥から獣のような息遣いが、小さく響いているのみである。
下層フロア第3層。そこにあるのは捕虜や犯罪者を収容するための監獄であった。
監獄の入口では、見張りの衛兵が大きな鼾を立てていた。
大宴会に呼ばれなかったので、ふて寝しているというわけではない。
良く観察すれば、その首筋に刺さる小さな針に気付くことができるだろう。
入口を抜けると、通路の両側にずらりと鉄格子が並んでいる。
それを足早に歩きながら、一つ一つ覗き込んでいくのは、白いフードマントを被った少年。
ボサボサの前髪の間からわずかに覗く瞳の色は黒。小太りながらも、温厚というよりは気弱そうな印象を与える顔立ちをした、砂漠の民の少年であった。
鉄格子の奥を覗き見ては、その陰惨な風景に少年は怒りを覚える。
サラトガ伯という奴は、どこまで残虐な人でなしなのだと。
もちろん本人を見たことはないが、彼の想像の中のサラトガ伯は髭剃り跡が青々とした酷薄そうな顔つきをした男であった。
なぜそう思うのか。
それはこの監獄フロアの惨状を見れば、誰だってそう思う。
覗いた鉄格子の幾つかには、目を覆いたくなるような光景が広がっていた。
壁面には、絞首刑のように首を縄で吊るされた無数の白骨が並び、ところどころには、天井まで飛び散った赤黒い血痕がこびりついている。
更には悪趣味なことに、まるで見せびらかすかのように、自慢げにいくつも拷問器具が並び、そこには切断されたのであろう腕が白骨化するまでに置き去りにされていた。
どれだけ多くの人間がここで命を落としたのだろう。そう考えて、少年は身震いする。
少年は知る由もないが、ここは悪ふざけの聖地『機動城砦サラトガ』である。
今さらではあるが、ここにはサラトガ領主謹製の悪ふざけが一杯につまっている。
テーマは『悪魔の監獄』
良く観察すれば、もろバレなのだが吊るされた白骨は全て石膏のレプリカだ。
拷問器具は全て農具を改造してつくった『なんちゃって拷問器具』で、キリエとミオ二人で何か月も掛けてコツコツと手作りしたDIYの産物である。
ところどころに飛び散っている赤黒いシミはもちろん塗料だ。
最初は実際に肉屋に貰った動物の血液を使ってみたのだが、このフロアには窓が無く、籠った悪臭で作業中にミオ自身が体調を壊したので、塗料に変更した。
そうして、ここへ連れてこられた捕虜や犯罪者が顔を引き攣らせるのを見ては、楽しんでいたりするわけなのだが、獣人達を収容した時には、折角作った石膏の白骨を咥えては、地面に穴を掘って埋めようとするので、ミオ達は大慌てで一旦、石膏の白骨を回収する羽目になった。
以降も少年は、一つ一つ鉄格子の間を覗き込んでは落胆し、一番奥の最後の一つを覗き込んで、やはり「違う」とつぶやいた。
結局、少年が探している幼馴染はここにはいなかった。
サラトガとストラスブルが接舷し両機動城砦の行き来が自由になったその時、少年はサラトガへと侵入し、以降数日を掛けて、サラトガの街中から城の中まで、ありとあらゆる場所を探し回ったのだが、幼馴染は見つからない。
この監獄にいなければ、もうここには用はない。
他の機動城砦へと捜索の手を伸ばさなければならないだろう。
そう考えた時、最後に覗いた鉄格子の奥、簡素なベッドの上に若い男が、壁の方を向いて寝転がっているのが見えた。
少年は意を決して、その男に声を掛ける。
「あああ、あなたにす、す、少し聞きたい。こっ、ここにナナシという奴が、つ、捕まっていないか?」
「あん? なんだお前?」
男はめんどくさそうに首だけを動かして、胡乱気な視線を鉄格子の外の少年へと向ける。
男の名はキスク。
つい先日、アスモダイモス軍の将兵としてサラトガを襲撃したのだが、返り討ちにあってここに監禁されていた。
「ご、ごめん。お、幼馴染を探してる。ナナシってい、いうボクとお、同じ歳くらいのヤツをみな、みなかったか?」
キスクは目を細めて、少年を凝視する。そしてボサボサの前髪の奥、少年の瞳の色に気付くと、表情を和らげ、少し喜色を含んだ声で答えた。
「その目、お前砂漠の民か?」
少年は戸惑いながら、コクリとうなづいた。
「珍しいな。そうだナナシだっけか? 砂漠の民は見てねえ。此処にはいないと思うぜ」
「あ、ありがとう……。あなた、か、変わってる」
「そうか?」
ぺこりと頭をさげてそういう少年に、キスクは首を傾げる。
「ぼ、僕のこと、砂漠の民って。ば、地虫ってよ、呼ばないから」
「ああ、そういうことか。知り合いにいるんだよ。砂漠の民のヤツがさ」
キスクは、楽しそうに笑いながらそう答えた。
「知り合い?」
「ああ、傭兵やってた頃にな。俺がいた傭兵団の団長が、砂漠の民の出身でさ」
そう言いながらキスクは遠い目をする。
戦災孤児として北方のオアシスで、物乞いをして暮らしていたキスクを拾ってくれた人物。剣の扱い方や生き抜く術を教えてくれた恩人のことを思い出す。
傭兵団を解散してから、風の噂に砂漠の民の集落へと帰ったと聞いたが、今はどうしているのだろう。
キスクが遠い眼をする一方、砂漠の民の少年は驚きに目を見開いていた。
「砂漠のた、民で、よ、傭兵やってたといったら、ひひひ一人しかいない」
「そうなのか?」
「うん、僕のと、父さん」
僕の父さん。その言葉がキスクの頭の中で咀嚼されて、認識されるまでにずいぶんと時間がかかった。そしてキスクは震える指を少年へと向けて一言。
「ま、マジで?」
無言で頷く少年に、キスクは興奮気味に畳み掛ける。
「ってことは、おまえがヘイザか?」
「う、うん。ぼ、僕のこここと知ってるんだ?」
「おやっさん、残してきた家族のことばっかり話してたからな」
キスクは再び懐かしむ様な表情をして、それから膝を一つ叩くと、満面の笑みを浮かべてこういった。
「なあ、ヘイザ。俺をここから出してくれないか、一緒にそのナナシって奴を探してやるよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宴の後の寂しい空気を漂わせたまま、夜が明けようとしている。
地平線の向こうに薄らと光の線が引かれていくのを合図に、重い音を立ててサラトガの城門が開いた。
城門の前には、既に持てるだけの家財道具を持った人々が詰め掛け、ごった返している。ほとんどが民間人のようにも見えるが、軍装を解いてしまえば、兵士であっても見分けがつくはずもない。
キスクとヘイザがサラトガから脱出するために、城門までたどり着いてみればこの有様である。
二人はいつのまにか人波に飲まれて押し出される様に城門の外へと運ばれながら、困惑を隠せずにいた。脱出は相当に困難であろうと予測していたというのに、今はむしろ城門の外へと押し出されているのだ。
人々は城門から外へ出ると散り散りにあらゆる方向へと別れて歩いて行く。今ここを出て行く者達はなにかしら行くあてのあるもの達なのだろう。
ミオは、サラトガ城の自室の窓からその光景を見て、目を伏せた。
ミオが刑死すれば、最悪の場合、サラトガは解体されてしまうかもしれない。更には兵士達にまで、累が及ばないとは言い切れない。
現在の皇王陛下は名君の誉れ高い人物ではあるが、自分の娘を殺された親がどんな復讐を考えるものかミオには想像もつかない。
歴史を紐解けば、権力者によって、住人丸ごと生き埋めにされた例だってある。
だから、ミオは昨日、サラトガの住民達に、そして自軍の兵士達に告げたのだ。
逃げて良いと。
代官が到着し、自室謹慎となった後では、ミオは何の力もない唯の12歳の少女となる。その前であれば、逃がしてやることができる。だから逃げたいものは逃げよと。そう言ったのだ。
昨晩の宴会は「送別会」である。
誰が残り、誰がいなくなるかなど、分かりはせぬが、最後ぐらいは笑って送り出そう。それがミオの想いであった。
突然、扉をノックをする音が部屋の中を響き渡る。
ミオは、自分が未練がましく、窓の外を見ていたことを悟られぬ様に、慌ててベッドへと入り、そして返事をする。
「入れ」
そっと扉を開けて入ってきたのは、キリエであった。
ミオへと向ける目は痛ましげで、その表情は沈んでいる。
「ミオ様。お休みのところ申し訳ございません。
ご報告いたします。今城門に集まっている者は凡そ1800名ほど。恐らくその半数は兵士達だと推測されます。また主な兵員としては、キルトハイム卿、メシュメンディ卿とベアトリス姉妹、シュメルヴィ殿もお姿が見えず、おそらく出奔された模様でございます」
「お主は行かぬのか?」
「怒りますよ」
「すまぬ」
ミオとキリエが喉を詰まらせ、互いに言葉を失っているその時、ドアの外側では、全く違う理由で言葉を失っている者達がいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
足早に廊下を歩いていく銀嶺の剣姫。そのすぐ後ろをニヤニヤしながら、自称『紅蓮の剣姫』が追いかけている。
銀嶺の剣姫は丁度ミオの自室の前あたりで、足を止めると苛立たしげに振り向いて、紅蓮の剣姫を睨み付けた。
「ついてこないで」
「ええやんか。主様っちゅうヤツを探しに行くんやろう。一人より二人の方が早いがな」
あの後、剣姫は緊張しながらナナシが部屋へと来るのを待っていた。
剣姫二人がいたあの部屋はそもそもナナシの部屋なのだ。当然、部屋に戻ってくるはずだった。
剣姫は、戻ってきた時に何をどういえば、あの出来事を誤魔化せるのだろうかと、ひとり悶々と考えながら、眠れない夜を過ごしていたというのに、明け方になってもナナシは帰ってこない。
ついに自分は見限られたのではないかと居ても立ってもいられず、剣姫はとうとうナナシを探しにでることにした。
「紅蓮の。あなた、主様の顔も知らないでしょうに」
「目ぇ黒い奴探したらええんやろ、簡単やんか」
「簡単って……」
「ほら、例えばあんな感じの奴やろ?」
紅蓮の剣姫が指さした先を見て、剣姫はピシッという音を立てて硬直する。
そこには果たして探し求めていた人物が立っていた。
但し、その人物は剣姫に気付くと、目を泳がせてだらだらと変な汗をかいてはいたが。
二人の距離はほんの数ザール。しかし二人とも土人形のようにそのまま固まって動けなくなっていた。
剣姫の背後では『紅蓮の剣姫』がこれから起こるであろう出来事を想像してはニヤニヤとし、ナナシの背後では、ニーノがナナシの裾を掴んだまま不思議そうにナナシの顔を見上げていた。
剣姫は思う。
数時間前のあの出来事さえなければ、直ぐにでも、両手を広げて主様の胸に飛び込んでいったはずなのに、今は主様がどう考えておられるのか全く読めない。
抱きつきに行って「来ないでくれ」とでも言われた日には、二度と立ち上がれないほどのダメージを受けるのは確実。今は主様の出方を待つべきだ。と。
口の中がカラカラに乾き、小さく喉が鳴る。冷たい汗が一筋背中を伝って落ちて行くのを感じた。
なんという緊張感だろうか。国を出て、まだ剣の腕も未熟な頃、戦熊と初めて対峙した時でさえ、ここまでのプレッシャーは感じなかった。
一方、ナナシの頭の中でも驚異的な速さで思考が巡っていた。
このひと時、このひと時を乗り越える方法を考えろ。
そうすれば、こんな予想外のエンカウントではなく、二人の将来について真剣に話をする機会を作れるはずだ。
大丈夫、ナナシ。自分を信じろ。アージュさんの相手をしているうちに、少しは女性の扱い方を身に着けたはずだ。砂漠の民は先手必勝。大切なのは一ノ太刀だ!
先に動いたのはナナシ。
大きく息を吸い、細く長くそれを吐くと、一歩前へ踏みこんで、にこやかな笑顔をつくり、軽く手を挙げる。
そして、一撃
「おはよう。ま、マリス」
再び訪れる静寂。
次の瞬間、温度計の様に首から順番に剣姫の顔が真っ赤に染まっていくのが見えた。
直撃!
心の中で握った拳を天へと突きあげるナナシ。
この一撃は確かに剣姫に想像以上のダメージを与えた。
心臓の鼓動が激しくなって、足元はふらふら、眼がくらんで、今にもその場に崩れ落ちそうになっている。だがしかし、この一撃は同時に剣姫の中の不安を払拭した。
剣姫は再び考える。
ま、マリスと呼んでくださったということは、婚約解消の心配はないということよね。ならばとるべき戦術はただ一つ!
剣姫は崩れ落ちそうになる膝を踏みとどまらせ、強引に平静を装って、ナナシへと笑顔を向ける。
「あ、主様おかえりなさいませ。いつお戻りになられたのですか?」
「えっ、あ、昨晩です」
「あ、あら、そうなんですか? 昨晩は一歩も部屋から出なかったものですから気づきませんでしたわ」
なんやてええええええ!
剣姫の背後でそれを聞いていた『紅蓮の剣姫』は、あまりの驚きに思わず白目を剥いた。
あの出来事を無かったことにしようとしている?!
図太い! 図太いで、銀嶺の。さすがウチの好敵手や!
でもアカン。それは悪手や……。
「いやいや、鼻から牛乳飲んでたやん」とでも返されたら、それで詰んでまうがな。
しかし、紅蓮の剣姫のその心配は杞憂に終わる。
「そ、そうなんですか。ぼ……ぼくも昨日は眠くて、城までたどり着く前に庭で寝てしまいました、ははは」
乗っかった! 全力で乗っかったでえええ!
唯のヘタレやないかい。
そもそも庭で寝てたて、なんやねん。そこまで来たらもうちょっと頑張れや!
白目を戻すタイミングを失い、そのまま驚愕し続ける紅蓮の剣姫。
ナナシは恥らう素振りを見せる剣姫の背後で、白目を剥いている見知らぬ少女の存在に完全にビビっていた。
ともかく、これで後はナナシが、「少し行かないといけないところがあるから、部屋で待っていてください」とでもいえば、とりあえずこの壮絶な遭遇戦も終了。銀嶺の剣姫もナナシも無傷で帰れる。そのはずだった。
しかし、ここでとんでもない爆弾を投下した者がいた。
「早くママのところへ行こうよ。パパ!」
ニーノだ。
これまで、ナナシのことを「パパ」などと呼んだこともないのに、このタイミングでそれを行ったのには理由がある。
ニーノはニーノなりに空気を読んだのだ。
大好きなアージュの味方として、ナナシが他の女と親密そうにしていることを看過するわけにはいかない。
「……ぱぱ?」
剣姫がボソリとそう呟くと、周囲の気温が急激に下がった。
比喩ではない。
剣姫の身体を中心に、冷気が噴き出して、急速に空気が凍り付き、ダイヤモンドダストが空中を舞い始めた。
少し考えれば、こんな年齢の子供がいるはずが無いのだが、唯でさえナナシとのやりとりで剣姫は冷静さを欠いている。
剣姫の思考能力は今や情動の支配下のあった。
唐突に、剣姫がぐりんと首を回して、ニーノの方へと視線を向ける。
光のないその瞳に、ニーノは軽く失禁した。
「赤毛……」
剣姫はニーノを見つめながらそう呟くと、こはああと大きく息を吐き出し、そのまま自分の背後を振り向いて、紅蓮の剣姫を凝視する。
「赤毛……」
ニーノは銀嶺の剣姫が何を疑っているのかに気付いた。
生き残るためには生贄を用意する必要がある。
ニーノは、少し申し訳なさそうに、紅蓮の剣姫に向かってこういった。
「ママ」
「ちょ! おま! ええええ!」
慌てたのは紅蓮の剣姫。
一瞬にして銀嶺の剣姫の殺気が全て、紅蓮の剣姫の方へと殺到した。
……その後のことは、簡単に述べるに留めておくことにする。
一言で言えば、このフロアの風通しがとてつもなく良くなった。




