第40話 助けて、サラトガが……サラトガが無くなっちゃうよ
勇躍。
アスモダイモスへと向けて、剣姫は一息にその身体を宙に躍らせた。
しかし、その刹那、灼熱の炎が彼女の頬を掠める。
「なっ!」
これには流石の剣姫も慌てた。
まさか自分がここにいることを、敵に気付かれていようとは、想像もしていなかったのだ。
体勢を整えるだけの時間も与えられず、次々に飛来する火球。
しかし、大人しくそれを喰らうわけにはいかない。
「凍土の洗礼!」
咄嗟に両手両足に氷混じりの竜巻を纏い、その風圧で姿勢を立て直すと、飛来する火球を紙一重で躱す。
そして降下速度を抑えながら、剣姫は火球が飛んできた方向へと目を向けた。
アスモダイモスの城壁の上。そこに一人の少女が、大剣を構えて立っている。
特徴的な姿をした少女である。
短い髪は、燃えるような赤毛。黒のフリルを過剰なほどあしらった紅いドレスをその身に纏い、胸には黒鉄色の胸甲が鈍く光っている。
とりわけ、目を引くのは刀身から柄まで紅一色の大剣。ひと目でそれと分かる魔力を宿した逸品だ。
「……派手な人」
もし剣姫のその呟きを聞いている者がいたならば、10人が10人ともこう言ったはずだ。「……お前もな」と。
剣姫の呟きが聞こえたわけでもあるまいが、紅い少女は、降下中の剣姫をキッと睨み付け、100ザール程も上空にいる剣姫にも聞こえるほどの大声で「墜ちろ!」と叫ぶと、手にした真紅の大剣を振りかざした。
その瞬間、剣先から拳大の火球が複数飛び出すと、弧を描いて剣姫へと殺到していく。
射出するところを見ていれば、これだけの距離があるのだ。剣姫にとって対処することはそれほど難しいことではない。
剣姫は両手両足に纏わりついている竜巻を操って、巧みにそれを躱していく。
しかしながら、第二射、第三射と躱し続けていく内に、剣姫の身体はアスモダイモスへと到達する軌道からはどんどん逸れて、終いにはアスモダイモスから数十ザールほども離れた砂の上へと着地する。
後退していくアスモダイモスが巻き上げた砂煙が濛々と立ち込める中、顔を顰め、口元を手で多いながら、剣姫は遠ざかる機動城砦を見送った。
「……逃げられましたか」
剣姫がそう呟いた瞬間、背後から不躾な言葉が投げつけられる。
「誰が逃げるか、ボケ!」
刹那、剣姫は飛びのいて、声の主へと向き直る。
そこには、先ほどの少女が、肩に紅い大剣を担ぐようにして立っていた。
「まったく、何やしょーもない。銀嶺の剣姫やいうから、どんな奴かと思たら、全然大したことあらへんがな」
いきなりの訛りのきつい罵詈雑言に眉を顰めながら、剣姫は尋ねる。
「あなたは?」
「ウチか、ウチはなぁ……」
勿体ぶるように言葉に間を置きながら、紅い少女は肩から剣を降ろして、正眼に構える。
「紅蓮の剣姫様や!」
この瞬間、剣姫はこの紅い少女には、出来るだけ近づかないようにしようと心に決めた。
だって自分で『紅蓮の剣姫様』とか名乗っちゃう人なのだ。
ヘタに近づくと絶対に大火傷する。いろんな意味で。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……オ様、ミオ様」
「うにゅ……もう食べられないのじゃ……」
「そんなベタな寝言を言っている場合ではございません。ミオ様」
「ん……なんじゃ、セファルか」
揺り起こされて、ミオは意識を取り戻した。
ぼんやりとした頭で、ミオは目の前にいる、ややふくよかな丸顔が魔術師隊の副官セファルであることを認識する。
娼は何をしておったのだろう。
そう考えて、アスモダイモスとの戦闘に思い至った途端、ミオは飛び上がるようにして身体を硬くする。
「セファル。娼はどれぐらいの間、気を失っておった」
「ミオ様が負傷されたと伺って、私が参るまでに数分、私が参ってから5分程度、あわせて10分少々というところかと」
戦闘中に意識を失うとは不覚。そう歯噛みするような気分でミオは精霊石板へと視線を移す。
そこには回頭もせず、後ろ向きに遠ざかっていくアスモダイモスの姿が捉えられていた。
逸る気持ちを抑えながら、ミオは状況把握を優先する。
「サラトガの被害状況は?」
クルーの一人がさっと立ち上がって答えた
「衝突した右舷城壁にヒビ、家屋の倒壊等の被害は甚大でございます。しかしながら駆動系は無傷、走行には何ら支障はございません!」
「追いつけるか?」
「可能だと愚考いたします」
ミオは重々しく頷くと、セファルに向かって問いかける。
「サラトガに侵入した敵兵はどうなっておる」
「先程の超信地旋回にて、ほぼ壊滅状態ではありますが、メシュメンディ卿とペネル殿がそれぞれ兵を率いて残存兵を追っております」
セファルの回答に満足気に頷くと、ミオは正面を見据えて全クルーへと告げる。
「皆の者、待たせたのじゃ。これより、アスモダイモスを追撃する」
艦橋のクルー達が一斉にミオへと敬礼した後、俄かに慌ただしく動きはじめ、サラトガは微かな振動を立ててゆっくりと進み始める。
窓から前方に目を向けると、豆粒の様ではあるが、アスモダイモスはまだ視認できる位置にいる。充分に追いつける距離だ。
「さて、ここからは狩猟の時間じゃ」
そう言って、ミオはいかにも楽しそうに嗤った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
紅と蒼。
二人がまるで対を為すような色彩の剣を、互いに十合ほども切り結んだ頃、サラトガがアスモダイモスを追って、ゆっくりと動き出した。
「可哀相にのう、お前、置き去りにされてもうたな」
剣戟を繰り出しながら、紅の少女が嘲笑する。
「人の事言えないんじゃないですか? アスモダイモスももう行っちゃいましたよ」
剣姫がその剣を受け止めると、互いに力をこめた鍔迫り合いとなった。
「ウチはええんや。ウチの標的は目の前におるんやからな」
「アナタの狙いは最初から私ということですか?」
「せや。どいつもこいつも剣姫言うたら銀嶺の剣姫様やてぬかしよる。せやから、お前どついて、ウチが最強やいうとこ証明してやるんや」
どちらからともなく剣を弾くと、互いに飛び退いて剣を構えなおす。
しかし剣姫は顎に手を当てて考える様な仕草を取るとさらりとこう言った。
「なるほど、嫉妬ですか」
「し、し、嫉妬ちゃうわ!」
紅の少女は顔を紅潮させて、ブンブンと剣を振り回す。
あまりの分かりやすさに、クスリと笑って、剣姫は上段へと構えを変える。
「まあ、良いでしょう。最近は、陰謀だなんだと、剣の背後に色々と隠したがる人が多すぎますから、あなたの様な単細胞生物の方が好ましくもあります」
「誰が単細胞生物やねん!」
紅の少女のツッコみに何ら反応する事無く、剣姫は言葉を続ける。
「人間相手に使ったことはありませんが、何とか生き延びてくださいね」
「え”」
あまりにも不穏すぎる台詞に、紅の少女が固まる。
「蹂躪の吹雪!」
剣姫が大上段から剣を振り下ろすと剣先から、冷気を纏った特大の衝撃波が走る。
至近距離からのこの一撃を、紅の少女は反射的に剣で受け止めた。
通常であれば、形も残らないほどの一撃ではあるが、少女の持つ紅い大剣も尋常ではない。衝撃波は剣に妨げられて、岩に分かたれた流水の様に二つに分かれると紅の少女の立っているその一画を残して、ごっそりと地面を削り飛ばした。
「大したものですね。今までも躱されたことはありますが、耐え切られたのは、初めてです」
紅の少女は内心、どっと冷や汗をかきながらも、無理やりにも余裕ぶって強がる。
「当たり前や。そんな、ひょろい攻撃がウチに通用する思たら大間違いやで」
しかし、口は災いの元である。
カチン。
剣姫のこめかみのあたりで金属音が響いた。
「ひょろい? そうですか、そうなんですか。じゃあ、とりあえずあと5、6回耐えてくださいね」
これはマズい。
剣姫の方を見ると、顔は笑っているが目は笑っていない。
「行きますよ」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て、今のんお前、必殺技なんちゃうんかい!」
「必殺技? まあそうですね。大体これで終わりますから」
「そんなんズルいやん、なんで必殺技5回も6回も撃てるねん」
「え? あと20回は撃てますけど」
不思議なことを言う人だと言わんばかりに、きょとんとした表情を向ける剣姫。
紅の少女の頬を冷たい汗が滴っていく。
アカーン! これアカンやつや。
紅の少女の叫びが、彼女の心の中で反響した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
剣姫二人が、安っぽいコントのような戦闘を続けている間も、アスモダイモスの逃走は続いていた。
ずっと後ろ向きに進み続けているアスモダイモスに対して、ミオ達は、どこかでターンするだろうと踏んで、そのタイミングをじっと狙い続けているのだが、アスモダイモスは、一向にそんな動きを見せる気配もなく、ひたすらに後ろ向きに直進し続けている。
当然のように、通常走行のサラトガの方が速度では上回っている。
時間を追うごとにじりじりと迫ってはいるが、魔法による遠距離攻撃を狙うには、未だに距離が離れすぎている。
追い始めて、既に二刻ほどが経過しようとしていた。
最初は睨むようにアスモダイモスの姿を目で追っていたミオも、次第に倦みはじめ、緊張感なく欠伸を堪える様な仕草が増えてきた。
「あと半刻も走れば、砂嵐に突入します」
「わかっておる」
セファルの言葉をミオは面倒くさげに遮る。
先程からアスモダイモスの向こうには、黒い巨大な雲が垂れ込めているのが見えている。
言われずとも、アスモダイモスがそこを目指しているのは、誰の目にも明らかだった。
「どうやら、あれに紛れて逃げきるつもりらしいのう」
そうはさせない。
むしろ、隠れるために、あの砂嵐の中でアスモダイモスが停止した時が最大の好機だ。
「『所在を告げよ』を立ち上げておけ、セファル」
セファルにそう言うと、艦橋の壁から伸びたパイプーー伝声管の一つに口をつけて、ミオは囁くように言った。
「シュメルヴィ、もうすぐ出番じゃ。いつでも行けるように準備しておけ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サラトガ城の下層、非戦闘員の避難フロアに隣接した一画。
そこに幹部専用の病室棟がある。
「へへへぇ、僧帽筋、三角筋、方形回内筋……」
上機嫌で筋肉の名称を列挙する声が聞こえてくるのは、グスターボの病室。
昨晩、キリエはその隣の病室に担ぎ込まれた。
痛みに身悶えながら、何とか眠りに着こうとしたころに、延々と隣の部屋から筋肉の名称を唱える声が聞こえてくることで、キリエは少し……ほんの少しだけ反省した。
今、病室には、キリエとミリアの二人がいた。
「さっきは、凄い振動だったね、お姉ちゃん」
「ああ、そうだなッ!」
「死ぬかと思ったよ」
「全くだなッ!」
「何で、そんな怒ってんの?」
「怒るだろう、普通!」
キリエは病床に固定されるようにロープでぐるぐる巻きにされていた。所謂、簀巻き状態である。
「だって、お姉ちゃん、重症なのに大人しくしてくれないんだもの」
「傷は塞がってるんだ、ミオ様の傍に控えておることぐらい何の問題も無いわ」
昨日のキスクとの戦いで刺された足は、大腿骨破砕という重傷であった。
たしかに治癒魔法によって傷口は塞がってはいるが、骨の修復というレベルになるとそう簡単にはいかない。少なくとも繰り返し、魔法による治療を施しながらも3日程度は安静にしている必要がある。ましてや戦闘に参加するなど、もってのほかであった。
「それに何だこれは!」
いかにも不機嫌そうに、キリエは言葉を続ける。
「何?」
「女を縄で縛るのだぞ! もっと色っぽい縛り方というものがあるだろう!」
「そこっ?!」
実の妹にとっても、どうやら姉の脳内はワンダーランドだった様だ。
「重要! 超重要だぞ。例えばだ、我が弟が見舞いに来た時のことを考えてみろ」
「はぁ」
「今の状態であれば、ツッコんでいいのかどうか迷う微妙なレベルだぞ」
「うん、まぁ、そうかな」
確かに、冗談にしてもそれほど面白いという様なものではない。
「それが、例えば亀甲縛りとかだったら、『……お姉ちゃん、綺麗だよ』とか、淫靡な雰囲気になるかもしれないだろう」
「ならないよ?! 絶対! お見舞いに来た相手が亀甲縛りになってたら、むしろトラウマになっちゃうよ!」
ミリアは自分の姉が別の場所を負傷しているのではないかと疑い始めていた。
具体的には頭とか。
その時、扉をノックして治癒魔法を担当する魔術師が一人、部屋へと入ってきた。
「お加減はいかがですか?」
「こんにちは。外の様子はどうなってます?」
「はい。ミオ様のご采配によって、敵は撃退。現在はすでに二刻ほども後退を続けているようです」
「後退? 逃げているということですか?」
「ええ、そう伺いましたが……」
ミリアの表情が曇る。
逃げている? そんなことは絶対にありえない。
ミリアは思考を巡らせる。何か見落としがあったのだろうか……。
「すいません。『所在を告げよ』は使えますか?」
その魔術師は、訝しげな顔をしながらも頷いて、胸の谷間から地図を取り出す。魔術師には地図を胸の谷間に収納するような決まりごとでもあるのだろうか?
ちらりとキリエを見たら、今にもぶっ殺しそうな顔をしていた。
間違いない、あれは犯罪者の顔だ。
あらためて縛っといて良かったと思うミリアであった。
「所在を告げよ」
魔術師が病床脇のテーブルに地図を置いてそう聖句を唱えると、地図の上に光点が現れる。
それを見た瞬間、ミリアの顔が一気に青ざめる。
そして、唇をふるわせながらこう呟いた。
「やられた……」
次の瞬間、ミリアは転がる様にして病室を飛び出し、スカートを振り乱して艦橋に向かって走りだした。
「お、おい! ミリア!」
背後からはキリエの慌てる声がしたが、今はそれどころではない。
地下道を走り、地上フロアへとつづく螺旋階段を、息を切らせて、駆け上がりながらミリアは考える。
執念は、前へと進む推進力だ。
善きにつけ、悪しきにつけ、執念に取り付かれたものは前へ進む以外の選択肢を全て失ってしまう。
どんなことがあっても目的を達成しようとする強固な思い、それが執念なのだ。
理由はわからない。だがアスモダイモスは凄まじいまでの執念をサラトガへと向けている。
魔晶炉を積み替えるほどの無茶をしてまで襲いかかって来たものが、一撃を食らったぐらいで、尻尾を巻いて逃げ出すわけがない。
もし今、アスモダイモスが後退していたとしても、それは形而上の問題で、彼らの中では、彼らの目的に向かって真っ直ぐに前進しているはずなのだ。
地図の上の光点を見て、ミリアはアスモダイモスの陰謀の全容を把握した。
把握してしまったのだ。
どれ程の執念が、どれほどの恨みがあれば、こんな恐ろしいことを考え付くというのか。
「……ナナちゃん。助けて、サラトガが、サラトガが無くなっちゃうよ」
泣きそうになりながら、ミリアは、そこにいない人物へと訴えかける。
無駄だということは判っている。そして仮に、彼がこの訴えを聞いていたとしてもどうしようもないことも。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アスモダイモスは砂嵐の中へと消えていったが、サラトガはそれを追うことなく砂嵐に突入する直前で停止した。
城門の直ぐ上に設置された短砲身だけが、アスモダイモスの行く末を追跡しながら、砲塔の角度を調整し続けている
「アスモダイモス回頭、右舷60度、そのまま南東へと転換」
地図上の光点を、見つめながらセファルが逐一アスモダイモスの動きを伝声管の向こうのシュメルヴィへと報告する。
今、アスモダイモスは、砂嵐の中で大きく右へと舵を切り、弧を描くように移動しているようだ。
ミオの読みどうりであるならば、アスモダイモスはこの砂嵐の中で極端に魔力放出を小さくして隠れるはずだ。
勝負をかけるのは、地図の上からアスモダイモスの光点が消えるその一瞬。
「シュメルヴィ、決してアスモダイモスから射線を外すで無いぞ」
伝声管を通して魔力砲の銃座で待機するシュメルヴィに指示を与える。
「アスモダイモスの速度が落ちはじめました」
セファルの報告に、ミオは息を飲んで、その瞬間を待つ。
「……3、2、1 アスモダイモス停止しました」
「今じゃ!魔力砲、発射!!!」
ミオが絶叫と呼ぶに相応しい大声を上げたその瞬間、乱暴にドアが開いてミリアが艦橋へと飛び込んでくる。
「ダメえええええええ!」
しかし時すでに遅し、ミリアの制止する叫びも虚しく、サラトガの正面で眩い光が膨れあがると、砂嵐を引き裂いて、真っ直ぐに光の槍が射出される。
一瞬の静寂、そして轟く爆発音。
魔力砲の光線が通過した箇所は、砂嵐にぽっかりと大きな穴が開いた。
舞い散る砂の向こう側、その空隙の向こう側に、ミオは見た。
はるか彼方、射線上で打ち抜かれた機動城砦。その中央の城がぐらりと傾いて、轟音を立てながら崩れ落ちていくのを。
「あ…あ……あ、ああ……」
目を見開いて、ただ呻きながら、ミオは力無くソレを指差し続けている。
ミリアには、見ていることしか出来なかった。
ミオの瞳に映る、業火に巻かれて崩れ落ちていく、機動城砦ストラスブルの姿を。




