第41話 帰りましょう。僕らのサラトガへ。
轟々と逆巻く砂の嵐。
その奥で黒煙を上げて、燃え盛る機動城砦。
猛烈な風に揺らめく炎の背後で、巨大な黒い影が震えた。
悠然と動き始めた、それは黒い機動城砦であった。
「アスモダイモォスッ!」
爪が食い込んで血が滲むほどに、ミオは強く拳を握る。
「来い! かかってくるのじゃ! 貴様が憎んでおるサラトガはここにおるぞ!」
喉も裂けよとばかりに絶叫するミオを艦橋クルー達が痛ましげに見つめている。
「……来ないよ。来る理由がない」
そう呟いて、ミリアは艦橋に飛び込んで来た姿勢そのままに、両ひざをついて、その場で項垂れた。
アスモダイモスにとって、サラトガは既に終わった存在なのだ。
ミリアは思い起こす。
昨晩の戦闘終了後にシュメルヴィに尋ねた時、彼女はこう言ったのだ「アスモダイモスは地図上には見えませんでした」と。
それはつまり、シュメルヴィが地図上に見た光点は、9つだったということだ。
言い出せば限の無い話ではあるが、そこでミリアは詰めを誤った。
あの時、自分の目で地図上の光点を確認しておくべきだったのだ。
自分なら確実に気付いたはずだ。消えている光点がアスモダイモスではなく、ストラスブルであるという事に。
自惚れではなく、そう思う。
結果、アスモダイモスはまんまとサラトガを誘い出し、動きの取れないストラスブルの背後に隠れた状態で、サラトガに魔力砲を撃たせることに成功した。
恐らくこの後、善意の第三者を装って中央にこう報告するのだろう。
「機動城砦サラトガが、皇姫ファティマが滞在中の機動城砦ストラスブルを攻撃しました」
おそらく記録映像付で。
そうすれば、全機動城砦に追討令が出るだろう。「逆賊、サラトガを討て」と。
次第に遠ざかっていく機動城砦アスモダイモス。
そして、それが視界から完全に消えると、ミオは倒れこむように自分の席へと座りこんだ。
そして重苦しい沈黙が艦橋を包みこむ中、俯いたまま、力なくミオが呟いた。
「……生存者の救助を。ストラスブルに向かうのじゃ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
きゅー。
口からそんな音を出しながら、自称『紅蓮の剣姫』は目を回して地面に転がっていた。
器用な子……。剣姫はそう思った。
結局、12発目の『蹂躪の吹雪』で、紅の少女は気絶した。攻撃が当たったわけではない。防御の為に大量の魔力を消費した末の、魔力切れによる昏倒である。
結局、最後まで剣姫の攻撃は、『紅蓮の剣姫』を名乗るこの少女には届かなかった。全て、あの紅い刀身の剣に防がれてしまったのだ。
あの紅い刀身の剣は何なのだろう。剣姫が持つ『銀嶺』と何か係わりがあるのだろうか?
はっきり言って、この少女とはあまり係わりを持ちたくは無いが、このまま放置しておく訳にはいかない。
くすくす
剣姫がそんなことを考えていると、背後から出抜けに小さな笑い声が聞こえた。
振り向けば、そこには赤みがかった髪の幼女が一人、楽しそうに笑っている。
「迎えにきたにょ」
剣姫は記憶をたどる。
それはメシュメンディにいつも纏りついている幼女の一人。
確か、イーネ・ベアトリス。そんな名前だったはずだ。
「メシュメンディ卿のご指示ですか?」
「もちろんだにょ」
得体のしれない子だ。剣姫はそう思う。
高位の魔術師だとは聞いているが、見た目にはあどけない普通の幼女である。
もしかしたら、見た目どうりの年齢ではないのかもしれない。
「その紅いのは、どうするにょ?」
「このまま放置するわけにも行きませんし、とりあえず連れて行こうかと……」
剣姫のその言葉にイーネはにんまりと笑う。
「うん、その方が断然、面白くなるにょ」
面白くなる?
「じゃ、その子背負ってイーネを抱っこするにょ。一回ジャンプするごとに『飛翔』をかけるにょ」
剣姫は言われるがままに、紅の少女を背負いかけたところでハタと気がついた。
『飛翔』は自分自身には掛けられない魔法のはずだ。
ならばこの子は、どうやってここまで来たのだろうと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「皇姫ファティマは、間違いなく死んでいる」
「そうか、良かった。まだサラトガには希望が残されているということじゃな」
サラトガがストラスブルに隣接し、セファル率いる魔術師隊が氷結魔法を駆使して、消火活動にあたっている頃、ミリアはミオの執務室をノックしようとして、漏れ聞こえてきた声に手を止める。
話の内容から察するに、ミオと話をしているのはおそらくサーネだろう。彼女は嘘しか言わない。
どうやら、ミオも掛けておいた保険に思い至ったようだ。ならば、そちらはミオに任せてしまう方が良いだろう。
ミリアは踵を返して、ミオの部屋を離れ、幹部フロアへと向けて歩き出す。これから、二人の人間にそれぞれ依頼しなければならないことがあるのだ。
ミリアはサラトガを陥れることが、アスモダイモスの最終目的だとは考えてはいなかった。おそらく、これは巨大な陰謀のステップの一つでしかない。
アスモダイモスの陰謀。その輪郭をミリアは既に掴んでいる。
ならば、それを逆手に取ってサラトガを救う、そういう起死回生の一手を打ってみせる。ミリアはそう決意していた。
そして、その一手を成就させるための最後の鍵は、やはりあの少年なのだ。
神様がボク達に与えてくれた御守。
嘗て、そう評した愛しい少年の姿を思い浮かべた時、ミリアは見た。
廊下の向こうに、見覚えのある白いフードマントを被った少年が、人目を忍ぶように角を曲がっていくところを。
「ナナちゃん!」
驚き、思わず声を上げると、ミリアは慌ててその角へと走り寄る。
しかし、そこには既に誰も居なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミリアが白いフードマントの人物を見失ったその頃、吹きすさぶ砂嵐の中を少女が一人歩いていた。
強い風に翻弄されて、酒に溺れた酔っ払いのような千鳥足、立ち上がったばかりの雛を彷彿とさせる危なげな足取りで、ふらふらと砂の上を歩いていた。
時折、遠くで揺らめく陽炎を近くに手繰り寄せようとする様に腕で宙を掻きながら、虚ろな目で宙空を見つめて「えへぇ」と笑う。
良く見れば美しい少女だ。
化粧はしていないが、上品な顔立ちをしている。
その上品な顔立ちを砂交じりの風が叩くことも気に留めず、にへらと歪めて、下品に笑い続けている。
身に着けているものも一々仕立てが良い。しかしそれも、そこかしこが破れて、薄らと血が滲んでいる。
しかし少女を最も特徴づけているのは先に挙げた何れでもない。
とりわけ目を引くのは髪型。
頭にキャベツでも載せているかのような、奇異な髪型であった。
少女は虚ろな目で、並びあう二つの機動城砦を見ている。
一つは燃え落ちて煤に紛れ、廃墟のような様相を呈しており、もう一つは城壁の一部を突き破って、氷山が壁面に露出しているように見える。
ああ、うう、という短い呻きの狭間に、「みおにげて」そう言って、少女はだらしなくべろりと舌を伸ばした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「今晩は屋根のあるところで眠れるな!」
やけに嬉しそうにはしゃぐアージュを見て、ナナシもニコリと微笑んだ。
いくら男勝りとはいっても、機動城砦で育ってきた貴種の女の子だ。やはり寒暖差の激しい砂漠での野宿はきつかったのだろう。
往路、ゲルギオスに辿りつくまでは、毎晩のように八つ当たり気味にぶん殴られたものだったが、ここ数日アージュは、ナナシを気遣う様な素振りさえみせてくれている。
女の子はコロコロ変わる。面倒くさいとも思うが、そこが素敵だとも思う。
ゲルギオス脱出から既に3日が経過し、ナナシ達は往路にも立ち寄ったオアシスの村まで辿りついた。
ここまでくれば、サラトガが停泊しているはずの場所までは、あと1日半ほどでたどり着けるはずだ。
村の入口にたどり着くやいなや、ニーノが「わーい」と声を上げながら、村の中へと駆けていく。
「ニーノちゃん、一人で遠くにいかないでね。迷子になっちゃうよ」
ニーノに接するときのアージュの言動は、完全にお母さんのそれである。
密かにナナシは、アージュの本質は、実はこっちなんじゃないかとさえ思っていた。
数日前、アージュとナナシは、ニーノに二人は実は夫婦では無いという事を告げた。ゲルギオスを脱出した以上、二人が夫婦を偽装する必要は無くなったからだ。
しかし、ニーノにとっては、正直どうでも良いことだったのだろう。
関心なさげに「じゃあ、なんて呼ぶ、良い?」とだけ聞いてきたので、名前で呼んでくれればいいと言ったのだが、それは完全に無視されて、アージュのことは「ママ」、ナナシのことは「ゴミ」と呼び始めた。
アージュが半笑いで「ゴミ」はさすがに可哀想だといったら、ニーノは素直に変更して「カス」になった。
どうやらこれまで呼んでいた「ゴミカス旦那」から離れてはくれないらしい。
先へ先へと行ってしまったニーノに続いて、ナナシ達も村の中へと歩みを進める。
「まずは宿をさがしましょうか」
「ああ、そうだな」
何気ないやりとり。しかしナナシの次の一言が良くなかった。
「もう夫婦のフリをしなくて良くなりましたし、それぞれに部屋をとりましょうか」
アージュがピタリと動きを止める。
大体、アージュがこういう反応をするときは、ナナシが酷い目に合う前兆みたいなものである。
「あの…? アージュさん?」
ナナシがおずおずと呼びかけると、案の定、アージュが突っかかってきた。
「ば、ば、ば、馬鹿じゃね。二部屋とる? そんなの金が勿体無いだろうが! 何なの、お前、ブルジョアなの? 大富豪なの?」
「い、いえ、そういう訳ではありませんけど、理由もなく女の人と一緒の部屋で寝泊りするのは、そろそろ、さすがにマズいと思うんですけど……」
「散々、一緒の部屋で寝といて今さらなにを気にしてんだよ、バカ。色気づいてんじゃねーよ。それになぁ、理由はあるだろうが! お前、私のことをサラトガにつくまで守ってくれるんだろう? 夜中に賊にでも入られたらどうするんだ。このウソツキ! バカ、アホ、甲斐性無し」
言いたい放題である。
「アージュさんに勝てる賊はそんなにいないんじゃないかと……」
「あん?」
「……なんでもありません」
顎を突き出して睨む、アージュの鬼の形相に一瞬で敗北するナナシであった。
ナナシとアージュが言い争っている頃、勢いよく走っていたニーノは、通りすがりの女の人にぶつかって尻餅をついていた。
「あらあら」
頭から、薄いピンクのフードを被った優しそうなその女の人は、ニーノを助け起こして砂を払う。
「大丈夫?」
そう問いかける女の人に「うん」と元気よく頷いてニーノは再び走り出した。
ニーノの背を微笑ましく見守るその女の人を良く見ると、スカートの腰のあたりをちょびっとつまむようにして、背後にしがみ付く黄色身がかった髪をした幼女の姿があった。
「おねいちゃん、イーネがね。早く移動しろと言ってる」
「もう追いかけて来てるの?」
「うん、今日は、次のオアシスまで行こう」
そう話しながら、喧嘩の真っ最中らしきカップルの脇をすり抜けて、二人は村の外へと出て行った。
なんとかアージュをなだめて、ナナシ達が村の中へと入っていくと、立て看板のようなものに人だかりが出来ているのが見えた。
「なんでしょうね?」
「ああ、そろそろ収穫祭の時期だからな。なんかイベントでもやるんじゃねえか?」
「うーん、美人コンテストとかだったら、アージュさんが出れば優勝、間違い無しなんですけどね」
「ば、ばかじゃねぇの」
そう言って顔を背けながらも、にへらと嬉しそうに笑っているアージュを見て、よし、機嫌が直った。とナナシはグッと拳を握る。
最近、色々と扱い方を覚えつつあるナナシであった。
そんな時、立て看板に群がる人波の中から「サラトガ」という言葉がナナシ達の耳に飛び込んで来た。
二人、顔を見合わせるとナナシ達は、人垣をかき分けて立て看板の前に立ち、そして信じられない物を見た。
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『告示』
機動城砦サラトガ領主、ミオ・レフォー・ジャハン
上の者は、皇姫ファティマ・ウルク・エスカリス滞在中の機動城砦ストラスブルを攻撃し、これを弑す。
その咎により、ミオ・レフォー・ジャハンからサラトガ伯の地位を剥奪。機動城砦サラトガは皇家直轄領として接収するものとする。
全機動城砦領主、及び、エスカリス・ミーミル全臣民に命ず、彼の者が抵抗の意思を示した場合には、その身柄を拘束し、裁きの庭に跪かせよ。
後日、改めて、首都カルロンにてその罪科を決するものとする。
エスカリス・ミーミル皇王 パルミドル・ウマル・エスカリス
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痛て! おい! 何すんだよ。
非難する声を気に掛ける様子もなく、アージュは俯いたまま、人垣を押しのけて、立て看板の前から走り去る。
慌てて追いかけたナナシがアージュに追いついたのは、砂を裂くものを隠した村の外れの叢の辺りであった。
アージュが振り向いた時、その両目からは滂沱と涙が溢れていた。
「サラトガが! ミオ様が! 殺されちゃう。私の大切なものがみんな、みんな取り上げられちゃうよ」
どうしていいのか分からず、立ち尽くすナナシに歩み寄ると、アージュは八つ当たりする様にその胸を叩き、子供のように声をあげて、泣きながら膝から泣き崩れ落ちた。
ナナシは何も言わない。いや何も言えない。ただ、アージュの頭を掻き抱いて、泣きやむのを待つことしかできない自分を恥じた。
ずいぶん時間が立って陽も傾き、しゃくり上げる声が、いつの間にか聞こえなくなった頃、腫れぼったい目を擦りながら、アージュはナナシに問いかける。
「なあ、このまま私を遠くへ連れて行ってくれないか……ニーノと三人で世界中を旅してまわるんだ」
「……アージュさん」
「……で、二人一緒になって、気に入った場所で家を建てて、子供を育てて、歳をとって、どっちかが先に死んだら墓を守りながら生きていくんだ」
「アージュさん、聞いてください」
ナナシの言葉を手を翳して遮ると、アージュは弱々しく微笑んだ。
「冗談だ。そんな顔すんな……」
「僕は……!」
「良いんだ、ここで分かれよう。お前はサラトガの人間じゃない」
「アージュさん、聞いてくださいってば!」
「サラトガは私の大事な故郷なんだ。
何があってもミオ様に、そして隊長についていくし、サラトガの為に戦う。
でもお前は違う。義妹はサラトガにはいなかったし、お前のケツを蹴り回す様な乱暴な女もいる。それに……」
『話を聞けよ! 馬鹿女!』
出会って以来聞いたことも無いような大声を上げて、ナナシが遂にキレた。
いつもの丁寧な口調を放りだして、目を丸くするアージュの胸倉を掴んで詰め寄ると、顔を近づけてじっと睨み付ける。
想像もしていなかった出来事にアージュは震えあがった。
はああと熱い息を吐き出し、呼吸を整えて、ナナシはアージュの胸倉からゆっくりと手を離す。そして言葉を選びながら、ゆっくりと話始める。
「正直、僕には何が起こっているのかわかりません。
でも砂漠の民である僕に、ミオ様は良くしてくださいました。剣姫様も僕を待ってくれています。ミリアさんとキリエさんも、僕の事をとても大切にしてくれます。
サラトガは既に僕にとって、とても大切な場所になっているんです。
そして、今、目の前で女の子が泣いている。僕はその女の子に笑っていてほしいと思っています。それだけで僕が命を懸ける理由としてはお釣りが来ます」
その言葉にアージュは顔を赤らめて俯くと、声を震わせながらこう言った。
「女の子のことばっかりじゃねえか」
「モテたことのない人間なんで、ちょっと優しくされると勘違いするんですよ。今なら、サラトガ以外の機動城砦を全部沈めて見せます」
おどける様な調子で、ナナシはそう嘯き、アージュがくすりと笑う。
「お前、バカだな」
「よく言われます」
二人は見つめ合って、どちらからともなく笑いかけた。
そしてナナシはアージュの手を取ってこう言った。
「帰りましょう。僕らのサラトガへ」




