第39話 横っ面をぶん殴ってやれ
静寂を切り裂いて、警報音が唸りをあげる。
サラトガの城壁に一定間隔で設置された精霊石が明滅しながら、次々に叫び始めた。
火のついた様に泣き喚く赤子の声にも似た長吹鳴の警報音は、サラトガ全域に木霊して、城壁の内側で反響。輪唱のように、三重にも四重にも響き渡った。
「な、なんだ!」
突然の大音響にサラトガの城壁へと降り立ったアスモダイモス兵達の間に動揺が走る。
ある者は及び腰でキョロキョロと周囲を見回し、ある者は仲間の背に隠れる様にそっと移動、またある者は虚勢を張ってビクついた者を笑う。
「怯むな、馬鹿者どもが! こんなものは虚仮脅しに決まっておるだろうが!」
浮き足立つ兵士達の只中で、巨大な戦斧を携えた大男が、味方の兵達に向けて大音声で叫ぶ。
『鉄髭』ズボニミルと並び称されるアスモダイモスの将軍『酒樽』モルゲンであった。
それでも相変わらず不安げな兵士達を、蹴散らす様に追い立てながら、モルゲンは再び叫ぶ。
「征け! 征け! 駆け下りろ。隠れて怯えているサラトガの弱兵どもを蹴散らしてやれ!」
その声に触発されたのか、はたまた得体の知れない{警告音よりもモルゲンの剣幕の方を恐れたのか、アスモダイモスの兵達は、雄叫びをあげながら次々に階段を駆け下りはじめる。
しかしその直後、一人の兵士が上げた声に、多くの者が再び足を止めた。
「あそこに誰かいるぞ!」
兵士が指さしたのは、サラトガ城とは真逆の方向。
城壁の上からでは、直線距離にしても数百ザール先の破損した城壁のあたり、更地になった一画だ。
「おう、女じゃねえか!」
「ありゃあ、たぶんいい女だぞ!」
訓練された兵士とは言っても、男であることには変わりはない。
いい女という単語に反応して、足を止める者が急に増え、さざ波のようにざわめきが伝播していく。
数百ザールという距離ながら、その女は遠目からでも分かるほどの美貌。
無論、細かい表情までは分かるはずもないが、青のドレスに包まれた、すらりとした痩躯に風に靡く銀の髪、纏う雰囲気の気高さまでもが風に乗って伝わってくるようだった。
これから攻め入ろうというサラトガ城とは真逆の方向ではあるが、何とか将軍たちに気付かれぬように、そちらへ向かう方法はないかと思案し始める兵士達。
ここまで誰一人として姿を見せないサラトガの不気味さに、例え女一人であったとしても姿を見せたことに内心、ホッとしたという事もあるが、それ以上に、戦勝ムードに酔っているからこその為体だと言えよう。
一方、剣姫の方でも、城壁の上からの不躾な視線にはもちろん気付いている。しかし、それを咎めるつもりはない。
殊更に鼻に掛けるつもりはないが、自分の美貌に気付かぬふりをするほど、腹黒くもないのだ。
不愉快でないと言えば嘘になるが、むしろ、これから彼らを襲うであろう不幸を思えば、憐みの念が上回る。
鳴り響く警報音。
それこそが、反撃の狼煙。
無作法にも他家の庭へと土足で踏み込んだ愚か者達へと告げる、終末の笛。
彼らが、天に召されるための階段の一段目を積むことこそが、本日彼女に与えられた役割だ。
剣姫はゆっくりと崩れ落ちた城壁、その空隙へと近づきながら囁く様な小さな声でぽつりと聖句を唱える。
「氷結」
声の大きさと、魔法によって起こる事象の規模に因果関係は無い。
次の瞬間、囁く様な声とは裏腹に、パキパキという派手な音を立てながら、地面から立ち昇る湯気が凍り付いていく。
それはまるで、無数の茨が蔦を伸ばす様に、剣姫の足元から伸びて、幾重にも絡まり、纏わりつきながら、ぽっかりと空いた城壁の裂け目を埋めていく。そして最後にはピシッという一際高い音を立てて膨れ上がり、完全に城壁の裂け目を埋め尽くした。
「ふぅ」
剣姫は小さく息を洩らす。
まあ、こんなものだろう。
城壁に氷山が|めりこんでいるかのような不格好な有様ではあるが、とりあえず城壁を埋めろというミオの要請には応えられたはずだ。
そして、精霊石板でこちらを見ているであろうミオに向けて、剣姫は一つ頷いてみせた。
◇ ◇ ◇ ◇
「あいかわらず出鱈目じゃのう」
精霊石板に映る巨大な氷山を眺めながら、ミオは小さく嘆息する。
……たかが氷結であの規模の氷山を精製しようとは。
そもそも氷結は氷雪系統の初級魔法である。
通常であれば、握りこぶし大の氷を生み出す程度の魔法でしかないのだ。
ミオも、暑い日には、これでシュメルヴィに氷を作らせてはかき氷を楽しんでいたりする。
そういう日常的な魔法のはずなのだか……。
ともあれ、応急処置とはいえ、城壁は埋まった。
ならば次の行動に移らなければならない。
「城壁の上を映せ!」
ミオは艦橋クルーの魔術師に指示を与える。
城壁の上には、アスモダイモスの兵達が溢れ返っており、次々と階段を駆け下りていく。まだ、地上にまで到達している兵士はいない様だが、いつまでも手を拱いている訳にはいかない。
すぅと息を吸い込み、ミオは鳴り続けているサイレンの音に負けじと、艦橋全域に向けて、声を張り上げた。
「総員、対衝撃体勢を取れ! サラトガ、急制動!」
ハッ!というクルーの返事とともに、暴れ馬が嘶くように、下から突き上げるような衝撃がサラトガを襲う。
急激に心臓に血液を送り込まれ、ショック症状による反射で身体を跳ねさせるかの様な乱暴な制動。しかし、魔力供給の少ない状態でアイドリングしていたサラトガの反応は著しく鈍い。
「……いつまで、眠っておる、サラトガ!」
サラトガに意志はない。しかし主のその呼びかけに応えるように、ギシギシと軋みを立てて、その巨体を震わせた。
ミオは満足そうに、手近な壁面を撫でると、正面を向き直り表情を一変させる。
その顔に浮かぶ表情は悪意。悪辣に顔を歪めた死神の微笑であった。
ミオは声を限りに命令を下す。
「サラトガ! 横っ面をぶん殴ってやれ! 全速超信地旋回!!」
ぐらり。
次の瞬間、眩暈のような違和感がミオを襲い、身体を支える様に椅子の肘掛けを握り締めた。
激しい振動とともに金切声のような異音を立てて、全長3000ザール、全幅1500ザールにも及ぶサラトガの巨体が城の位置を軸として、その場で一気に回転しはじめる。
超信地旋回ーー左舷と右舷の動力を、それぞれに同じ速度で互い違いに逆回転させたのだ。
城砦都市が丸ごと風車のごとく回転するという壮絶な光景。
機動城砦は設計上、通常走行時には振動すらほとんど感じさせない様になっているが、さすがにその場で高速旋回するとなれば話が違う。
窓の外、城壁近くの外縁部では、遠心力で一瞬にして家屋が倒壊し、飛び散った破片が宙を舞い、倒壊した木々が、ふっとばされて家屋の壁面を突き破るのが見えた。大災害もかくやという惨状である。
ならば、回転の中心部、サラトガ城の周辺はというと、外縁部ほどでは無いにしろ人が立っていられる様な状態ではなかった。
艦橋から下を見下ろせば、地面に固定された鎖に鈴なりになっているサラトガの兵士達も身体を宙にはためかせ、まるで万国旗のような有様だ。
しかし、最も悲惨なのは、最外周部、城壁の上であろう。
その光景に対する最も適切な表現を探すならば、こういう言葉になる。
『撒き散らす』
城壁の上にいた者達は城壁の外へ、階段の途上にいた者達は城壁の内側へと、次々に放り出されて宙を舞う。
放り出されまいと隣に立っている者を掴んだならば、掴んだ人間ごと高く放りあげられ、なんとか石畳の淵に掴まっていた者たちも、次々に力尽きて、すっぽ抜ける様に空へと吸い込まれていった。
アスモダイモスからサラトガへと架橋された屋根付き梯子は、捩じりあげられるように、次々と地面に叩きつけられ、その上にいた兵士達を巻き込んで生存の可能性を欠片も残さず刈り取っていく。
しかし、惨劇はこれで終わりではない。
サラトガは一回転するわけではなかった。たった90度の回頭。
サラトガが90度回転すれば、そこにあるのはアスモダイモスの側面である。
振りかざした棍棒でスイングするように、サラトガの右舷前方がしなりながら、アスモダイモスの側面に激突する。
その瞬間、耳を劈くような轟音。
爆発かと錯覚するような破砕音が砂漠の空に響き渡る。
激突したアスモダイモスの右舷が一瞬、宙に浮いてその巨体が傾き、平たい木皿を落とした時の様に地面を跳ねる。
その瞬間、アスモダイモスの魔力砲が暴発した。
装填されていたのは雷撃。凄まじい音を立てて光の塊が高速で飛び出し砲身を焼く。
しかし、その射線上には、すでにサラトガは存在しない。
凄まじい破壊力で、数千ザールに渡って虚しく砂を抉り、砂塵を高く舞い上げた。
一言で表現するならば、『大惨事』
動けないと見せかけての超信地旋回、3000ザール級の機動城砦による遠心力を載せた体当たりである。
その被害の大きさはといえば、砂洪水も、かくやというレベル。
有史以来、人の手によって起こされた災害でも指折りの規模だと言えよう。
舞い上がった砂煙の降り注ぐ中、今、二つの機動城砦は、廃墟のように静まり返っている。
明滅する精霊石板の光。
艦橋では、クルー達が、呻き声を上げながら、固定されたデスクに突っ伏している中、腰を椅子に縛り付けたままのミオが顔を上げる。
アスモダイモスに衝突した時に、椅子の角にぶつけたのだろう。その額からはどくどくと血が流れていた。
「ははは、無茶苦茶じゃ……ミリアめ、何がこつんと当てるだけじゃ。もう二度とやらんぞこんなこと」
そう呟くと、ミオはそのまま意識を手放した。
◇ ◇ ◇ ◇
「なんだ! なんだコレは!」
サラトガの城壁の上、『酒樽』モルゲンは、石畳を拳で打ちながら吼える。
石畳へと叩きつけた戦斧にしがみついて、紙一重で耐えきったモルゲンは、状況を把握するにつれ、堪えようもない激しい怒りに、身を焦がす。
なんだこれは!
これは真剣に戦争をしようという者を嘲弄する、空前絶後の悪ふざけではないか!
卑怯にも策を弄し、戦士の矜持に唾を吐きかけ、我が数千の兵達の存在に「無価値」のレッテルを貼り付ける悪魔の所業ではないか!
許すわけにはいかない。
見回せば屋根付き梯子は全て地に落ち、アスモダイモスも飛び移れるような距離にはない。もう戻ることはできない。
城壁に残っている兵士達は数えるほどで、城壁の下に目をやれば同胞の血で石畳は空白もないほどに赤く染まっている。
血がにじむほどに唇を噛みしめた後、城壁に残る数少ない兵士を呼び集め、モルゲンは宣言する。
「間もなくここに敵兵が殺到してくるだろう。死にたくなければ俺についてこい。このままサラトガに潜伏し、彼奴等に必ず、目にもの見せてやる」
◇ ◇ ◇ ◇
剣姫は、空中からこの大惨事を俯瞰して見ていた。
城壁を氷山で塞いだ直後から『上昇』の精霊石を使って、空へと昇っていったのだ。
剣姫は今、茫然とこの光景を見つめている。
言葉を失うというのは、こういうことを言うのだろう。
眼下に広がってる大惨事は、ミリアから事前に聞いていたものとは、ずいぶんと印象が違っている。
動く様子のない二つの機動城砦と、魔力砲によって数千ザールに渡って、抉られた砂の大地、舞い散る砂煙。そして未だに虚しく響くサイレンの音。
剣姫は頭を振って、自分の役割を思いおこし、直前の軍議でのミリアの言葉を反芻する。
「その後は、たぶんアスモダイモスは、地上部隊を展開すると思うよ。人間じゃない奴。砂巨人とかね」
それに対処するために剣姫はここに待機していたのである。
しかし、ミリアの予想は裏切られる。
先に動き始めたのはアスモダイモス。
アスモダイモスは、化物を放つわけでもなく、そのまま後退し始めている。
サラトガは動く様子がない。何か、再び動けない状況に陥ったのかもしれない。
剣姫はミリアの予想が外れたことに一瞬驚いたが、彼女だって神様というわけではないと思いなおす。
しかし、このままアスモダイモスを逃がすわけにはいかない。
剣姫は意を決して、一躍、アスモダイモスに向かって、飛び降りて行った。
 




