第43話 もう一回ゲルギオスに行ってきてもいいですかね
「なあ、銀嶺の。もうそろそろ立ち直ったらどうや」
天蓋付の豪奢な寝台の上で、時々奇声をあげる丸い物体に向かって、自称『紅蓮の剣姫』が呆れまじりに声を掛ける。
自分をあれだけ圧倒した『銀嶺の剣姫』が毛布に丸まって、この世の終わりみたいな顔でしくしく泣いているのだ。それは呆れもする。
「……絶対、呆れられた。はしたない女だと思われた。婚約解消されちゃうよぉ」
グズグズと鼻を啜りながら、嗚咽交じりに呟く剣姫。
鼻から牛乳飲むのがはしたないで済むなら、それはそれで御の字の様な気がする。
どちらかというと、ビックリ人間大集合のカテゴリーに属する事案である。
「鼻で牛乳飲んだ程度で婚約解消とか言う様やったら、その程度の男やないか、恋人が少々変態的な嗜好もってても、どーんと受け止めるのが男っちゅうもんや」
「嗜好ちゃうわ!」
思わず出た言葉には、ばっちりネーデル訛りが感染っていた。
「というか紅蓮の。いつまで私と主様の愛の巣に居座るつもりなのよ」
うー、と威嚇するような素振りで、『銀嶺の剣姫』は自称『紅蓮の剣姫』を睨み付ける。
「おいおい、かなんなぁ。ウチをこんなところまで連れてきたんアンタやろな。小さい頃、お母はんに言われへんかったか? 動物拾うてきたら、最後まで自分で面倒みるのよ、いうて」
「……あなた、ペット扱いでいいの?」
「ええわけあるかいな、喩や、たとえ」
自称『紅蓮の剣姫』はそう言って肩を竦める。
アスモダイモスとの戦闘の際に昏倒させたこの少女--自称『紅蓮の剣姫』をサラトガまで連れてきたのは、確かに銀嶺の剣姫ではあったが、目を覚ました後の彼女の扱いには少々困っていた。
話を聞いてみれば、彼女はネーデルで獣人を捕獲しては売り飛ばすという、可愛らしい顔立ちとは裏腹に、なかなかに悪辣な商売をして生計を立てていたのだが、取引相手のアスモダイモスの領主に、「貴公は確かに強いが、さすがに銀嶺の剣姫にはかなわないだろう」などとお約束のセリフで焚き付けられた末、アスモダイモスの食客として迎え入れられて、此処まで来たという、恐ろしいほどチョロい女であった。
そして、実際、銀嶺の剣姫と戦ってみれば、完膚なきまでの敗北。
おそらく相当悔しかったのだろう。だから目を覚ましてミオの前に引き出された彼女はこう言ったのだ。「サラトガの為に戦ってやるから、『銀嶺の剣姫』を観察させろ」と。
これには一同面食らったが、ただ一人ミオが頗る面白がって、しばらく愛剣『紅蓮』は取り上げておくが、それ以外は好きにしてよいと裁可した。その結果、四六時中、銀嶺の剣姫にべったりと付きまとっているというわけだ。
「しっかし、銀嶺の。その主様っちゅうヤツのことになるとお前、てんでダメ人間やな」
「うう……否定できない」
しょぼくれる『銀嶺の剣姫』を見やりながら、この剣姫をここまで凹ませる主様という男に自称『紅蓮の剣姫』は、並々ならぬ興味を引かれていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて、アージュについては、五体満足で帰ってくることを祈るとして、お主の妹御はどうなったのじゃ? お主の後ろから覗いておる、そのちっこいのがお主の妹御という訳でもあるまい」
アージュがミオの執務室から退場し、あらためてミオはナナシにゲルギオス潜入の結果を尋ねる。ミオとしても、さっきからナナシとアージュの影に隠れて、ちらちらとこっちを見ている幼女のことは気になっていたのだ。
「すいません、紹介が遅れました。この子はニーノ。狼人間のクォーターです」
「ちょ、カス! ニーノ1/4言うダメ!」
狼人間のクォーターなどとバレれば、相手によっては化物扱いされかねない。
それを全く隠そうともせず、正体を明かすナナシに、ニーノは慌てた。そして、ナナシの足に下段蹴りをお見舞いしながら、激しく抗議する。
「痛っ! 痛いってば! 大丈夫。この方は大丈夫だから」
ナナシは思った。
普段から、親が暴力を振るうところを見ていると子供もマネをします。全国のお父さん、お母さん方、気を付けましょう。
「うむ……まあ、ニーノよろしくじゃ」
ミオが若干、ひき気味なのは獣人だからではない。ニーノが放つ下段蹴りがあまりにもガチな音を立てていたからだ。
しかし1/4とは言え、言葉が通じる狼人間とは都合がいい。ミオはそう思った。
「ニーノは狼人間の言葉は判るのかのう?」
「ヤー だいじょぶ」
「ならば、明日にでも少し通訳として付き合ってくれんかの。今、ここには何人か狼人間がおるでな」
「ヤー ニーノつうやける」
その回答にニーノの通訳としてナナシも同席させねばならんだろうなと、内心苦笑した。
「それでは話を戻すが、結局妹御はどうした?」
ミオのその問いかけに、少し躊躇した後、ナナシはキサラギのことについて、ありのままを話した。
ナナシが思っていたほどはミオに驚く様子は無かった。淡々とナナシの話を聞き、話が終わると憐れむような表情をナナシに向ける。
「ゲルギオスの新領主がキサラギという人物であるのは、こちらでも掴んでおったが……まさかお主の妹御を喰った上に、化けておるとはのう」
「覚悟はしていたつもりなんですが……ね」
「うむ、気持ちは察しよう。しかし問題はその糸を引いてる奴の正体が見えてこないということじゃな」
ミオは少し疲れた表情で溜息をついた。
しかし、ナナシはそこで急に思い出した様に口をひらく。
「そう言えば、キサラギは…キサラギに成りすましたゴーレムは、この身体はマフムード様に作ってもらった。そう言っていました」
ミオは目線を上に向けて、しばらく考え込むが、やがて小さく首を振る。
「マフムードか……どこかで聞いたことあるの名じゃが、思いだせんな。よかろうそのマフムードとかいう奴のことは、調べさせよう」
そう言ってナナシの目を見るとミオは真剣な様子で言葉を続ける。
「黒幕のことはともかく、もしお主のいう様に、都合よく妹御以外の魂を排除して、妹御を救うことができるならば……そんな方法が見つかったならば、絶好の機会があるのじゃ」
「機会ですか?」
「そうじゃ、娼の裁判には、全領主が出席する。ゲルギオス伯であるお主の妹御も当然……」
「出席する」
ミオがコクリと頷く。
「妹御を救うための手段についても娼の方で調べさせておく」
ミオはそう言いながら、自分の執務机の後ろへと周り、椅子に腰を埋めると、会議テーブルの方を指さしてナナシ達に座る様に促した。
「まあ、座れ。ここからが本題じゃ」
言われるがままにナナシとニーノは、会議テーブル備え付けの椅子をひいて隣りあわせに座る。さすがに10人以上も座れる大きな会議テーブルに2人だけだと、どうにも落ち着かない気がした。
「全てが上手くいって、サラトガの存続が決まったあとの話じゃが……」
そう前置きしてミオは話を続ける。
「夫婦二人で生活していくにはそれなりの収入も必要じゃろう。娼はお主を高く買っておる、正式にわが軍に入り、サラトガに骨を埋める気はないか?」
ナナシはミオに不思議そうな顔を向ける。
ミオには、ナナシの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいる様に見えた。
「夫婦二人って、僕独身ですけど?」
「今はそうじゃろうが……お主結婚するんじゃろ? セルディス卿と」
時間に色があるとすればきっとそれは白だ。
そう確信をもって言えるほどに、空白の時間を挟んで、
『はあああぁぁぁぁぁぁぁあ?!』
ナナシが疑問形の叫びをあげた。
「ななななな、ななな、なにを藪からスティックに!」
混乱の余りにミオのボケを、そのままトレースしてしまうナナシ。
「藪から棒も何も、お主がそういう書置きを残して行ったんじゃろうが」
「いやいやいや、な、なんのことですか?」
「ほう、白を切るか、これは更に評価を上方修正せねばならんな、この期に及んで誤魔化そうとは、なかなかに図太いではないか。我々には読めぬ言語ではあったが、書置きを残して言ったであろう」
「いや、確かに残しましたけど、あれは剣姫様宛に……」
「だから、プロポーズの言葉を書き残したのであろう」
「雇用条件は僕が戻ってきてから決めましょうと……」
「……ん? 雇用条件?」
再び、ミオとナナシの間に空白の時間が流れる。
硬直する二人をニーノが退屈そうに眺めていた。
そして、ゆっくりとナナシが口を開いた。
「あのぉ……下僕になるって言われてもですね。下僕は奴隷じゃありませんからね。僕がお支払できる金額と、剣姫様のご要望の金額を擦り合わせて、給金を決めたり、年間どれぐらいを安息日にするかとか、そういうことを決めましょうと……。まあ、給金に関しては確かに、僕がミオ様に雇っていただいて、いただける給金を元手にするつもりでしたけど……」
あんぐりと口を開けたまま、ナナシの言葉を聞いていたミオが絞り出すように呟く。
「……まったく、キルヒハイムが言い出しそうな台詞を吐きおって。お主、本当に蛮族の出身か? きっちりし過ぎじゃろが」
「はあ」
ナナシもきっちりしていることを咎められるとは流石に、思ってもみなかった。
あらためてミオは考える。
あの書置きの内容がナナシの言うとおりだとすれば……。
「……適当ブチかましおったな、ファティ姉め」
「どういうことですか?」
「うむ、実はのう……」
ミオはファティマがナナシの書置きを読めるといって、(おそらく)後に引けなくなった結果、書かれている内容を(これまたおそらく)恋文だと適当に推測して、戻ってきたら結婚してください。と書かれていると剣姫に伝えたことを話した。
「え”」
想像を絶する出来事に再び硬直するナナシ。
ニーノの敏感な耳にはナナシの魂が抜けていく音が聞こえたかもしれない。
ミオは軽い頭痛を覚えて、こめかみを指で押さえる。
「……で、剣姫様はなんとおっしゃっているんですか」
おそらく、主の権限で結婚を迫る悪辣な人物と思われたことだろう。断れず、泣く泣く従おうと剣姫が考えているのだとしたら……そう考えると、ナナシは消えてしまいたい。そんな気持ちになった。しかしミオの回答は予想とは真逆であった。
「浮かれておるのじゃ」
「はい?」
「お主からのプロポーズを受けた……と思いこんで以降、剣姫はだれかれ構わず、隙あらば惚気まくって、各所からクレームが続出しておる」
「いやいやいやいや、ありえないでしょう、それは」
「今朝は、3人の子供とその嫁たちと8人の孫に囲まれて、お前が先立つところまでは想像し終わったと言っておったぞ」
「oh……」
ナナシの顔から表情が消えた。
人間、思考が追い付かないとこうなるのじゃなとミオは一人で納得する。
「いずれにせよ、間違いでしたとでも言うてみよ。途端に剣姫は使い物にならなくなるぞ、今そうなられては、サラトガを救うことなぞおぼつかん。お主は、剣姫に求婚した。そういうことでなければ困るのじゃ」
そういうと、ミオは椅子から立ち上がってナナシの背後に回り、ポンとナナシの肩に手を置いて、耳元で囁いた。
「ナナシ。どんな手を使ってでも、お主にはセルディス卿を娶ってもらうぞ」
思わず振り向いたナナシに、ニヤリと笑いかけるミオ。
その表情には鬼気迫るものがあった。
追い詰められたナナシは……
「もう一回ゲルギオスに行ってきてもいいですかね?」
「良いわけないじゃろ」
問題を先延ばししようとした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「結局、貴様は何が言いたいのだ」
「ローダ伯様、隠さずとも貴方がストラスブル伯様に幾度も求婚されておられたことは周知の事実でございますよ」
首都の北80ファルサングあたりを走っている機動城砦ローダの領主ボルフトロットは、目の前に跪く暗褐色のローブを羽織った男を睨み付けている。
「ファナサード殿は既に亡くなり、手をくだしたサラトガ伯の死刑は免れぬ。よもやアスモダイモス伯の使者であるからと言って、余に貴様が斬れんとでも思うておるわけではあるまいな」
「ストラスブル伯様は生きておられます」
「世迷言を!」
淡々と述べる暗褐色のローブを着た男にローダ伯は激昂する。しかし、それを恐れる様子もなく男は言葉を続けた。
「事実にございます。
ストラスブル伯様はサラトガの牢に閉じ込められて日々、悪鬼のようなサラトガ伯に拷問を受けておられます。
そんな状況でございますから、お助け申し上げれば、ストラスブル伯様もローダ伯様の求婚をお受けになられることは確実でございます。
お疑いでございますれば、この眼が嘘をついている者の眼かどうか、どうぞお確かめください」
そう言われて、ローダ伯は思わず、その男の目を覗き込んだ。
男の目が怪しく光った、ローダ伯がそう思った瞬間、不思議と男の言う事は全て真実である、そうとしか思えなくなった。疑問を差し挟む余地などどこにもない。
宙空を見つめながら、ローダ伯は口を開く。
「あい、わかった。我が機動城砦ローダはこれより、機動城砦サラトガへ向かい、ストラスブル伯を救出する。貴重な情報に感謝するとアスモダイモス伯に伝えてくれ」
その言葉を聞いた後、暗褐色のローブを着た男は一礼もせず無表情に部屋を出て行った。




