第37話 奥様、そういうのは後。
転がる様に宿屋を飛び出した二人。
通行人達が、大きな音に驚いて振りむく。
ニーノを背中に背負ったまま立ち上がると、ナナシは商店が立ち並ぶ通りを、城壁に向かって全力で駆けだした。
首筋に手をまわし、ナナシにしがみつくニーノ。
先程までピョコンと飛び出していた三角の耳と腕の毛は既に無くなって、いままでどおり異国の人間ではあるものの、普通の少女に戻っている。
「ニーノ、キミ獣人だったんですね」
走りながら、ナナシはニーノに囁きかける。
「……ネィ 獣人ない。ニーノは1/4狼人間 旦那様イヤ?」
不安気な声がナナシの耳元で聞こえる。
1/4ということは、父親か母親が半獣人だったということなのだろう。
「いいえ」
そう言って、ナナシは首を振る。
「さっきは、その力のお陰で、助けてもらいましたから。犬耳姿もかわいいと思いますよ」
「ゴミカス旦那様、ロリコン?」
ニーノはちょっと引いたような素振りを見せる。
「なんでそうなるんですか! 断じて違います!」
これ以上、根も葉もない汚名を着せられてはたまらない。
「それはそうと、その力を使えば、奴隷商人のところからも脱出できたんじゃないですか?」
「ネィ! ゴミカス旦那様、えーと……ばか? 獣人思われる。その場で殺される」
「バカって……。まあ、いいですけど」
そのあとしばらくナナシ達は無言で、商店街を駆け抜けていく。
実はこの時、ナナシの胸には一つの希望が芽生えていた。
ナナシは考える。
あの化物は『私の中のキサラギちゃん』確かにそう言った。
一つになったと言う割には、あの化物がキサラギの事を別人のように話をしていたことが引っかかる。
アージュが切り飛ばした腕からは一滴の血も流れてはいなかった。つまり身体はゴーレムだ。ということは、アイツ自身もゴーレムの中に納まっているただの魂でしかないはずだ。
ならば、キサラギの魂だけを残して、あいつの魂を追い出す、そんな都合のいいことができないものか……。例えゴーレムの身体だったとしても、魂がキサラギならば、それはキサラギということになりはしないかと。
いずれにしても、サラトガに戻ってシュメルヴィあたりに相談してみれば、何か方法が見つかるかもしれない。
一度は絶望したものの、今、ナナシはキサラギの事を諦めるつもりは無かった。
「いたぞ!」
商店街を走り抜け、十字路に差し掛かったところで、通りの向こうから兵士達が叫ぶ声が聞こえた。
城壁に向かって真っすぐに伸びる前方の道には、槍を構えた兵士達が密集している。通常であれば、十字路を曲がって、別の道に逃げ込むところだが、あの化物の事だ、時間をかければかけるほど何を繰り出してくるかわかったものではない。
「ニーノ! 突破するよ!」
走りながら姿勢を低くして、愛刀の鯉口を切る。
勢いを殺すことなく近づいてくるナナシに、一番前の兵士が慌てて槍を突きだす。
ナナシはそれを最小限のサイドステップで小さく躱すと、槍の柄にそってクルリと回りながら抜刀。その兵士の槍を真っ二つに叩き斬る。
その瞬間、ニーノの頭にピョコンと三角の耳が生えたかと思うと、ニーノはナナシの肩を蹴って兵達の後ろに向かって跳躍。
残されたナナシに向かって、剣が左右から殺到してくる。
ナナシは、槍を折られてバランスを崩した兵士の股下を、足から滑るようにして潜り抜け、立ち上がりざまに、進路を塞いでいる目の前の兵士を、下から逆袈裟に切り上げた。
そして返す刀で、剣を振り上げたもう一人の兵士を斬り伏せて、その兵士の胸元を正面から蹴り倒して突破すると、その背中に空中から降ってきたニーノが再びしがみついた。
それはまさに一瞬の出来事であった。
斬られた兵士達が呻きながら倒れこみ、周りの兵士達は、突破された驚きに唖然として見送る中、ナナシ達は速度を落とすことなく走り抜けていく。
しかし、追手はこれが全てというわけでは無かった。
「ゴミカス旦那様 人ない臭い来る。大きい!」
ニーノがそう叫んだ瞬間。後ろで茫然としていた兵士達が悲鳴を上げる。
家屋の壁面を突き破って、人の倍はあろうかという巨大な生物が飛び出し、為すすべのない兵士達を踏みつけにしたのである。
黒光りする甲殻、節のついた8本の足、尻尾を高く振り上げ、両手のハサミを威嚇するように広げながら、そいつはナナシ達を追ってくる。
「巨大蠍!」
砂漠のど真ん中ならいざ知らず、機動城砦の街中になんであんな化物が現れるのだろうか? しかも、わき目もふらずナナシ達を追いかけてくるのだ。
「実はニーノの友達だとか、言いません?」
「ネィ! ニーノにも友達選ぶ権利あるます」
「ですよね」
そんな軽口を叩いている間にも、巨大蠍はこちらに向かって、かさかさと追いすがってくる。
「ゴミカス旦那様、あれ速い! 追いつかれる!」
後ろをちらりと振り返るとそいつは、確かにすぐ後ろまで迫ってきている。
巨大蠍が両腕の鋏を振り回す度に、ナナシの背中にしがみついているニーノは、その背中にびゅんびゅんという風圧を感じる。
「ゴミカス! ニーノもう無理! 先行く!」
そう叫ぶとニーノはナナシの肩を踏み台にして、前に向って跳躍すると、そのまま走り去っていく。
1/4とはいえ獣人。ナナシよりも断然、足が速い。
「速っ! なんで僕にぶら下がってたの?!」
ツッコみを入れている間にも、巨大蠍はナナシのすぐ後ろまで迫っていた。
「次から次へと!」
ナナシがそう恨みがましくつぶやきながら振り向くと、そこには巨大蠍がナナシの胴体を挟むべく、両側から鋏を振りかぶる姿があった。
咄嗟にナナシは倒れこみ巨大蠍は、鋏を振り回しながら、ナナシの上を通り過ぎる。
巨大蠍の後ろに、兵士達が追ってきている様子はない。
ならば、ここでコイツを仕留めてしまう方が確実だ。
ナナシは刀を抜く。鞘を納めた状態からの抜刀だけが「ジゲン」の技ではない。ただ、どの技にも共通しているのはその精神だ。
一撃一殺。
目標を見失った巨大蠍は足をとめ、くるくるとその場で旋回する。そして3対6つの目が、再びナナシを見つけると、間髪入れず、かさかさと走り寄ってきた。
刀を上段に構え、前後に小さく足を開き、重心を心持ち、前に倒す。
ナナシの目前まで来ると巨大蠍は大きく左右に鋏を広げ、毒針のついた尻尾を高く跳ね上げる。
ハサミで獲物をつかみ、尻尾の針で毒を注入。動けなくなったところを捕食する。それが蠍の狩りのやり方だ。サイズが大きくなったところでやることは変わらない。
しかし、それは今回に限って言えば、捕食者と獲物の関係を見誤っている。
ナナシは砂漠の民。蠍と言えば食卓に並ぶ、付け合せでしかない。
サイズは極端に違うが、たかが副菜を恐ろしいとは思うはずがないのだ。
神速の踏込。鋏を大きく左右に広げた瞬間、ナナシは上段に構えた刀を凄まじい勢いで、振り下ろす。
「兜割り」
胸と一体となっている蠍の頭が真っ二つに割れ、綺麗な断面を晒す。次の瞬間、その断面からしみ出す様に、黄色の体液がボトボトとしたたり落ちた。
巨体を支える八本の足が、ずるずると横へと大きく広がって、地面に胴体が横たわる。
「これ、食べれるかな? でも大味なんでしょうねぇ」
あくまでナナシは食材としてしか、こいつを見ていなかった。
余談ではあるが、ここにアージュが居ないのは幸いだった。サラトガからゲルギオスまでの旅の途中、ナナシはアージュに無理やり蠍を食べさせようとして、一度泣かせてしまっていたのである。
巨大蠍が倒れたのを見て、ニーノがぱたぱたと走り寄ってきた。
「すごい! ゴミカス旦那様、強い! 意外!」
「別に強くはないですけど、わりと料理は好きなんです」
「料理?」
そう言ってニーノが首を傾げたその時、遠くの方から声がした。
「いたぞ! あそこだ」
再び兵士達が、コチラに向かって駆けてくるのが見えた。
「ゆっくりしてる場合じゃありませんね、いきましょう ニーノ!」
「ヤー 旦那様!」
そう言ってニーノは再び、ナナシの背中にしがみつく。
「ちょ、ちょっとニーノ、キミ、さっきすごい速さで走ってたよね」
「ネィ ニーノ言葉わからない」
…………この子、実は相当大物なんじゃないだろうか。
ナナシは溜息をついて、再び走り始める。
追ってくる兵士達はずいぶん後方だ。このまま行けば逃げ切れるだろう。
少し心に余裕ができると、ナナシの中に一つの疑問が過ぎった。
そもそも、あの化物は何なのか?
少なくとも、今回、あいつがナナシを狙ったのは偶然だ。キサラギの記憶からアレについて知ったためにその鍵を握るナナシを捕まえようとした、それだけだ。
少なくともゲルギオスがサラトガを襲った理由とは無関係だろう。
ボズムスといいキサラギといい、あのゴーレム達を使って何かをたくらんでいる人間がいる。ただ、そいつがどこの誰で何を狙っているのか。それが全く見えてこない。
そうこうするうちに前方に城壁へと昇る階段が見えてくる。
見上げれば、階段を登り切ったあたり、城壁の上で、アージュが手を振っているのが見えた。
「ニーノ! もうすぐです」
「ヤー!」
速度を落とすことなく、ナナシは城壁の階段を駆け上がる。
流石に身体は汗まみれ、呼吸は荒く、鼓動は激しい。
「こっちだ! はやく!」
城壁の上の方から、アージュの声が聞こえる
城壁の中段あたりで足を止めて下を見下ろすと、階段の手前あたりまで兵士達が大量に殺到してきているのが見えた。
その一群の最後方にローブを着た集団がいる。
魔術師?
ナナシがそれを見ている内にその一団の人間の手に、赤い光が灯っていくのが見えた。
魔法!
次の瞬間、大量の火球がナナシ達を目掛けて飛来し、轟音とともに階段の上に火の手が上がる。
直撃したものは無かったが、進行方向の階段を火の手が包み、ナナシ達がそれ以上登ることを妨げる。
「もうちょっとなのに!」
ナナシが悔しそうにそう口走った瞬間、前方に出来た炎の壁を突き破ってナナシ達の方へ何かが向かってくる。
「止まんねえ! 止まんねえぞ、これ!」
鈍く光る流線型の板。それは、砂を裂くもの。
その上では、四つん這いのアージュが顔を青くしながら狼狽している。
「後ろ! 後ろに体重を掛けてください! アージュさん!」
その言葉にアージュは慌てて、四つん這いの状態から不格好に尻餅をつくように後ろへと反り返るとそのまま、転倒。
砂を裂くものはすっぽ抜けて高く跳ね上がり、そのまま落ちてくるとナナシの鼻先を掠めて、石畳にビインという音を立てて突き刺さった。
「あわわ……」
あと数センチずれていたら、頭に突き刺さっていたかと思うと背筋が凍る。
「なんて無茶なことをするんです、アージュさん!」
地面に座り込んで腰をさするアージュに向かって、ナナシが怒鳴りつける。
「だってよぉ……。助けなきゃって思ったらさ……」
アージュが消え入りそうな声でそう言いながら、しょんぼりと俯く。
怒るナナシ、しょんぼりするアージュ。いつもと逆の光景であった。
「でも、助けに来てくれて、嬉しかったです。ありがとうございます」
そう言って微笑みかけたナナシに、目尻に溜まった涙を拭って、アージュは言った。
「遅いぞ」
アージュは立ち上がり、ナナシに抱きつこうとしたその瞬間。
ニーノが二人の間に立ちふさがる。
「奥様、そういうのは後、ね」
そう言われて、見ると追手の兵士達が、どんどん階段を登り始めている。
「ニーノちゃん。後で覚えてなさい!」
アージュは頬を膨らませてそう言うと、石畳に突き刺さっている砂を裂くもの」を引き抜いて、地面に横たえる。
その上にナナシ、ニーノ、アージュの順番に並んで乗り、ナナシとアージュの身体でニーノを挟むようにして、アージュはナナシの腰を掴んだ。
次の瞬間、砂を裂くものの下面に取りつけられている精霊石が光りはじめ、ゆっくりと宙に浮く。
「二人とも後ろに体重を掛けて下さい!」
ニーノとアージュがゆっくりと後ろに体重をかけ、反対にナナシが前傾姿勢をとると、前面を上に跳ね上げたまま、砂を裂くものは階段を上段へと滑るように走り始め、そのまま一気に加速すると、目の前の炎の壁を突き破った。
階段の数センチ上を浮かびながら、城壁へ向かって駆け上がっていくナナシ達をのせた砂を裂くもの。
再び遠距離からの魔法攻撃で上がる火の手を掻い潜って、城壁の上に到達。そのまま一気に城壁の外へと、飛び出そうとする。
城壁の上から飛び出せば、そこにあるのは見渡す限りの砂漠、そして地平線……のはずだった。
しかしナナシ達の視界に現れたのは「巨大な腕」
城壁に片手を掛けて、疾走する機動城砦に引きずられるように、不格好な箱を積み重ねたような砂の巨人が、ナナシ達に向かって拳を振り下ろそうとしていた。
「「砂巨人!」」
ナナシとアージュの驚きの声が唱和する。
「アージュさん! ニーノしゃがんで!」
そういうとナナシはしゃがんで、足元の板を右手で掴むと一気に傾ける。
急制動で左へ移動。振り下ろされた砂巨人の拳を間一髪で躱すと体勢を立て直し、あろうことか、ナナシ達は砂巨人の腕の上を駆け上がると、肩から一気にその背後へと飛び出した。
「あはは! すげぇおもしれーぞ、これ!」
「ニーノ目がまわるます」
はしゃぐアージュ。ぐったりとするニーノ。
ハッキリ言って曲芸じみた一連の流れは、ナナシにしてみても冷や冷やものだ。よくうまく行ったものだと思うと、背中に冷や汗が一気にふきだした。
砂巨人が壁面にしがみついたまま遠ざかっていくゲルギオスを、背後に見送りながら、ナナシ達は一直線にサラトガがいるであろう北西の方角へ向かって速度を上げる。
「帰るか!」
「ええ、帰りましょう」
「帰るのはいい。でも奥様、くっつきすぎ、ニーノはさまる。痛い!」
三人のはしゃぐ声が風に乗った。




